第6話 恋に恋するムッツリ姫

(何なのですか、あの人は!?)


 救世主様を部屋に送り届け自分の部屋に戻った私は、叫び出しそうになるのを必死で堪える。


 叫んでしまった方が絶対に気分は晴れるのだろうけれど、そうしてしまうと何となく負けたような気がして嫌だった。


(口や態度が悪いだけで言っている事自体は、もっともだと思ったのに……)


 召喚時に救世主様に言われた事は、胸を刺されるような想いだった。


 勿論、救世主様に戦い全てを押し付ける気なんて最初からなかったし、不自由のないように手厚く迎え入れるつもりではあった。


 けれど、どこかで無意識に思ってしまっていた。


(救世主様なんだし、当たり前のように自分達を助けてくれるって……)


 考えてみれば当たり前の話。


 別世界に居ただけで、救世主様だって自身の生活を持ち元の世界で暮らしてきた一人の人間でしかないのだ。


 友人も居れば家族だって居る。


 そこから無理やり引き裂いた自分なんて恨んで当然の存在の訳で、そんな自分の願いを聞き届けろなんて言われれば――


 同じ立場だったら自分だって悪態を吐かずには居られないだろう。


(だからこそ、救世主様がどれだけ悪態を吐いて、無体な願いを告げようと、私が出来得る限りは引き受けたかった……)


 先の戦いで大事な人達を奪われたばかりの自分だからこそ。


 大事な人と引き離され、会えなくなってしまう辛さは痛い程に解る。


 そんな痛みを救世主様に与えてしまった。


 その癖して自分達を助けろなんて、お願いするのだ。


 確かに言うとおり、自分の身体の一つや二つ差し出すべきなのだと心の底から納得していたのに……。


(それで少しでも傷付いた心を癒してあげられればって、本当に思ってたんです……)


 大事な人達から引き離された恨みで、ただ悪態を吐いているだけで本当は心の優しい人なんじゃないかと思ってた。


 だって言葉自体は乱暴だけど、言っている事自体は割と当然な要求な気がしましたし。


 本当に悪党だったら、あれだけの力があるんです。


 それこそ対価とか関係なく、私やベッカを力尽くで手籠めにする方が態度的には合っている気がするのに――


 言葉の割には無理やり襲ってくる事もなければ、自分からは触れて来ようとさえしてこない。


 あれだけ無礼な口を聞いたベッカにだって、なじりこそしても怪我一つさせなかった。


 やはり神様に選ばれるだけあってどれだけ悪ぶっていても心根は良い人なんだって、そう思っていました。


(なのに! あんな、あんな、非道な方だったなんて!)


 嫌がる女を逆らえない状態にして無理やり犯すからからこそ興奮するだなんて、そんなのは悪趣味を通り越して悪辣だとしか思えません。


 人の尊厳を踏み躙るからこそ楽しい。


 他人というものを同じ人間ではなく、自分の欲を満たすだけの道具とでも思ってなければ、そんな事を堂々と言い放つなんて出来はしないでしょう。


(どうして女神様はあんな方に加護を授け、この世界に遣わせたのです?)


 せめてもう少しだけでも良識を持った人であるなら。


 身も心も捧げる事に迷いなんて――


(いえ、というか、何なんですか!? 年頃の乙女が裸で迫ったのに気持ち悪いって!)


 私だってもう子どもではありません。


 愛や世継ぎの為だけに睦言が行なわれるなんて信じる程には無垢ではないと言いますか、快楽の為だけに行為を求める事があるくらい知ってますし。


 異世界ではどうか知りませんが、こっちの世界の王族ともなれば世継ぎの事は死活問題。


(来る日に備えて知識なんて町娘以上に学んでいますし、身体にだって磨きを掛けているんですよ!?)


 だから、こっちから誘って手を出されたのなら、それは努力が実を結んだという事であって。


 女として魅力を覚えてくれたという事だから、ある意味では喜んでいいものだという認識くらいは持ってます。


 ――同時に、その好意への向けられ方が歪んでいれば、嫌悪や気持ち悪さを覚えてもいいものだという事だって解っている。


(それなのに嘔吐するとか、私を腐った不死系の魔物とでも思ってるんですか!)


 私の顔や身体なんか、嫌がる女を思い通りに出来る事に比べたら何の価値もないとでも?


 それどころか不浄の者達と触れるくらいに不快だとでも言いたいんですか?


 そんなの屈辱にも程がある。


(絶対に後悔させてあげます……)


 水の国には肌を綺麗にする魔法があると聞いてますし、風の国には匂いを操り異性を意識させる魔法があるそうです。


 魔族との戦いに必要になるとは思えませんでしたし、自分とは違う属性の魔法の取得は通常の数倍の労力が掛かるそうですが関係ありません。


 もう二度と睦言の前に、あんな侮辱的な態度なんて取らせてやらない。


 理性も何もかも捨てて私に襲い掛からずには居られないくらいにしてやる、なんて考えたところで気付きました。


(これじゃあ、あの方の言うとおり。本当に淫らな変態女ではないですか!)


 どんな理由であったにせよ、ここは穢されずに済んだ事に喜ぶべきでしょうに。


 まるで、あの方に襲われるのを望んでいるような思考に、自分の事ながら驚きを覚えずには居られません。


(……だって、しょうがないじゃありませんか)


 子どもの頃から憧れていた、物語の中にしか居なかった救世主様。


(それが伝承通りの姿で目の前に現れたんですよ?)


 闇よりも深いのに濡れているみたいに艶やかな黒い髪は神秘的だったし、同じように深い闇色の瞳なんて吸い込まれそうで目も合わせられないくらいで、本当に絵本の中から出てきたようにしか思えなかった。


 そんなこの世の者とは思えないくらい現実感のない人が、演劇の中に出てくる悪党みたいに口汚い言葉を使ってきて――


 何だかチグハグで、本当に物語の中にでも迷い込んだような覚束ない気分だったのに。


(突然あんな事されたら気の迷いの一つや二つ起こします……)


 身体を清めようと炎に飛び込んだ私を、力強く引き摺り出して。


 怒り混じりの声で心配したかと思ったら、心の底から心配したような目で真っ直ぐに私を見詰めてきたんです。


(あの瞬間、悪態ばかり吐いているあの人の何かに触れられた気がして――)


 どうせ恋も想いも無視して国の為に使う事になっていく女の身体。


 それが王族としての責務だなんて。


 とっくの昔に覚悟なんか済ませていたつもりだったけど、それでも、この人に捧げられるなら後悔せずに済むんじゃないかなんて感じた。


(でも、それは全部勘違い)


 急に触れられた事に驚いて、初めてを失う緊張を恋心に似た何かと錯覚しただけ。


(そうじゃなきゃあんな極悪非道な人の事なんて――) 


 救世主様でもなければ関わり合いたくもない。


 私は自分に言い聞かせるように強くそれだけ意識し、眠りに就いたのでした。

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