第37話 暴走忠臣マニュアルちゃん

「だ、誰!?」


 突然現れた少女に驚いたセンは、ほとんど反射的に研一に抱き着く。


 鮮やかな長い緑髪を二つ結びにした少女だ。


 年齢はセンよりも僅かに上くらいに見えるものの、それでも十二前後くらいに見える幼さを感じさせる背丈なのだが――


 無表情気味な上に美術品かと思うくらいに顔が整っている上に、全く隠されず露わにされている肌も高級な人形を思わせる程に綺麗で、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。


 ――幼さを感じさせる凹凸に乏しい流線型つるぺったんな体型も、むしろ人形めいた雰囲気を加速させ、彼女の美しさをより静謐なモノに仕立てている。


「マニュアルちゃんです。それより馴れ馴れしいですよ、魔人。御主人様から離れるのです」


 けれど、その人間離れした美しい見た目とは裏腹に。


 話し方は下手するとセンよりも子どもっぽいというか、ぺしぺしと腕を振って研一とセンを引き剥がす姿はおさそのものである。


 ――それでも表情は薄く、人形めいた美貌の持ち主である事には変わらないが。


「マニュアルちゃん?」


 センの事でショックを受けていた上に突然の事態に呆然としていた研一だが、少女の名前と聞いた事のある声に反応する。


 マニュアルちゃんと名乗る少女の正体に心当たりがあったからだ。


「はい。ご主人様が女神から頂いたスキルの取扱説明書にして、いつ如何なる時でも御主人様の寂しさを紛らわせる事が出来る話し相手、マニュアルちゃんです。一定以上まで私が成長したので、顕現する事が出来ました」


(私が成長って事は、マニュアルを名乗っているけど意識としてはスキル本体っぽい?)


 はたして、研一の予想どおりの正体が告げられる。


 相変わらず変化の薄い表情ではあるが、それでも自信満々に胸を張っているので、何故かドヤ顔をしているように見えた。


「これ程早く私を顕現させたスキルの担い手は御主人様が初めてなのです。このような超常の天才に人型で仕えられるとは、歓喜で身体が震えるとは、きっとこのような気分なのです」


「俺が天才だって?」


「はい。そもそも人に悪感情を向けられる程に成長するという性質上、私は非常に扱いが難しく、成長させるのが困難なのです。それというのも人間の怒りや憎しみというのは、余程のモノでない限りは持続しない傾向があるらしいですから」


 そんな風に前置きして、マニュアルちゃんは今までのスキルの担い手達の事を語っていく。


 例えば、このスキルを授けられた人の痛みなど気にしない極悪人が居た。


 その者は好き放題に生き、最初こそ急速に力を増していったのだが――


 極悪人の横暴に疲れ果て、抵抗しても無駄だと思い知った人々は次第に気力を失っていき、そのまま全ての力を失って自滅していった。


 例えば、このスキルを授けられても人を傷付けるのを躊躇う男が居た。


 その男は最初こそ期待外れだと見下される事を力に出来たが、結局活躍出来そうになる度に力を失い、大した事も出来ないまま死んでいった。


「その点、御主人様は完璧です。ちゃんと憎まれ恨まれる事をして力を確保しつつ、自らは手を出さない事で恨みを持続させています」


 多くの人間が誤解しているが、人は本当に手を出してくる相手や真に恐ろしく感じている相手に恨みや憎しみを抱き続ける事は難しい。


 相手が手を出してこない、自分が安全圏に居ると思うからこそ、好き勝手文句を言えて気持ちを保てるのであり――


 実際に手を出してくる相手に対しては、最初は抱いていた恨みや憎しみも、いつしか疲れや諦めに変わっていく。


 ――苛立っている原因が別にあるにも拘わらず、抵抗出来なさそうな相手を見付けて虐めを繰り返したり、店員に嫌がらせをして憂さ晴らしをするような心理だと言えば、想像出来るだろうか?


 本当に恐ろしい相手には、恨みや憎悪ですら真っ直ぐに抱くのは難しいモノなのである。


「おまけに圧倒的な御主人様の力に人々が心を折られないように、憂さ晴らし出来る囮の女を事前に確保しておく。これ程の叡智、このマニュアルちゃんも感服致しました」


 研一は誤解していたが、魔族との戦いで力を一時的に失った理由は兵士達に希望を抱かれた事だけが理由ではない。


 研一の大事にしている者を踏み躙る事で、一時的に溜飲を下げる事が出来たのも大きい理由だったのだ。


「御主人様も感じているでしょう、この力の高鳴りを。生かさず殺さず憎悪を搾り取るその計略、御主人様に仕えられた事を誇りに思います」


 そして、救世主ここに在りとでも言いたげな光の柱が上がった事で、人々は再び嫌悪の気持ちを取り戻しつつあった。


 魔族は退治されたけど、また救世主の好き勝手な横暴に晒されないといけないのか、と。


「研一さんは、そんな人じゃない!」


 まるで研一が全て計算尽くで人々の心を弄んでいるような物言いに、思わずセンの口から怒りの声が飛び出す。


 確かに研一が人に恨まれたがっているような雰囲気は、センだって感じていた。


 けれど、それに苦しんでいた事も知っている。


 それ等を全て踏み躙られたような気分であった。


「何も知らない魔人こそ訳知り顔で吼えないでほしいのです。御主人様は崇高なる願いを叶える為ならば、何もかも踏み躙る覚悟でこの世界に来たのです」


 研一は二人を止めるべきか迷いつつ、マニュアルちゃんの言葉を聞いて止めない道を選んだ。


 自分は確かにその覚悟を持って女神に誓いを立てており――


 センと別れる道を選ぶと決めた以上、マニュアルちゃんの誤解は都合のいいものだったから。


「御主人様には愛し合っている御方が居られたそうです。話によると聡明な御主人様に相応しい、天女のような優しき心の持ち主であったとか……」


「…………」


 研一とセンの二人が別々の意味で絶句する。


 片方は自分の評価があまりに高過ぎる事に対して。


 もう一人は研一に恋人が居た事に、女としてショックを受けて。


「ところが、その優しさこそが悲劇を生んだのです。困っている人を助けようとした恋人の女性は騙され、乱暴され、死んでしまったのです」


 センの言葉に研一は僅かに目を伏せ、想いを馳せる。


 道に迷っているだなんて言葉、信じて案内してやろうという方が今時どうかしているなんて。


 ――そして、そんなひとだったからこそ、アイツが死ぬなんて間違っているという思いが消えず、ずっと忘れられなかった。


「愛する者を失った御主人様は荒れに荒れたそうです。特に原因となった男が、大した罪にもならなかった事が、御主人様には納得出来なかったのです」


 死んだと言っても直接、その男に殺された訳ではない。


 乱暴されて、後に自殺しただけ。


 その後、身勝手で情状酌量の余地もない犯行だと立証されたにも拘らず、これっぽっちの罪にしかならないのかという気持ちに。


 飲めもしないのに浴びるように酒を飲んで――


 気付いたら、見知らぬ世界に居て女神に会ったのだ。

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