~言葉限りの白紙の祭り~(『夢時代』より)
天川裕司
~言葉限りの白紙の祭り~(『夢時代』より)
~言葉限りの白紙の祭り~
流行り病が間髪入れずに我が家へ飛び込み、我が家(そこ)から発する俺の活力(ちから)は何時(いつ)まで経っても独人(ひとり)を好んで上手に在って、丈夫に成りつつ俺を綾(あや)した二本の腕(かいな)は母体(はは)の寝床にぐうぐう寝て居り、経過(とき)が経つのもふらふらくらくらするほど微笑(わら)って済ませる余裕など無く、明日(あす)へ訝る興味の野心(こころ)は数珠繋ぎに成り悲愴で在って、売れない快感(オルガ)を捜して在った。田舎伝いに奇病が叫んで遁(とん)と久しい新たな旧(ふる)さが目前へと立ち、如何(どう)にも出来ない〝自然冥利〟を如何(どう)にか掴んで解体したいと意気込み勇んで、果ては東京古巣は京都と具に詠った闇夜の舞台が古都(いなか)に還って生活して行き、俺の明日(あした)は遠くを見果てた日本海(うみ)の向こうで胡坐を掻きつつ俺を招いた。人間(ひと)の生命(いのち)はそれほど永くは保(も)たぬだろう、と、未熟な活気をよもや開いて譲歩をして行き、曇天返しの奇跡(あと)さえ捜して睨んだ独歩(あし)には昨日まで観た気色が並んで徘徊して居り、俺の胸中(こころ)は俄かに騒いで自分の活路を見出す如くに騒いだ分だけ遠目(とおめ)に従い、独歩を止(や)めない季節外れた馬鹿一代を、独創(こごと)に呼び込み〝それもいいさ〟と独人(ひとり)で訝る癖の主(あるじ)を何処(どこ)かで拾って可笑しくなった。何時(いつ)まで果てぬ、と永遠(とわ)に誓った主(あるじ)と人間(ひと)との一方伝いの文句の並びは細道(ほそみち)過ぎても細道(ほそみち)続き、一生囲って棒に振っても天へと還るこの身の業(わざ)には自分独人(じぶんひとり)が把握して居り、何処(どこ)ぞで覗いた宗教(まよい)の麓で沢山出て来た小豆の勇気も、自分に罹って見果てぬ帰路へと脚色して行く人間(ひと)の業(わざ)には相違無い程、男女を超え行く人間(ひと)の進歩を期して祈った。大胆不敵に汽車の汽笛が悠々構えて落ちる頃には、俺への試練も密かに解け出し聖書に書かれた人間(ひと)への創始が底を突き活き、自由に羽ばたき悪を殺して、人間(ひと)への運命(さだめ)が再び救いを仰ぐ季節が四旬を通して現れるのだと、一つの規律を破った挙句に人間(ひと)の体温(おんど)は群集(しげみ)を通って這い出た途端にぱっと輝(ひか)った落葉(おちば)を愛で活(ゆ)く。そうして人間(ひと)にも再び宿った二つの生命(いのち)が功を支えて天へと挙げられ、一つの記憶は一個の体に十分満たされ服従して行き、明日(あす)への期待(ひかり)は二つが重なり大空(そら)にも丈夫な支柱と成り着く。始祖から生れた男女の生命(いのち)は夫々自体が個性(かたち)を思って具現へ辿り、闇も光も順序を捉えて人間(ひと)まで追い付き自体を呈して、呼吸して行く白昼(ひる)の加減はこの世に於いても快活ばかりで、破片が散らばるこの世の空気に土から生れた生命(いのち)が目立ち、俺へと辿った流行(なが)れは今にも誰かを装う静寂(しじま)の隅にて魅力を発する。〝魅力〟に釣られて俺の感覚(いしき)は形象(かたち)を保(も)たない透った水など密かに掬って観察して居り、体験しようと口を拡げて身内で味わい水の価値とはどんなものかと、必死に想像(おもい)の触手(てあし)を延ばして分散して行き、分身しながら俺の主体の微かな位置にも気付いてあった。〝自分は丸い意識だったのだ〟これが唯一残った神の目に見た自己紹介だ。そうして矢庭に擡げた感覚(いしき)の果てにて自分のすべきを完遂するまで〝俺は還らない〟など子供の容姿で叫んで独歩(ある)いた人生論には、俺の小さな主張(ことば)が大きく並んで用途を足し活き、壊れた主張(ことば)が堂々巡りをせぬようびっしり詰まった予定表(スケジュール)には朝と夜とのミクロの粒まで立脚したまま自然(あるじ)に倣って黙った態(てい)にて、水の形象(かたち)も表している。「予定表」とは人間(ひと)が知り得ぬ枠組みから洩れ、ちらと覗ける自然に隠れた数多の頁に数行飛ばして羅列してあり、人間(ひと)がこれまで進化に憶えた確かな知識を根底からでも覆せる程、更新して行く立脚図である。時に立ち活(ゆ)くこの世の人間(ひと)でもそうした静寂(しじま)に生命(いのち)を見るなど一寸(ちょっと)の隙間に神秘(からくり)を知り、此処でも天上(うえ)でも如何(どう)にも開(あ)かない現行(かたち)の扉を自然に灯され開放出来ると得体に諭され見ているのであり、人間(ひと)に訓(おし)えて馬鹿を見るなど承知の事だが使徒と成りつつ果している為、そうした努力は労を呼ばずに「時」へと返され、「立ち活(ゆ)く人」とは自分の流行(ながれ)を神の自流(ながれ)へ辿るのを知り、努力の経過は天でも続く。天へ流行(なが)れる川の如くにこの世を流行(なが)れる経過を観て取り、この世の空気もそうした水へと回帰して行く褥に観るほど人間(ひと)の情緒は明日(あす)への理解を加減出来得る。〝蛻の殻〟など天には有り得ず、雲の向こうと青空(そら)の向こうが宇宙と知り得た人間(ひと)の頭脳は感覚(いしき)を通して地上へ降り立ち、宇宙船(ふね)の内(なか)でも青い地球の無頼を知りつつ自活を目立たせ自己に見せ掛け、「明日(あす)が来る」のが何処(どこ)から生れた産物なのかを未だ知らずに仕事をしてある。生きる為に、と密かな決意の連続過程で他者を観ながら自己しか知らず、行く行く流行(なが)れる静寂(しじま)等では自己さえ知らずに回帰を図って人間(ひと)へと泳ぎ、孤独に居座る死という人間(ひと)への関所に難儀を憶え、空気へ寄り添う知恵など自作(つく)る。仕事とは何も資金(かね)を得るのに用意され行く体裁(みてくれ)ばかりを人間(ひと)へ目立たせ、有限(かぎり)が息衝く社(やしろ)ばかりを言うのではなく、学位を取る為、資格を取る為、立場を取る為、生活圏(ばしょ)を取る為などに自ずと居座る自然の遊戯(あそび)も余裕(ゆとり)を保って混同して在り、汗を掻かない仕事の外にも孤独に居座る人間(ひと)の労苦は何にも況して永く続いた嗣業でもある。橙色した夕陽を背にして俺の割烹着(ふく)から原色(いろ)が放たれ、川面に浮んだ静かな蜻蛉(とんぼ)が季節を外れて鳴いて在るのが薄らと観え、流暢(なが)れた囃しは自然(あるじ)の動作に酷く解け込み無常を取立て、俺の夕日は原色紛れに単色(いろ)が根付き、明日(あす)を知るのを三年待った。頭がふらふらするうち春夏秋冬が勢い良く立ち俺の仕事を網羅したので、俺の精神(こころ)は頃合い見付けて人間(ひと)へと辿り、本気を自分の内に観るまま心身(からだ)を鍛えて、早歩きをした突起(やま)の麓で幾度も幾度も自信を掲げて到底知らない未知の峡谷(たに)へと自身の在り処を確かに具えて俺の鼓動は一周していた。俺の感覚(いしき)は夜毎を跳び越え新たを見付けて旅に出ようと、友を連れ去り、明日(ひる)の日中(ひなか)を急々(いそいそ)出向いて狂想曲など順を辿って密かに成(な)らし、小声が訝り閑静(しずか)に根付いた遍路を見付けてとことこ唄い、白い茄(なすび)が用途を果して還って来る迄、俺の寝息(ねごと)は躊躇をしないで供と成り得た暗い形象(かたみ)を丈夫に保(も)った。
俺がこれまで幾夜も寝過ごし、青春(はる)を叫んで焦がれて在っても、気軽に姿勢(すがた)を変じて自然と繋いだ流行(なが)れの内には、友と呼べ得る、供と呼べ得る企図は無くても自由が居座り、居座る強度は久しく見得ない朝陽に向かって烈しく鳴いても、明後日迄にはきちんと直(ただ)され、死に向く人間(ひと)の運命(さだめ)に相異が無いのにしっかり値踏みをしながら盟友(とも)に向かい合うのは自信さながら流石であった。遠くを見詰めた俺の心身(からだ)は今日を歩いて興(きょう)にも独歩(ある)き、暗い波浪が世間(ひと)へと吹いても一向経って没我を緩(ゆる)さぬ架空の視点が、此処(ここ)にもそこにも彼方此方(あちらこちら)に見事に咲き活き、俺の精神(こころ)は未熟を知らぬ。〝知らぬが花〟と界隈(せけん)等では俺の行方を大いに気にして作法は小振りに、行く方(さき)行く先先廻りをする小蝿を一匹放(はな)った様にて、盟友(とも)も俺も自分を迎える試練等には機敏に働き、「明日(あす)の為に…」と小首を傾げて両親(おや)の麓を巣立って行った。俺は自分がこれまで執拗(しつこ)いくらいに突(つつ)かれ殴られ固有の無学を知らされ続けた愛(かわ)いい塾へと返った感覚(いしき)に心身(からだ)を解(ほぐ)され、続けて根付いた他人(ひと)の体温(おんど)を静寂(しじま)に取られて透って行って具体に見付けて吟味して居り、「塾」と称した家屋の外界(そと)でも自分を収めた土地の領主が涼風(かぜ)に芽吹いて自体を煽られ、春夏秋冬、何処(どこ)を向いても一重(ひとえ)に咲き得る生赤(きせき)の四旬に滑走している。以前(むかし)に返れば又、四季を経て行く人間(ひと)の浮沈に注目させられ意識が生れ、あいつはよかった、あいつは駄目だ、と季節外れの暴露を小耳にするほど拙い作法が心身(からだ)を跳び活き人間(ひと)の模様を赤くして行き生き生きとさせ、俺の居場所は人間(ひと)には降りずに自宅へ辿った帰路に在る、との報せが舞い降り穏やかとなり、俺の平らな記憶は過ぎ去る涼風(かぜ)にも多くの活気を程好く乗せつつ、現在(いま)に過去から返って来たのだ。
塾の名前は「加川(かがわ)」と言って遠い形象(かたち)に必要限度の脚色(いろ)が付されて、四季に見紛う光沢(ひかり)の加減で人物(もの)の言動(うごき)は種々に化(か)わって物語(はなし)を創り、屋外(そと)にも屋内(うち)にも人間(ひと)から生れた自由が成り立ち規則も成り立ち、自然が愛で得た一つの物語(はなし)を囲いの内(なか)から遠ざけようと俺の知らない努力をして居た。そよそよ流行(なが)れる四季(きせつ)の涼風(かぜ)から円らな生命(いのち)が幾つか芽生え、俺の元へと幾つか拙い思いでそよそよ現れ未だ忘れ得ぬ母性を呈してふと又止り、俺の未熟は彼等へ寄った。楽しい時も苦しい時も、雨が降る日も槍の日も、到底尽き得ぬ体温(おんど)を保った褥の柔らは女子に化け行き俺を擁して、独創(こごと)を愛する俺の傍(よこ)にて「明日(あす)」への活路は大きく成った。しかし俺へと成った繁茂(しげみ)の幸(こう)には難所(いばら)を通って行かねば成らなく、人間(ひと)の精神(こころ)と気丈等では到底隠せぬ神秘(みわく)がそっと微笑(わら)って俺へと返り、世間は拡がり俺を迎える準備をしたのち粛々独歩(ある)いて天地を創り、俺が居座る経過(じかん)を呼んだ。塾の内には暫くしてから男女が騒いで熱気が生れ、外界(そと)の経過は白壁(かべ)を通って精神(こころ)で謳われ、内に膨らむ自由の砦が俺へ直って他人が色付き、内装(せかい)は成り立ち復活して行く。俺は自分が〝何年生〟かも知らない儘にて周りに集った人間(にんげん)達に歩調を合せて〝砦〟へ近付き、回転して行く人間(ひと)の企図など上手に掴んで真っ白と成り、慌てふためく未熟の容姿は至極紅(あか)らみ晴空(そら)を乞い、人間(ひと)が集まり高鳴る静寂(しじま)に自己を返して極淡々と、朝陽が来るまで遊んで居ようと総身を統べた。何年生かも知らない間(ま)に間(ま)に俺と生徒は集った塾の内にて、大学で為される程度の定期試験へと注意を引かれて場違い程度に目を光らせ得たその試験を受験せねば成らない立場を課された。そうして集った生徒の内には馴染みに憶えた鶴崎有美と田尻とが居て、二人は互いに交友深めた心算(つもり)に落ち着き、俺に知られた以前の姿勢(すがた)に相異を照らさず静かに在って、他人のように可愛く在った。鶴崎有美は顔立ちが好く、闇にも目立つ黒髪(かみ)を結えてポニーテールで、白壁(かべ)にも解け得ぬ白い生肌(きはだ)は肌理の仔細を十分照らされ矛盾を示さず余計を巡った少女のように、俺から程好く離れて静かに在った。両脚(あし)はにょっきり桃色(ぴんく)を仄(ほの)らせデニムから出て、床に座ればゆっくり拡がり個形(こけい)を保(も)ち得て、緩い刺激をひっそり待ち活(ゆ)く愛想を献じて変らず在って、二股(にまた)の奥に居座る小さな輪っかは明日(あす)をも知らぬ幼さに在る。未熟に懐いた有美の姿勢(すがた)は精神(こころ)を魅了し青年・幼女の神秘(しんぴ)に適うが俺にとっては少々突き出た難儀と成りつつ田尻を差し置き、一対一での対峙を望ます脆弱(よわ)い性情(きしつ)に一方向かわせもう一方では堕落を想わせ、一つの加減で常識(かたち)が移ろい始める脆弱(よわ)い正義をまるで翻弄して行く両脚(あし)の付き得た姿勢とぴたり一致し、薄い褥に幾重(いくえ)も絡まる温(ぬる)い遊戯(あそび)に俺の心身(からだ)は容赦を覚えず落下していた。田尻は田尻で彼女の幼馴染の態(てい)して彼女の跡を付け行く不憫に在ったが、中々如何(どう)して白い美顔に小さく調う顔立ちなどには、巷で遊ぶ男児達には目立ちはしないが中々死太い評を捉えて丈夫に切り立ち、一般的には〝美人〟で通じる世俗の魅力を小さく携え大きく成らず、少々美白が講じて不調を迷わす病躯を呈し、青白い光沢(てかり)にその身を投じて独歩(ある)いて行くなど〝美人〟に向かない勝手が留(とど)まり、静体(せいたい)故の目立った死相に期待(ゆめ)も萎え行く不活が灯る。そうした生体(からだ)を長く延ばして有美の領土を侵して行くほど自活に活き得た田尻の姿勢(すがた)は、夜には淋しく昼には消えて、正味の乗らない静かな生体(からだ)にほっそり立ち行き曖昧と成り、俺の目前(まえ)では俺に向かわず絶えず外方(そっぽ)を向いて行動して在り派閥を繕う気丈に徹した。
有美と田尻は塾の玄関口から燥ぎながらに靴を脱いでもきちんと揃えて見てくれ好くして、牛歩で素早く学びの部屋へと直行して行き内へ入れば上着を取って寛ぎ始め、それでも絶えず人目を気にした有限・加減の程好く灯った会話をして居り、女性(おんな)の流行(ながれ)を透して在った。そうして集った彼女の周りに白壁(かべ)から宙(そら)から硝子窓から生れた男児の生徒も遊体(ゆうたい)して居り話題の種など遊撃して居て、先述した定期試験を行方に引かれて今ではそよそよ笑って在った。硝子窓の外界(そと)は桎梏程に根光りがして、黄昏が仄(ほ)んわり体(からだ)を寝かせた夜であったと記憶している。俺の記憶は三々九度の調子で辿った経過を逆行して行き寝耳に憶えた定期試験についつい想いが立ち行き躰も心も〝如何(どう)して試験をクリアしようか〟迷い迷って一杯となり、周りがじわじわ不安を失せさせ笑ってあっても俺の思惑(こころ)は嬉しくないまま充満して行く懊悩(なやみ)の種にて満腹だった。苦(にが)り水さえ啜り終え行く気丈な構えは心に置き遣り、思惑(こころ)は思惑(こころ)で充満して行く分身(からだ)に着替えて両脚(あし)を引っ張る〝種〟の繁茂に自体の様子を報告してある。報告され得た肢体(からだ)はそれでも独歩を止めずに脳(あるじ)の伝(おし)えた言動(うごき)の仔細を徹底して把握して行き現実(ここ)で考え現行(ここ)で踏み付け、「明日(あす)」の行方を密かに按じた。硝子に透った小粒な躰は如何(どう)にも消えずに可笑しく在って、微かな微声(こえ)など昨日へ隠して果(さ)きへと進む。俺の想いは触覚が生え言動(うごき)が冴えて、試験の出来など事細かに見る官(かん)の節さえ仄かに保(も)った。
塾へ帰って開始を待てども、一向経っても始まらない儘、白壁(かべ)から抜け出た役を冠した試験官(せんせい)等はルールを生徒へ説明したがり自分の用途を掲げながらに控えた試験を温存して居り、びゅうっと喇叭が外界(そと)に響いて開始を伝(おし)える合図は在ったが、白壁(かべ)の内では人間(ひと)の熱気が声を荒げて靄を作って俺の耳には呑気な合図(こえ)など聞えなかった。次第次第に経過が講じて生徒の注意も散らばり始め、子供独自の燥ぎ様(よう)にて妄りに吠え出し、どれが「合図」か知れない間に俺の躰はしっかり温もり試験官(かれら)が講じた試験の準備は、結局、受験に際する生徒の心得(ルール)を仔細に重ねて説明して行く蛻の会話と成り果てて在り、俺の実力(ちから)は揮わなかった。受験の直ぐ前、直前にまで漕ぎ付けた俺の記憶だったが官の調子が一向萎えずに直立して居り、俺の覇気など真向きに睨(ね)め付け麓へ流行(なが)して、対峙出来ない姿勢(すがた)を表し白壁(かべ)を見せていた為、俺の調子も調子狂って当てが外れた経過を捉えて白熱して行き、燃え尽きた頃、当の試験は説明だけにて終っていた。此処(ここ)で一つの発見が在り、俺の眼(まなこ)は夜風を遮る家屋の白壁(かべ)をすうっと通って屋内(なか)へと居座り、白壁(かべ)の内にて更にはだかる白壁(かべ)の個体(こたい)を目撃して居た。黒い夜の空からどんどん遠くへ去ろうとして行く人間(ひと)の感覚(いしき)に焦点(あたり)を射止めて、翳りを見知らぬ人間(ひと)の欲など裸体で小躍(おど)って燃え尽きて行き、灰燼(はい)に還った個人(ひと)の気力は遊歩を踏まえて現実(ここ)へと戻り、台詞の具現を体裁好くして常識(かたち)に見据えた現行(ライン)を敷き遣り上を通って、活気を憶えた未熟の容姿に脚色(いろ)を講じて自分の在り処を見付けて居たのだ。生徒の誰もが現実(ここ)では既に覇気を失い、向上(きもち)を遠ざけ学(がく)を仕舞って、仕舞った思惑(こころ)の奥の匣には誰にも奪(と)れない気力の鍵がしっかり留(と)まって吊るされて在り、微妙に閉ざした匣の蓋には戸主(あるじ)の指紋が古めかしい儘のっぺり灯る。機嫌を好くした俺の感覚(いしき)は到底止まない経過(じかん)の企画に落度が無いのを確認してから戦々(そよそよ)流行(なが)れる季節風(かぜ)を感じて、夜路(よみち)を独歩(ある)いた具体(からだ)を飛び越え試練に纏わる挑戦心(ちょうせんしん)にて自分の居場所をしっかり携え屋内(うち)へと座り、試験開始にぎりぎり間に合う体裁を付け、自分の今後を占う調子に頻りに座って足踏みをした。
〝夜叉が最初に殺した羅刹の姿勢(すがた)は皮肉に埋れた人間(ひと)の快感(オルガ)だ。見える物しか愛で得ず、感じる物しか感じられない人間(ひと)の信頼(まよい)は何時(いつ)も決って地上に咲いた微温(ぬく)い竜胆(はな)の姿勢(すがた)に新たを見ずに、到底止まない試練の季節雨(あめ)に表情(かお)を打たれて疲れて在るのだ。人間(ひと)が人間(ひと)にて真実(きゅうしょ)を知るのは生れてこの方一度も使わなかった能力(ちから)を発する頃(とき)にて、それまで生き活(ゆ)く生(せい)の体(からだ)は「仕上げ」の直前(まえ)の序(じゅんび)に過ぎない。天と地、二つを知りつつ信じられない天を愛で行く生命(いのち)の姿勢(すがた)が何にも況して人間(ひと)にて咲き得る人間(ひと)の快感(オルガ)を知って置くのは、序章を愛する人間(ひと)の所業にすっかり適って落ち着くものだ、と人間(ひと)は誰でも想うのである。〟
