第39話 扉の血痕の真実

(これは良い事を聞きましたぞ!)


 研一達の話を部屋の外で聞いていたフェットは、笑いを堪えられないといった上機嫌な様子で街中を駆け抜けていた。


 目指すは自分の館。


 そこには研一が集めさせた女達とサーラが保護した魔人の落とし子達が、全員まとめて閉じ込めてあった。


 ――女好きの救世主に献上して気に入られる為の下準備として、部下達を使い城から無理やり連れ出していたのだ。


(まさかあんな甘い考えの男だったとは! いくら強くても人質が通用するならば、いくらでも操りようがありますぞ!)


 フェットが研一達の話を聞いたのは、半ば偶然のようなモノであった。


 研一に撥ね飛ばされ気を失ったフェットであったが、何か壮大な光に目を覚まし、恐る恐る現場を覗き見してみれば、面白そうな話をしており――


 見付からないように息を潜めて、全てを聞いていたのだ。


(しかし、そうと知っていれば、あのセンとかいう魔人の落とし子は確保しておくべきでしたな。変に手を出して機嫌を損ねた方がマズいと放置したのは大失敗でした……)


 話を聞いていた限り、相当に甘い性格のようだから、女や子供達を人質にすれば言いなりに出来るだろうとフェットは踏んでいる。


 けれど、やはり確実性が一番高いのはセンを人質に取る事だと思い、残念がっていた。


(まあ方法ならいくらでもありますしな。ふふ、救世主の力さえあれば、いくらやりたい放題しても誰も逆らえやしないでしょうし、今から楽しみで仕方ありませんぞ!)


 未来の自分の栄光に想いを馳せながら、フェットは己の館へ向かう速度を増していく。


 油塗れのフェットの異名は伊達ではない。


 足の裏に油のような性質を持った魔力を発生させ、滑るように高速移動。


 その鈍そうな身体とは裏腹に、驚くべき程の短時間で自らの館へと辿り着いたのだが――


「やはりな。あの話を聞いたお前は、邪な事を考えてここに来ると思ったよ」


 そこにベッカが待ち構えていた。


 大体フェットと似たような経緯で研一達の話を聞いていたベッカは、フェットが城を出た事に気付くや否や、先回りしていたのである。


 ――フェットも見た目の割には相当に速いが、本気になれば矢と同じくらいの速度で動けるベッカとでは比べ物にならない。


「おやおや、これはベッカ嬢。まさかアナタの力で私を止められるとでも?」


 けれど、フェットの表情に焦りはない。


 この世界では力の差が有り過ぎる場合に勝負すれば、どう工夫したところで戦いになんてならないのだが――


 ベッカとフェットの間に力の差は、それ程ない。


「無理だろうな。私がお前に勝てる可能性なんて、百回戦って五回もあれば良い方だろうよ」


 ただし、相性というモノは存在する。


 単純な力量だけ見れば互角であっても、絶望的に不利な相手という場合があるのだ。


「でしょうな。私の魔法は生半可な攻撃は全て滑らせて無力化します。アナタの槍の腕は認めますが、魔法を使えないアナタに勝ち目など無いに等しいですぞ」


 そして、この二人は完全にそのケースに該当する組み合わせ。


 全身を油のような性質を持った魔力で覆う事で物理攻撃を受け流せるフェットに、凄まじい身体能力を持っているだけの槍使いでしかないベッカの勝ち目は皆無に等しい。


「戦いに来た訳じゃないからな。ちょっとお前に聞きたい事があったのさ」


「ほう? 聞きましょう」


 フェットは多くの誤解している人間と違い、ベッカという人間を多少は理解している。


 一見すると武力一辺倒で何も考えていないように見えて、その実は目的の為ならば汚い事でも平気で出来る、ある意味では自分の同類。


 下手に無視する事は出来なかった。


「シャロンをあんな目に遭わせたのは、お前の手の者か?」


「シャロン? 聞き覚えのない名前ですね……」


 情報とは何よりも大事なモノ。


 それを理解しているフェットは牢の中に居ても、繋がりのある者を使って情報を手に入れていたが、その中にシャロンという名前はなかった。


「ピンク髪の踊り子だ。セン以外では唯一の救世主のお気に入りだった女と言えば、お前に解からない筈ないだろう?」


「ああ、そのような名前だったのですか……」


 救世主が下賤な踊り子を見初めたという話だけなら、フェットだって聞き及んでいる。


 だが、その身元を洗い詳細な情報を手に入れる時間まではなかった。


「それは勘違いというモノですな。あの者があんな状態になったのは見苦しい女の嫉妬や派閥争いに巻き込まれたせいですぞ」


 ここでようやく、センの滞在した部屋の扉に血痕があった理由に触れる者が出た。


 それは研一の横暴に我慢の限界に来ていた者が、見せしめにセンを襲ってやろうと考えたのが事の始まりだ。


 それに気付いたシャロンは、必死でその者達を説得しようとした。


 実は救世主は本当は良い奴かもしれないから、待ってほしいと懇願して。


「いやあ、女の嫉妬とは恐ろしいものですな。さすがの私も、アレには少し引きましたぞ」


 これに怒りを隠せなかったのが、シャロンと同じ時に集められた女の一部。


 研一を色仕掛けでとりこにして、傀儡かいらいにしようと目論んでいた派閥だ。


 救世主に気に入られて自分は地位が安泰だからって、調子に乗った事を言うなと容赦なくシャロンを袋叩きにしたのである。


 中にはセンとシャロンが居なければ、自分がその座に就けると本気で思い、殺す気で殴っていた者さえ居たくらいだ。


 ――これがセンが聞いた争う声や悲鳴の正体であり、扉に血痕が付いていた理由。


 そして、この時にシャロンやセンを身体以外価値のないゴミ達の癖にと吐き捨てた女の下卑た想像こそ、センが見た情事の正体だ。


「あの者が救世主様のお気に入りだと知った時は本気で肝が冷えましたよ。ここで見過ごしたとバレれば、八つ当たりされるかもしれませんからな。見付けた瞬間に慌てて助けに入りましたよ」


 あんな青臭い甘い男だったと知ってれば放っておいたのですけど、なんて付け加えて。


 フェットは無駄な体力を使ったとばかりに息を吐く。

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