「星色のインクが欲しい。飲み干せば冷たく燃える星になれそうな」

西見伶

第一話「星色のインクが欲しい。飲み干せば冷たく燃える星になれそうな」

 私ー東浪華ヒガシハナは、実に醜い人間だ。

 負けず嫌いで、傲慢で、そのくせ弱虫で。同級生たちとうわべは仲良く付き合っているふうでも、内心見下していたりして。そんなだから、相手との距離を一歩詰めることが怖くて、親友と呼べる友人は一人を除いてできた試しがない。

 私は、毎朝鏡の前に立って、自分の顔を見ただけでも、嫌でたまらなくなる。

 顔立ちは男受けする造りだし、見かけに気を遣っているだけあって、言っちゃなんだがモテるのだけれど、その内側に隠している心の醜さを思うと、朝から最悪な気分になってしまう。

 それに比べて、双子の姉の優海ウミは、なんて可愛いんだろう。優しくて気配りが出来て、芯が強くて努力家で。学校の成績だって、私なんかよりずっと良い。物事に影響を受けやすく、アニメのキャラクターの関西弁をばっちりトレースしちゃったりはするけれど、そういうところも含めて可愛いのだ。

 そんな優海を悪く言う奴らは、見かけしか見ないただの馬鹿だ。

 そう、優海の右頬には、生まれつきの、生涯消えることのない痣があった。そのせいで、優海は意味もなく気味悪がられたり、心無い連中に傷つけられたりしてきた。

 でも、私は知っている。

 彼女が本のページを捲ったり、小さな子供を目にしたり、沈みゆく夕陽に心を奪われているとき、その右の横顔が、どきっとするほど綺麗で魅力的なことを。


 その日、私たちは連れ立って学校に向かった。私は右、優海は左。示し合わせた訳ではないけれど、昔からこの並びは変わらない。きっと、優海は、多分、自分の右側を私以外に見せたくないのだろう。そして、私は優海の右側が大好きなので、自然とこの並びになる。

 人の顔は、実は完全な左右対称ではないという。そして、右と左でそれぞれ違った人格が宿っているという話を、なにかの小説でよんだことがある。左右でここまで違う顔を持つ人間は、優海以外にはなかなかいないのではないだろうか。左の顔は、私と全く同じ、まるで退屈な顔。右の顔は、打って変わって野性的で人を惹きつける顔。

 「あ」と、優海が呟いた。視線の先を目で追うと、道の対岸に猫がいた。真っ白で、赤い首輪を付けた猫。座り込んで、毛づくろいをしている。

「浪華ー、いつか猫飼いたくない?」

「えー、私は鳥がいい」

「確かに、鳥ならお母さんが遊びに来ても安心やね」(母は猫アレルギーだ。)

「でしょ。ほら、時代は鳥だよ。昨日見せたじゃん、あのオカメインコの動画」

「たしかに、あれは反則やった。でも、やっぱ猫でしょ」

「優海は昔から猫派だもんね。でも、ほら、ゴローが嫉妬しちゃうよ」(ゴローは優海が長年使っている猫の筆箱の名前だ。)

「ゴローはゴローで大事にするよ。浪華だって、昔は猫派やったのに。この、浮気者」

あーだこーだ言ってるうちに、駅に着く。それまでに、2匹の猫と3匹の犬を目撃し、犬も悪くないよなあなどと言い合った。


 JRに乗り込み、席に着く。私はイヤホンを耳に嵌め、サブスクの音楽アプリで曲を選ぶ。優海は文庫本とヘッドホンを取り出し、ヘッドホンのノイズキャンセリングを起動する。文庫本は、宮沢賢治の短編集「銀河鉄道の夜」だ。うちの本棚は二人で共有していて、私も読書は好きな方だが、優海が買ってくるものの割合がやや高い。しかし、「銀河鉄道の夜」は、その中で私が買ってきたものだった。