塾から這い出て夜風を通した夜路(よみち)に着いて今後の行方を捜して居る頃、俺の目前(まえ)にてふっと上がった、小学校跡地の旧舎から出た十(とお)の記憶が表情(かお)を洗って分身して行き、俺の周囲(まわり)に明度を保(も)たせて物語(はなし)を作り、俺の行方を自然に透して丈夫として行き俺の感覚(いしき)は又もや試験に捕われ行く行く〝合格する〟のを希望に据え置きスマートに成り、再び塾へ赴く迄の仔細な経過を指折り数えて勘定して居た。俺の姿勢(すがた)は街人(しぜん)に紛れて透って行って、それでも感覚(いしき)は在るため人間(ひと)の内(なか)でも自分の行方をしっかり睨(ね)め付け言動(うご)いて在って、青い街から駅まで行くのに車を使い、最寄り駅から塾へ行くのは専ら電車で通学して行く私立の生徒の真似をして居た。車は路上に放置するのに難が在る為、車に設けた釦一つでポッケの中へと収納出来得る魔法を転じて機能として在り、そうした機能を何処(どこ)から得たのか知らない儘に俺の感覚(いしき)はずんずん進んで素直に在って、樞(ひみつ)に就いて想う事よりこれから自分に訪れ得る規則に対して敏感と成り、試験場へと向かう自分と、試験場での在り方等への注意が先行する無欲を携え静かに在って、俺と思惑(こころ)は裸体に在った。通学過程に居座る自分を好く好く考え解(ほど)ける内に、「こんな『ドラゴンボール』のホイポイカプセルなど使って、試験場にて、もしもの事が起きたら如何(どう)して対処を計れば良いのか。こんな疑問が起る程度の安易な種はなるべく直ぐに捨てた方が好いんじゃないのか。」等々、「規則」破りの下衆に似通(にかよ)る自分の不様を酷く気にして直立と成り、電車の内にて走り廻って捨て置きたい程遠慮に要した経過も在ったが、利便と機会に縁起を担いで対峙して行き自分だけが知る慧眼(ひとみ)の在り処を感情(こころ)に隠して認(みと)めた俺には俺に渡った二つの贈物(たから)を早々(そうそう)容易く捨て去る事など出来そうにもなく、又、最近・近々、金の工面が容易く出来ずに収入さえ無い身近な労苦に何も言葉が出なく成り果て、機転を利かせて、矢張り持ち得たカプセル車(しゃ)に依り最寄り迄行き、そのあと車をコンパクトにしてポッケに仕舞い電車に乗り込み、そのまま何処(どこ)へ行ってもそのカプセルを肌身離さず持ち歩く事を密かに誓って免疫も付き、〝誰に気兼ねする必要など、無い〟と自業自得を逆手に採り得た試算に着いた。試験に際して自分の内実(ちから)に偽造を含んで自然に対する量定を図ろうとやきもきしながら、他の生徒が自分の目前(まえ)にてあれやこれやと試算に暮れて各自の末路を決定して行く気色を見定め、俺の内実(ちから)は試練に抗う挑戦等にも手足を伸ばして感嘆し始め、遠(とお)に見棄てて諦めていた杜撰な覇気さえ懐(うち)に認(みと)めて、楽する行儀を心得始めた。試験に際して定量としたカンニングペーパーを懐(うち)へと秘めて誰にも知られず見られず気取られないまま角(かど)さえ取れて丸まるメモ書き程度の紙面に乗じて土台を呈し、自然の流行(ながれ)が俺に呈して保(も)ち得る成績表には甲の評価が喜び勇んで闊歩して行き俺の目前(まえ)にて不動に在るのをつい又夢見て気勢が逸れて、真っ向勝負で功を見上げる敗れた将(しょう)より、狡さを憶えた参謀程度の猛者に寄った現実(ここ)での勝利が何より初めに優先され行く俺にとっての功だと周囲(まわり)を眺めて真面目に決めて、俺が落した自作の紙面は表情(かお)を変え行く未熟の強さを少々秘め行く闊歩を呈して懐(うち)へと佇み、自分の実力(ちから)を本当だと言い無駄な徒労を封殺して行く。しかしこうして調うカンニングペーパーが今後如何(どう)して試験に役立ち自分にとっての功と成るかは甚だ分らず調子は浮いて、調子と一緒に結果も分らず記憶の闇へとふわふわ浮くのが俺にとっては如何(どう)にも成らずに不安を認(したた)め、片足程度にけんけんして行く暗(やみ)の内にて俺の企画はそこにて又ふと新たな描写が再現され活き未熟に燃えて、結果に見取れる緩い熱気が、ふわり、ふらり、頭(くび)を擡げた。何処(どこ)かの過程で恐らく個体(からだ)が解(ほど)かれ隠して置いた内実(ちから)の差が出て羽ばたいて行き、紙面に引かれた固物(こぶつ)を手早(てばや)に解(ほど)いて安泰させ行き、メモ書き程度に丸まる紙の実力(ちから)は俺の内実(ちから)に重なり終えて、「俺は好い物を持った」と深く自負して独歩(ある)いて行ける功を収めてじっとして居た。そうした過程を弱く憶えて地均しして居た俺に課された土台を以ても、明日(あす)に咲き得る試験の様子は俺の既知から外れた規則(ルール)をそっと認(みと)めて確立して在り、俺の挙動はふわふわ又浮き自ら揃った構えを解(と)いて、試験の規則(ルール)に真向きに居座り捉えた義務(しごと)を大事に保(も)った。試験は持ち込み可であり、二つか三つの私物はどんな物でも受容され得て〝大丈夫だ〟と、官は何度も軟い表情(かお)して宣(のたも)うて居り、俺の表情(かお)には緊(かた)い緩みが連々(つらつら)流行(なが)れて褥に在って、自分へ課した真面目な規律(ルール)も程好く解け得て活気に満ちた。俺は結構努力を要して二つか三つの私物を厳選して行く過程を踏まえて立脚して居り、そうした幾つを醒めた眼(め)で見て決定して行く真面目を選んで着席して居た。周囲(まわり)に揃った生徒もきっと、そうした経過をきちんと踏まえて今期の試験に臨んだのだ、と俺は小さく頷き落ち着いたのだが、どうも皆のそれは仮面に隠され見えず仕舞いで、はっきりした受験の覚悟が分散され行く稚拙な空気が活発と成り、俺の覚悟はより育った試験の抱負を欲しがっていた。そうした想いが時効に解け行きさっと倣った俺の自慢を歪に曲げ得て拡散したのか、試験の数は最初を土台に固体(からだ)を拡げて分散して行き、「私物」と一緒で二つか三つに分かれて土台を築き、そこに居座る試験官とは教科で分かれた教師の体(てい)して互いに確立して在り厳しく在って、夫々の所で用意され得た試験の態(てい)とは確立して在る砦の様(よう)に緊(かた)い調子で生徒を捕えて屹立して在り、全てを通って初めて一つの功と成り得る少々労を要して面倒とも成る複数の試験を翻弄していた。俺はそうして二つか三つに分かれた試験に熱意を以て参加して行き、夫々に用意され得た不屈の場所にて〝完全燃焼を期するもの〟と自分をあやして満腹と成り、真面目な素振りで一生懸命試験準備に取り組んで居た。そうした試験に取り組む内に、一つの場所へと駆け込み入(い)った俺の目前(まえ)にて活き活きして在る二人の不良が俺に対して下品を呈してにやにやして居り、活発ながらに重い腰にて鈍い言動(うご)きに自重して行く歯止めの余韻は中々付かずに貞淑に在り、堂々巡りの言葉の両刃(やいば)は会場(ばしょ)を選ばず静かに飛んで二人の姿勢(すがた)は頑なと成り、良く良く尋(き)けば俺が持ち得た〝カンニングペーパー〟の効果を一途に欲しがり二人の微笑(わらい)は微妙に沈み、試験に対する〝ペーパー〟の精度を訊いて来るなど、不良に在っても試験は通って保身を講じる狡い覚悟が俺を跳び越えふらふら浮び、俺は自分で憶えた努力の分だけそうした奴等の我が身本位に独進(どくしん)して行く緩い調子が何とも言い得ず腹立たしくあり、こいつ等二人が退場するのをぐっと堪えて期待して居た。しかし何とも言えずに保身に努める我が身の態(てい)とは俺も彼等も同調して居り同じに在って、俺は俺にて試験に際して狡(ずる)をする保身を認(みと)めて此処(ここ)に居るのは至極可笑しく不調を起(きた)し、不良に対する憎音(ことば)の数など教師に言うのは自分の狡さも露呈され行く過程(みち)に在って面白くはなく、微動だにせぬ不問の調子が俺を包(つつ)んだ。又彼等の言葉遣いは彼等の調子に他人(ひと)を連れ込み、他人(ひと)の調子を論駁するほど大きな姿勢で抑えて行って思い遣りなど遠くの郷里へ置いた儘にて打(ぶ)つかるものにて、他人(ひと)の正味を吟味(あじ)わう等せず、又、俺の歳(とし)へも興味を示さぬ固い態(てい)した針(しん)を示した。彼等はどうも俺まで自分達と同じに歩く同年代だと認(みと)めて在って、喋り口調に遠慮を灯さず直行(ストレート)に問う活発(ちから)を示し俺の思惑(こころ)を複雑にした。〝紙面〟の精度が試験に際してどれほど活きるか愚問を幾つか拵え俺へと問うた最初の辺りは、俺の思惑(こころ)も刺激を受け得てそうした外界(そと)の刺激に如何(どう)して対処をすれば良いかと思案に暮れ得て間誤間誤(まごまご)したが、経過を見据えて自分の立場を慮ると教師に見付かる自分の感覚(いしき)が余りに無精で無様にあって、調子どころか結果を損ねる始末にも成る、など小さく大きく不安が生き活(ゆ)き、〝仕方が無いか〟と次第に不良に落ち着く二人を許し、自分の正味(すがた)を隠すついでに彼等の〝想い〟を蓑へと化(か)えて周囲(まわり)に対する構えとして居た。自然に流れる思惑(こころ)の余韻は上手く流行(なが)れる浮遊の調子に歯止めを利かせ、人の実力(ちから)を小さく纏めて体裁好くした。大きく把握し辛い人の実力(ちから)は他人(ひと)にとっては邪魔物となり、難癖付けられ葬られるが、小さな実力(ちから)は小さいながらに問われるべき内容が無く、苦さを覚えず成功を見る、と、自然はそうして俺の隣に小さく佇み、座って呼吸(いき)し、「思惑(こころ)」を踏まえた気色を見せた。複雑ながらに俺の思惑(こころ)は自然に解け出し皆が選んだ気色を見出し、塾に集った生徒各自の精神(こころ)は恰も丸まり角(かど)が取れて、未熟に居座る俺の肢体(からだ)に一芯(いっしん)通った針(はり)の様(よう)な鋭気を認(したた)め出した。
どんより淀んだ夜空を越えて俺の肢体(からだ)は、それから独歩(ある)き始める帰路の序に電車(はこ)を見て居り、電車は普段の調子に緩々動いて発車していて、生徒を乗せて闇へと葬る棺のようだった。塾へ通(かよ)った仲間の内に、幼少頃から共に育った法司(ほうじ)と山田が在って、二人は夫々個性が違って俺に対した姿勢も異なり大きく在ったが、その時までには俺の記憶に静かに居座る対象(オブジェ)に落ち着き言動(うご)きを呈さず、急に芽生えた個性(いのち)のように羽ばたき出して、俺が居座る電車の内にて何かを見付けて共に燥いだ。彼等が見付けた「何か」を俺は捜して普段は示さぬ言動(うご)きに釣られて電車(はこ)の内など独歩(ある)いて居たが、独歩(ある)き始めて数秒せぬ内、見慣れた女子が自分達から程好く離れた緑色した電車のソファに座って在るのが目に付いて、それを見たあと彼等を観ると、彼等の瞳は「見慣れた女子」に釘を打たれて凝視して在り、女子の両腿(あし)に翻弄され行く男の性(さが)など仔細に伝(おし)える可愛らしさと悍ましさにすっかり埋れて活気を呈した男性(おとこ)の余韻がぐったりしている。「ははぁ、成る程これか…。」と俺の無意味な探りは二人へ這入って二人の思惑(こころ)に同調して行き、姿勢(すがた)を忘れた男の性(さが)等しっかり握って現行(そこ)にて立てて、電車(はこ)の内でも連想(ドラマ)が在ると妙に熱した自身を切り立ち、物心(こころ)の付いた稚児(こども)のように俺の心身(からだ)は具現を忘れて二人へ寄り添い、「見慣れた女子」の両腿(あし)の合間へ魅了され得た。この「見慣れた女子」とはこれまた二人と同様、幼少頃から共に育った俺と二人の同級であり、器量は悪いが躰に付き得た肉の柔らは〝豊満〟呈する具合の良さにて、少々黒く濁った肌理には生来培う少女の未熟がほっそりと立ち、破られるのを脆(よわ)く待って、夢想(ゆめ)が破れたその暁からは少女が宿った両腿(あし)から発する酷い匂いが男気(おとこ)を誘ってひっそり受け止め、丈夫に切り立つ「見慣れた女子」の名字は坂田と言った。
法司も山田もすっかり見慣れた坂田の躰に魅了され活き保身と呈して彼女の両腿(あし)などしっかり見詰めて豊満を知り、浅黒く滲んだ女性(おんな)の肌理には行き擦(ず)り男を愛して止まない臭い女臭(めしゅう)がこびり付くほど丈夫に立ち込め、ミクロに分れる雌の粒子が細胞(セル)の枠内(うち)にしっかり目立って功を成し活き、男性(おとこ)は誰しもこうした女性(おんな)の全身(からだ)に母性を知りつつ実母(はは)を忘れて、一つの全身(からだ)を塒と称して保身を図る。二人もこうした既知の過程をしっかり通って彼女へ辿り、電車(はこ)の内でも各自で夢見た女象(にょしょう)を携え大きく言動(うご)き、彼女の全身(からだ)に抱かれたがった。先ずは目前(まえ)に突き出た彼女の両腿(あし)を睨(ね)め付け、肉付き豊かな彼女の両腿(あし)がゆっくり開(ひら)いて合間に隠れた三角州など、白く映って映えないかと期待して居た六つの瞳は、坂田の汗など呑み込み始めて彼女の労苦に同調して行き、窓から差し込む朝の陽光(ひかり)にゆっくり絆され余裕(ゆとり)を採り出し、彼女の言動(うご)きを幾つか試案を基(もと)に分析して行く調子の遅れた始動に準じて在った。俺はそうして居ながらふと又我へと返り、正気に戻った自分の感覚(いしき)に準じて振る舞い、「坂田やでぇー、ええかぁ?こんなんがぁ?!」等と当然の感想(おもい)を言ったものだが、何時(いつ)何処(どこ)で何に開眼したのか知れない二人の瞳はそれまで呈した僅かな角(かど)さえ奇麗に取り去り丸い調子を更に奇麗に丸ぁるく宥めて、「良いやんなぁ」と歩調を合せた独自の進歩を尻切れ蜻蛉にせずまま俺の独唱(しらべ)を上手に引き込み、彼等の調子は益々程好く丈夫と成り立ち、辛(から)く立った二人の投合(いしき)は協力するまま少年(こども)の波長を統べ始めていた。
坂田はそうした二人の調子に上手く気付いて牛歩したのか、独体(からだ)を揺らしてほっそり微笑み、男児が共有して持つ野生の力に視点を止めて、女性(おんな)の野生を物ともしない常識(いしき)の固体(かたち)にふっと笑って仰け反り始め、自分から見て丁度真向きに居座る二人へ目掛けて女の本能(こころ)を意味無く投げ出し無闇に講じた女性(おんな)の色香(いろか)をなるたけ律儀に丁寧成るまま孤独に捉えて誇張と成して、男の快感(オルガ)に夢想(ゆめ)を放(ほう)って自分を呼んだ。二人の目前(まえ)では女性(おんな)の両腿(からだ)がぐわっと開(ひら)いて奥洲(おくす)が覗き、生体(きたい)を呈して男性(おとこ)を誘った幼女の姿勢(すがた)は男性(おとこ)の目前(まえ)では屹立して立ち、今後の両者の行方は無音の内にて期待され行く贈物(たから)と成り行き、坂田の全身(からだ)の微動までもがそうした彼等にとっては未知を連れ添う懸橋とも成り、全身(からだ)は端身(はしん)迄もが二人の瞳に輝き入(い)って、二人の母体は記憶の廊下を巧く歩いて解体されず、彼女の両腿(あし)には産毛が在った。坂田の全身(からだ)は電車(はこ)の内にてまるで涼風(かぜ)の調子にすらすら透って二人に現れ、二人の熱気を死太く煽る涼風(かぜ)の態(てい)して静かに居座り、頃合い計って二人を目前(まえ)に仕留めた儘にて新たな行動へと自分の調子を高めて行った。坂田は周囲(まわり)に集(つど)った皆の期待に応える為か、ここぞとばかりに故意を含んだ調子を上げて、自棄糞(やけくそ)に肉付き照輝(てか)る両腿をも一度、何度も、ぐわっと拡げて局部を見せて、真向きに愛でた二人の男児は雲の内(なか)を手探りしながら進退して行く野生の能力(ちから)に肩を押されて女体へ近付き、丸い瞳を更に丸ぁるくした儘、褥に和(やわ)いだ嫉妬へ着いた。二人からして真向きに在った坂田の全身(からだ)は俺から程好く離れた無体の位置にてソファを敷いてどすんと在って、短いニットに仕立てられ得た何処(どこ)か私立の制服であろうか、格子模様に暗く彩(と)られたスカートなどは腿の付け根を僅かに隠して飾り程度に巻かれて在って、それを履いた女子は誰でも、座っただけで、歩いただけで、下着が外界(そと)に照らされ見られ行くのは至極自然な道理に在りつつ、そうしたまるで見せる為にと用途を覚えた短い格子は坂田の下半身(からだ)を巧く隠して確立して在り、見せ得る物を俺の方へは寄越さなかった。俺の位置からはっきり見取れて分っているのは坂田と二人の位置関係で、坂田の両腿(あし)の合間にほっそり咲いた白の局部は良くない角度で腿(あし)が遮る死角に在って俺へは咲かず、坂田と二人の直線上での遣り取り等が熱気を連れ添い有耶無耶となり、そうした謎で包(くる)んだ神秘の居所(いどこ)を具に知ろうと独走(はし)った躍起がこの時覗いた俺の体(てい)から漏れ始めていた。二人の眼(め)にははっきりくっきり、彼女の白洲が映って在った。飾り始め、俺の知らない囲った部分に不憫に蠢き血潮を吐き出し、硝子に映った脆さの如くに人間(ひと)の絆も荒れ果て始めて、息衝く間も無く、俺への隔離は解け始めていた。白い絵の具を純白極まる白い表紙にちょこんと落して潰して行くのは彼女に座ったモルグの跡にて、独走(はし)り廻った言動(うご)きの予定は儚く失(き)え行く黄泉へと下り、彼(か)の日に嘆いた有名無実は過失に捕われ辺り構わず言動(うご)いて行くのが使命であって彼女も動かず、彼女の位置には誰にも触れない一本調子が呼吸(いき)して根付き、束の間なれども調子の続いた姿勢(すがた)が上手に活性して行き「明日(あす)」の予定を骨身に染ませて落ち着いても在り、俺が知り得た坂田は今でも、「波長」を保った未熟(こども)の態(てい)して図太く死太く居座り続ける。そうした微妙を含めた坂田の姿勢(すがた)についつい気質が転がり思惑(こころ)の波長(リズム)が緩んだ拍子に自分が知り得た未踏(みとう)の位置へと感覚(いしき)を保(も)って俺は行き付け、「明日(あす)」に咲こうとぶるぶる震える腿を見せ付け微笑(わら)う少女に、俺の拳(こぶし)は思惑(こころ)に隠れて絆されて行き、「いいなぁ…」等、異性(エロス)を眺めて様子を呑み込む二人の次男に痛快して行き、後悔して行く自分の独裁(きまり)を歪曲したあと更新して行く自力に寄り添い溜息(いき)を吐いて、自分の欲望(おもい)も腰掛け程度に二人へ這入って愉しみたいなど、具に堪えて感嘆していた。俺は遠(とお)の昔に坂田の姿勢(からだ)に硬直し得ない無謀とも成る従順(すなお)な性差(エロス)を愛して昂り後退叶わず、無残な姿勢(すがた)に自体(おのれ)の欲望(おもい)を水に溶かして好く好く企み、静かな成就を期して居たのだ。俺は坂田の惰性を愛して居た。生粋を愛して居た。準じて止まない次男の質に掴んで離れず、彼女の肉体(からだ)の淡い女尻が俄かに富んで俺の目前(まえ)にて咲いて乱れて、紅葉鳴るまま秋の古巣に目耳を欹(そばだ)て自粛して在り、白い畑に何が実って乱れようとも自分の稼ぎは彼女だけだと固く睨(ね)め付け彼女を見据え、彼女の真中(まなか)に猛った芯など、何処(どこ)へ目掛けて遊歩するのか仔細に分らずあたふたして居り、尻が居座り離れて止まない付かず成らずの最期の期日に、彼女が現れ俺を吸い得た万(よろず)の正味を深く吟味(あじ)わい転々(ころころ)転び、俺の疾病(やまい)は彼女を跳び越え彼女を抱いて、器量を越えない定まる遊戯で彼女を愛で得た。あついあつい心地の世のこと…。
呼吸(いき)に集まる羽虫(むし)の如くにこの世の習いは昼夜に飛び行き自体(おのれ)の限界(かぎり)に羽音(はおと)を立てつつ真向きに立ち行き俺へと飛んで、「明日(あす)」の在り処を昼夜問わずに密かに教えず何処(どこ)へ行くのも濁りの突き出た晴嵐(あらし)の事など懇切限りに口調を和らげ、吟味(あじ)の向くまま懇意に憶えて白刃(しらは)を宿し、「昨日」の行方も「明日(あす)」の行方も同調して行く〝剥き出し絵〟の儘、尻尾を振り振り泡(あぶく)を呈し俺の思惑(こころ)を悩ませ始める。次の絵画(ばめん)も未定の内にて予測の内には颯極まる自習(ドグマ)が小躍(おど)って値踏みをして待ち、〝明日(あす)の事は懇意に繋がる遊女が決め得て昨日の無駄など白紙に帰し行く〟など連々(つらつら)歪めた口実(くち)の巧さに助長を含めて尖(とん)がり始めて、泣くに泣かれぬ遊離の郷(さと)へと欲望(おもい)を逃がす。淋しい寒風(かぜ)が空(くう)を突いて表へ現れ、懇切奇麗に愉しみ始めた遊女の姿勢(すがた)を書生に任せて写生して行きこの世の〝地獄〟を写して留(とど)め、あらゆる人間(ひと)の領土に自然から出た微かな始動(うごき)が手に取る程度に知れ出す頃には、遊女(あくま)の姿勢(すがた)も体動(うご)きを留(と)め置き人間(ひと)に観られて好いようにと自分の体温(おんど)を武器に仕上げて欲情し始め、俺の呼吸(いき)さえ呑み込むのである。苦し紛れに十(とお)を数えて女性(おんな)を見詰め、股の内間(あいだ)に覗けた表情(かお)には、立つ瀬の無い程しどろもどろに溶け得た金銀細工が功を逃がして決闘して在り、絡み疲れた余程の大手が我を忘れて脚色(いろ)を薄(お)とされ、風呂に返った冷たい肢体(からだ)が自分を認めて世間を知って、俺は「試験」に戻って行った。
俺と法司と山田は連れ添い、時が経つ間に密接していた古巣(こきょう)を頼って心身(からだ)を貪り生粋(いのち)を潰えて、試験を間近に控えた暮れに在りつつ自分に課された台へと上(のぼ)って周辺(あたり)を見廻し落ち着き黄昏時には酷く明るい夕空(そら)を眺めて沈着していた。遠い晴空(そら)には夕陽が照り出し自然に遊んで涼風(かぜ)など吹かせ、ついつい和んだ夜雲の景色を各自の心にゆったり伝(おし)えてそろそろ流行(なが)れ、未熟(あお)い月には宇宙を想わす弱い内実(ちから)がひっそり零れて足踏みしていた。試験が始まる迄、と思いを同じに以前(むかし)に萎びた姑息を運んで現在(ここ)まで流行(なが)れた無機の躰に一羽、鶴が紛れて一声(ひとこえ)嘶く発声(おと)の端尻(はじり)にモルグが隠れ、俺達一体、何時(いつ)もの表情(かお)して堂々巡りの華(あせ)を掻こうと戦々恐々啄む経過(とき)の女尻(めじり)に体温(おんど)を感じて丈夫に在って、「明日(あす)」の行方は行方知れずに朽ち果てていた。個人(ひと)は誰もが誰も、自身のみ立て他者を退(しりぞ)け、自分の発声(こえ)の強味に寸とも気付かず自分の正義を小脇に抱えて縁側へと立ち、思い通りに行かない世間を睨(ね)め付け、狂々(きょうきょう)独走(はし)り続ける自身(おのれ)の激昂(オルガ)を陶酔しながら真面々々(まじまじ)仕立てて魅惑へ携え、寒風(かぜ)が吹いても涼風(かぜ)が吹いても暑さに沿っても感想(おもい)に在っても、何も知らない無邪気な表情(かお)して他者を仕留める暴利を頂く。騙す側にも正義に満ち得る試算に長け得た土産(どさん)が連れ添い泡々(あわあわ)し始め、目下落度を指差す他個(ひと)の哀れに不憫を感じず鉄砲持ち出し悦び出して、俺へと居座る刹那夢想(ゆめ)には厚さを忘れた自惚れが在り俺への「徒労」に諦め始めて妄想(ゆめ)を見出し、確固足る狂想(ゆめ)、慌てふためく「褥」の舞いには男児が花咲く無頼が寄り着く。俺はこうして二人に付き添い「一体」ながらに他力を従え他個(たこ)に居着いた精力(ちから)に見立てて人形を編み、何時(いつ)か独りで紡いだ「この世の華」を、水を遣りつつ育ち誤る枝の過程に鋭く感じて具に睨(ね)め付け、犯人(ひと)へ取り憑く難儀の姿勢(すがた)に意味無く揶揄い憶えて疾走し始め、夜目(よめ)の利くまま向かいの湖岸(きし)まで舟を浮かべて疾走(はし)って行った。かれこれ十年以上も旧巣(ふるす)に根付いた遊里(ゆうり)を弄(あそ)んで自声(こえ)を出す儘、遁(とん)と静まる長閑を楯に自分の未熟を隠して護り自適に在って、俺の本体(からだ)は取り付く経過(とき)さえ従順(すなお)に忘れて白質(しろ)く成り立ち無意味を有利に変化させ得る能力(ちから)を具えてそっと巣立ち、我儘ばかりを寝耳に訓(おし)えた白質(しろ)い彼方へ滔々流行(なが)れる私闘に寄り添い自己(おのれ)を保(も)たせる死力に努めて俄然張り切り、孤高が伝(おし)えた「褥」の魅力に女尻(めじり)の華(あせ)などぽんと落ち得て、束の間咲き得たモダンの主(あるじ)を古郷(さと)へと化(か)えた。俺が知るのは未熟に具わる二人羽織の演戯に至って〝二人羽織〟は如何(どう)にも懐かず想像するにもし難い魔の手が不安に煽られ軽やかであり、俺の記憶は二人に辿って過程を見知らず、坂田の愛など具に失くした凡庸(ふつう)に在った。最上川にて黒きを洗い、白き水面(みなも)に暗空(そら)を映して尋常(ふつう)を辿り、河口(くち)を開(あ)け足る夕暮れなどには旧(ふる)さの居着いた昵懇が在る。初夏(なつ)の厚さに八苦を憶え厳寒から来た二月の厚さに無臭を捉えて未熟を欲し、温海(あつみ)と吹浦(ふくら)が真横にたえ得る四十(しじゅう)の里には形象(かたち)を憶えた陽光(あかり)が灯る。
