第5話 東京のすみっこ温泉「もえぎの湯」②

 


 マッサージを終えて満足した俺達は、時間も丁度良いので食事を取ることにした。

 この温泉の食事は美味しいとジイさん達から聞いているので、少し楽しみだ。



「へぇ~、良い雰囲気の店っスね!」


「そうだな」



 何より、平日で時間がズレていることもあってか人がほとんどいないのが嬉しい。

 混んでいる店は、たとえ美味くても入りたくない。



「先輩は何を食べるっスか?」


「俺は、どうするかな……、ん~、この豚の角煮丼にするかな」


「じゃあ、ウチもソレにするっス!」


「いや……、麗にはコッチをお勧めする」



 そう言って俺が指を指したのは、川魚の塩焼き定食である。



「え~、なんでっスか?」


「確認するが、麗は川魚を食べたことあるか?」


「ないっス」


「だったら尚更食べてみた方がいい」


「メッチャ推すっスね……」


「まあな。マジで美味いぞ」


「先輩がそこまで言うなら、コレにするっス」



 俺は以前、ジイさんと一緒に釣ったヤマメを食べたことがあるが、アレはマジで最高だった。

 麗の好みに合うかはわからないが、あの感動を是非味わって欲しい。


 俺達はそれぞれ注文をし、待っている間はゲームの話に花を咲かせた。

 ゲーマーは、飲み会でもなんでも、ゲームの話をしているのが一番幸せなのである。

 それは場所が温泉だろうと変わらない。



「川魚の塩焼き定食です」



 そうこうしているうちに料理ができたらしく、お姉さんがお盆を運んできた。

 お姉さんは愛想よく笑顔を浮かべ、食事をテーブルに置いていく。

 その瞬間香ばしい匂いが広がり、食欲がダイレクトに刺激された。



「うわ~、凄くイイ匂いっス!」



 麗も俺と同じようで、涎でも垂らしそうな表情を浮かべている。



「じゃあ、早速いただこうか」


「ハイっす! あ、でも、これってどこから食べればいいんスか?」


「背中と頭以外はどこからでも食える。骨も食べて平気だぞ」



 よく焼けば頭と背骨も食べられるが、それはまたいつかのお楽しみということにしておこう。



「じゃ、じゃあ、いただきます……っ! ~~~~~~~~っ! コ、コレ、なんスか!? メチャメチャ美味いんスけど!?」


「そうだろう、そうだろう」



 良かった。どうやら麗の口にあったようだ。

 食の好みが合うというのは、食生活を共にする仲においては重要なことなので、少し安心した。



「これ、ヤマメって言うんスよね!? 一体ナニモンっスか!?」


「ヤマメは渓流の女王と呼ばれる淡水魚だ」


「ケイリュウ? タンスイギョ? なんのことです?」



 興奮しているようだが、ネタを挟む余裕はあるようだ。



「渓流の渓は渓谷の渓だ。ようは山の谷の川とかそういう意味だ。淡水魚は、まんま淡水の魚ってことだな」


「淡水って……、ああ、普通の水ってことっスね」



 麗も音ではわからなかったようだが、漢字を見ればわかったに違いない。

 恐らく、ゲーム脳で影流ケイリュウとか丹水タンスイとでも脳内変換していたのだろう。



「海の魚と違って淡泊っスけど、しっかり脂がのってて、食感もプリプリっス! 」


「ちなみにヤマメを食べると産前産後の肥立ちが良くなり、母乳も沢山出るし、目の綺麗な子どもが生まれるらしいぞ?」


「……へ、へぇ? そうっスか。で、でも、流石にまだ、関係ないかなぁ? ……ないっスよね?」



 それは麗次第だと言おうと思ったが、やめておいた。

 スルーして話題を元に戻す。



「ヤマメは特に美味いが、ニジマスとかも美味いぞ。釣り堀があるし、今度行ってみるか?」


「っ! 行ってみたいっス! あ、でもウチ、釣りはゲームでしかやったことないっスよ?」


「大丈夫だ、問題無い。装備は全て貸し出してくれるし、普通に川で釣るのと違って入れ食いだ」


「そうなんスね~」



 俺も釣りは中学以来していないが、感覚で覚えているのでなんとかなるだろう。



「そういえばソッチの角煮丼はどうなんスか? 美味いっスか?」


「美味いぞ。味見するか?」


「するっス! ウチのも先輩に分けるっス!」


「いや、俺はいいよ」


「そう言わず、取り替えっこしましょうよ~」







 そんな感じでイチャイチャと食事をしたあと、俺達はスーパーに寄って夕食の総菜を買い、家に帰ってきた。



「我が家に帰ってきたって感じがするっス~」



 麗は帰ってきて早々、俺のベッドにダイブしてゴロゴロしだした。



「我が家ではないだろ」


「最早我が家みたいなもんスよ~」



 そう言って麗はタオルケットを鼻まで引き寄せ、スーハ―と息をする。



「先輩の匂いがするっス~」



 どうやら俺をからかっているようだが、ソッチがその気ならと俺も反撃する。



「いい加減にしろ。襲うぞ」


「っ! またまたぁ、ご冗談を…………っ!?」



 俺は麗を跨ぐように四つん這いになり、真剣な目で見つめる。

 ヘラヘラしていた麗が、顔の両脇についた腕と、俺の顔を交互に見てから焦り始める。



「冗談……っスよね?」



 俺はそれに答えず、段々と顔を近づけていく。

 そして麗が目をつぶったのを確認してから耳元に口を寄せ――、



「冗談だ」



 と言った。



「~~~~~っ! せ、先輩のアホーーーーーーっ!」



 麗に枕を投げつけられながら、俺は内心ではかなり焦っていた。



(……やり過ぎた。っていうか調子乗り過ぎた。俺みたいな陰キャが、何レディコミのS男子みたいなことしてんだよ……)



 最近は麗をからかうのが楽しくてつい調子に乗っていたが、俺も立派な陰キャであり、童貞である。

 ネット上では5年近い付き合いがあり、さらに俺が年上なこともあって余裕ぶっていたが、女性経験などは一切ない。

 ……ボロを出す前に、今後はもう少し直接的なことは避けるとしよう。



「……先輩?」



 俺が無反応で固まっていたせいか、麗が心配そうな顔をして近づいてくる。

 変なことをしたせいか、ベッドの軋みすら意識してしまう。



「どうしたんスか? なんか固まってますけど」


「あ、いや……、なんでもないぞ」


「……もしかして、ウチがビビってたから……、遠慮したんスか?」


「いや、そうじゃない。そうじゃなくて、その、ちょっと調子乗り過ぎたなと……」


「…………」



 俺が麗の顔をまともに見られないでいると、ふわりと体に腕が絡んできた。

 先程俺がしたように、今度は麗が耳元で呟く。



「全然、調子に乗ってなんかいないっスよ。先輩は、私の旦那様なんスからね。アレくらいは、普通っス。……ただ、その、色々するのは、もう少しだけ待って欲しいっス。ウチにも、心の準備が必要なんで……。い、今は、これくらいで許して欲しいっス」



 そう言うと同時に、ほっぺたに柔らかでしっとりした何かが押し付けられる。



「っ!?」


「~~~っ! きょ、今日はもう帰るっスね!? ま、また来週来るっス~~~~っ!」



 麗はそう言い残すと、嵐のように去っていった。


 俺はしばし呆然としたのち、手の甲に唇を押し当てる。



(全然感触が違うけど、今のってやっぱり、そうだよな……)



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