第17話 愛は名探偵、または、危ない誘惑

 「わたし、本屋でバイトしてるって言ったでしょ? そのときさ、店の売り物をごそっと持って逃げたんだよね。それをだーっと追いかけていって、逃げ切れると思ってるやつの後ろからぽーんとジャンプして飛びついて、あのセーラー服の襟首えりくび後ろから引っぱって、ふんづかまえて、後ろからひじで背骨のところぐりぐりぐりってやって絞め上げて」

 うわ、ワイルドだ。

 この千幸子ちさこって子。

 運動神経もいいんだろう。

 で、どう反応したらいい?

 「えっと……それで?」

 「品物だけ取り返して、見逃してやった。店には、あいつら逃げ切れないと見て品物置いて逃げました、って言ってさ」

 「はあ……」

 あいまいな返事になる。

 つかまえたのはいいことだけど、犯罪者を見逃すというのは、いけないことではないだろうか。

 千幸子は照れ笑いして、頭の後ろに手をやった。

 「だってほら、お互い様っていうかさ。わたしも学校に無届けでバイトしてたからさ、つかまえて、わたしの名まえが出て、学校に確認とか行くと困るんだよね。だから」

 「ああ」

 あいが思ったのは、瑞城ずいじょうでもアルバイトには学校の許可がいるのか、ということだった。

 明珠めいしゅ女学館じょがっかんでは、アルバイトは特別の理由がないかぎり許可されない、ということになっている。

 「だからさ」

 愛が返事をしないので、だろうか、千幸子がつづけた。

 「たぶん、さっきも探れば何か出たんだろうと思うよ。傘はまちがいだったけどさ、どっかで何か万引きしてきたか、置き引きしてきたか。だから、愛があの三人に目をつけてたって言うのは、なんかほんとに勘が働いたんだと思うな」

 「いや、でも……」

 でも、警察官でもないのに、あなたたち何か盗んでるかも知れないから持ちものを見せなさい、なんて言えない。

 そんなことを考えていると、思い当たることがあった。

 「あ、そうだ」

 「なに?」

 「わたしが、待ちなさい、って声をかけたとき、あの三人、いきなり逃げたんだ。もし思い当たることがないのなら、その場で言い返せばよかったでしょ? 傘は自分のものだったんだから」

 「やっぱりね」

 千幸子は、両肘をテーブルに突いて、笑顔で愛の顔を見た。

 「名探偵だね、愛って」

 「……はっ?」

 スリかも知れない子たちをスリだと言っただけで、名探偵だなんて。

 いや。

 千幸子は、「優等生だね」とは言わなかった。さすが明珠女学館の子だね、とも。

 顔を上げると、すぐ近くに千幸子の顔があった。

 当然だ。千幸子はテーブルの上に身を乗り出しているし、愛もカフェオレの大きいカップに両手をかけている。

 千幸子の頬は、道のほうを向いたほうは外からの明かりに、店のほうは店の明かりに、色合いの違う明かりに照らされていた。

 ちょっとざらざらした、つや消しのような色合いの頬だ。その上のほうがほんのり紅色に見えるのは、ほんとうに健康的なのだろう。

 間近で見つめ合っても、千幸子は目を逸らしたりはしない。

 唇も血色がいい。

 このまま唇を少し突き出せば、この子の唇に自分の唇を触れさせることができる。

 どんなふうに感じるだろう。

 硬いだろうか、思ったよりふわふわしてるだろうか。

 いま試してみたら?

 千幸子は、たぶん、拒んだりしない。

 うつむき加減になっていた目を上げると、千幸子はまだその少し茶色い目を自分のほうに向けていた。

 愛は、目を閉じる。

 「お待たせしました」

 でも、その危ない誘惑は、店員さんの、明るい、屈託くったくない声でとどめられた。

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