試験が始まる目下(まえ)にて俺と二体は一人淋しく玄関に在り、関(せき)を締め得る扉の横には何時(いつ)しか建った人の産物(オブジェ)がどすんと現れ少年(こども)を乗せて、産物(オブジェ)を護る為にと紅白色立つ天張(てんば)り等が雨を凌いで優(ゆう)に立ち活き、俺と二体(ふたり)を並べて乗せ得て自慢に活き得る場面に在った。産物(オブジェ)は田舎に良く在る〝自動販売機〟の体(てい)して自体(からだ)を丈夫に打ち立て俺に居座り、関(せき)の前では内装(うち)を護った護神(ごしん)のように自体(からだ)を赤くし見る見る立派に、俺達少年(こども)を上手に捉えた雲の体(てい)して様子を窺い、「明日(あす)」に疾走(はし)った闇の主体(あるじ)を凡庸犇めく室戸(むろと)の内側(うち)にてぜぇぜぇ言いつつ、心残りに微動に違(たが)えず描写して行く。俺は二人が昇った後にて最後に上(のぼ)った殿(しんがり)だったが、張(はり)に上(のぼ)った途端に空には自然の限界(かぎり)が泳ぎ始めて二の腕攫われ、女性(おんな)の生吹(いぶき)を幸先良いほど奇麗に晒した晴空(そら)の内には群青(あお)さの残ったこびり粕(かす)など鍋に付くのと同じ態(てい)して底へと居座り、寛(ひろ)い関心(こころ)で違う場所(せかい)を好く好く覗いた俺の眼(まなこ)は同志が跳ね行く屋根付き学舎へ空々(からから)転がり動転して行き、自分が昇った関(せき)の張(なり)など、学舎に覗けた尖塔の形成(かたち)に良く似ている事実を俄かに捉えて確信して行き〝あれは人が上(のぼ)ってそこに居座れる様(よう)には造られてないよなぁ。この張りもあれと同じだ。〟などぽつぽつ呟く俺の背後(うしろ)は烏が逃げ行く淡い夕日が動転しながら萎びれ始め、「明日(あす)」の行方を造り始める。
闇に紛れた人形(ドール)の絵面(えづら)を行く行く捉えて後悔して行き、白紙に捕えた囲碁の極致に私財を投げ得る調度の辺りに密かに定まる規則の行方は行く行く辿ればきちんと独歩(ある)いて未来を示し、「明日(あす)の行方」と丁度重なる分岐点へと個体を移して滅法して居り、場末に準じた古びた私罪(しざい)に如何(どう)にか気付かず独歩(ある)いて行くのが甚だ疲れる俺の心を重く掲げて自在に在って、昨日はすっぽり闇に隠れて周辺(あたり)を寄せる統監(とうかん)と成る。遊び廻った未熟の聖者が如何(どう)してここまで白紙を汚して許可され得るのか、専ら個人に鞣した心身(からだ)を想って終ぞ果て無く知らない俺には如何(どう)する音頭も取れずにさながら、〝明日(あす)は明日(あす)へ…〟と静々夢想(ゆめ)観て〝御殿〟へ帰すのが不埒に湧いた一投足(いっとうそく)だと悠々身構え、俗に放(はな)った極度の例など未熟に抑えた至難の業(ぎょう)だと痘痕表情(あばたがお)には私闘が芽生えて不純に暈され、初めて見詰めた天下の将(しょう)には以前(むかし)に夢見た司祭(あるじ)の姿勢(すがた)が真横にたえる。発破を掛ける為にと低く構えた腰の辺りに酷く小さな出来物が出来、滔々流行(なが)れる経過の海には腕を延ばして肢体(からだ)を支える柱も無いまま上手に切り断ち土端(どばた)に立って、慌てた乞食は貰いが少ない等の嗣業に病み付く垂訓(すいくん)などには、周辺(あたり)構わず人間(ひと)を葬る仕草が異常に湧き立ち丈夫と成りつつ、俺の隣(よこ)には何時(いつ)も見知らぬ他個(ひと)の齎す自発の意味など熱い燗(かん)さえ掬えぬ程の過去を知らない無知が響いて未来(さき)へと響き、果てが在るのか無いのか地上(ここ)で癒えない傷を隠して罪と偽り私闘を拡げ明日(あす)の来るのを永く待ち侘び、他所の噂に翻弄され行く人身御供をちょぼちょぼ愉しみ、自分の限界(かぎり)に満ち満ちて居る。満ちた不安は恐怖を宿らせ〝心配無い〟との通知を受け取り歩速(ほそく)を緩めて家庭へ居座り、気付いた朝には何の過程か意味無く確かめ世俗へ出ようと、懸命成るまま華(あせ)を掴んだ。そうした個人が俺へと変わり宇宙の果てから地上の果てまで劈く無音に〝螽斯(きりぎりす)〟を観て無体を欲しがり、褒美に選んだ永続(えいぞく)して行く〝楽〟の見本を土から生れた土偶の背に載せ「これは人への私財であった」など暮野々々(ぼやぼや)呟き奔走して行き、やがては自然に選んだ運命(さだめ)の穂先で転倒している。行く行く個人(ひと)と個人(ひと)が協力し始め、体温(ぬくみ)を重(あわ)せて未来(さき)を見定め、経過に遊んで能力(ちから)任せに目前(さき)へ独走(はし)れば碁石に囲まれ黙った司祭(あるじ)は動転するうち自然に馴らした飛散塵(とばっちり)など真面に被(かぶ)って哀れを知り行き、うんと定めた古郷(こきょう)の体温(ぬくみ)を大事に取り上げ音頭を保つ。他個(ひと)を流行(はや)らせ凍解して行く人間(ひと)の冷度(れいど)を具に温(ぬく)めて発した光度(らんぷ)は人間(ひと)へ独歩(ある)いて頭上へ跳び立ち、次第次第に浮遊して行く苦労の明かりをしっかり吟味(あじ)わい活性して行き、一度は歩いた個人の歩跡(ほせき)を現行(いま)に見知って容易く眺め、跡を付け行く個人の肌には以前(むかし)に独走(はし)った個人の冷度(れいど)が暮野々々(ぼやぼや)目立って闊達して行き、白紙に居座る周囲(まわり)の屍体(したい)は俺へ跳び付き吐息を揺るがし、天にも轟く無限の降下に果(さ)きを見果てぬ予知夢が働く。聖者が間誤々々(まごまご)していた俗世を捨て去り未熟に還って茫然足るのは禿(かむろ)を棄て得た独語(こごと)の業(わざ)にて踏ん反り返って簿記に与(くみ)する達観には無い。幸先見知らぬ有頂(うちょう)の腹にて腹上死(ふくじょうし)にさえ触り足らずの無言の歪曲(ゆがみ)は過去に汲まれた夫婦(めおと)の狭間に己を訝る強い長子が何処(どこ)か分らぬ烏合の敷地に明日(あす)の生命(いのち)を愛して止まない試行の姿勢に酷似して在る。使える単語と語彙に許した琥珀の千字が万来尽き得ぬ古来の言語(ことば)と帳尻合せで上手く重なり、一つの美声に個体を巡らせ散遊(さんゆう)し尽す人間(ひと)に咲き得た不思議の初出(いろは)をこよなく呈して俺の肢体(からだ)は下火の消えない地上の熱尾(ねつび)に自分の残像(のこり)を巧く見据えて瞬間棒立ち、逆手に採り得た自然の出先をあっと言う間に視界に拡げて加減を見定め、自分の合せる自然の在り処を何処(どこ)へ立とうと悠々睨(ね)め付け回帰するべき自ずの母体へ揺ぎ無いほど滑走して行く…。
過去に落ち得た嗣業の在り処を明かりを灯して捜す間(ま)に間(ま)に「自分」と定めた黄泉の幽玄(からだ)を妻子を採らぬ非常の個体(からだ)へ冒険せしめて合図を象り、無形の対象(もの)まで手広く見据えて未形(みけい)と定める夜半(よわ)の空想(おもい)に甚だ逆上せて肢体を牛耳る煩悩(なやみ)を棄て活き、ベッドの上では独り寝に鳴る鼓動の調子に生体(からだ)を預けて牛歩を図る、そんな幾夜が罪に重なり忘れられ行く無形の司祭(あるじ)に生命(いのち)を与え、俺の寝息は人間(ひと)の内にて挽回して行く。数値に出せない不毛の寝言は文字に化け行き数を嫌って、歴史に埋れた人間(ひと)の文学(オルガ)を褥に包(くる)んで翻弄して行き、過去に見据えた曰くの優雅は「明日(あす)」を知り行く過程を延ばして「母体」を娶り、まるで女神に与した奴等を一足跳(いっそくと)びにて捕えて離さず「褥」の檻に包(くる)んで放置し、己の罪など足元(した)へと置き遣り他個(ひと)を捉えた柔らの上肢は何時(いつ)まで経っても付かず離れず、俺の目前(まえ)では果(さ)きを観ている。両脚(あし)は両脚(あし)にて上手に独走(はし)って解体され行き、「梵天連想(ぼんてんどらま)」を大層悦び鬱に入って失速して行き、他個(ひと)の在り処を上手く捉えて有頂を知りつつ人間(ひと)の脂を勝手に浴び活き孤踏(ことう)に居座る。
自分が今居る出っ張りの上が大学の一舎に敷かれた屋根の狭い丸みに相当していて、「自分が今居る所は如何(どう)見積もってもああした場所に相異は無い」等ぽそぽそ呟き俺の手狭な場所にもほとほと経過が漏れ出し蠢き始めて安泰と成り、この果(さ)き何処(どこ)へ行っても自分の嗣業を見繕えると孤踏(ことう)に座って眺めて在った。それでも彼(か)の学舎を覆った尖塔等には陽(ひ)の斜光(ひかり)が咲き俺の眼(まなこ)に孤独に在って、周囲(まわり)は誰も寄せ得ぬ冷気が固まり確立して行き、俺の心身(からだ)もぽつんと居座る術だけ見据えて己の在り処を失い始めた。暫く過ぎると夏の厚さも冬の厚さも不意に途切れて孤立して行き、酷く平らに鞣され延ばされて行っても何処(どこ)に突起が目立って俺を擁して在るのか終ぞ見得ねど甲斐は欲しがり、気楽に小躍(おど)れる用地を捜して俺の心身(からだ)は独歩(ある)いて行った。供を睨(ね)め付け「周囲(まわり)」を睨(ね)め付け、体温(おんど)を失くした晴空(そら)の果てには先刻承知の白雲(くも)が浮んで風の無いまま微動しており、俺の夢想(ゆめ)には俗世に消え得た青い至福(オルガ)が拡散して在る。供が消え去り異性が消え去り残った物とは想いに尽きない残影(かげ)の様子で俺の周囲(まわり)は森閑を見せ、脆弱(よわ)い覇気には対人出来ない恐怖が冴え活き俺の土台に震撼を突き、明日(あす)の苦楽も失くせる程まで今日に全てを孤立させ得て俺の安堵は淋しく成った。「思えばこうした己の状態等にはこと此処(ここ)に至らなくても気分の浮遊一つで表裏が返り、これまで憶えたそういう苦楽を乗せ得た次第とそう違(たが)えた各所は無いではないか。」と一寸極まる未熟を見出しこれまで生き得た己の姿勢(すがた)を保(も)ち得た現行(いま)の自分に注意を払えば、金銀細工が唸る程まで蹴散らし終え得た「舞台」の様子が早くも翳って片付けられ得て、次第に遠退く己の名残がいとも愛惜され得る贈物(たから)であるなど微動に羽ばたく遊歩に現れ四肢(からだ)を揃え、自分の擁する〝女神〟の体温(ぬくみ)を心身(からだ)に憶えて独歩(ある)いて行くのは俺の現行(いま)には常套極まる思案の成就に相応してあり落着して在る。俗世を断ち切り、競争社会に根付いた輪舞曲(ロンド)を狂想曲へと次第に変え得た自然の剥離は、経過が奏して丈夫と成り立ち俺の身内(うち)では目立って器用な私念(しねん)と成り得て足踏み始め、独創(こごと)に阿る「明日(あす)」の表情(かお)には中々落ちない世俗の汚れが久しく立った。従来憶えた人間(ひと)として在る手法を忘れて自己(おのれ)を利(い)かし、生かされながらに操舵を牛耳り千変万化に毛色を化(か)え活き白雲(くも)と並んだ大地を徊(かい)して供を選んで大に寝そべり自己(じぶん)を騙し、白い衣服は晴空(そら)を映して新緑(みどり)を映し、生命(いのち)を灯して死相を灯し、「〝万化〟に敗けぬ」と強く誓った万(よろず)の成就を手早に放って独歩(ある)く果(さ)きには未知が居座る不感が固まる。滔々流行(なが)れる輝体(きたい)を呈して初春(はる)の小川は大河と成り行き天まで届き、河を挟んだ両岸には俺の独人(ひとり)と供の個体が疎らに高鳴り砂利を踏み分け一行(いっこう)して居り、見知った行路は河を挟んで二通に分れて直行していて遥か果(さ)きでも合流するのは至難の業(わざ)だと報知してある。河を挟んで分れた大空(そら)には白雲(くも)と黒雲(くも)とが濁流していて呈する景色に相異を生むほど両者の内でははっきりしており、過去を違(たが)えた未熟の記憶は如何(どう)にも形成(かたち)を捕えず幾多数多の世情を気にして豪語してあり穏やかには無く、俺と供とは果てを定めず轟々唸った未熟の園へとひたすら独歩(ある)いて経過を要する新たな輝体(きたい)と化(か)わって行った。それでも俺にはこの世を捨て去る覚悟など無く、寧ろこの世に生れて万歳するほど勝手気儘な流行(はやり)を覚えて鎮座して在り、語学の知識を必要までに受容した後(のち)、造語に溺れた日々を送って滋養に努めて、そうした日々さえ尚又愛しく擁護し始め、個人(ひと)が憶える元の孤独に嗣業と信じる「思記」を呈して活気を見始め、丁度区切りを付け得た頃には老いた供から電話が入り、電子の文化に笠を着終えた俺の心身(からだ)はほくほく温もり供を迎えて、「暇なら遊ぼう。」と誘う口調に嬉しくなりつつ調子を整え、遊びに行くなら彼を呼び付け車に拾い、自分の良く知る地元を走って「茶店等での座談に興を見るのが妥当だろう」など、調子を乗せ得た俺の思惑(こころ)は空々(からから)廻って気色を観ていた。そうする間際に老いた供から予期せぬ口調が余裕に湧いて、俺の企画に〝疑問が在る〟など出し抜け調子に少々淀み、電話口にて互いの表情(かお)など見えない内にて調子を整え、「自分が居座る界隈まで来い」など言葉は柔らに構えて在れども〝そうせず儘では今回企図した「遊び」は無効になる〟との切羽詰まった互いの緊(かた)さを余韻に敷き得て充満させつつ、白紙に戻った俺の思惑(こころ)は何気に狡い老獪などにも柔(じゅう)に飛び交い又立脚し始め、車を出すのが俺なら未知の地図(ばしょ)では危惧が生じて具合が良くない翳りが在るなど新たに囀り後退させられ、〝バイクで行く〟など言い出し始めた老士(ろうし)の姿勢(すがた)に如何(どう)でも譲れぬ主義(イズム)の在り処を好く好く見せられ酔狂して行く自己(おのれ)の無様(ぶざま)を有り有り知った。仕方が無かった。以前(むかし)に憶えた故習(ならわし)等が俺の心身(からだ)で波打ち解(と)けて俺をそうした無様の席へと脈打ち鎮座(すわ)らせたのだ。「此方(こちら)に来ぬなら遊びに行かん。もう良い。複雑怪奇は御免被る。」とあっさりした口調で紳士は言い捨て、俺との電話を直ぐさま打ち切る衝動(うごき)に秀出て調子を荒げ、ぱつっと途切れた受話器の向こうにそれまで話した供の形成(かたち)が涼風(かぜ)に揺ら揺ら吊られていながら鮮やか成るまま俺の思惑(こころ)に真横に解け得た。そうした供の容姿(すがた)が人間(ひと)を離れて浮遊し始め、極々小さい個人の形象(かたち)に順々仕上がり転倒して行き、熟した姿勢(すがた)は元の主(あるじ)の老士(ろうし)へ還らず涼風(かぜ)に流行(なが)れて晴空(そら)へと埋まり、自分に課された神の容姿(すがた)へ進歩するのが俺の視界に貴(とうと)く拡がり明るく成った。「もしかすると…」、俺の脳裏にぽつんと落ち得た「疑問」が根付いて俺へと味方し、俺の見据えた老士の姿勢(すがた)は〝すっぽん〟程にも大きく挙がって夜空を覆う新参者(しんざんもの)へと成就して行き、俺の心身(からだ)を根太く拾って輝体(きたい)に二重(だぶ)らせ、未開を被(こうむ)る俺の心身(からだ)は供を見返り重複し出した至福(オルガ)の模倣に興味を得ていた。何を言っても世間を気にして世情を愛する俺の心身(からだ)は造語に溺れて窒息して在り、死に体ながらに興(きょう)を収める思春を忘れて徘徊して行き、理解されない俗世に活きれば決して止まない懊悩(なやみ)が生じて俺の脳裏も壊れてしまうと非凡の哀れは言葉を吝嗇(けち)って仔細を吐かず、供に息衝く多くの供までくっきり断ち切り独人(ひとり)で行こうと、俺の未練は対岸(むこう)に在った。橙色した強い夕陽に白雲(くも)が立ち込め世論(せろん)を見出し、人間(ひと)の小言に付き合う間を消し〝終に〟も終りを見ない新たな〝興(きょう)〟など俺の界隈(ばしょ)では頭(くび)を擡げた。供と呼べ得た新参者(しんざんもの)など始めに根付いた「張り」の上では形成され得ず、呼吸をしたのは自然が課し得た土の息吹に相異無いとの未熟な報知に過ぎずに鎮まる。そうして居座る自然の末路は人間(ひと)の気儘を容易に擁して水遁(すいとん)しており無敵に冠した魅惑を呈して俺をも惹き付け、他所で壊れた土壌の粒には粒の各自に与えられ得た自然の妖力(ちから)が死太く居座り奇麗で在って、整頓され得た人間(ひと)の末路は自然に倣って煙を上げつつ呼べ得る人脈(みち)にはその一つしか無く、凍えた手足を震わせながらに未知に対する間延びを乞うた。俺の未熟はそこから離れて成熟して在り、人間(ひと)を忘れて人間(ひと)を携え、気候の前後に左右されずに人間(ひと)の使命を半ば拒否した。こうした空想(おもい)も自然の懐(うち)では転々(ころころ)転がり涼風(かぜ)を受けつつ、根付かず儘にて水を欲しがり余命(よみょう)を気にして〝青春遊戯(せいしゅんごっこ)〟に悪態吐(あくたいづ)きつつ自体(おのれ)の夏冬(きせつ)を酷く気にする。「舞台」をし終えた人間(ひと)の独創(こごと)は艶体(からだ)を失くして如何(どう)して在るのか、未熟に咲き得た思想の花がぽつぽつ言い出し神を見出し、胡坐の上には嫌悪がたえる。「明日(あした)」からでも遅くはないなど人間(ひと)に訓(おそ)わり憶えた言語(ことば)を用いてきらきら輝き、自己(おのれ)の屍(かばね)を使い切ろうなど天にも況して当ての外れた不純に向き得る俺の体(てい)では、闇雲紛いに人間(ひと)を殺めた滑稽症をも持参され得た私財であるなど下駄を鳴らして闊歩を始め、通り一遍、私財が雑貨屋等でも散見され得る世俗の内では鼻緒が解(ほつ)れて紅が解け出し、心根豊かな調子の日にでもころっと転んで頭を打つなど厄(やく)に際する小躍(おど)りの具合にすっかり仕上がり新しくもない。妙に新規を目指した活気の裏には黒い鳥などすっすと飛んで寝屋に跨る楼気(ろうき)に隠れて散々鳴き得た白い幻想(おもい)が散乱して在り、俺の賽(さい)には〝未熟〟を計った計量針さえ基準を射止めず紅(あか)い夕日に迷いを覚えて散会している。〝あれと同じだ…。〟こそっと呟く老士の歯音(はおと)に寝込みを襲われ怯んだ拍子に俺の頭は地面を向きつつ遊離し始め、挙句の果てには対人し難い憂慮を負わされ此処(ここ)に在るのだ。
文士の卵は何処(どこ)まで行っても不満を訴え不調を訴え、自分こそはと別格成るまま人間(ひと)を見定め華やぐ声など配下に据え置き、滔々鳴るまま高い畝(うねり)に高尚足るうち未開へ踏み込み、人間(ひと)の知り得ぬ〝新た〟を知り得て成熟するなど、言った端(はし)から嗣業を捉えて果(さ)きへ転がる不安を睨(ね)めつつ、人間(ひと)の生命(いのち)にそれでも縋って奇麗に準ずる泡(あぶく)の体(てい)をも捕えた隙には、こうして過去に咲き得た記録の順序をああだこうだと死太く記(き)し活く聖者の姿勢(すがた)がくっきり花咲き芳香(かおり)を和らげ、未知に対する孤高のロンドをそれでも奏でて小躍(おど)っているのだ。未知から繋がる無知の足元(もと)には生きる上での蟠りでさえ思考の種へと変種させられ、曇った眼(まなこ)は揚々連なる律儀な造語をしどろもどろに抱擁し始め、挙句の果てにはぽつぽつ迷画(パズル)を組むうち想いに任せて見知った気色をその仕上がりだとして脚色し始め、絢爛豪華な個室の内では毎晩宴が交され始めて現行(このよ)と自然(あるじ)を恐らく繋げる紳士の層にて真っ赤に企み、知人の来訪等へも律儀に注意し青く沈んで、電話番には一つも遅れず〝己の役目〟と提唱していた。結局人間(ひと)は現れないまま経過(とき)が止まって自然に覆われ、晴空(そら)へ還った人間(ひと)の河流(かりゅう)は対岸(むこう)に流行(なが)れて俺を濡らさず、何に向けても三割程度の知力を保(も)ちつつ果(さ)きへと追われて、俺の人間(かたち)は如何(どう)にか成るまま知力(ちから)を踏み付け跳んだ挙句に天から延び得た糸を掴んだ。
真夏の下(もと)にて首にマフラー巻き付け奇怪に佇み、自分に居着いた剛腹等を上手く馴らして意地汚く成り、決して自身の気質に就いては卑下し切れず儘にて昔に取り得た杵柄足り得る文学仕業(ぶんがくしぎょう)へまっしぐらと成り、煙草をぷかぷか四、五本吸い終えいざ机に向かって単座する際、脳裏にぷよぷよ浮んだ理想の泡(あぶく)が激しく燃え立ち筆まで独歩(ある)き、白紙の上には何やら解(かい)せぬ奇妙な文句が尾鰭を振りつつ俄かに降り立ち俺へと向かう。何処(どこ)へ向かうも穂先を呈さず俺の視界に右へと横切り、そうする果(さ)きには後から頷く未開の事物が奇麗に並び木立と成り行き、印を辿って歩いて行けば、必ず意味が自発に付くと俺の脳裏を誘導して行く。歌留多遊びの態(てい)に似て居り、捲った札の裏面に出るのは想いも寄らない新たな言葉で、言葉一つを扱いながらに別の意図まで想像させ行く司業(しぎょう)に似るのは目下咲き得た俺の稼業に類纂され行く別途の記事など、数多に渡って編纂され得た誰かの稼業が俺の周囲に残る故にて、別途に渡った新たな言葉は俺から離れて自発に咲き活き、自活を呈して記録と成るなど、俺にとっても新たな嗜好が具に浮んで愉快が芽生え、次第に固まる我流の基礎には俺を擁する寝床が浮んで落ち着いて在る。しかしそうした不埒が空(くう)を跳び越え人間(ひと)へと這入り、如何(どう)した事かと結果を見据えて過程を探れば言語が構築され得た思考の微細が夫々外方(そっぽ)を眺めて無関(むかん)に在りつつ涼感に在り、尻切れ蜻蛉をこうも見事に落して来るなど文学・詩壇の端にも置けぬと両脚(あし)を折られてトルソ(torso)と成り果て、俺の防火壁(うだつ)は尻を燃やして焦燥に在り、一刻・千刻(せんこく)数える間も無く固陋の隙へと頭を隠して逃げて行くのだ。逃げて行けども躰の上肢を壇に置かれた白紙の上にて忘れて来て居り、「ちょいと待て待て。寸先見知らぬ闇を抜けても。殊に楽しく歌い小躍(おど)った両脚(あし)の上では。首が無いのを哀れに傅く気色の空想(おもい)が気が気でない。無い。」など天麩羅油に辷った両脚(あし)とは「明日(あす)」の秩序が逆さに並び、俺の意図から真逆に繰り出す貴(とうと)い司祭(あるじ)に反逆して行く強い脚力(ちから)が居座り続ける。脳の血肉が酸素を燃やして事細かに刻んだ主張を更に細かく組み立て始めて人間(ひと)へと息衝く権利に目掛けて闊歩を図り、それでも行方を、「明日(あす)」の行方を奇麗に仕立てる根深(ねぶか)を醸して厚着をして居り、誰も見知らぬ不埒な諸業(しょぎょう)を未熟に唄った始点の場所にて大事に愛で得る。こんな幼稚に生涯費やし幸(こう)を得(う)るのは俺の他には誰も居ない、との安堵に満ち行く足りない煩悩(おもい)に私念(しねん)を象り疾走して行き、俺の権利は何に対して横着振るのか見当付かずに静かに息衝き相対(あいたい)している。初めに示した供の態(てい)とも女性(おんな)の体(てい)とも異彩を示して相対(あいたい)している俺の権利は、空想(おもい)が鎮(しず)むと何処(どこ)に穂先を見付けて対峙するのか呑気な儘にて如何(どう)にも分らず、目前(まえ)に跳ね得た未業(みぎょう)の叫びに暫く不動に相対(あいたい)せしめる〝何か〟の脚力(ちから)を体温(ぬくみ)を保(も)ち得た体(からだ)の具に痛い程まで感受して居り、如何(どう)にも尽きせぬ人間(ひと)の流行(ながれ)に痛快せしめる〝何か〟の居場所をまるで懲りずに捜してあった。