第17話 ベッカ強襲

「私だ。ベッカだ。今入っても大丈夫か?」


 部屋をノックしてから掛けられた声に、研一は目線だけでセンに合図する。


 それは自分達以外の人間が居る時はどういう風に対応すればいいか。


 事前に取り決めていたように動いてくれという合図であった。


「……」


 解ってますと研一に伝えたいのだろう。


 コクコクと全力で首を縦に振り、精一杯のアピール。


 愛らしい姿に心が和みそうになるが必死で気を引き締め、子どもを好き放題弄ぶ極悪男と傷付いた少女の演技を始めていく。


「ああ、いいぜ。今日はもう楽しむ予定もないし、好きに入って来いよ」


 センと二人きりだった時は打って変わって口調を乱暴に変える。


 これ自体は異世界に来た当初から続けているのもあって、随分と慣れてきた。


 即座に切り替えるなんて、お手の物なのだが――


(多分、これには一生慣れないんだろうなあ……)


 口調を変えた途端、ビクリと一度震えたセンの姿に胃と心が激しく痛む。


 誰かを傷付け、憎まれたり怯えられたりする事だけは、どれだけ続けても無視出来そうにはなかった。


「…………」


 センも事前に演技だと伝えているから解っているのだろう。


 一瞬だけ怖がる姿勢を見せたものの、その後は真顔で押し黙っている。


 これは怖がってしまった事を反省しているのではなく――


 他に人が居る時は出来るだけ話さず、人形みたいに大人しくしていてほしいという研一の言葉を必死で守ろうとしているだけだ。


(本当は俺が傍に居る時も、誰かと話させてやりたいんだけどな……)


 自分以外の相手とも話した方がいいし、自分が見てる前で話してくれた方が見えない場所で話されるよりは安心だって出来る。


 だから本当は、こんな指示なんて出したくないのだが――


(センちゃん、すぐに何か助けを求めるような目で俺を見るからなあ……)


 もしそれが奴隷特有のご主人様の機嫌を窺うような卑屈な種類の視線であったなら、信用されてないなあと心は痛んだろうが、それでも体面的には望むところ。


 むしろ他人に見せ付けて憎まれ度稼ぎに利用していた筈だ。


(けど、自惚れじゃなくて、そんな雰囲気じゃないんだよね)


 確かに様子を窺うような卑屈さが、ないとは言えないだろう。


 けれど、そういう薄暗いだけのものとは違う。


 この人なら助けてくれる筈だという、どこか信用が根底にある縋り付くような目を向けてくるのだ。


 ――捨てられた事に気付いてない子犬の目が、印象としては一番近いかもしれない。


(あんな目向けられて酷い目に遭わせているってのは無理あるからな……)


 それなら自分が近くに居る時だけは身動ぎ一つしないように努力してくれた方が、まるで怖い主人に怯えているように見えて、余程それらしい。


 考えた末の苦肉の策であった。


「セン。お菓子を持って来たから後で食べるといい」


 研一達が心構えを済ませるや否や。


 部屋の扉を開け、お盆を持ったベッカが入ってきた。


 そのまま部屋に備え付けてある机の上に、お盆ごと持ってきた物を置く。


(何だこれ、炒り豆か?)


 それはパッと見た感じ、複数の豆の盛り合わせを小鉢に盛り込んだ物のように見える。


 小鉢が二つ用意されている事から、一つは研一の分なのかもしれない。


(よく考えたら普通の食事とかは食べてきたけど、菓子類って初めてな気がするな……)


 肉ばかり美味しそうに食べるから今まで出なかったのか。


 それともこの世界では菓子は子どもが食べる物で、大人には基本的に出さないのか。


 どちらかは解からないが、今まで食べた事がない種類の異世界の食べ物。


 肉の時のような新しい味があるかもしれないと、期待を胸に手を伸ばす研一であったが――


「救世主、ちょっと話がある。暇なら付き合え」


 そこでベッカの口から待ったの声が掛かる。


 こんな形でベッカの方から話し掛けてくるのは初めての事。


 緊急事態でも起きているのだろうかと思い、豆を摘まもうとしていた手を止めて、ベッカへと向き直る。


「忙しいなら今すぐじゃなくて構わない。ちょっと話がしたい」


(何だろう? 別に急ぎの話じゃないのか?)


 だとすれば一体何の用なのか。


 どこか違和感のようなものを覚えるも、基本的にベッカはサーラから監視の仕事を任されているから、渋々傍に居るという態度を取る事が多く。


 こちらから用事でも頼まなければ話し掛けてこないし、話したとしても大抵はもっと態度は悪い。


 それがこんな静かに話し合いの場を持とうとするのだ。


 緊急ではないにしても、何か重要な案件なのだろうという事は容易に予想は出来た。


「わざわざ人を呼び出すんだ。詰まらねえ話だったら、ただじゃおかねえぞ」


「……ああ。大事な話だ」


 ここは変に憎まれ度稼ぎの嫌がらせをする場面でもないだろう。


 乱暴な言葉遣いにしつつも、即座に承諾の言葉を告げる。


「悪いな、セン。お前の主人を借りていくぞ」


 ベッカは気を悪くした様子も見せずに静かに頷いて、迷う事も無く部屋を出て行った。


 すぐに後を追おうとする研一であったが、その前にセンの方へと視線を向ける。


「おい、ガキ。先に食べてろ。俺の分まで食べたら今日の夜は覚悟しておけよ」


 自分が先に許可を出しておかなければ、どれだけ食べたくてもセンは我慢してしまうだろう。


 扉を出た先にベッカが待っている気配を感じたので、乱暴な口調で命令するようになった事に少しの申し訳なさを覚えながら研一も部屋を出る。


(暗殺でもする気か?)