「お、銀鉄じゃん」

「え?」優海がヘッドホンに手を当ててノイズキャンセリングを解除する。

「銀鉄。それ」

「ああ、これね。借りた」

「銀鉄、いいよね」

「今まさに読んどるとこ」

「他の飛ばして?」

「そう」

「他のも後で読みなよ。賢治、読みにくいけど面白いよね」

「ね。『風の又三郎』読んだけど良かった。あ、次どれ読めば良い?賢治って割と当たり外れあるやん」

「目次見せて。この中だったら、『よだかの星』が好きかな。これめっちゃおすすめ」

「おっけ。覚えとく」

 そこで私たちの会話は途切れて、あとはお互い音楽を聴いたり、小説を読んだり、授業の予習をしたりした。

 その後は何事もなく学校に着き、授業を受け、昼食は一緒にとり、また授業を受け、一緒に帰路に着いた。


 その1週間後の朝。私は流行っていたインフルエンザに感染し、38℃を越える熱を出して寝込んだ。そしてどういう訳か、登下校も食事も共にしているはずの優海はなんともなかった。私は高熱のせいでぼんやりとする頭で、彼女に行ってらっしゃいを言った。

 そのほんの30分後のことだった。


 やはりぼんやりと靄のかかる頭で、私は姉の訃報を聞いた。


 私は、かつて優海の行きつけだった文房具店の前に立っている。

 今でも、あの日のことは鮮明に思い出せる。

あの日、優海がトラックにはねられて死んだ日。猫を追いかけていた登校中の児童が、周囲を確認せずに車道に飛び出した。そこに、運悪く一台のトラックが突っ込んだ。しかし、児童は被害に遭うことはなかった。体を張ってトラックの通り道から彼を突き飛ばした者がいたからだ。それが、優海だった。彼女は児童の身代わりになって帰らぬ人となった。即死だった。

 彼女の持ち物には、読みかけの「銀河鉄道の夜」が入っていた。栞は、「よだかの星」のちょうど終わったところに挟んであった。

 「よだかの星」。醜く、しかし心の綺麗な鳥であるよだかが死に、夜空に輝く星になる話。青白く、しかし何よりも力強く燃える星だ。私が最も気に入っていた短編だった。醜い自分とよだかを重ね、いつか自分も光り輝く星になれたらどんなに良いだろうと思っていた。

 しかし、星になったのは私ではなく優海だった。

 あの馬鹿。華々しく死にやがって。物事に影響を受けやすい。優海の悪癖だった。命懸けで児童の命を助けた優海の勇気を多くの人が称え、死を悼んだ。優海は、私の手の届かぬところに行ってしまった。

 彼女は、数多くの物を私に残した。サイズの同じ服。本棚の7割を占める本。筆箱のゴロー。そして、愛用していた万年筆。

 万年筆は、一万年使えるから万年筆と言うんだと、優海が自慢げに言っていた。しかし、その代わり、書くのにインクを必要とする。彼女が死んでから、肌身離さず持ち歩き、使ってきたが、とうとうインクが切れてしまったので、この文房具店を訪れたのだ。

 優海に連れられて、何度か足を運んだ文房具店。しかし、店内では基本別行動をしていたので、インクがどこにあるのか分からない。棚の整理をしていた店員に声をかける。レトロな店の雰囲気にはあまりマッチしない、若くて綺麗な店員だった。何を探しているかを問われる。

 万年筆のインクを。そう言おうとした。

 その時、突然泣き出したいような、死んでしまいたいような大きな感情に襲われた。思うように声が出せない。喉から嗚咽が漏れる。

 店員が心配そうに大丈夫かと問う。

あの馬鹿。馬鹿。馬鹿。馬鹿。英雄気取りの大

馬鹿。一人で星になんかなりやがって。置いていくなよ、私を。

 私は涙がこぼれ落ちるのをこらえて、やっとの思いでこう告げる。


「星色のインクが欲しい。飲み干せば冷たく燃える星になれそうな」

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