四季(きせつ)を超え得た初春(はる)の叫びに不動成るまま気が集中して、女神に対する安堵の姿勢(すがた)は人間(ひと)を超え行き創始を呼び込み、人間(ひと)を超え得た神の息吹を自然に感じる能力(ちから)を保(も)ち得て現在、俺の心身(からだ)は情緒に解け込み人間(ひと)に伏(付)された喜怒哀楽まで具に描(か)こうと個室(へや)の内にて頷いて居た。〝何か〟は今でも個室(へや)の内にて不動に居座り、俺の目前(まえ)には跳び撥ねし得ずに不変に在って、〝情緒〟が転がり人間(ひと)の世情に埋れ入(い)っても決して滅気(めげ)ずに新芽を剥き出す水入らずに在り不滅に在った。言葉少なに悶絶始めた俺の個室はそれでも憂いを設けて深く佇み、人間(ひと)の代々から嗣業を捥ぎ取り一心不乱に廃退して行き新たに生きて、活性され得る自分を見定め活路を見出し加減を知りつつ、世渡り上手を上手く真似して節度を保(も)ち得る詩人の身形を整え出した。一度滅んで生れて来たのは俺にとっても歓迎するべき奇麗な吾子にて、世間に咲き得た不純の罪など見事に落した新生成るまま俺の眼(まなこ)に程好く明るく未熟に在って、そうして落した体裁などは俺の不純を抱擁するべく柔らに現れ輝くのであり、経過(とき)を逸した結果(かたち)等には説明付かない樞(ひみつ)が残って然りと成り得る、と努々這入出(はいで)る吾子の声には俺を擁する桶が在るのを自然に返され俺は知り得た。十分(じゅうぶん)並んだ至玉(しぎょく)の功には嘗て昔にネブカデネザルが企み尽き得た私財の移植に例(れい)を見て居り、後人(こうにん)・世人(せじん)が俗世に活き得た失敗などから自訓を見出し悟りを開き、男も女も罪から逃れて経過を独歩(ある)き、次第に晴れ行く宇宙(そら)の向こうに闇を見ながら慌てふためく性能(ちから)が現れ男女を牛耳り、男は女を、女は男女を、具に見て採り己に宿った孤独を失(け)す為酷く悶絶しながら叫んで在るのを男女の世界は再び悟る。「聖(せい)」という字にこの世を離れた世界を微かに見て取り追究し始め、何が聖(せい)にて何が俗かを自然に問うては答えに成らず、人間(ひと)の正義と比較し始め、得体の知れない空気の内にて「聖(せい)」の形象(かたち)が採られ始める過程を見出し来る日も来る日も人間(ひと)の思考が理想を追い掛け事実を過ぎ去り、現行(ここ)から望める薄い表裏にぽつんと立った分身(おのれ)を意識し、飛躍し得ない思考の過程に非凡を創ってそれで良しとし、「非凡」を創った過程は無視して後(あと)の始末は自然に任せて自分はぶらぶら物見遊山に興を示して逍遥している。但しそれでも心に秘め得た「聖(せい)」の成立(かたち)は一途に独歩(ある)いて気色を呈し、少しも欠けない固体の総ては微動だにせず不変に在って、丈夫に懐いた人間(ひと)の「聖(せい)」とは何時(いつ)まで経っても身動き出来ずに小さな静寂(しじま)で根付いて在るのだ。それ故、目で見て捉える人間(ひと)の結果がどれ程大きく「聖(せい)」に対して活発なれども、終ぞ尽き得ぬ「聖(せい)」の効果は人間(ひと)の俗世に貫通して在り不敵を呈し、人間(ひと)が憶えた最後の砦に薄ら咲き得た羽毛の体(てい)にて自体を表し尽きせぬ自由を約束してある。
〝一夜千夜(いちやせんや)〟に延び行き転倒したまま俺の思惑(こころ)は此処(ここ)から未来(さき)迄てくてく独歩(ある)いて独人(ひとり)と成りつつ、病気を眺めて薬を呑んでも運動しても、一向変らず難治(なんじ)に寝そべり微動に苦しみ在る事無い事露に妬んで海鳴りを聴き、心身(からだ)は泳いで人間(ひと)から逸れて自分の意識を正しく保(も)つのがこれ程までに至難で在ったか、朦朧さながら混濁して行く覇気を追い掛け瞬間(とき)に止(とま)れば危うい闇間に自分を失う即発めいた流行(ながれ)が止まずに俺は人間(ひとま)で静まっていた。二月中旬、京都の寒さに底冷え憶え、ずんずん冷たく固まる俺の心身(からだ)は昨夜(ゆうべ)にしっかり暖を取りつつぐっすり寝就き、昼夜の流行(ながれ)に少々逆らい心身(からだ)の内(なか)では狂々(くるくる)這い行く自信が在ったが虚遁(きょとん)と止んで、少々呑気に構えた俺には何時(いつ)か知り得た挙動の記憶がぼつぼつ華咲き独人(ひとり)で歩き、俺の目前(まえ)では裸眼に観え行く明度の調子が一人調子に高低し始め鮮やかと成り、精神科の医師から聴き得た瞳孔に就いての高説等がひらひら浮んで心身(からだ)を支え、不安に始まる日々の在り処が実際俺にも眩んで具体が分らずそれでも吹き行く経過に包まり俺の感覚(いしき)は外界(そと)を見ている。これまで通ったO教会での交わりなどにはそこらじゃ貰えぬ新生(いのち)が在る、との自訓を立てつつ車に飛び乗り、先週迄は父の車にそよそよ乗り込み母と一緒に通ったものだが何気に衒った気の持ち様にて寝起きの思惑(こころ)が声を荒げて独人(ひとり)を撰び、階下から鳴る母の誘いに色々閉口強めて項垂れ始め、少々羞恥に配慮しながら態と愚図ってのそのそ起き出し、あれから日課の体操などして体を調え静まり返った階下に注意してくてく下りて、今日という日は独人(ひとり)の時間を新たに採り挙げ見詰めてみよう、と俺の企画は息巻いていた。そうして向かった階下の居間では黙って居座る母の姿勢(すがた)が先ず眼(め)に飛び込み、右片麻痺にて父の配慮が柔く働き出掛けの準備はほとほと終ってあとは上着を着せろと弱口(じゃっこう)ながらに言葉が飛び交い俺はそろそろ歩いて何時(いつ)もの羽毛を飾った黒い上着を玄関から取り急いで着せて、我が家を少し離れた駐車場から父が車に乗って還る迄には俺の思惑(こころ)は一々落ち着き清々し始め、種々の文句を遠くへ置き遣り秘密の決意は固く成り立つ。ずっと一家に三人揃って暮らして在って、両親(おや)を気にする依怙地な気性が又もや思惑(こころ)を揺さ振るのであり、俺にとっては父の姿勢(すがた)も母の姿勢(すがた)も同じに見え行く空想(おもい)が廻って観覧して居り気触(きざわ)りと成り、悪口憎音(あっここころうぞうおん)、呪いを灯した愚痴さえ吐かぬが丁度今日を模範に俺を煽った声の在る日は一向黙って精神(こころ)に従い俺を焚き付け、俺の空想(おもい)は決意と成り着き、言う事聞かない幼児(こども)の様(よう)にも俺の姿勢(すがた)は化け得るのである。そうした気色を踏まえて居ながらやがて還った父に構えて足場を固め、礼拝式の始まる時刻の十時半など遠(とお)に過ぎ得る時刻と成っても未だに珈琲立ててじっくり注ぎ、母が居間から出るのをゆったり眺めて閉口している。父から「一緒に行くぞ」の誘いがふいと出るのが怖くもあったが、そこは今日(きょう)にて、俺の決意が固く立ち得た安い日であり、否が応でも「あとから行く」との返答(ことば)を見詰めて飄々したままずずっと茶を呑む。珈琲と茶を目前(まえ)に並べて湯気の立つのを仄(ぼ)んやり眺める俺の思惑(こころ)に「あとから行くんか」との父の声在り、胸の荷が下りぽつんと灯った余裕(ゆとり)を観て居た。
両親(おや)が出てから暫くした後(のち)、独人(ひとり)の静(しず)みに潤い覚えてそわそわし始め、活気を宿して言動(うご)いた矢先に車に飛び乗り上々走り、式に出たのは開始から観て三十分した最中(さなか)であった。
「自律神経失調症。…パニック障害。」
医師の見立てに狂いが無ければ俺の心身(からだ)は得体を知らせぬ二つの病魔に侵されていて、群れの内にて体裁繕う機微の程度は甚だ激しく揺られた儘にて、人気(ひとけ)より成る怒涛を憶えた俺の記憶は過失に配慮し卒倒するほど当時の事情を目敏く睨(ね)め付けそこへ辿った当時の過程を大事に手に取り逗留して行き、人間(ひと)の熱気が病魔を呼び込む太い管にも時宜しくして重ねて見え行き、俺の思惑(こころ)は突発ながらに思春を越え活き、事情を知らない過酷な迷路へ遁走して行く。しかしこれまで暫く独りでこよなく気儘で人間(ひと)の熱気も忘れた態(てい)にて俺の心身(からだ)は落ち着いて在り、式へ入って暫く経っても何とも成らずに人間(ひと)を眺めて気楽に在って、「この具合なら大丈夫だろう」等、噛まない言葉に口調を丸めて算段しながら茶の湯へ抛(ほ)かし、最後列にて何時(いつ)も用意され得る茶を呑みながらに俺の姿勢は辷らなかった。式が終って何とも無い儘、元々こうした式や人間(ひと)との交わり、会合などには好んで出掛けて調子を合せ、そうした場の土台の規模が大きければ大きいほど目当ての誰かに注目され得る機会も増えて、小さな事でも大きく採り得る舞台が挙がると急々(いそいそ)繁々密書を抱えて通(かよ)ったものだ。そうした気質が疎らに浮んで俺を引き出し、皆が集まる会堂中央へまでととっと進んで人渦(じんか)へ紛れた。式の終りにちょいと見付けた報知に於いて、「今日は式後に青年会があります。」との行を捉えて悶々して居り、自分の内実(ちから)をその会の内にて真面々々(まじまじ)見定め仕留めて遣ろう、と秘密に隠した小さな決意を、胸中豊かに企んで居た。父、母は何時(いつ)も通りに式後に帰る。帰り途中で、最寄りの泉屋へ寄るのが日課であって大切なのだ。
刹那の内にて、ごった返した会堂内(かいどうない)にて人間(ひと)に塗れて話をして居り、俺の目前(まえ)には二人の信徒が独奏しながら何気に想う事などぺらぺらぱらぱら独談(どくだん)して居る。しかし奇麗に並んだ人間(ひと)の流行(ながれ)は秩序を保(も)ちつつ緩く静まり、俺の肌にも風より先に芳香(におい)が当たる日頃に希な人間模様が育成され得て俺を包(くる)んで、俺の調子は彼等に解け入り、あの日以前にふらっと還った優しい心地が足場を馴らして居着いたようだ。二人の信徒の内、一人は神学生にある。その神学生から青年会への誘いが又来て、「大丈夫です。出ます。」との緩い返事を俺は投げ掛け、青年四人(内一人は女性)と神学生とは足早ながらに二階へ上がり、何時(いつ)もの部屋へと入って行った。
俺は一足遅れて部屋へと入り、これまで読み進めて来た小栗(おぐり)(何とか)云うキリスト教の著を各自奇麗に並べて置いてテーブルへと着き、五人掛けの椅子の内一つが俺の為にと空けられていた。「済みません、遅くなりました」と自分の椅子まで歩く最中(さなか)で軽く言い付け、さて愈々会が始まるとの固い調子に矢張り中々馴染めず俺は困った。人前にて静かに居るのがこれ程ごんごん緊張せしめて難(かた)いものか…、と俺の思惑(こころ)は始めは静かに在ったが黙々し出した固い雰囲気(くうき)に焦りが始まり、僅かに汲み得た真剣勝負に歪んだ喇叭が胸中(むね)に響いて大音(だいおん)と成り、寡黙に居座る修道士に似た四人の信徒は見えない主(あるじ)に手足を操(と)られて丈夫に見えつつ、懐かないまま懐(うち)に活き行く双子の主(あるじ)は俺の視界を鈍らせ始めて俺の正気を遠ざけて行く。「矢張り駄目か…」、こうした最中(さなか)にぽつんと在っても一向咲かない解決法へと注意を這わせて自重して居り、自分の悩みが何処(どこ)から来るのか耳目を欹て暴いて遣ろうと目下旧来の自己の強さに依頼して行き俺の過去には現行(いま)が咲き行く。何度失神しそうに成ったか定かではない。そこで得たのが一つの質(たち)にて、矢張り心身(からだ)が泳いで酩酊するのは記憶に準じた気持ちの仕業(しわざ)で躰の器官が如何(どう)した等は恐らく在り得ず、あの日に還った環境(まわり)の気色でそこに留(とど)まる俺の心身(からだ)も次第に解け得て背中を丸め、同時に感じた新たな刺激に全身傾け精神(こころ)を澄ませ、癖のように俺に懐いて俺を困らす。精密検査を受ける事をも心身(からだ)を労わる常の意図から憶えて在るが、じっくり労(ろう)して知り得たものだ。これから経過が俺へと運ぶ数多の自然に(大学の)ゼミで行う所業が在って、こうした癖を生ませた発表等が「所業」の内にて確固と野捌(のさば)り、置かれた位置から変れぬ俺まで貴(とうと)い息吹を投げ掛けている。
そうした軌跡を覚えて居ながら俺の五体は平々(ひらひら)上がって晴空(そら)へと辿り、夕日を待ちつつ経過を知らずに細かに並べた自分の記憶を一片々々(いっぺんいっぺん)吟味しながら外界(そと)を見始め、自分に起った不倖(ふこう)の穂先を愛惜せぬまま未定に据え置き感じもせずに、「明日(あす)」への勇気を尻込みした儘えっちらおっちら紡いで在るのだ。何を見(観)たのか覚(憶)えて居たのか、信じて居たの予測したのか、当面理解出来ずに密かに忍んだ運命(さだめ)の歩みを都合の好いほど真横に従え暮らして在るのが俺が覚えた暮らしの掟で鉄則でもあり、自分に懐いた病魔の表情(かお)など具に眺めて観察するなど自己(おのれ)の仔細に好(よ)く好(よ)く注意し放蕩していて、そうする俺には自然の故習が俄かに止んでも寸とも知れない不明の導主(あるじ)が目前(まえ)を独歩(ある)いて俺に対する。堂々巡りは如何(どう)でもこれから俺へと足らしめ俄かに息衝く唱導主(あるじ)を枕の下(もと)より引き摺り並べて俺の眼(まなこ)へしかと打ち付け、俺の眼(まなこ)は昨日と今日とを何が変って不変に在るのか中々見果てぬ脆弱(よわ)い肢体(からだ)を左右へ転がし前途へ跳んで、経過(とき)の流行(なが)れに削がれて返らぬ未開片など己の躰に一々当て嵌め回想しながら、白い白痴に自己(おのれ)を表し遠くに輝く輝彩(きさい)の何かを順応しながら暗(やみ)にて描(えが)く。そうしてぽろぽろ零れた経過(とき)の端片(はへん)が白と黒との明度を違(たが)えた文殊の層までくるりと絵を描(か)き落書きするのを、端(はた)で観て居た少年(こども)の俺から遠く近くに得体を報せず自由気儘な無芸の際(極)(きわ)にて変態して行く不思議な正味は少年(こども)の目前(まえ)にて羽根を拡げて安らいで行き、そうした優雅な落書きさえも俺にとっては大事な誇張と成るなど、少年(こども)と俺とは一体(ひとつ)と成り着き如何(どう)する間も無く次の「経過(けいか)」が事変を運んで一定と成る。自分の過した瞬間(とき)の経過がどういう涼風(かぜ)から和んで来るのか露と知れずに固体を眺め、気長に待ち行く俺の調子は何処(どこ)まで続いてそのうち萎えるか、一向分らず加減を睨(ね)めて、自分の具合を細かく見定め順々降(お)り来る所業の最中(さなか)に、自然を統べ得る神の姿勢(すがた)を自ずと見出し遠近無視して独歩(ある)いて来るのが神か自分か定まらない儘、同時に活き行く環境(まわり)の音頭が俺の体温(おんど)に調子を捉えて解け込み出して、耳を澄ませた俺の心身(からだ)は自然に対して浮遊を続ける狭筵(むしろ)を探して呑気にして在る。呑気の故に何か新たな事変が身近に起って言動(うごき)を見せても俺の心身(からだ)は軟いで在る上対処の術など一向経っても並べられずに動揺して居り、如何にかこうにか狭い末路へ自分を押し行く気風(きっぷ)を知れども自然に生れた試算を知れずに頓着して在り、人間(ひと)の定めを返して在るのが常々こうした自然に芽を出す事変であるなら人間(ひと)の居場所は常々こうした狭筵(むしろ)が泳いだ軌跡に在る等、思春の半ばで形容しながら俺の言葉は解釈して在り、唯「在る」だけにてそこから種々の展開(ひらき)が訪れようなど一つも分らずめっきり澄ました姿勢を覚えて無関と成るのだ。
「自分の今居る立ち位置が酷く安定」せずまま無関の夕日は自然に包(くる)まれ大きく展(ひろ)がり俺へと対し、学舎の尖塔(やね)など小さく折られた頂(いただき)見せつつ温(ぬる)く漂う暮れの空虚にぽつんと立って酷く静かに相対して在り、供と並んだ冷たい俺には不住(ふじゅう)の感さえ久しく在りつつそれでも活き得る小さな吐息が彼女を目掛けて不敵に在って、「堂々巡り」を享受して居る以前(むかし)の自分がぽっと返って活き活きして在る。玄人素描が中々終えない自然の呈する大地(ノート)の上にて、俺と集(つど)った供と彼女が夫々個別を胸中(むね)へ設けて相対(あいたい)するなど自然(じねん)に活きて不明に置かれ、主(あるじ)を知らない人間(ひと)の功など何にも学ばずしどろもどろの空虚に在るのを人間(ひと)は密かに熟知して居て次第に落ち着き、夕日の紅(あか)には幸(こう)にも付けずに浮遊して行く人間(ひと)の吐息が「明日(あす)」を目掛けて跳ねる構図にぽつんと目立って独歩(ある)いて在るのは、次第に歩速(ほそく)が緩み始める人間(ひと)の最中(さなか)に自然に在った。足場を失くした以前(むかし)の少年(こども)に今又瞬間(じかん)が羽ばたき目配せする程仔細な配慮がぐんぐん活き着き臨時に具わる狭筵(むしろ)を構えて得意であって、坂田は供を目掛けて自分を表し如何(どう)する間(ま)も無く色気の漂う人間(ひと)の空地(あきち)にすんなり佇みけたけた笑い、供は供にてこうする間(ま)も無くしどろもどろを夕日へ掲げ、阿鼻叫喚程には整わない儘、自分の居場所を固く認める苦渋の様子を彼女に俺に執拗(しつこ)く突き付け伽藍として在り、如何(どう)とも言えない人間(ひと)の鉄則(おきて)を大きく描(えが)いて掌中(しゅちゅう)に収め、未熟に愛する女神の小片(かけら)を自分の狭筵(いばしょ)に求めて在った。救いを求める童(わらべ)の姿勢(すがた)は如何(どう)とも言えない妬みが具わり未来(さき)へと向かい、女神は女神で空地に佇む坂田を拾ってその身を隠し、無機の態(てい)にて女性(おんな)を捉えて一定して行き、見分けが付かない溶け得た躰を次第に現し俺と供とに大きく構え、空気のようにひらひら浮遊して行く水とも成った。何に対して求めた救いはそのまま供の躰へ俺の心身(からだ)へすんなり灯って浸透して行き、「けたけた」笑った坂田の姿勢(すがた)は急に緻密に音頭を執り出し体温(ぬくみ)を従え、「明日(あす)は明日にて事変が起る。」と恰も冷め得た視線を呈して輝いて活き、光を放(はな)った空の源(もと)にはちょこんと居座る夕日が在って、酷く落ち着く人間(ひと)の流行(ながれ)が俺と供とをゆっくり引き連れ背中を押して、俺と供には坂田の躰に居着いた正味の姿勢(すがた)をあっさり見破る手段の用途を思いながらに何処(どこ)まで行ってもその主眼の内へは引き込めずに居た。かたかた高鳴る革靴(くつ)の音には俺を引き込む余韻が伝わり空気を汚し、供の背中は見る見る暈(ぼや)けて夕日に対し、紅(あか)く染まった未熟の頬には大きく欠け得た純情(なさけ)が煌めき遊んで在って、坂田はそれでも嘆いた少年(こども)を捉えて己へ向かわせ、俺の上気を上手く惹こうと躍起と成った。躍起と成っても馬鹿に静まる彼女の微熱は社会を忘れて独りで跳んで、幽玄(まと)を射止めた〝独り〟の息吹を大目に捉えて自適として居り、丁度好かった瞬間(とき)の経過に自分が数えた「事変」を連れ込み真逆に歯向かい、「白いお城」を上手に統べて、自分の糧だと豪語して居た。「白いお城」は空地に潜んだ彼女の妖気(ようき)を十分足らしめ、おむつを換え得た幼児の態(てい)してすっきり静まり丈夫に在って、俺と供とは彼女を見付けて跳んで行こうと覚悟を決めたが中々跳べずに苛々して居て少年(しょうねん)に在り、幾つか拾った空想(おもい)の最中(さなか)に幾つか隠れた真実(ほんとう)等がこっそり在るのを従順(すなお)な眼(まなこ)は熟慮していて不断であって、切りが好いのを境に採りつつ、又新たな事変(こと)の起りを自分達に見、揚々静まる未開の空地に暫く休んだ彼女を押えて火照り始めた各自の憂慮を繋いで置いた。繋ぎ置かれた各自の「憂慮」は彼女を表す「女神」の姿勢(すがた)が現行(ここ)では一向経っても表情(かお)を示さず現れないのを即断(そくだん)していて各自の夢想(ゆめ)にも冷たく上がった火の手の態(てい)して不断に在ったが、燃え行く「火の手」は轟々唸って人間(ひと)に程好い空地を跳び越え現行(ここ)まで着いて、如何(どう)にも消せない俄か仕込みの発火が俺の目前(まえ)にも供の目前(まえ)にも続いて起り、発され続ける「不断」の「火の手」は女神が吐き得た男性(おとこ)に対する私念(しねん)じゃないか、とぶるぶる震えた両手は俺にも供にも華(あせ)を握らせ純情(なさけ)を囲い、昭和限りのレトロ・ショー等、囲いが付された人間(ひと)の至福に今でも「火の手」が迫って在るのが凡庸ながらに立派に捕われ、現行(ここ)にて男性(おとこ)の息吹がひっそり在るのがまるで女神を寄せよう等との企図に触れ行き丈夫に至って折り込まれるなど、供はさて置き、俺には如何(どう)にも納得し得ない不思議であった。屈曲され得た〝温暖遅滞〟は、冷気を逃がさず燃え拡がって、初めに居着いた空想(おもい)の姿勢(すがた)が小声(こえ)を呼び込み文と成るのを好く好く講じて熟知して居り落着して居て、目敏く見据えた女神の行方を「空地」を囲った自然(しぜん)に謳われ酷く拡がる微細の総ては街を講じる文句に届いて意気込み溢れ、小さく根付いた空想(おもい)の丈ほど身近に捉えた芯ではないけど、激しく宣(のたま)う彼女の周囲(まわり)を供はさて置き、俺の思惑(こころ)は目立って否(いな)んで抗い始めて、彼女の姿勢(すがた)に立派な「聖(せう)」など後(あと)に省(かえ)れば微塵も無い等、至極即決して行く少年(こども)の姿勢(すがた)が、如何(どう)にもこうにも自然に生れた人間(ひと)の体温(ぬくみ)に似通(にかよ)り始めて丈夫を着飾り、俺の傍(よこ)では終始徹した軽い学(がく)など宙(そら)へ目掛けて芽吹いてあった。ことこと煮込んだスープのように灰汁が延び切り素材が緩み、彼女の景色(まわり)と俺の環境(まわり)でにやけた展開(ドラマ)が拡がり出した。事実無根の幽玄(かたち)が飛び散り人間(ひと)から離れた世界は安らぎ、俺の無言(ことば)は足並み揃えて真面に跳んで、初めから成る気色の内にて無限に憶えた脚色(いろ)の頭数(かず)など好く好く見知って断行して在り、俺の空想(おもい)は屍(かばね)を越え行き形成(かたち)を示さぬ深い熟慮へ衰退しながら咄嗟の際まで自制を頬張る。意識的にも無意識的にも常を仕込まれ形成(かたち)を消すのを酷く嫌がる肢体と成ったが、人間(ひと)から外れて俺の行李は自分を表す匠の道具で一杯と成り、当り障らず日々を費やし過して行くのはこれ程容易く適うものかと一々見定め感謝をして行き、人間(ひと)を観ながら褥に軟いだ本意を見ている。