 どんどん人気ひとけのない場所へと進んでいくベッカ。


 丁寧な態度で油断させておいて、待ち構えている伏兵達と一緒に自分を亡き者にしようとでもしているのかもしれない。


 簡単に倒される気はしないが、最初の戦いでベッカも力の差は解っている筈。


 何かトンデモナイ罠や策略を用意しているのでないかと警戒を強める。


「長く歩かせてしまってスマナイ。どうしても邪魔の入らない場所で話したかったんだ」


 そうしてベッカが連れてきたのは、城の中でも奥まった場所にある用途の解からない小さな部屋であった。


 椅子や机が置いてある訳でもなければ、物置になっている訳でもない。


 罠や伏兵なんて仕掛けるのに向いてない、ただただ伽藍洞でしかない空虚な部屋。


「それで話ってなんだよ」


 逆に不気味さを覚えて、ベッカの一挙手一投足に注意する。


(魔法使いじゃないって言ってもベッカさんも異世界人だからなあ。何か俺と刺し違えられるようなトンデモ技とか出すかもしれないしね)


 例えば周囲一帯を吹き飛ばす自爆技でも使おうとしているだとか。


 それならば人気のない場所に誘い出した事にも説明が付く。


 少しでもそんな気配を感じたら即座に気絶させようと、いつでも動ける準備をする。


「そう警戒するな。別にお前をどうこうする気もないし、そもそも私の腕じゃあどう頑張ったって救世主であるお前を倒す事なんて出来ないさ。本当に話がしたいだけなんだ」


 そこでベッカは武器なんて持っていない、とでも言いたげに両手を上げて戦う気は一切ないとアピール。


 それ以上は敵意がないと示す手段はないと判断したのだろう。


「どうして無駄に悪態を吐く? 何か理由でもあるのか?」


 覚悟を決めたような表情をしたかと思うと、いきなり本題をぶちまける。


 あまりに突然の話。


「…………」


 研一は何を言われたのか理解出来ず。


 頭の中が真っ白になって、立ち尽くしてしまう。


 呆然としたのは五秒にも満たない短い時間。


「やっぱりか。何だ、こうして冷静になって観察してみると、随分と解かり易い人間だったんだな」


 それでも動揺を伝えてしまうには十分過ぎる時間であった。


 ベッカは自分の推測に確信を持ったらしく、予想が当たっていたのが嬉しいのだろう。


 この異世界で出会ってから初めて、研一の前で微笑んだ。


(何でだ? いつからバレてた?)


 だが、その表情を眺めている余裕なんて研一にはない。


 センを救出しようとした時までは間違いなく、ベッカの目には敵意のようなものがあった。


 どこで間違えたのかと必死で頭を働かせたところで――


(そういえば、さっき豆を持ってきた時――)


 ベッカは自分の事を『救世主』と呼んでいた。


 この世界に来てからずっと貴様と呼ばれ続けてきたし、救世主だなんて認めないという言葉なら散々に言われてきたが――


 救世主として扱われたのは、あの瞬間が初めてだった。


(どうして! 別に好かれるようなイベントなんてなかったぞ!)


 そもそもベッカの態度から考えるに、さっきバレたなんて次元じゃない。


 話があるなんて部屋を訪ねてきた時点で、既にバレていたと考えるべきだろう。


(という事は既にサーラには話してる?)


 それならばどれくらいの人間に悪ぶっていただけの演技だと話して、どれくらいの人間が信じたのか、なんて想像したところで背筋が震える。


 この世界でおそらく一番自分の事を嫌っていただろう、ベッカでこの様子なのだ。


 下手すればもう城の中の誰も自分を憎んでいないのではないかという思いに、目の前が真っ暗になりそうな程の衝撃と不安が駆け抜けていく。


「……ああ、悪かった。そこまでして隠しているという事は絶対に言えない事なのだろう? 誰にも告げる気はない」


 青ざめた研一の顔色に、隠し事を暴露したのに笑ってしまうという、デリカシーのない事をしてしまったと気付いたらしい。


 ベッカは表情を引き締めると、研一に改めて向き直り話を続けていく。


「安心してくれていい。今のところ、この事に気付いているのは私だけだ。そして、この件に関しては、姫様にも告げ口しないと約束する。これは子ども達を救ってくれた事への、私なりの感謝と敬意の証と思ってほしい」


「はっ、子ども達を救っただあ? 何を勘違いしてやがる。昨日だけでもあのガキを何回、使ったか解からね――」


「本当にお前が悪ぶっている理由を暴きたい訳じゃないから無理に誤魔化そうとするな。ただ、他の人間にこれからも隠しておきたいと言うのなら、黙って私の話を聞け」


「…………」


 あまりに確信めいたベッカの姿に、言われたように黙って話を聞く事しか出来ない。


 どうやら絶対に誤魔化し切れない程の失敗を自分はしてしまったらしい。

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