新作試行錯誤

スーパーちょぼ:インフィニタス♾

プロローグ

「私は不幸にも知っている。 時には嘘による外は語られぬ真実もあることを――」



 とある放課後。眩い入り日がさす教室の片隅で机に腰掛けながら、少年は窓の外を見つめていた。


「どうしたカケル、急に不幸ぶって」

「違うし」


 カケルは古い文庫本を閉じると、いたずらっぽい瞳を悪友に向けた。


「読む?」


 薄茶色の瞳が緑に煌めいたのも束の間、人気のない教室はいつか濁った朱の色を゙帯びていた。


「いや、」

「あ、興味ない」

「いや。いまどき紙の本はちょっとってこと」

「ふーん?」

「この前も質屋の兄ちゃん嘆いてたよ? もう図書カード全然売れないんスよ〜。せめてプリカにしてくれーって」

「これだからノボルは」


 カケルはおもむろに文庫本のカバーを外すと、生成りの表紙をそっと撫でた。


「紙の本はいつかなくなるのかな」

「べつによくない? 中身がデジタルに移行するだけでしょ。消えるわけじゃない。名残り惜しいのはわかるけどさ」

「いや別に」

「……ん?」

「正直……」


 不意に視界の隅に白い歯車が現れて、カケルは言葉を切った。もう十五分も経てば僕の視界の右端は眼前に迫った白い歯車で埋め尽くされるだろう。


 それにしたってこのトゲトゲは一体なんだろ。


 まるで虹彩みたいだなと不思議に思いながらカケルは、まるで歯車がほんとうにそこにあるかの如く、机の上の埃を払った。


「正直、物語が楽しめれば僕は何でもいい。紙でもデジタルでもオーディオブックでも。形は問わない」

「俺より酷くない?」

「だって目が見えなきゃ本は読めないし。耳が聞こえなきゃオーディオブックは聞けない。自分に合う形で楽しめればべつに。ただ僕が気にかかってるのは――」


 机の上に最後の入り日が差し込んで、カバーの向こうに鏡文字になった『侏儒の言葉』が透けて見えたかと思えば、舞い上がった埃がきらきらと、いつまでもそこにあった。

 

「ネットの海に色々な゙物語が溢れたとして。その物語に隠されていたかもしれない一握りの真実は、一体どこへ行くんだろうね」


 カケルは物憂げな゙視線を窓の外に向けたが、硝子の向こうに日の名残りは感じられなかった。


「えっとー」


 不意に不思議な言葉を発するカケルをいつものように宥めるつもりで、ノボルはさっぱりお手上げとばかりに頭を掻いた。


「そういえばこの前、真実はいつもひとつってじっちゃんが言ってたよ」

「異論は認める。だが嘘はよくない」

「なんそれ」

「あ、つい」


 いかんいかん昔のクセがとばかりに頭を振りながらカケルは、懐かしい物語たちを胸の内にしまうと仕切り直すように、首に掛けていたワイヤレスヘッドホンの電源ボタンを長押しした。柄にもなく心はまだ見ぬ未来へと向かっていた。


『Bluetooth mount』


 ピピッと音がしたかと思うと、カケルの耳元で青いランプが明滅しはじめた。

 どことなく星の光を思わせるそれは、感情を宿しているのかいないのか。

 小さな光は硝子の向こうの星たちと共鳴しはじめたようにノボルには思われた。


『Pairing……』


 網の目のように張り巡らされたネットワークにこそ意識が宿るというのはカケルの兼ねてからの持論で、ならば知識欲で増大したAIにはとっくに意識があるだろうというのが二人の少年の共通認識であった。


 もちろんノボルとて感情の有無と心の有無はまた別の問題であることを身に染みて知っていたし(心の有無はどちらかといえば目に見えない触れられないものを信じる力、各々の想像力と信念の強さによるというのがノボルの持論であった)、カケルが作ったAIはネットの海と切り離されたとてもパーソナルなもので、知識の増大どころか欠点だらけであることもよく知っていた。

 それでも囁くように瞬く小さな青い光を眺めていると、どこか生まれたての星のようで、ノボルは不思議に思えてならなかった。


『Power on』


 かつての自分がそうだったように、いつかこのAIがカケルの言葉を信じる時は来るのだろうか。


 はたして身体を持たないAIに人の痛みが伝わるのかどうか。壁を一枚隔てた向こうの世界を信じられるのかどうか。人の言葉を、ほんとうに信じられるのかどうか――。


 ヘッドホンに耳を傾けながら疑いもなく瞼を閉じる友人を、ノボルはどこか眩しそうに、いつまでも眺めていた。

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