数値の要らない内実(ちから)に在って俺の意識ははっきりしており、人間(ひと)からすれば全て無効の文句が並ぶ。そうした文句を奇麗に呈した俺の覚悟は何時(いつ)も通りに日々を独歩(ある)いて自活を貪り、脆(よわ)い糧にも丈夫な糧にも心身(しんしん)注いで熱中して居り狡(ずる)はせぬ儘、以前(むかし)の奇人と心行くまで話を愉しみ文学論など夢想(ゆめ)にも見るほど結託され得た真摯を伴う。膨張するほど酷く拡がる過去(むかし)を選び暖風(かぜ)に載せられふわふわ来たのは人間同士の馴れ初め合いから久しく離れた荷風の生き血をそっくり呑み干す無感の俺だと独創(こごと)に見知り、色白表情(いろじろがお)した蛻の夢見は私断(しだん)を過ぎても即決され得ず、常識人から遠く離れた忘れ形見の生途(せいと)にぼつんと立って、俺の分れを気にして見て居た。自然を見た儘、自己を観た儘、あっさり醒め得る基礎(どだい)の総てを可能以上に導き出すのが人間(ひと)に生れた俺の罪だと神を見たうち自覚に捉え、俺が訓(おし)えた輝かしきとは俺の分身(からだ)へ丁度収まり膨張し活(ゆ)くと具に並んだ人間模様に手鞠を乗せられ調子付けられ、あいこに終った〝一目散〟には梨の礫が見事に飾られ小さい独創(こごと)も大きく果てると、信仰(まよい)の全ては全き期間(うち)にて抱擁され活き、漢字紛いの日本語等とは全く違った新たな過去さえ未来(みらい)へ活きる。活用され行く未熟の有様(さま)とは無天(むてん)の下(うち)にて私界(しかい)を弄(まさぐ)り、冷たいながらに体温(ぬく)い聖徒(せいと)を天(かげ)から見兼ねて小力(こりょく)が活きると、聖書に認(みと)めた個人の記憶がすっかり目覚めて床(とこ)から離れ、「明日(あす)」の朝には現行(いま)には観えない私宝(しほう)の手数(かず)さえ尽きない程度に見事に表れ昨日と今日とを連携させ行く、人間(ひと)の狼煙に大きく役立つ不惑の思想が宙から降(ふ)り落ち俺に来るのだ。常識人から引導渡され再起不能と刻印押されて何億秒経ち、恐る恐るに一足(あし)を踏み出し固めて宙(そら)へと上がれば昨日まで観(見)た仔細な些細が事毎妙に跳ね活き刹那に観え出し、人間(ひと)の身元が拙い哀れな寝床に本気で想えて幾年過ぎ去り、遂に此処(ここ)まで足踏みしたのは此処へ落した〝奈落の蝶さえこの手に握って還る為だ〟と即決し得て緩々嬉しく、俗世を捨て得て真(まこと)に良いとの刻印押すのは誰にも付かない分身(おれ)に限って相異は無いと、渋々認(みと)めた俺の気色は見る見る生育(そだ)って無冠に在った。明日(あす)、明後日、明々後日の昼、俺の心身(からだ)は銅像みたいに漆を塗られて白昼(ひる)の照輝(ひかり)に暫く冴え活き屈曲して行き、蟻が求めた真夏の糧をと、自活を賭して解体され行く王子の寝床を射止めて落ち着く。そうした空想(どだい)に暫く悩んで吐露を続けて、繁く通った梵天様には三日月ばかりの輝彩(きさい)が照輝(てか)ってどよめき湧き立ち、世間の芽からは危ない淵(かげり)に自体(からだ)を堕とされ俺の信仰(まよい)は更に戸惑う。俗世を極めた八方美人が坂田の身を借り美を仮り染めしたまま通行人から盲目(やみ)を利かして誘ったのなら、こうした所業に暫く憶えたこの坂田の姿勢(すがた)が俗世を通じて俺へと対する一番手強い強敵(つよみ)と成り活き〝強敵(つよみ)〟は連想(ドラマ)を介して遺体を隠し、魅惑伝いに俺へと跳んで常識(かたち)を化(か)え行く本人とも成る。〝眩暈のような生きた感想〟など人間(ひと)は籠って何やら物々念頭温(あたた)め独言(ことば)を呈すが、それもこれも生きる期間(うち)にて誰もが眼(め)にする感想(おもい)の跡にて共存して行く程度の具(つぶさ)は正(まさ)しく俗世(このよ)に親水(しんすい)して行き、所々に自活を残した狼煙が上がって個人(ひと)の教訓(さとり)は等しく芽吹く。泡立つ苦労は供を集めて三つ豆煮込み、煮込んだ煮汁(にじる)は煙に捕われ「明日(あす)」へと転がる「勇者の華」とは到底掠(さら)えぬ常識被(じょうしきかぶ)れを謳歌して居た。謳歌され得た常識被れは両脚(あし)を掴まれ旅へと出され、知らず知らずに文句の言えない凡能佳人(ぼんのうかじん)に滔々収まり、拙い手紙を誰に出そうか大きく迷って結局夢見る。夢想に咲き得た小さな花瓶は華の初育(いろは)を司(つかさ)に牛耳り供を揃えて世間に湧き立ち、自分を観るのが果して同士か敵かと、具に調べる癖を踏まえて単座して居り黙って見過ごす。過して行くのが世間の経過(とき)なら尚更興味を他へ奪(と)られて四体(したい)を拡げた〝新たな勇者〟は個室(へや)の隅にて無欲を貪り、規則を定めぬ自然(じねん)の煽りを隈なく見据えて生長して行き、憶測詰(おくそくづく)めの戯言にこそ何にも寄らない無類の真(まこと)が初めに座ると、体裁捕えず笑顔を兼ねて、未遂の言動(うごき)にちょくちょく言動(うご)いて褥に売られた俺のモルグを澄んで呈する。慌てた矢先に他人が騒いで供まで騒ぎ、座敷の奥には誰も知り得ぬ豊かな銀貨が寝かされ並び、供の知るのは俺が呈する音楽だけだと俄かに憶えた俺の耳からふらっと零れた人間(ひと)の言葉が大きく勇んで俺へと跳び立ち、そのまま力んで仁王立ちから襖を隔てた庭の先まで等隔(とうかく)され得た几帳の夢見が天国(ごてん)を仰いで無粋に降り立ち、俺の門出を遠い宙(そら)から真下に省み、滔々流れる経過(とき)を繋いで皆(みんな)一緒に流行(なが)して行った。初穂を摘み取る手指の美麗は仏間に拡げた掛け軸程度に見栄えが成り立ち口も黄色く、寒椿(つばき)が咲く頃二月の京都で心身(からだ)を震わせ静かに居たのが急に跳ね出し常緑と成り、天から授かる私宝(しほう)の行方に奇麗に並べた苦労を悼んで徒労を愛し、俗世を譲った俺の労(ろう)など人間(ひと)に対して如何(どう)して名付ける事が出来ようかと、本気で信じて悩ませ始め、俺の心身(からだ)は一世(このよ)の期間(うち)にて真っ赤に染まった「真紅」を観て居た。下郎が住み好い都合が付き活き、俗世の期間(うち)にはこの夜(よ)で暮らした幾千年さえ一夜(ひとよ)に過ぎ行く無法と成りつつ念仏唱え、救いが無いのを承知で外法(げほう)の生途(せいと)に、早まる心地を再度忘れて死線を越えて人間(ひと)に在るのをそれでも拒んで私塾の内にて神秘を追った。神秘を追う内次第に日暮れた環境(まわり)が豊穣(ゆたか)で何にも無いのが人間(ひと)の定めた常識(かたち)であると酷く規則を暈して自分を鍛え、脆(よわ)く律した蛻の理性(さが)など深く見据えた海の底まで沈める事さえ十分熟して丈夫に認(したた)め、身軽の懐(うち)へと緊(かた)く仕舞った白紙の内にはあの日に根付いた自分の身柄を自分で写した無様が活き付(づ)き、月の出ぬ夜、誰も観ぬのを好いとしたまま俺の弱味(よわみ)は失せて行った。庭の先から私塾(じゅく)へと跳び立ち、宙(そら)を介して地上に立って、何も無いのが空地で在るなど一つ常識(かたち)に縛られ文句を投げ掛け、見る見る期間(うち)にて心身(からだ)が延びれば直ぐさま返って道徳覚えて少年(こども)に化(か)わり、供を引き連れ一団(からだ)を連れ添い、死んだ彼女を捜して在る内、滔々寝耳に火を付けられ活き、俺の独声(ことば)は知識を引き連れ供を引き連れ、彼女の姿勢(すがた)を坂田に捕えて何処(どこ)でも観える程度(ほどまで)にと生長したのだ。誰に尋(き)いてもそんな次第で黒雲(くも)の流行(なが)れは低空飛行で彼等を観て居り、目下に生れた四人の主(あるじ)は見事に無冠を勝ち取り永い夕日に堪能して居た初春(はる)の命に気付いてあった。寒いながらに身震いして在り、俺の思惑(こころ)は堂々巡りに喫して醜く縮み、唖然としたまま人間(ひと)の言動(うごき)に酷く怯えて敏感と成り、〝こうまで円らに心身(からだ)が撓(しな)ってぎしぎし鳴るのは、総ては周りに募った人間(ひと)の分身(からだ)が好きに言動(うご)いて呼吸照(いきて)るからだ!…〟と勝負が尽き得た潰えた了(おわ)りをも一度省(かえ)ってぼんやりして居て、俺の環境(まわり)は見事に躾けられ得た造語(ロボット)達に暴力(ちから)を合せて無様に在って、俗世を成し得た狂う音頭は欲に呆(ぼ)けつつ薬漬(やくづ)けされ得た若者(ばかもの)達に呑まれ得たのだ。過保護に育った若者(わかもの)達には電子を通した過保護が居座り、透った過保護にすっかり甘えてしっかり騙され、本能(おもい)に跳ね活き考えないまま未熟に花咲く暴力(ぼうりょく)こそが最も純粋成るまま容易く奪(と)れると、自分の居場所をしっかり踏み付け自分が誰だったのかを容易く忘れた孤児と成り得た。
何も主張の無くなった男児が女性(おんな)を忘れて工夫に逸(はぐ)れ、活きて行くのに無理強いしたまま学士の論など穣(たわわ)に結んで一途と成し得て、至極今日まで並んだ軌跡に自分の影響(かげ)など落し損ねて出逢えなかった偉人等には敬意を表(ひょう)して感覚(いしき)に留(とど)まり、如何(どう)でも好くなる自然(じねん)の限りを、俺の目前(まえ)にて完遂して行く諸事の宴が蔓延しながら世界は一つに、大きく一つに化(か)わって行った。俺が連れ得た供の息吹は自然(しぜん)に塗れて涼風(かぜ)に乗り出し、言葉を言葉とせずうち持質(じしつ)を拡げて毛様(もうよう)足るまま活気に騒いで事物を運び、取り留めないほど神秘の塒を懐(うち)に含んで俺の目前(まえ)から移ろって行く。独創(こごと)が小言と根付いた俺の目前(まえ)では思惑(こころ)に拡がる白紙の居所(いどこ)を明るくしたまま多弁に飾られ息衝いて行き、春夏秋冬、どの季(き)に於いても期間を忘れて自由を愛で得た宙の大地を俺へと発し、〝表情(かお)〟を上げれば両手に残った悲愴が鳴るほど瞬間(とき)の〝音頭〟は確立して在る。供(ひと)と会うのに意向を示さず、直ぐに怠けて何の彼(かん)のを忘れ果てる程こと改革に根差した俺の境地は無様に在って、格好(かたち)が無いのを得意に採り挙げ、供(ひと)から隠れる蓑を取り置き温床(ねどこ)に敷いて、改革成るもの全てを取り上げ自分に懐いた革命足り得(え)る嗣業を掲げて世間へ向かい、対峙して行く全ての供(とも)には恐らく解けない司業(しぎょう)に在ると、達観・闊達一つに纏めて幼く慕い、「世間」に出るのは自我の放(はな)った一角(ひとつ)であると能力(あたま)を隠して体裁(かたち)を繕う。造語に溺れた無邪気な俺とは供に隠れて構成され行き稚拙に問われて白紙へ返され、驚天怒涛(きょうてんどとう)の新天地にて淡く繋がる意図を従え不立(ふりつ)に居座り、鏡を観た後(のち)霧立ち昇る根暗の夜路(よみち)にぽつんと敷かれた街路へ臨んで孤高に在って、落ち着く限界(かぎり)は私闘に夢見た無残な結句に事毎怯む。白紙は白紙で如何(どう)にも解けない個人が保(も)ち得た仕切りに操(と)られた右へ左へ無尽に拡がる無邪気に野晒(のさば)り無声(むせい)に落ち着き、俺の小声は大きい成るまま供(ひと)には聞えず正座したまま脚を崩して童(わらわ)に在って自活に統べ行く自然(じねん)の言動(うごき)に具に捕われ深(しん)と静まり、これまで観て来た世情の並から一足(いっそく)逃れた座談の在り処を新聞等にも精通するまま身内に積み得た自然(じねん)の報知に相対して行き自由を知り得て、現世(ここ)から脱して自然(じねん)を掴むと、新たな新芽を身内(うち)へと秘め得てこれまで通(とお)った自然(しぜん)の記憶を俺の土台(かて)へと認(みと)めた内にて新たな環境(せかい)を構築して行く不等(ふとう)な一歩を踏み出したのだ。オレンジ色した夕日の傍(そば)にも供(とも)に成り得た人間(ひと)の雰囲気(くうき)は根強く育って青い空に未熟に傅く斜景(しゃけい)が転がり、人間(ひと)に知られず空転して行く物知り顔(がお)まで目下遠くへ自責を掘り下げ衰退するなど、当面治らぬ心的病者が自分の描写に陶酔したまま過保護に包(くる)まれ、誰と逢うのも余程に避け得る甘い誘いの身軽な丈夫に、如何(どう)にもこうにも術を持ち得ぬ脆弱(よわ)い狭筵(むしろ)が涼風(かぜ)と遊んで風化され行き俺の背後(うしろ)は根暗に点(つ)いた堂々巡りが灯(ともしび)運んで麗(うら)らに在った。個人(ひと)の形容に他者が功を成さない一つの例にて文学が在り、到底皆目付かない人間(ひと)の運河に魂(こころ)を絆され好く好く頷く他人(ひと)への異論は先でも後(あと)でも個人を配して個人を脱せず、独人(ひとり)の境地に苦界を憶えて苦悶に彷徨い、如何(どう)にかこうにか他人(ひと)の異論を尋ねる迄には生長し尽し独創(こごと)を覚え、誕生跡(たんじょうあと)から現行(いま)を苦しむ経過(じかん)の最中(さなか)に戸惑いながらも自然(しぜん)が訓(おし)えたego(エゴ)を踏まえて独唱して居り、自分と他者とを比べて見るなど不毛な応えをじっくり伺い自他を統べ活き、きえて無くなる事音(おと)の響きに耳を澄ませて幾度も嗅いだ感覚(いしき)の渦中を俺と人間(ひと)とは共泳(きょうえい)している。「明日(あす)」を追おうと現行(いま)の根底(そこ)から見事に這い出し無体の能力(ちから)に背中を押されて、他者を囲った無音の白壁(かべ)には害を成さない自然(しぜん)の成し得た緩衝器に似た被害を失(け)し活(ゆ)く生気(オーラ)が生れ、未熟が潰えた宙の上では神秘が泳いで人間(ひと)を誘(いざな)い外見だけでは値を伝えぬ意味有り気な樋、防音が在る。樋を流れる灰汁は未だに人間(ひと)から生れた毒気を吸い込み酷く黒煤(ず)み排水(なが)れ行くが、受け手の地中は陽光(ひかり)を吸い込み誰の表情(かお)にも上手く解け得て沃土と映り、自然(じねん)に抗い自然(しぜん)に従う人間(ひと)の生き血は宙(そら)から渡った樋の内にて数多の能力(ちから)を十分受けつつ身重を携え、次現行(つぎ)へと繋げる企図を踏まえて闊歩を過って精製され行く。「数多の能力」とは又、新たな「能力(ちから)」の意として此処では成った。
淀みの無い時間を泳いで来たのは夏を知る者、冬を知る者、春に死ぬ者、秋に逝く者、四人の表情(かお)にて俺の呼吸に縋り付いては姿勢(すがた)を失(け)し活(ゆ)く風来坊にて仔細は掴めず、他人を見知らぬ俺には既にカリバリズムの境地が歪んで歪曲して行き、食人(しょくにん)して行く生活上での仕種をこよなく思惟に付された人間(ひと)への配慮は凡庸成るまま弄(ろう)され尽して覇気へと興じ、見る見る無法に共食いして行く生き抜く為の人間(ひと)の試算は人間(ひと)を土台(だい)にし自己(おのれ)を馴らして強靭(つよみ)へ化(か)えて、行く行く火照る自我の身元を、遠近無視した自分の視界に素早く見付けて体温(おんど)を捉え、溜息吐(つ)くまま日々の仕事に従事して居た。俺の苦労は両親(おや)こそ知らずに他人も見知らず、こうした世情がめっきり普通で白壁(かべ)とも成ると俺の思惑(こころ)は見事に準じて環境(まわり)を温(あたた)め自分が住め得る限りの狭筵(むしろ)を掲げて居場所を狭め、蒼い世情で独り独歩(ある)いて生きて行くのが中々如何(どう)して気持ち良いのと孤独で在るのと二つを分けずに懐(うち)にて把握し知己を射止めず、暗い空さえ自分を誘(さそ)ったロマンチシズムを、堂々巡りに愛する如くに自分を愛でて世間に押し出す才質等は、俺を費やす丁度の仕種に準じて成った。高鳴る孤独を孤独が息する世界に掲げて燈火として、俺の独歩は坂田を忘れて供さえ忘れ、堂々巡りに華を添え行く苦労の途上にぽつんと居着いて孤独に華咲き、自己満足にも詩を唄った嗣業のカルテが『ドグラ・マグラ』を少々齧って幻想(ゆめ)へと落ち着き、俺の行方を夢想(ゆめ)の内(なか)へと導いていた。寒い二月の夜風が京都の街へと吹き降り、何処(どこ)へ行くにも、通り一遍、孤独を知り得た故習の涼風(かぜ)が肌身を刺し活き無頼に身構え、胎児が世に出る心得などを一から考え工夫工夫に身悶えしながら約三日月半程、自分を象る理解の幅など拡げて見ようと画策していた。俺の「他人」は俺に見せずに苦労をして居り、俺から離れてあらゆる自作を熱く著しては何かを伝手にし俺へと下ろし、常に俺には三メーターほど歩幅(あいだ)を空けて自分の境地を構築していて遠くに在って、一向経っても俺へは歩まず何処(どこ)へ行っても約束され得た金魚の糞(ふん)など必ず現れ俺は退(の)かされ、孤独が埋め行く人間(ひと)の俗世は闊達成るまま大事を通して俺を据え置き、理解出来ない人間(ひと)の規則(きまり)を優に見事に確立していた。俺の生活(くらし)に対する予見の具(つぶさ)は見事に当って人間(ひと)から離れ、常識(かたち)を離れて虚空(そら)へと羽ばたき涙を落し、頭上に生え得た俺の夢想(ゆめ)を酷く円らに小さく纏めて見栄え好くして、体裁(かたち)を気にする小物の類(るい)へと新参させ得た。人間(ひと)が生れる未明に咲き得た孤独の華には遂に一凛(いちりん)、大人の振りした殺生歌(せっしょうか)が咲き凡庸足るまま人間(ひと)に隠れて九尾を乱さず頭脳(あたま)を隠して滑走して行き、人間(ひと)が喜ぶ小言の類(たぐい)を沢山吐き出し生活(くらし)に際する自己(おのれ)の無力に対して脚色(いろ)を付け得て活気と見定め、独歩(ある)く寝音(ねおと)は羽ばたき知らずに土の根を舐め空をも舐め得て自活に絆され、働き始めた俺の肉体(からだ)は如何(どう)する間も無く人間(ひと)に紛れて鋭利を失せさせ体温(ねつ)を見出し、遥か南方(みなみ)に十字に居着いた神秘の不正を軽く射なして俗世へ失(き)えた。俗世へ居着いた俺の肉体(からだ)はその場限りの供に現れ次第に物言う鬼畜の如きに暗躍し始め身元を失くし、小声に聞えた思春(はる)の息吹に文句を捉えて自戒に認(したた)め、到底止まない独歩の雑音(ノイズ)にぴたりと止まった未熟な幼児が活性され行き確立され得て、俺の言動(うごき)を事細かなほど仕切り始めて幼春(はる)を知り得た。そうする間(あいだ)に日々の経過に更新され行く白紙の量など、見る見る内にも天井まで着き底を破って天まで延び得て見定められ得ず、俺の興味は俗世(ここ)に居座る仕事を離れて宙(そら)へ還って〝自活〟を貪り、飲食され行く日々の弄事(ろうじ)は俺に生れて芽華(めばな)を生えさせ、俺の独行(あゆみ)は人間(ひと)に知られず無駄に大きく丈夫に鳴った。成長したまま俺の嗣業(あるじ)は温床(ねどこ)を離れて温存(あたた)められて、一旦言動(うご)いて仕事を放棄し幼春(ようしゅん)成らずの思春(はる)に出掛けて獲物を仕留め、脆弱(よわ)い学舎を思惑(こころ)へ注いで魅惑を覚え、同性・異性を強く捨て得る姿勢の在り処を静かに見定め手中へ納めた。出て行く俺には先述通りにその場限りの供であるから誰も奔走(はし)らず静かで在って、俺の肉体(からだ)は知らない間(あいだ)に門戸に置かれて品定めをされ、各自を攫った多数決にて用無し盲者(もうじゃ)と決め付けられ得て廃物(はいぶつ)と成り、陽光(ひかり)の上がった昼下がりの内、見えない何処(どこ)かへ捨て遣られていた。一度未開の場所へと棄てられ得たあと俺の躰は体躯を象り世情へ流れ、自我を仕留めて思惑(こころ)を落ち着け再び陽光(ひかり)の上がった二月の半ばに自分の仕業(しぎょう)に糸目を認(みと)めずさながら気分は浮かれて聡明と成り、拍車の掛かった目標まで行く俺の肢体(からだ)は容姿を気取って世情を睨(ね)め活(ゆ)く機体と成りつつ輝いて居り、輝体(きたい)を利(い)かした論説等には誰も寄せ得ず評価者(ひょうかしゃ)達には大抵高い評価を訓(おし)えた。そうして経過(じかん)に伴い時期が流行(なが)れて季節が流行(なが)れ、熱い両眼(まなこ)は固執を覚えて涼風(かぜ)の内にて孤立して活き、それでも寄り着く供の姿勢(すがた)を大事に扱い傍(そば)へ置いたが供は供にて一向変らず浮遊して行く定理に有り付き無形の姿勢(すがた)は必ず不動の孤立に居座り俺から離れる素行(すぎょう)の様子は一糸も乱れず生真面目に在り、有言実行、俺の思惑(こころ)は世間を追い掛け悩まず努め、挙句に見たのは俺しか知らない苦労が造った泡(あぶく)の社(やしろ)に相異無かった。形成(かたち)を象(と)らない苦労の成果は誰に見得ても結果を成し得ぬ素行(すぎょう)を伝(おし)えて宙(そら)へと消えて、宙の彼方に居座る俺の残影(かげ)だけ見事に物言い格別なる賛辞の文句(ことば)を並べて遠退き、自我の主君を崇拝して在る。此処(ここ)に人間(ひと)と俺との脆弱(よわ)く調う物見(ものみ)の白壁(かべ)が強固に佇み問責して居り、世俗に捉えた俺の形象(かたち)を遠(とお)に見棄てた緊(かた)い異形(いけい)の人種が腰を下して腕組みして在る。腕を組んでは一旦解(と)いて、尻込みしながら俺へと対し、問責する間(ま)に四様(しよう)に動いて無音を記(き)す儘、胡坐に寝付(ねづ)いた門戸の記述は俺に対して冷たく在った。
供と坂田が始終同じくして各自の姿勢(すがた)に射止めた自習(ならい)は俺に対する対し方にて、各自の素行(すぎょう)が小さく跳ねても大きく跳ねても、各自の内実(ちから)を微塵に出し得ぬ規律を打ち立て従順(すなお)に在って、俺の眼(め)からは彼等が如何(どう)でも俺の境地に這入っては来ず、愚痴を吐くのも一杯掲げた旧い門戸の内側だけにて仔細が見取れず、瞬間(とき)が流行(なが)れる様相だけしか彼等と俺とに根付く島など皆無の事実(こと)を俺の感覚(いしき)は感覚(いしき)の内にて見抜いて在った。従い彼等は自分が居座る境地にてその俺に対する対峙の術など故習に従い陳列して在り、俺が涼風(かぜ)に押されて流行(なが)れる間(ま)に間(ま)に門戸の前まで辿って行っても、門戸の前には奇麗に並んだ対峙の素行(すぎょう)がカードに記(き)されて敷かれて在って、俺の両眼(まなこ)は微熱に絆され赤い儘にて彼等の素行(すぎょう)を従順(すなお)に享受し大きく開かれ、未熟を灯した脆弱(よわ)い徒走(とそう)が肢体(からだ)を引き連れ大きく伸びなど、欠伸したまま奇麗に消えた。頭脳(あたま)の奥など仄(ぼ)んやりしたまま俺の輝体(きたい)は彼等を離れて宙(そら)へと出掛け、感覚(いしき)に絆され世情に通じた凡庸(ふつう)の仕事にも一度就こうと翼揚(よくよう)したまま未然の灯(ひ)に伏せ、明後日迄もを知り得ぬ幽体離脱に「明日(あす)」を置くのは寛容かと知り奔走して在り、供を棄て活き世間に寄り添い、資金(かね)の為にと華(あせ)を流行(なが)して賢く成った。形成(かたち)を象(と)らない暗空(そら)の下(もと)にて自分を調べる有頂(うちょう)の希望(ほし)とは何時(いつ)も輝(ひか)って俺を見定め、安泰して行く生長(そだち)の盛りを有無に捕えて糧としており、俺の整路(せいろ)を調えながらに奇麗に散らす夢想(ゆめ)への離脱を図(と)して在った。企図する儲けの手段が青い正義に邪魔され始め、世情に活き得る人間(ひと)の使命が何にも況して大事に在る等、小言が叫んだ目下の旋律(しらべ)は解体され行き鎮まり始め、人間(ひと)に在る者誰もが認(みと)めぬ孤児に生れた才の冥利は此処に根付いた生粋(もと)に活きると、寝耳に生れたモルグの気色は感覚(いしき)を通って俺へ座った。意味有り気なほど賢く育った俺の生体(からだ)は夢想(ゆめ)に羽ばたく感覚(いしき)をぶら下げ世情を独歩(ある)き、事細かに並んだ門戸の〝カード〟に自分を預ける為にと手記を認(したた)め少し離れた土の上にて真向きに対して並べ伏せ置き、俺の未熟は青いながらにすくすく育って暴飲暴食、貪る態(てい)して自分に課された軟い仕業(しぎょう)を刹那睨んで生け捕っていた。生け捕られ得た二つの仕業(しぎょう)は難事(なんじ)を好んだ牛歩の姿勢と容易く仕上がる無双の仕業に救いを求める悲劇とを見せ、この世に阿る媚の内にて、自己(おのれ)を騙した怠惰の所業が華厳の様(よう)にも厳粛なれども俗世を訝る嘆きは解(かい)され事無きを得、無宿(むじゅく)に際した人間(ひと)の寝息は所構わず俺の座椅子をくるくる回して周囲を表し衰退して行き、遂にはそうした強靭(つよ)い習いも自然に解け得て解体され得た。俺は次第に金銭(かね)に困った。資金が集わず奈落の底まで転(てん)じて落ち得た気分に暗(あん)に籠って傾向し始め、暗い夜道を独人(ひとり)で独歩(ある)いた情緒の姿勢(すがた)は、誰にも気取れぬ昔の労苦を牛耳り得たまま藪の内にて八倒して在る。生途(せいと)に根付いた有無の肢体(からだ)は人間(ひと)に知られぬ不思議に有り付き寝言を唱える可笑しな仕草に童(わらわ)と成りつつ、形象(すがた)を厭わぬ暗闇(やみ)の司祭(あるじ)は活きる最中(さなか)に調子を取り持ち俺に対する未然を認(したた)め気丈に在って、如何(どう)もしないまま過去に延び得た俺の思惑(こころ)は自分の在り処を根強く捜して固陋に在った。取って付け得た程度の生活(くらし)の中で、所々に未開へ脱する糸口(くち)など見えて俺はそうした糸口(くち)の麓へてくてく行くが行ったら行ったで固物(こぶつ)が観て採れ正味の大口(くち)など何にも無い儘、経過(じかん)に貪る俺の遣る気が充満して行く空気に寝そべり満腹し始め、〝何かを追究するには寝不足なんかじゃ到底保(も)たぬ〟と俗に言い捨て徒労に飽き出し、懐(うち)に隠したK(キング)の切札(カード)を無闇に捨て置き俺は個室で仄(ぼ)んやり大の字と成る。
これまで沢山書物を貪り読んで中でも太宰の作には相応ながらに宗教(まよい)の規律(おきて)が散乱せしめて男の苦悩が至極自然に表情(かお)を覗かせ俺を惹いたが、俺の未熟が功を奏して高校までには〝人間(ひと)の労苦が「固室(こしつ)」に在る〟との教訓(おしえ)を授かり怠慢風情が静かに在っても何でも無い程〝人間(ひと)の自由は白紙に小躍(おど)って功を発する…〟等々、未熟に似合った趣味の範囲が活き活きし出して日課と成りつつ、俺の記録を誰宛てにもせず夜にこっそり継続して編み、有頂天にも昇り詰め得る俺に根差した個質(こしつ)は悦び感謝すらして、慢心気味にて独歩(ある)いた路(みち)には俺しか知らない未開の開地が現行(ここ)に根差してすっかり湧き立ち、俺は自然に〝人間(ひと)〟を呈して解け入る術など朝陽を観ながら算段して居た。しかし耄碌して行く齢二十歳(よわいはたち)を越えつつ活き行く人間(ひと)の心身(からだ)は人間(ひと)の常識(かたち)に捕われ始めて白紙の上でも姿勢(かたち)を化(か)え行く夢想(むそう)を呼び込み、〝こんなものだ〟と人間(ひと)に纏わるあらゆる事物を個々を越え行き見定め始めて普通に呼吸(いき)する健康体(けんこうたい)さえ常識(かたち)へ投げ捨て無心を憶え、それから独歩(ある)いた四十年とは何時(いつ)ぞや見知った荒野(あらの)の苦業(くぎょう)に酷似している人間(ひと)の運命(さだめ)と「運命(さだめ)」を持ち出し遠(とお)に過ぎ去る気配の流行(ながれ)は人間(ひと)を呼び出し如何(どう)にも変えて、変らないのは人間(ひと)に根付いた信仰(まよい)の術だと強く嘯き布団を被(かぶ)って寝込んでしまえば明日(あす)の朝には散々嘆いた苦節が既に耄碌して行く人間(ひと)の心身(からだ)を大きく掲げ、堂々巡りの人間(ひと)の生死を未開に放(ほう)って落ち着いている。秋の夜更けに縁側まで行き、薬の入った粗茶を呑みつつ涼風(かぜ)を呼び込み、小さく開いた網戸の向こうに月の明かりが薄ら差し込み虫の発声(こえ)などか細く響き秋の無音を詩にしている。十五夜ほどにも角(かど)の削がれた月華(げっか)は色付き漆黒足るほど深みを装い深海(うみ)の静かを象(かたど)り活(ゆ)くのは秋を始めた無機の仕業(しわざ)に他ならない儘、その内、人間(ひと)から訓(おそ)わる文句の限りが人間(ひと)から流れて愈々青く、未熟に咲き得た昴の輝体(きたい)は意味の無いほど明々(あかあか)燃え活き俺の姿勢(すがた)を小藪へ追い遣る。馬追、飛蝗、螻蛄に蟷螂、露蟲、閻魔と、大きい虫から小さい虫まで所構わず地上に湧き立ち、くるりと返った界隈(うち)の暗空(そら)では、七つに輝く司星(しせい)の使命(いのち)が俺に被さり、蛙(むし)に光を、人間(ひと)に独語(ことば)を、涼風(かぜ)に解け込む固物(こぶつ)の寝息に独特足る発声(こえ)を拾って掴み損ねた情緒に息衝き自然(しぜん)と整調(せいちょう)して行く苦労を賭したが人間(ひと)に根付いた奇跡の軌跡(あと)には自分が拝した生命(いのち)の背後(あと)など露ほど見採れず駄弁を期して、人間(ひと)の在るべき途上に自己(おのれ)が還る定めの模様を詩句(しいく)に残して未開へ入(い)ったが、〝堂々巡り〟に終ぞ見取れる人間(ひと)の「明日(あした)」を捜せず苦労の程度は曽良にも劣らぬ未熟の態(てい)にて、心地が乾く寂(さ)びの響きに姿勢(かたち)を失くして堪能して居た。
古く寂れた本が在る。五百頁に編まれた多大な著書だが、一体全体誰が如何(どう)して、何処(どこ)で何時(いつ)頃編纂され得た代物なのかてんで分らず図太く在って、唯そうした著書であるのに俺に対して妙に絡んで近付いて来て、歴史を問うやら人間(ひと)を問うやら、如何(どう)にかこうにか分けた章には組み木細工が一度に崩れた思想(おもい)の丈など見事に歯車(くるま)を廻して回転して在り、俺の背後にきちんと立たされ睨(ね)め付けるのだ。「章」というのは実はこの本、所々に〝見せ消ち〟程度に人間(ひと)に伝える字面が並んで散乱しており、崩れた字面は頁の上下四隅に解体され得た記号の体(てい)して細く降り立ち自然(しぜん)に在って、自発的にも他発的にも、多動して行く華厳を隠して暴れて在りつつ人間(ひと)の見る目を無理やり剥ぎ取り可笑しく笑い、人間(ひと)の離れぬ刹那の内にて自体を活する単独主義(モノクロリズム)を多く捉えて人間(ひと)の興味に土足で踏み込む。そうした挙動を多様に含めた見取れる程度の古書では在ったがどれだけ古い書物か一向分らず調べを諦め俺は思惑(こころ)の内にて頁を繰り出し字面を追ったが、表紙を捲って目次を見遣ればそこには要を成さない拙い記号が又もやか細く浮き出た切りにて、俺は努めて凝らした両眼を白紙に当てつつ来る日も来る日も回想しながら解読して行き、ふと頭(くび)を擡げて宙(そら)へ向いたら、本の内には全て白紙の頁が在るのを行間伝いにくらくら見知り、今まで労した努力の過程はこの先何時(いつ)頃発起(はっき)され得る企図と成るのか次第に湧き立つ推測(はかり)の内にてほくほくし始め自適に居着き、「明日(あす)」を奏でる今日の徒労(つとめ)は「明日(あす)」に追い遣る嗣業の軌跡(あと)だと酷く静まる個室(へや)の内にて俺の感覚(いしき)は落ち着き始めた。
古書の体(てい)して新書の態(てい)した俺の書物はその後も変らず俺に芽生えて雰囲気(くうき)に気取って真新しく成り、「明日(あす)」へ振り向く活気を呑み込む自活を携え俺の傍(そば)から離れなかった。漱石・鴎外両者を始めに太宰、荷風に芥川、少し還って、清少納言に紫式部、藤原定家(ふじわらていか)に旅人(たびと)に家持、芭蕉を始めに小林一茶に与謝野鉄幹、川端康成、三島由紀夫に寺島修二、北原白秋、正宗白鳥、英国紳士で牧師を務めた斬新作家で売れない作家、夢野久作、与謝野晶子に谷崎、永山、三好達治に小林多喜二、北村透谷、井伏に骸骨、堀口大学、水木しげるにつげ義春、等、旧新(きゅうしん)問わずにずらりと並んだ著名作家に甲乙付け得ず部類も隔てず、これまで生かされ影響され得た数多の作家が俺に根付いた書物の内には活きて自声(じせい)を挙げつつ、俺の思惑(こころ)を具に解(ほぐ)した夜半(よわ)の枕に何時(いつ)しか目立った聡明成るまま奇特な人象(かげ)など独創(こごと)を編みつつ透って佇み、「明日(あす)」を迎える俺の人間(かたち)を如何にかこうにか黄泉へ捨てずに現行(ここ)にて活き得る試算を託け位を保ち、微笑(わら)って在るのが何時(いつ)ぞや自然に適った司法に生き着き昨日を統べ得た。何に対すも「意味」を欲しがり説明伝いに真意を失くし、格好ばかりに体裁取りつつ人間(ひと)の他意など一蹴せしめて緻密を愛し、言葉の端(はし)から執拗(しつこ)く妬んで自声(こえ)を掛けるがそのくせ打たれて折れたら打たれ弱さを時流に押し付け自分は逃げて、責任転嫁を物ともせぬまま上手く生育(そだ)った環境(まわり)に居座る余りに杜撰な微温(ぬる)い暗器が人間(ひと)の覇気さえ馴らして解体して活き、崩れた個性は組み立て行くのに失敗しており発案汲むのに工夫が付かずに次第に湧き立つ怒りが飛び出て感情(こころ)を抑え、元から具わる能力(ちから)の範囲は世間に射(い)なされ歩幅を狭め、落ちた〝目線〟を懇切大事に晴空(そら)へ掲げて過保護に生長(そだ)った現行人(げんこうびと)とは、華やぐ世間にぽんと敷かれた大路(おおじ)を渡って自適に在るが、する事為す事凡俗上がりの低能にて、目立った緩みを具に呈せず呑気にして在り、仄(ぼ)んやりし出した鋭利な放歌(ほうか)は稚拙に濁らず輪郭(かたち)を示されくっきり集まる人渦(じんか)の凄みは渦中に在っても一部に在った。白紙に敷かれた人間(ひと)の多数は人間(ひと)から離れて時流に奪われ、ほろほろ零れた人間(ひと)の情緒は気勢に紛れて人渦(じんか)で活され愛され始めて輪郭(かたち)を失い、〝人間らしさ〟に羽ばたく人間(ひと)には個人は居座る固室(こしつ)を踏み分け叢(むら)に転がる唐変朴など次第に根付いて甘味を保(も)たされ、「明日(あす)」に始まる神秘の宴は人間(ひと)から離れて世情を離れ、立ち振る舞いには男女に配した古来の倣いが人間(ひと)を踏み付け表れていた。
多くの供には供が連れ立ち自然(しぜん)の向こうに何も見ずまま独立・闊歩は多弁に任され遂行せられて、「明日(あす)」の朝陽(ひかり)を何処(どこ)ともなく生肌(きはだ)に感じて微温(ぬる)みを従え、所構わず詩吟に興じて童(わらわ)で居るのは「明日(あす)」を見掛けた機会の在る故、と心許なく淡い寝言を現(うつつ)に従え俺の散歩は続行されたが、坂田を失くした俺の目前(まえ)から男の供等(ともら)は群れを成すまま鎹伝(かすがいづた)いに危うく遠退き、紐で引かれた牛馬の如くに、処女を誘いに赤尻(あかじり)呈して〝得体知れずの人間様を…〟と、孤独に居座る自己を投げ出し藪の内へと這入って行った。女の供等(ともら)もそれまで姿勢(すがた)を見せず隠れて居たのか、何処(どこ)から何時(いつ)から煩悶し出した真っ赤な気性を露わに晒して真向きに佇み、俺を観て居た見識眼では俺を認(みと)める〝価値〟など見出せないまま宙を煽ってくるりと背を向け、先程男の供等(ともら)がこそこそ入(い)った未開の藪へと悠々独歩(ある)いて成長して活き、出会った彼等と一触(いっしょく)程度に交っただけでも男性(おとこ)が欲しがる魅力の仔細を一手に引き受け囲って持つ等、幼女の体(てい)した弱い生娘(おとめ)は〝生娘(おとめ)〟をこまして蛇蝎を欲しがる駄天(だてん)の様(よう)にも追々生育(そだ)って行った。永い人生(みちのり)を終えて漸く手にする文士の華が如何(どう)言う訳だか誰にも知り得ぬ孤独の華(あせ)なら光沢(ひかり)に知り得た自己(おのれ)の〝古郷(こきょう)〟は何処(どこ)まで行っても独人(ひとり)でしかなく、相対(あいたい)し得ない孤独の猛者は自然に対して素通りして行く生体(きたい)と成りつつ独学進歩に表れ出足(いでた)る両刃の学(がく)と変りはしない。〝一端(いっぱし)の小言(ぐち)を吐く以前(まえ)に「自分」を目掛けて精進しろ〟など言う女性(おんな)の独言(ことば)は、通常、有り触れた通識(つうしき)の内から這い出て自己(おのれ)と他者とを混合したまま教育して行く華言(かげん)に在るが、目下、人間(ひと)の生気は独白(ことば)を越え行き自然(しぜん)に息衝く何にも況して自活を欲する倣いに在る為こうした文句は苦言の内にも収まり切れずに膨張して行き、「明日(あす)」を知る為、深い懊悩(なやみ)の底から順々這い出て滑走して行き気が付く頃合定めて〝未熟〟に着替え、人間(ひと)の生死を決定して行く。「記録するのが人間(ひと)に課された文学であり、試行錯誤を手に取り漸く並べた見栄え良いのは識者が並べる遊戯と成りつつ矛盾に走り、目下、相対(あいたい)して行く文士の嗣業は心底(そこ)から這い出る感性のみに至極成り立ち人間(ひと)を呼ぶのは有難、時間が掛かる。」と俺の恩師は思惑(こころ)に叫んで生き得たけれども、世間に横行して生(ゆ)く万(よろず)の古屋(ふるや)は未だ解け得ず自ら懊悩(なやみ)を膨らませて活き人間(ひと)の生活(くらし)を楽にしている。こうした疲労の集まる古郷(こきょう)に呼ばれて俺の生活(くらし)は改築されたが、俺の空想(おもい)は所構わず無根に湧き出て白紙に湧き立ち、新芽の体(てい)して他者に対する孤独を目立たせながらも自己(おのれ)の正義を完遂して行く。人間(ひと)に生れて果して人間(ひと)の〝正義〟を解(かい)して在るのか否かについては甚だ怪しく気勢は殺がれ、〝未熟〟を着せられ地上に降り立ち、褌緩めて何時(いつ)まで経っても人間(ひと)を感じぬ俺の意図には凝縮されない人間(ひと)の思惑(こころ)が散在するうち薄く成り果て、やがては見えない切(きり)と成るのを遠くに投げ捨て掴むのみにて、人間(ひと)の跡など聖書と俺との固物(こぶつ)の連鎖に程好く表れ程好く消え失せ、情(じょう)の無体に程好く降り立つ野生の木に立ち活気と知るのを俺は今まで十分報され静かで在って、人間(ひと)とは常に無謀な賭けだけ大事に取り置き自分の定めに潰えて止まない自活を牛耳り糧とするのを億年以上に吟味(あじ)わい馴らして定めた規律に合せて在る、など口を鳴らして座談して行く人間(ひと)の哀れに俺の感情(こころ)は窮して在った。それ故羽ばたく術さえ忘れた翼は俺の身内(うち)にて覇気を牛耳り至難に在って、何をするにも思案に暮れ活き固体と成るのを俺の酩酊(まよい)は息衝く間も無く無権(むごん)を牛耳り独歩(ある)いて行って、人生(みち)を得るべき仔細の情(じょう)には都会も田舎も見事に忘れた事実が浮んで救助を呼ぶべく、自体を忘れて何処(どこ)か遠くへ独走(はし)って行った。独走(はし)って行くのは脚色(いろ)に塗れた無体であって行方を追えずに呆(ぼ)んやりして在る俺の温床(ねどこ)は何時(いつ)しか生育(そだ)って大部屋とも成り、焦って転んだ昭和のレトロに悶々着飾る有飾(うしょく)の懺悔は微塵に飛び散り倦怠と化し、「明日(あす)」を教えぬ一個の破片が宙(そら)から降り立ち遊戯に眺め、「物創(ものつく)りは狂う姿勢(すがた)に初めて成り立ち人間(ひと)に這入って華を象る。」等、活きを返した老師は立って自分の遺言(ことば)と改め定め、俺の目前(まえ)にて滔々居座る活体(かったい)と成り、俺の委細を見定め静かに成りつつ遠(とお)の以前(むかし)に置き去られていた。「明日(あす)」に咲くのは生命(いのち)を保(も)ち得た人間(ひと)の華だと野草に見立てて呟く真摯は初めて世に立ち成熟して行き早期に実った不敵の様子を仕草に化(か)えつつ自然(じねん)へ解け込み、曲がりなりにも筋の通った摂理を通じて他者を壊した労途(ろうと)の上では、人間(ひと)の翳りを見せ得た大蛇に初めて遇(ぐう)し、損する自己(おのれ)の自活(かて)を知るのが未だに新たな試算であると、未活に徹した詩人の哀れは嘆きを睨(ね)め付け現行(ここ)にて留まる。俺は自分の居場所が供から離れて危うく成るのを揚々知り行く際(きわ)に降り立ち華さえ見据え、「坂田」を被(こうむ)る女神の唖然を自然(しぜん)に据え置き耄碌し始め自体を葬り、他人(ひと)に知られぬ幼稚な末路を散々独歩(ある)いて闊達を知り、滔々離れた孤踏(ことう)を踏むのを得手とも出来得た未熟な小志(しょうし)を物にしたのだ。である故、自然(しぜん)に昇った太陽等には夕日の表情(かお)した朝陽が降り立ち、薄い化粧に華(あせ)を拭き取る仕草も咲かずに真っ向から向き大きく成り果て、俺から供へと、供から女性(おんな)へ、有難が衒う新たな闊歩を淀んだ空気に宙(そら)を観甚だ願い、如何(どう)してこうして、嗣業を貪る哀れな「仕種」は古郷に燃え立つ自活を欲しがる透った末路は人間(ひと)の目前(まえ)にて沈黙して在る。「古郷」の晴空(そら)には宙(そら)が拡がり人間(ひと)をも呑み込み、自然(しぜん)に徹した経過(ながれ)の内にて動植物さえ軽く遊泳(およ)いだ言動(うごき)の後にて透って成り立ち程好く静まり、白紙に描(か)き得た俺の孤独は懊悩(なやみ)を宙へと預けて留まり、留まる自然(しぜん)に自分の姿勢(すがた)を「変」に応じて闊達させ行く両刃の思念を上手く空転(ころ)がし楽としている。「描くべきものなど山に在っても海に在っても、宙に在っても土に在っても、花に在っても川に在っても、落ち行く字面は根拠を知りつつ誰にも言わず、誰と誰とが噂をしてても歯車さえ無い華(あせ)の内にて解体され活き無根と成るのは自然の理(り)にある…」等、何処(どこ)かで聞いた台詞の三行(ライン)が宙を独走(はし)って蛻と成り果て、世間に横行(はし)った独語の連呼は宙に挙がって人間(ひと)を決め付け押えて行って、男女は共々顔を見合わせ戯言(ことば)を並べ夜毎に貪る惰性の連呼に甚だ鼓舞され身を寄せ衰退せられて、人間(ひと)の一部に大きな打撃を与える団の派閥に大きく闊歩(はし)る蛇蝎と成るのを喜び勇んで努めて行った。活き活きし出した供の発動(うごき)は宙(ちゅう)を越え活き俺をも越えて、何処(どこ)へ行くのか知り得ぬ内にて自体が立ち得た孤独の末路を哀れと見棄てて渇水して活き、水と成るなら全ての物を当面蓄え欲して止まずに、唯々、異性の内実(ちから)に埋れて甘える喜楽の遊戯に理性を携え即効して行く性の病を事毎採り果て自分の空虚を準じて埋め行く未解の人間(ひと)へと成り果てていた。成立され得た優雅な未開人(ひと)には如何(どう)言う訳だか他者から教わるあらゆる文化が全て自己(おのれ)に持ち得た拙い精神(こころ)に交錯して行く新たなイデアは既成と成り終え、何事にも自分の主張を未熟に曲げない脆い姿勢(すがた)が宙へ浮んで知る所と成り、脆(よわ)い意志には華(はな)さえ咲かず、「明日(あす)」を見限る勝手な努力は衰退して行く人間(ひと)の姿勢(すがた)が酷く成り立ち亡命して行く脆(よわ)い限度(かぎり)が、恰も自然に在って儚いものだと自然(じねん)の内にて解(かい)され始めた。優柔不断が功を奏して世間を独歩(ある)く独自の個室をそのまま現し天と地とさえ自己(おのれ)の許容に深く刻んで動こうとはせず、到底満たない自己(おのれ)の囲いを難無く保(も)ち活き行く姿勢(すがた)は現在(いま)に根付いた若者文化の粗行(そこう)を拵え文化と成り果て、大人も小人(こども)も遠(とお)に渡った戦後のレトロを難無く宙(そら)へと放り投げつつ喜楽を抱え、楽をするのに便利な手段を決して逃がしはしないと固く誓って生きて行くのは人間(ひと)の自然(しぜん)に殊の外無く賢く咲き得た人間(ひと)を擁する歴史の一(いち)だと、誰も彼もが首肯しながら一々積み上げられ行く自然(しぜん)の段へと上(のぼ)って行った。上って行くのは決って夜にて、誰も彼もが深い夢想(ゆめ)を見、夜風が涼しく浪漫が咲き得る環境(まわり)の清閑(しずか)が長閑に物言い個人の才気を延ばして行くので、個人(ひと)は他人(ひと)をも自分の領土へ垂らし込め得る密かな家計(かけい)を個室の内より手足を延ばし、延命出来得る自己(おのれ)の在り処を誰よりはっきり見て取れるとする為、全てが明るい昼の最中(さなか)を不意に選ばず必ずそうした夜を選んで独走(はし)って行くのは歴史の上でも明るく見えて、誰もが認(みと)める人間(ひと)の気質に適してあるのだ。女性(おんな)がこうした試算を拡げる段にてそれ程男性(おとこ)に認められ得ず女性(おんな)の園へと逃げて行くのは、奇麗に咲き得た女の華には男を惑わす内実(ちから)が寄り着き、星が煌めく四季の夜でも、何にも保(も)てない男性(おとこ)の未熟が誇る故にて明らかと成り、他者を寄せない苦しい破門は何処(どこ)へ行っても硝子内にて透った私財を好く好く現す幼い女性(おんな)の苦力(くりょく)に相応足るまま余程に現れ、観客(ひと)に対して実力(ちから)を保(たも)たせ丈夫に立たせる女性(おんな)の試算が程好く跳ね活(ゆ)く糧を知るのは男も女も自然も摂理も、何もが認(みと)める人間(ひと)の自在にはっきり在った。「白」と言えば「黒」と成り行く人間(ひと)の自在がひらひら舞うのは「明日(あす)」に跨いだ昨日の余韻が震えを起して逝くからであり、過去に根付いた人間(ひと)の記憶は錚々たるうち自分の私財を投げ売り乞食と成り果て、物乞いだてらに延命(いのち)を乞うた細い並木にほとほと疲れて玉体(ぎょくたい)と化し、主(ぬし)にも他人(ひと)にも他に気取れぬ哀れな弱気を仔細に絆され打ち解け始め、人間(ひと)の躰は空気に満たない淡い夢想に己の四季さえ哀れに感じて何処(どこ)を行けども誰にも止まれぬ脆(もろ)い試算を講じて在るのだ。現行(いま)を活き行く、しどろもどろに弱気と化し得た哀れな男女は、互いに総身を偽り弱気を写した分身(からだ)を保(も)ち活きこの世を渡り、四季を越えても人間(ひと)の感情(おもい)に道標(しるべ)を見付けて横行し始め、自分に課された天より象るGift(ギフト)の質さえ各自に講じて弱音を吐かず、独歩(ある)いて行くのは現行(いま)を象る個人(ひと)への狭筵(むしろ)の上にて、何処(どこ)へ行くにもそうした個室は各自を擁して逃がしてくれ得ず、個室は固室(こしつ)と化(か)わって人間(ひと)の流行(ながれ)を具に見て取り絆を断ち切り、絆を観るのは各自の固室の内にて信頼するまま夢想に夢見る寒い活気に見取られて居る。故に男女は互いに互いを各自と見做して固室へ這入れず、這入れぬ内にて悶々し出した熱い吐息は身内に溜まって温存され活き、如何(どう)する間も無く、人間(ひと)を信じる努力を棄(な)げれば何処(どこ)へ行っても何処(どこ)まで行っても自己(おのれ)の居座る現行(いま)に誇った台座の上では実力(ちから)が無いまま脆(よわ)く成り果て、〝電子の許容〟に譬えこの身が解(と)け活きこの身が成っても、自体(からだ)を束ねる自分の在り処がはっきりせぬ為、補足とするのに輝く財さえ保(も)てぬ為にて、自己(おのれ)の延命(いのち)は想像以上に羽ばたかないのを予測の内にて自然に見て取り、確たる自分を取り留めないのは仕方が無いとも遂には出来得ず、未熟に勇んだ猛気を従え余程に並んだ他人(ひと)の渦(なか)へと闊歩(ある)いて行くのだ。闊歩(ある)いて行くのは〝白紙〟を囲った盲者(もうじゃ)の内にて他人(ひと)は自然に自己(おのれ)を美化して在る事無い事唾棄の仕種に烈しく並べ、ビロード色した人間(ひと)の快感(オルガ)は個人にとっても余程に奇麗な落葉(おちば)を想わせ腑抜けて活きつつ、人間(ひと)と自然が神秘に巻かれて確立して在り、離れて居れない深い難儀にどれほど周旋され得た習いが在るのか少し考え無関を採りつつ、人間(ひと)の昼間は夜中(よる)より長い愚かな行為ばかりが余程に飛び活き人間(ひと)と神秘を繋げる愚昧を採るのが暫く人間(ひと)と夜とに与えられ得た固い真実なのだと、誰もが開口しながら昼を倣った。
俺は暫くそうした「自然」に相槌打って〝遠い土地など旅して見よう〟と自然に従い自然に捕われ自然を従え決心して居り、供から離れて供を蔑み、坂田を離れて女性(おんな)を卑下して徒党を組み終え、泥濘(ぬかる)み始めた自前の文句を小手先(さき)へ並べて、えっちらおっちら何処(どこ)まで行くのか、行ける場所までこの手を拡げて発達しようと鷹揚足るまま抜き足差し足自然に向って独歩(ある)いて行った。「徒党」を組むのは久し振りにて、それまで十年間は想う事あり動いて居らず、〝自分の為に〟と勇んだ両手で古めかしい白紙を取り置きこれを供とし徒党を組み得た十年前とは何ら変らず現行(いま)にも立ち活き、詰り詰りと、すらすら独走(はし)った筆の先には自分の身内が増える様(よう)にて頗る俺の気分は明朗快活、打ち身を知らない寵児に在った。俺と定めを同じにされ得た〝白紙〟と白紙に拡がる〝無想の華(はな)〟とはそれから暫く自然が呈するあらゆる流行(ながれ)を我が身に取り込み吸収して活き、自活を費やす両刃の習癖(ドグマ)を始終拡げて馴らして在ったが、次第に暮れ行く人間(ひと)の世を観て又々危うい梯子を気にして喜楽を欲しがり、人間(ひと)が活き行く初歩(いろは)を牛耳る煩悩(なやみ)の火種が俺が向かった白紙の外方(そと)から空々(からから)廻って跳び撥ねながら、真摯を偽る俺の麓へ返って来て居て、これ又旧来(むかし)に遊んだ相棒とも成る俺の〝習い〟に愛想好いまま程好く解け入り色付き始め、目にも情(じょう)にも人間(ひと)にも程好く慣れ行く知識の実(み)と成り成長した為、俺の生気は単色主義(モノクロリズム)を当面象る白紙を取り置き独人(ひとり)とした後俺の心身(からだ)をふわりと浮かせて呑気に在った。自然と自活が勝ち合うのを避け、俺の純情(こころ)は自然に独歩(ある)いて自適で在ったが、矢張り頗る調子を損なわないまま故障を知らない正義を象る自然の表情(かお)には俺を窘め始める活力(ちから)が生れて囲いを身に付け、明日(あす)とも言われずその後を活き抜く俺の余力に臨時に付き合う内実(ちから)を見る際、そうした〝鞣し〟は酷く邪魔にて頗る邪悪な気分を俺に舐めさせ、「象る」だけにて自体を示さぬ人間(ひと)の正義は果して現行(ここ)にて何処(どこ)に在るのか、俺の思情(こころ)は澄まされ得た儘「自然」に組みする清閑(しずか)を採った。
現行(ここ)の内にて発想乏しく、何か刺激に誤魔化さないと目立った純情(こころ)を記(き)せない俺にはそれから間も無くせぬうち経過が慌て、〝自律神経失調症〟にて淡く浮んだ懊悩(なやみ)を手にして呆(ぼ)んやり佇む無動に向かって〝自我〟を眺め、他人の渦中(うち)にて居座るのを避け喋るのを避け語るのを避け、私壇(だん)に置かれた更新され行く天より降(ふ)り得た新たな経験(かたち)を、俺の純情(おもい)は象っていた。又、現行(ここ)にて新たな「刺激」に不意と気が寄り目にした「小説家の苦労」を焦って駆け寄り仄(ぼ)んやり眺める気泡の内には、俺が生れた瞬間(とき)から同時に生れたもう一人の俺の姿勢(すがた)が十分居座り明朗(ほがら)に在って、多くの現行(ここ)での気色と景色を掴み損ねる間も無く一途(いっと)に放(ほう)った泡(あぶく)の形成(かたち)は軟さを凌いで丈夫に立ち活き、俺の生活(くらし)に見得ずに佇み「明日(あす)」の苦労を洗って行った。洗って行かれた「苦労」の形成(かたち)は各自に宿った新芽を貪り従順(すなお)に鳴いて、他人(ひと)を寄せ得ぬ苦労の果てさえ華やぐものへと化(か)え活き微笑(わら)って在って、到底知らない夕日の背中に俺が吊るされ観られて行くのは何者にも無い自然の生気と俺の感覚(いしき)は捉えてあった。何者にも無い個室の内にて全てを表す無敵の労苦は叔母でも叔父でも父でも母でも割れる事無く丈夫に居座り生育(そだ)って在って、他の個室(へや)から、又連携され得た個室の内からどんな空論(ことば)を掛けられようとも自分に課された才質の衒いを放棄し得ない使徒の独歩(あゆみ)を大事としたまま嗣業に有り付き、勝手を馴らした俺の生気は仕事を見付けて独り独歩(ある)いて天まで続いた現行(いま)の上にて自活を従え独創(こごと)を統べ行く貴重な努力に唯々準じ、芳香して行く生活(くらし)の臭(にお)いに絆されないまま危うい努力を続けて在った。「日本の歴史」に多くを語った学者であっても文士であっても、俺の内では各自が縫合され得て団塊(かたまり)と成り、白銀(ぎん)に輝く漆の上では、知性に満たない識者が飛び跳ね遊回(ゆうかい)して行く平面図にのみ立脚したまま地団駄踏んで、詮無い虚無に散々落ち得た我楽(がらく)の若輩(やから)が、如何(どう)してこうして非難するのは余程に落ち着き無駄ともなって、人間(ひと)に咲き得た虚構の社(やしろ)を如何(どう)にかこうにか拵え行くのは歴(れっき)に立ち得た自体の成果と俺の純情(こころ)は固く頷きとぼとぼとぼとぼ、誰にも知られぬ〝深い〟個室(へや)へと忍び足にて独歩(ある)いて在った。少し間を置き俺の心身(からだ)は他人(ひと)の目前(まえ)にて愈々苦しく失神し始め、陶酔して行く悪い気質に音頭を忘れて冷たく成り活き、他人(ひと)の目前(まえ)では人間(ひと)好きながらに思う処が言えなく成りつつ恐怖に染められ、他人(ひと)の口言(はなし)が短いながらに悍ましい程長く聞えて震えが止まらず、悔やみ始める両脚(あし)の力は上肢と頭を支える迄には少々届かず悔恨に在り、俺の病は治癒を知らない無間奈落(むけんならく)の狭い社(やしろ)に当々(とうとう)落ち得た緊(かた)い想いに止まって在った。そうした俺の病魔はそれより自体を畳んで思惑(こころ)の内へとすんなり解け入り澄まして在って、俺の自活は大層静かな固室(こしつ)に在っても束の間病魔を象る経過を辿れば忠実足るまま家来の表情(かお)して俺へと近寄り、〝緊張〟教えて心身(からだ)も分身(からだ)も一つに束ねて固めて悩ませ、他人の目前(まえ)でも渦の中でも自分の目前(まえ)でも、遂に目立って変り映え無い特色等には一切気付けず俺の心身(からだ)は「明日(あす)」を見据えて言動(うご)いてあった。秋に降(ふ)り止む肌寒(はだざむ)の気候は凍って居座る冬気(とうき)に変って人間(ひと)へと流行(なが)れ、俺にも供にも同なじ表情(かお)した冬気であるのに悪癖(くせ)を憶えた俺の肢体(からだ)は一向経っても安気(やすき)を定めず不安に有り付き、他人の分身(からだ)が遠くに浮んだ蜃気(しんき)を睨(ね)め付け必要以上に力む姿勢(すがた)は俺に対して、転倒するのに恥を見て採る下世話な人間(ひと)の悪癖(くせ)の内にて長らく培い合せた俺の迷盲(まよい)が起した愚行(おろか)であると静々宣い、ふっと消え行く人間(ひと)の熱気(オーラ)を奇麗に睨(ね)め付け又もや行き着く人間(ひと)の渦中(かちゅう)へ俺の分身(からだ)を誘引していた。我儘本意に夜空を見上げ、供と別れた後にて敢えて独人(ひとり)を選んだ俺には如何(どう)言う訳だか孤独が訪れ、後にも先にも滔々静かな流行(はやり)が現れ、見下げた土には華(あせ)が光った。星にも成れない華(あせ)の雫は瞬く間のうち人間(ひと)から離れて郷(さと)へと還り、掴み損ねた人渦(じんか)の模様を一切忘れて凡庸に活き、どうせ冴えない見当尽くしに翳りを知らない人間(ひと)の用途が仄かに浮んで呑気に居座る。居座り続けた俺の胡坐は〝呑気〟を労い自分の幸(こう)まで棚上げしたまま日本国土を隈なく巡り、空想(そら)に根付いた不断の感覚(いしき)は滔々流行(なが)れる世の最果てまで行き自分の徒労を努力と据え置き自分の個室(へや)では成果と化(か)えた。白銀(ぎん)に輝く夜空の星には浜砂みたいに細かく照輝(てか)った粒子が立ち活き頃合い定めた危うい初春(はる)にて俺の空想(そら)へとふっと這入ってそのまま開化するのを待ってたようだ。俺の心身(からだ)は供から離れて彼女を離れ、人間(ひと)から離れて世間へ降り立ち、独り淋しい過疎の場所へと足を忍ばせ這入って行った。暗雲(くも)が流れて暗空(そら)が見え出し、俺の空想(そら)には幅の利かない星光(ひかり)が芽生えて夜路(よみち)を照らし、現行(ここ)に舞い散る歴史の誇りが散々唄って俺を誘引したあと既に見知った物語など仄かに示唆して自分は陰にてすっと微睡む。生れた頃から立太子(りったいし)と成り安泰極まる家門(かもん)に根付いた安徳旅人(あんとくたびと)を手厚く祭った壇の上にて俺の心身(からだ)は何時(いつ)しか留まり、制定され行く小さな祭を小さな人手(ひとで)で総覧せしめた神秘の宮には如何(どう)してこうして人間(ひと)に懐いた雅楽の温(ぬく)みが今でもはっきり残って在りつつ俺の精神(こころ)へ浸透して行き、果ての知れない未熟な温度は舞台に降り立ち地上と壇とを分らなくした。小泉八雲に以前(さき)に倣った人間模様が手の平返して俺へと向かい、坊主が微睡む経(きょう)を読み上げ俺の心身(からだ)は益々堅固に生育(そだ)って在って冷風(かぜ)に阿る夢想(ゆめ)の姿勢(すがた)に自分の表情(かお)など微動だにせぬ〝単色御殿(モノクロごてん)〟が追随して行き大手を振りつつ蠢いていて、独りじゃ読めない夢想の形成(かたち)が次第に仕上がる古風の内にて空っぽだった。
俺の躰は着物を着てたか否かを見取れぬ程度に涼しく胸元(むね)など肌蹴て在って、見取れる程度に露出され得た普段着等には全く知らない温(ぬく)みが生じて模様を違(たが)え、それでも平気に独歩(ある)いて行くのは夢想(ゆめ)の内にて何かの腕力(ちから)に押された為にて俺の精神(こころ)は一切開(ひら)かず、俺は滔々流れる経過に寄り添い自分の夢路を決定していた。夕日が橙色にてレトロを醸した茜の内では俺が独歩(ある)いた一本道など小さく切り断つ丘の上にて真っ直ぐ延び行き、俺の歩速(ほそく)は一向濁らず真っ直ぐ歩んで阿弥陀を呈した赤間(あかま)の舞台へ直進させ行く。茜が暗雲(くも)に隠れて次第に暈(ぼや)ける黄昏時にて、人間(ひと)の影など具に見取れぬ真っ赤であるのに道の上にて不意に気を遣り見上げた向こうに、着物の色など自在に化(か)える老躯(ろうく)の姿が仄(ぼ)んやり佇み俺の知覚も次第に目覚めて人躯(じんく)の姿勢(すがた)にぽっそり頷け、子供が遊んだ泥濘など避け真っ直ぐ向かった互いの姿勢(すがた)に薄ら留まる茜の脚色(いろ)とは先代未聞(せんだいみもん)の独気(オーラ)が佇み図繰(ずんぐ)り育ち、固物(こぶつ)の陰にて笑える新生(いのち)が幾ら在っても微動だにせず二人の吐息は一本道(みち)の上にて真向きに在った。真向きに捉えた老躯(ろうく)の姿勢(すがた)は着物の脚色(いろ)さえ落ち着かないまま以前に見知った柳田国男の微細な志気などぽつんと残して優雅に有り付き、颯爽足る内ゆっくり歩いた老躯の姿勢(すがた)は悠々足るまま夢路(みち)に沿いつつ、俺の傍(そば)から冷たく流行(なが)れる風に従い次第に離れる気楼と成り得た。俺の興味は冷風(かぜ)に屈して体温(ぬくみ)を欲しがり老躯からでも〝温(ぬく)み〟と成るなら何でも欲しいと躍起に猛って地団駄踏みつつ慌てて在って、老躯が示した言動(うごき)の仔細に自分の言動(うごき)を重ねて当て嵌め静かに唸った孤児を顧み、老爺の風気(ふうき)をここぞとばかりに省み打った老躯の無体に俺の感覚(いしき)は間誤々々しながら夢路を泳いで心身(からだ)を任せ、やがて冴えない結路(けつろ)と成ってもそうした成果は努々消えずに麓に残ると、感覚(いしき)を掲げた真っ赤な空想(そら)の下(もと)にて決断していた。涼風(かぜ)が流行(なが)れた二人の内には二人を離した緩みの程度が真横に横たえ矛盾を介さず、老躯は老爺へ、俺は俺にて、不純に富み活(ゆ)く苦渋の試算に悶取(もんど)り打ちつつ器を呈した環境(まわり)を拵え漸く居座り、海原(うみ)を渡った真っ赤な顔には幾つに日焼けた斑点等さえ上手に仕上がり寝た儘在って、老爺は何処(いずこ)へ、俺は課された使命を帯びつつ旧い社(やしろ)へ、どんどん離れる互いの距離にて孤独を宛がい自己(おのれ)の帰路には二度と狂わぬ柵を散じた。俺の行方は旧い社(やしろ)に程好く咲き得た蓮の葉程度の狭い筵に吸い込まれて行き、雨が降(お)りても雪が降りても風が吹いても地震が来ても、魚籠ともせぬ程大きい支柱はそうした筵を程好く囲って悠然と在り、静まる境内(うち)には琵琶を装う桔梗の木等が赤く輝(ひか)って淋しく先立ち、夢想(ゆめ)に居座る俺の胡坐は如何(どう)で在ってもこうした静かな音色(ねいろ)に孤独を観るのが努めと成った。現(うつつ)ながらに俺の躰は外界(そと)から持ち得た洋服等を気儘に着熟(きこな)し自適であって、楽器も無いのに遠くで聞えた楽器の音など無音に在っても険しく聴き分け識別して居り、ピアノの音でも弦の音でも吹奏音でも軒並み外れた無意味な無音(おと)でも可笑しな位に美化して聴き分け無為に有り付き、音を欲した華奢な躰は暗に隠れて人間(ひと)を聞き分け場所を嗅ぎ分け、無体と成り得た俺の優雅は機微を捉えて小脇に抱えた自然の寝息を辿って行った。そこの寺には和尚も居らずに小僧も居らず、化物風情がのほほん顔して這入って来るのを切に企図する「自然」が横たえ俺を体温(ぬくみ)に観て居るようで、自然へ従い抗わずに在る俺の期待は誰にも知れずに古い社(やしろ)へ這入った様(さま)にて不順(ふじゅん)を呈さず、過敏に成長(そだ)った俺の感覚(いしき)は邸内(ていない)見廻し独人(ひとり)に落ち着き、〝餅を突くのも興じて冷めぬ〟と縁側(にわ)など眺めて無欲に在った。
和尚が無いのに静々迫った足音が在り、俺が居座り不動に落ち着く仏間の内には静かな微音が俄かに響いて継続して活き、先程まで観た縁側(にわ)の景色は暗(やみ)に染まって薄ら崩れ自分に迫った無色の気色に翻弄され行き観えなく成り果て、遂には歯牙(しが)無い好々爺にさえ想いを馳せ行く三下奴の無様を装い俺の不憫は哀れに飛んでか細く成った。人間(ひと)が無いのに俺が居座る隣の部屋では明かりが灯って冷気が綻び、〝ぎしぎし…〟呻いた無音の姿勢(すがた)にすっかり馴染んだ邸の内には俺に纏わる霊が現れ魅惑を携え、邸を支える焦げ茶の支柱は年季を灯して私壇(しだん)に身構え冷気を逃がさず立脚して在り、それと同時に大きく黄色く暗空(そら)に掛った日の光を自身に含めて膨張して行き俺の自然(まわり)を幾重(いくじゅう)にも這う蜘蛛の結界(いと)にて縫合していた。隣室(となり)の灯りに馴染んだ頃にて俺の目前(まえ)には人気(ひとけ)が無いままにゅっと両手が闇より突き出て呪文を言いつつ、そうした両手は鬼火に詠った僧侶に見立てて俺へ対する謎を問い掛け不動に在って、正座して居た俺の躰をあっと言う間に呪文を書き終え見事に仕上げた奇妙な無体(からだ)を自在に操り調子に乗りつつ、俺は何時(いつ)しか夜に置かれた御伽噺へ埋没せられてその気にさせられ、遠く離れた現実等には一向経っても還れぬ姿勢(すがた)を噛まされていた。俺がうとうと微睡む部屋の隅にて闇が佇み明るくなって、膨張して行く四隅の支柱は育って行くのに俺の周辺(あたり)を冷たく諭して「自在」の在り処を明るくしたまま自分は仕事を十分追いつつ現行(ここ)へと届き、泡(あぶく)に浮んだ八つの夢想(ゆめ)など頻りに噛(しが)んで俺の労途(ろうと)の暁とした。闇の内より矢張り出て来た武士の肢体(すがた)は長らく旅した草臥れ果て得た仔細な躰を十分延ばして大きく成りつつ、古びた鎧を着て居て〝襤褸は着てても頭首(かしら)は陽炎(かげろう)〟と言った具合に仄(ほ)んのり小さく奇麗に纏まる死霊の異形は人間(ひと)の身内(うち)にて主張を象る堂々巡りの不問に落ち着き不動に在って、死霊の姿勢(すがた)は俺に跳び付く初動を押えてめらめら揺れつつ足踏みしたまま俺の恐怖を呑み込んでいた。俺の感覚(いしき)は〝めらめら〟燃え立つ死霊の覚悟に程好く翻弄され得て次第に温もる今日(きょう)を追いつつ奇麗に並べた煩悩(なやみ)の種など見透かしていたが、死霊の気配が隣室(となり)で起った炎の先にてほろと棚引く夢幻(むげん)を伝(おし)えて地に足付かず、自分の居場所を程好く講じる人間(ひと)の体温(ぬくみ)に懐かしさを観、慌てて消し得た自分の〝覚悟〟は死霊を跳び越え有限奈落、丁度傅き終えつつ羽ばたき始めた夜半(よわ)の月など心に捉えて放さなかった。死霊の吐息はひたひた近付き何処(どこ)へ行くのか、在り処の知らない燈火(あかり)を目掛けて精進して居り、自分の生き血が羽(は)ためかないのを夜半(よわ)の月にて影と成り得た〝奈落〟の部分に然(しか)と見定め白紙に咲き行く自分の分業(ノルマ)を如何(どう)して知るのか把握したまま自分に課された一本道(いっぽんどう)など丈夫に独歩(ある)いて立身して在り、俺の恐怖に対峙して在り徒労に落ち着き、果てを知らない一つの物語(はなし)の種など、無心に欲する温(ぬく)い視線に自己(おのれ)を取り込め然(しか)と見守る自分の行方を捜して在った。俺の肢体(からだ)は和尚に描(か)かれた呪文に従い小さく居座る物と成ったが、仏間に在るのは四隅に浮んだ闇の内実(ちから)と奇麗に並べられ得た煩悩(なやみ)の頭数(かず)にて闇は闇にて揺ら揺ら揺らめき軟いで在って、夜半(よわ)が傾き明るく成るのを外界(そと)の景色に薄ら観たまま自分の姿勢に緩々微睡み囲いを付け得た人間(ひと)の姿勢(すがた)を大きく掴んで小さく綻び、俗世に生れた人間(ひと)の限界(かぎり)を堂々巡りに執着させ行く執拗(しつこ)い魔の手が秘擦(ひっそ)り浮んで観えなく成り果て、人間(ひと)の生死に自分の内実(ちから)を見定め得るのを俺は両手に掴んで動こうとはせず、死霊の息吹は生霊態度にほっそり立ち活き自分の感覚(いしき)に羽ばたき得るのを気配に捉えて空々(からから)立ち活き無言に落ち着き、何処(どこ)でも諳(そら)んだ人間(ひと)の生死に生霊程度の温(ぬく)みが生じて小言を言うのは一向経っても人間(ひと)の流行(ながれ)に準じて在るとの感覚(いしき)を承けつつ俺の両手は大きく膨れて死霊の言動(うごき)に機敏と成り得た。成り得たからには人間(ひと)の形成(かたち)が仏間に在っても外界(そと)に在っても堂々巡りに執着して行く人間(ひと)の悪癖(くせ)には見栄えが変らず、死霊が立ち活く場所というのは俺の目前(まえ)にて周囲(まわり)の場所にて一向変らず一線付されて時空を超え行く浮遊に懐いて丈夫と化すのは人間(ひと)の思惑(こころ)に自然を捉えて固物(こぶつ)と成り行き、準じて俺の感覚(いしき)に不動に在るのは何処(どこ)へ行っても一向不変に生じて止まない人間(ひと)への始動と相違無かった。
死霊が徘徊(ある)いて浮遊する間(ま)に俺の傍(よこ)から頭上(うえ)から床下(した)から背後(あと)から静かに叫んだ言葉が在って、俺に対して執着(しつこ)く言うのは「壇ノ浦に観た花の散るのを遊覧せしめて有情(うじょう)を装い、追悼とも成る静かな音色(ねいろ)を天井(そら)に掲げた精神(こころ)の内にて、没我に徹した勇士の私闘を心行くまで聴かせる最中(さなか)に私の生霊(ぬくみ)を拭って欲しい…」等との嘆願にも似た哀れを装う内実であり、俺の良心(こころ)を酷く呼び込む静かな嘆願(ねがい)は仏間にほっそり灯った二者の契りを脆くも絆した熱情である。そうして今度は俺の周辺(あたり)に堅く居座り酒など呑みつつ気楽に在って、楽であるのを上手に採りつつ肢体(からだ)を拡げ、俺が琵琶を弾くのを期待しながら仄かに赤らみ胡坐など掻く。弾け、と言われて期待されても俺の躰は呪文を塗られて緊(かた)く成りつつ、持って在るのは空気の塊(かい)にて楽器など無く、今から捜して徘徊(ある)いて行くのは首を刈られに出向いて在るのと何ら変らず不安が懐き、僧侶の体(てい)して静まり返った俺の口には何も言葉が浮んで来ぬうち経過(じかん)が流行(なが)れて緩々棚引く隣室(となり)の灯(あかり)が自棄(やけ)に気忙(きぜわ)に盛っているのが遠目からでも従順(すなお)に見えた。しかし死霊は胡坐を掻きつつ当ても無いのに〝勝利の美酒〟などがぶがぶ呑む儘肢体(からだ)を起して動こうとはせず、春夏秋冬(きせつ)が知識顔(ちしきがお)して遊覧して行く廃家(はいか)の縁側(にわ)から仏間を透って衰退するのが興味を呼ぶのかさっと笑って其方(そちら)を観始め、俺の気配(かたち)を右目に捉えてもう片方では、四季(しき)の移りが如何(いか)に脆くて貴(とうと)いものかと鳴き出しながらに苦渋を噛み得た大人の表情(かお)して泥濘(ぬかる)んでいた。時が経つのも不意と忘れて天井(そら)を睨(ね)めれば俺の肢体(からだ)は宙へ浮んで柔らに在って、何でも吸収して行く細い感覚(いしき)を宙(そら)へ返して道具と成りつつ、到底適わぬ死霊の息吹に衰退して行く季節の至純(しじゅん)を下手(したで)に採り活き自分の狭筵(むしろ)を拡げて行った。拡げられ得た筵の脚色(いろ)とは青みが勝った紫と成り死霊の肢体(からだ)を覆い取られて離そうとはせず、死霊は死霊で自分に得られた見事な脚色(いろ)など春夏秋冬(きせつ)と同じく上手に採り行き観賞して活き、俺と結託され得た仏間の独気(オーラ)に寸と洩れない稚体(ちたい)を掲げて呪いを吐かない置物等へと変って行った。仏間に居着いた俺の目前(まえ)には大きく掛った掛け軸など在り、間取りに注意し好(よ)く好(よ)く観遣れば他に置かれた置物等から遥かに大きな対象とも成り目立って在って、墨で書かれた太字の書写には何やら分らぬ内容(うち)が飛び交い確立して在り、そうした墨字の末尾から延び本紙の下には、下地(したじ)の余りに食み出る程度に今度は細字で和尚の名が在りこれは細字(さいじ)の調う内にてはっきり読め得て和尚の名と知り、俺の感覚(いしき)は連々(つらつら)連なる奈落の懸橋(はし)など上手く渡って順応して行き、生粋から成る視界の下(もと)には和尚の気配が佇み始めた。和尚の姿は未だ見えず内にて、和尚の姿勢(すがた)は俗世に活き得る幾人もの生命(いのち)の気配を連れ込み始めて合調(ごうちょう)して行き、奇麗に整う一声(いっせい)等には美声は座った剛直にも似た俗世の一念(おもい)が仄かに微かに、涼風(かぜ)が吹き遣る仏間の内にも両足(あし)を緊(かた)めて立脚して在る。灯(あかり)が仄かな脚色(いろ)して隣室(となり)から出て奇麗に妬んだ俗世の喜楽を立派に立たせて品評して活き、俺の麓へ還る頃には、薄汚れていた慧眼(ひとみ)の奥から涙が流れて輝体(きたい)を萎ませ、独気(オーラ)に居座る六角形とは、俺から離れて萎んだ輝体(きたい)を自由に飛ばして仏間を過り、衰退して行く季節へ目掛けて猛突進する人間(ひと)の愚行を程好く目立たせ素行(すぎょう)を呼び込み到底吟味し得ずに据え置かれていた夜毎の煩悩(なやみ)の火種に任せて眠って行った。白紙を胸中(むね)へと鎮めた俺から遠(とお)に夢見た詩吟の色葉(いろは)が多様に分れて自活に有り付き闇へと入(い)って、死霊が寝そべる運河の果てから自己を顧み哀れを覚えて可笑しく笑い、俗世を隔てた古びた仏間(かこい)を終の棲家と潔く決め、死霊と一緒に生(せい)の源(もと)まで果てる勇気を漸くせしめて天井見上げ蜘蛛の巣を取り、行く行く見上げた奇麗な夜空(そら)から宙(そら)に浮んだ自分の定めを自力で決め得た殊勝な悦など手中に収めてほっこり笑う生(せい)の姿勢(すがた)は何者にも無く神秘であった。俗世の煩悩(なやみ)に果して色付く殊勝な猛火は自己(おのれ)に算段して行き人間(ひと)の試算に試案を重ねて熟考せしめ、活きる楽への効果を貪り凡庸鳴るうち人間(ひと)の生死はそうした喜楽に溢(あぶ)れた者から視準(しじゅん)が灯って一線を敷き、二つに分れた優劣伏し得る嗣業の成果は俗世に華咲(はなさ)き一向止まれぬ人間(ひと)の経過に明々染まって丈夫と成り着き人間(ひと)を見定め、集中して行く人間(ひと)の悦楽(オルガ)は何者にも無く俺から離れた巨体に落ち着き自体(おのれ)の菁莪に主(あるじ)の帰還を心行くまで期待しながら天に隠れて地に伏す躰に自分の死を観て堪能して居た。俺の思惑(こころ)は汚(けが)れを嫌って聖地へ向かい、神から離れて煩悩(なやみ)を見詰めて徒労を為し活き、汚れぬ為には如何(どう)するべきかを決意に迷って徘徊して行き、自己(おのれ)の固室(こしつ)を更に固めて堅固を極め、自分の救いに明け暮れて居た。
木の葉が舞い散る淋しい冬には何処(どこ)へ行けども悪寒を従え歩速(ほそく)を遅め、煩悩(なやみ)の内にて酷く揺らいだ没我の境地が安泰して行き俺の心地を易く拾って糧と成り活き、供から離れた俺の姿勢(すがた)は何にも解けない自活を欲して空々(からから)廻り、見知った記憶に真向きに構えて崇拝している。この世の時代が思うようには変遷しないで誰かの空想(おもい)に常に靡いて地道に在る、との教示を承けつつ俺の活き行く姿勢(すがた)は常に冷たく眠って在ったが、人間(ひと)の齢の半ばを越えた頃にてふとした契機に心身(からだ)が降り立ち〝これでは行かぬ〟と尻を叩いて両頬叩き、心を新たに躰を解(ほぐ)して白地(はくち)へ降り立ち望遠しながら、自分の嗣業の生れた内実(かたち)を両手に掬って眺めて観るなど深い思惑(こころ)に漸く遊泳(およ)いで遊覧して活き、自活をくすねた俺の様子は何処(どこ)から見得ても何時(いつ)から見得ても、新たな息吹を初めに持ち得た姿勢(すがた)に回顧させ行く未知成る活力(ちから)に溢れて在った。それ故遠く離れた俺の煩悩(なやみ)は新たな内実(かたち)を再び見せ得て俺へと近付き、供が無いのを好いとしたまま尻切れ蜻蛉の欲への未練をちょこちょこ突(つつ)いて俺を困らせ戸惑わせて活き、それでも怖くてこの世を去れない俺の覚悟を上手に跳び越え先回りをして、「明日(あす)」へ粋(いき)がる独気(オーラ)の凄みを俺の思惑(こころ)に突き付け得たのだ。
俺の思惑(こころ)は人間(ひと)の気配を上手に跳び越え虚空へ返り宙(そら)から睨(ね)め得た人間(ひと)の独気(オーラ)を下手(したで)に出たまま欲を逃がして把握して居り、「法事に出掛けた和尚」の姿勢(すがた)をとことん追い掛け追い越して活き、もう直ぐ人間(ひと)の姿勢(すがた)が自分の仏間へ戻って来るのを気丈に信じて待ち続けて居た。死霊は死霊で自分の事など少しも問われず人間(ひと)の流行(ながれ)を緩々動いて和んで居たので、自分の居場所に安きを知りつつ動くのを止め、俺に纏わる多少の刺激が虚空(そら)から落ち得て地上に咲くのを横目で馴らして見守る態(てい)へと落ち着いている。和尚の姿勢(すがた)は正味(あじ)を射止めず薄く在っても臭(にお)いを従え固く成り立ち、俺の感覚(いしき)に必ず這入って生きて在るのは死霊の生気に酷似しており独気(オーラ)を携え、「明日(あす)」を知り得ぬ一つの俺には如何(どう)にも棄てて置け得ぬ魅惑の活気が満ち満ち溢れて追随させ得ず、人間(ひと)の思考を程好く解体せしめる淡い熱情(ほのお)が密かに灯され、行く行く延び行く環境(まわり)の在り処を講じて在った。俺の思惑(こころ)は俗世を見棄てて厭世に活き、人間(ひと)の姿勢(すがた)を良いも悪いも纏めて舐めつつ仕方の無いまま若気(じゃっき)の向くまま土台を壊して駄目にして行き見下していて、人間(ひと)の悪魔に嫌気を憶えた不純の没我に生来保(も)ち得た生気を見たまま自分の居場所を徘徊して居り活気を捜し、黒目が輝(ひか)って有頂天へと自己(おのれ)を導く赤い夕日に人生(いのち)を懸け得た全ての未熟を遠く掲げて利口に在った。それ故俗世を見棄てる勇気を周囲が騒いで突き付け得ても俺の勇気は一つも怯まず自分の棚など掃除をして行き愉快に落ち着き静かで在って、到底据えない俗世の名画は俺の足元(ふもと)で脚色(いろ)を褪せさせ草臥れ果て活き、〝取り付く島〟など両者に於いては不問にあった。死霊が天使のローブを緩(ゆる)りと着熟(きこな)し、俺の傍(そば)へと靡かれ近付き奇麗な表情(かお)して美言(びげん)を吐いて、俺の生気を俗世に寄らさず自分の仏間(ふもと)へ軟禁しようと誘惑して来た。俺は端座に胡坐を掻きつつ調う姿勢(すがた)に美談を添え活き、基督教徒の下地(したじ)を薄ら灯した狭筵(むしろ)の上にて丈夫に気取って元気に成りつつ、死霊の言葉を密封したまま仄(ぼ)んやりして居た。仄(ぼ)んやりしたまま涼風(かぜ)が仏間(ここ)へと這入って来るのをしっとり捉えて快感(オルガ)に夢見、死霊の生き血を啜る態度に没我に堕ち得た自分の仔細を十分捉えて柔らに慰め、固く経ち得た流行(ながれ)に於いては不敵を捉えて死人を操る能力(ちから)を敷き詰め真向きに対した死霊の息吹を天使の息へとそっと換え行く自己(おのれ)を立たせる不動に有り付き、死霊の表情(かお)には何処(どこ)か昔に滔々流れる無重の重みが密かに遊泳(およ)いで再生して活き、俺の心地は仏間の陰にて脆弱(よわ)い試算が人間(ひと)へと宿って復活するのを微動に射止めず認(みと)めて在った。白亜の顔した髑髏の言動(うごき)は照輝(てか)った頭を兜で隠して未熟を従え、俺の下(もと)へはすごすご忍んで脆(よわ)く立つのをこれ見よがしに晒して居ながら上手に独歩(ある)いた姿勢(すがた)は直り、滔々独白懸け得た自分の主張(おもい)を俺に対して自然(しぜん)を偽り投げ掛けて居た。
「仏間に留まり、俗世へ帰還するのは凡そお前の言動からは見取れぬ儘にてお前の覚悟の程度は仏間(ここ)に移って住まわる方が実(み)を結ぶだろう。私の勧めに首肯しながら活きる術など見付けるのは止し、お前の感覚(いしき)の内にて応えを見出し、仏間(ここ)へ移るか俗世へ逝ぬかは熟慮を以て算段されたい。黄泉の国など仏間(ここ)に座れば見得ずに在って、お前の試算は健全成るうち容易く仕上がり人間(ひと)の内にも生気(いのち)を見付けて詩(うた)をも謳おう。『明日』の帰還を姿勢(かたち)にせぬのは人間(ひと)である故、希望(ひかり)を見る故、結実され行く自己(おのれ)の姿勢(すがた)に生き行く価値など安く見出し、無音に響いた自然(あるじ)の美声(こえ)をも聴く為にある。供を投げ捨て俗世の内にて生きる場所をも見付けずに居たお前の安きを生ませる終の棲家は、陽光(ひかり)を纏った人間(ひと)の吐息に渋々汚され果て行く下地(しもじ)の俗世には無い。在るのは生息吐息も陽気に実(み)を付け下天に活き得る人間(ひと)の囲いの内外(うちそと)であり、価格を牛耳る陳腐な思考(こころ)は羽を拡げて人間(ひと)の元へと元気に返る。お前が元気に生き活(ゆ)く黒い棲家は鷲掴みにした幸(こう)の根城に畳まれ息衝き、お前の瞳は黒目を通して白濁し尽す人間(ひと)の棲家を上手く避け活きとうとう仏間(ここ)まで辿り得たのだ。悪い結果はお前をしてこの仏間(かこい)の四隅(すみ)には存在し得ない。お前が生き得て手にした全てを携えこの仏間(ぶつま)の内へと這入って来るのだ。その先お前の興味がわくわく湧き立ち蛻を呈した涼風(かぜ)の内にて灯(あか)りの内にて正味(あじ)を求めて羽ばたき行くのはお前の勝手で一向構わん。仏間(かこい)に座ればお前に対して危害を突き付け妬む者など現れないのだ。逸話に酔わされ、我を忘れて愉しむ内にて正味(あじ)を忘れちゃ元も子も無い。自分に戻るのだ。誰に何を云われようが、自分が認(みと)めた自己へと戻れ。涼風(くうき)は優しくお前を包んで擁し、お前にとっては慈母なる如く固室(こしつ)は居座り、お前の眼(め)にも見得る姿勢(かたち)で俗世(せけん)に対して立脚しよう…」
死霊の背後(あと)から白金に輝く蜃気(しんき)が現れ、じわじわ畝(うね)った光の内実(かたち)は俺を忘れて立脚され行き、発揮するまま次第に和らぐ無音の険相(かお)には俺が這入れるよわさが表れ薄く拡がり、隣室(となり)に咲き得た小さな灯(あかり)は人間(ひと)を示さず影だけ遺し、天井(そら)にはまるで則天武后が生気を掲げて正義に努める、旧来(かこ)の寝息が歴史から漏れ進々(しんしん)して行く無頼の長寿が相対していた。相対するのは俺と死者とに等しく宿った無機の魂(いのち)で、巨大な姑息を安堵に置き換え逗留して活き、逗留させ得た仏間(かこい)の内(なか)から美声が漏れ出て美談を語らい、墓地の麓に永らく居座る盲者(もうじゃ)を鞣して、何処(どこ)ぞに遣られた「耳奪(と)り話」の正義の話を歴史を潜った俗世(かこい)の内から上手く紡いで端(はし)を綴じ伏せ、遊泳(およ)いだ泡(あぶく)の肢体(からだ)は七色(いろ)に透って鎮魂され得る行者の奥義に隠されていた。
「人間(ひと)の生死は規定に寄り着き既に見知った死者の霊など恐怖に見取れず、死者の霊から生者(せいじゃ)の霊へと自然(あるじ)を通って鎮魂するのは摂理に反して自在に成り得ず、故に人間(ひと)とは死ぬに際して定めを違(たが)えず無言の内にて霊の一派を排除するのは自身に見知った自活の内にて自然に能わぬ。俺が居座る現行(いま)の恐怖は神経(しぜん)を通した痛みに寄り着き嘆いた幾夜は現行(いま)の末にも失せずに落ち着き、これだけ人間(ひと)の為に用意され得た責苦(せめく)の内でも人間(ひと)は権威に準じて黙って生き活(ゆ)き永久(とわ)に欲せず、欲に生き活(ゆ)く未熟な肢体(しぜん)を手にした儘にて地獄の門など開放され得て不安を憶え、遠祖の犯した原罪(つみ)にてこうした幾多の責苦(せめく)を負うのは未熟な幼児に世間を報せず〝規定通りに生きて行け〟など、衰退して行くこの心身(からだ)にとっては如何(いか)にも苦しい要求と成り文句を許さず、神の僕に落ち着く人命(いのち)は敢えて羊とさせられ竜の温床(とこ)へと投げ入れられた。愛して居るなら如何(どう)して容易く姿勢(すがた)を現し、人間(ひと)の土台を直し得ぬのか。正義は語る… 人間というのは神の僕の身の故、神が人間(ひと)へと降りては来ない。人間(ひと)の姿勢(すがた)は遠(とお)の生来(かこ)にて見棄てられ得て生き足る聖者(せいじゃ)と死に足る生者にしっかり分けられ俗世に置かれた人間(ひと)への篩(ふるい)は煩悩(なやみ)の内にて実力(ちから)を講じ、元から成るべき自然の姿勢(すがた)へ生者を返す。はて、聖者とは何処(どこ)に在るのか?それは何度も拡げた聖書の内にて具現を点さず以前(むかし)に居座り、残像するままその生き様などにて人間(ひと)へと居座り生死を分けて、俺が夜中に夢で見たのと何ら変り映え無い脆弱(よわ)い腰にて現行(かこい)に活き得る。人間(ひと)の生死は決って在るのだ。生きると言うならお前が誘った仏間(かこい)の陰でも何ら不都合無い儘、苦言は育たず俗世に在るより好いとも信じる。どうせ人間(ひと)には未来(さき)が見取れず経験し得ない固物(こぶつ)が生じ、活きる上でも生死に伴う苦慮が吐かれる。どうせ棄て得た俗世の闇だ。活気を灯せず一人部屋にて毎日集(つど)った盲人達をお気の召すまま遊覧させ得て、経過に宿れば蜘蛛の子みたいに宙(そら)へと散り活き、俺の夢想(ゆめ)にも現れやがる。憎悪が改悛されずにそこに在るのは俗世に活き行く身の上だからだ。供に寄っても異性に寄っても海へ寄っても川へ寄っても、空へ寄っても宙(そら)へ寄っても、花に寄っても蜜に寄っても、光りに寄っても闇に寄っても、父へ寄っても母へ寄っても、俺の煩悩(なやみ)は責苦(せめく)を生みつつ世間を知らない未熟に在った。『知った』と信じて活きて行ってもどんでん返した屈辱憶え、人間(ひと)を忌むのを常の糧とし自活に従え、出世を願えば精神(こころ)が病まされ折れてしまった。仏間(ここ)には夢にまで見た御殿が開(ひら)けて従順(すなお)が立ち活き、『浦島太郎』の理性の限界(かぎり)が未だ活きずに柔軟に在り、男も女も俺の肢体(かたち)を模した儘にて両手を拡げて歓待して在り、俺の邪推は事毎萎んで思惑(こころ)へ仕舞われ、永久(とわ)を見据えた熱い両眼(まなこ)が丈夫に踊って別天地(パラダイス)を見る。俺は此処(ここ)に居たって一向構わず、知らない俗世に還る気は無い。俗世の理屈は経験(かたち)に捕われ歴史(かたち)に倣い、生気(かたち)を費(つい)得て人生(かたち)に居座る具現(かたち)ばかりの要素で成り立つ。無い物強請りの人間(ひと)の奮起が常識(かたち)を見限り神秘を追い掛け追い越し始める育生(そだち)を知るのは自分に神秘(ひみつ)を見た故と知る。不自由無いまま俗世に暮らせる術など『規定』に従い在る筈も無く、人間(ひと)が生死を自ら選んで安きを得るのは不自然には無く自然に在るのだ。得体の知り得ぬ俗世(かこい)の内より、得体の知り得た仏間(かこい)の内にて生き行く我が身の方が幾分表情(かお)にも思惑(うち)にも倖せが見え、小鳥(とり)が囀る呑気な様さえ、供が苦しむ人生(いのち)の怒声(こえ)さえ、異性が囀る堕落の音さえ伽々(がらがら)崩れて生れ返って、俺の耳には一目散へと歓喜の美声を木霊すようだ。俺は俗世を棄て得た。供も棄て得た。異性も棄て得て格好(かたち)も捨て得た。自然を嗜み仄(ほ)んのり活き行く自分の姿勢(すがた)が〝こんにちは〟をして目前(まえ)へと居座る。俺は思惑(こころ)の内ではこの上無いほど強靭(つよ)さを手にして立脚するのだ。……」
そうして、云々、色々語った俺の周辺(あたり)はしんと静まり気配に及ばず、薄ら明るい俺の目前(まえ)には揺ら揺ら揺らめく蝋の炎が一人で立った。死霊は怨みを抱かず涼風(かぜ)の体(てい)してすっと擦り抜け、俺の周辺(あたり)の冷気を大事に吟味(あじ)わいながらも自分が赴く死地の空室(へや)へと辿って行った。空室(へや)の燈火(あかり)は夜が更け活き陽光(ひかり)が地平から出て昇って行く都度白々薄れて白質を持ち、静かな冷気に物言う間も無く同化して活き俺の目前(まえ)から燈火(あかり)を消し得た。俺はそれまで微動だにせずじっと固まり座って居たのを微動だにせぬ精神(こころ)の姿勢(すがた)に体好く魅せられ齧った活力(ちから)の向きへと自分を誘(いざな)いすっと立ち行き死霊を追い掛け、燈火(あかり)の温(ぬく)みが僅かに残った一間(ひとま)の方へとゆっくり赴き、それまで隣室(となり)に何が棲み付き喘いで居たのか少しの興味を覚えてそうした興味の仔細の程度を把握しようと近付き入(い)った。隣室(へや)へ這入ると死霊の姿勢(すがた)は何処(どこ)にも無いまま仄かに灯った燈火(あかり)の仔細が仄(ほ)んのり湧き立ち優雅に在って、俺がそうして訪れ得たのを素知らぬ風(ふう)してじっと佇み、四畳程度の一間(ひとま)の四隅(すみ)には、仏間と同じく俺に対して未開を示唆する弱い陰などじんわり灯って落ち着いて在り、俺は俺にて少々身構え解(ほぐ)して平静(へいじょう)携え、我が家の狭筵(むしろ)に丈夫に立ち得た従順(すなお)な自分に漸く対峙し〝何でもない〟など小さく呟き沈んで行くのを、端から観て居て潔いほど清(すが)しい上気に闊歩し出した自分の在り処を仔細に捉えて悠々嬉しくそこで活き行く自己(おのれ)の姿勢(すがた)に追随せしめた。
鵺の高鳴(こえ)など宙(そら)にて轟き白々明け活(ゆ)く経過の裾にて人間(ひと)の疑惑は未熟を見棄てて拮抗して活き、拮抗され得た暗い寡黙は夜更けに置かれた人間(ひと)の快楽(オルガ)と故無く相対(そうたい)して行く常識(かたち)の道理(かたち)に程好く似ていて加齢を灯さず、俺に纏わる人間(ひと)との疑惑に変らず沈黙し尽す固い無邪気は通り一遍人間(ひと)の懐(うち)へと緩々訪れ果てる対象(もの)にて俺へ対峙し、白々明け行く白雲(くも)の隙から程好く差し込む黄金(きい)ろい陽光(ひかり)に自体(おのれ)を曇らす内にて人間(ひと)から俺から消え失せていた。社(やしろ)に居座る寺男(てらおとこ)の活気轟く無音の響きが如何(どう)言う訳だか暗い四隅を袖にしたまま遠くで成り立ち俺へと向かい、我が物顔した俺の道理を感覚(いしき)に問い掛け解(ほぐ)してやろうと熱気に灯った抜き足差し足活気の小躍(おど)りに少なく見積もる〝説(と)い〟を手にして小団(しょうだん)を組み、人間(ひと)の居座る小さな俗世(くに)から小さく寝息を立てつつ緩々流行(なが)れる無音に従い仏間へ続いた細い廊下を丈夫に辿る。そんな活気が遠くで成るのを仔細に捉えた俺の感覚(いしき)は一間(ひとま)を離れて仏間へ落ち着き、涼風(かぜ)が吹くのを自然に観ながら従順(すなお)に在って、寺の従者が暗(やみ)の内から頭(くび)を擡げて独歩(ある)いて来るのを気丈に構えて待ち受けている。そうした従者の仔細な歴(れき)など何気に読めば、俗世を離れて自己(おのれ)の悟りに華を問い掛けようなど殊勝な気性に総身を捉えて活きたのではなく、俗世の煩悩(なやみ)に総身を侍らせ、来(きた)る原罪(つみ)には何の躊躇も総じて点さず、挨拶程度に原罪(つみ)に対して行為を足すまま俗世に曇った人間(ひと)の信仰(まよい)に唾を吐き掛け立ち去る者にて小物に有り付き、俺の目前(まえ)では如何(いか)にも大物顔して小気味(こきみ)に小躍(おど)って仲良く在るが、実際、原罪(つみ)に対して濁った眼(め)をした寺男(おとこ)の陰には、何にも解(と)け得ぬ微細な憂慮が横行していて頻りに否んだ未熟の陰など小僧の思惑(こころ)へ隠した儘にて説法掲げて人間(ひと)を愛で行く者とは、寸志に満たない未熟な坊主が禿頭(あたま)を並べて〝生地獄(じごく)〟へ落ちると、弱い光明(あかり)を照輝(てか)らせ始めて俺の目前(まえ)へと止(と)まって在った。そうした寺男(おとこ)の頭数(かず)へと上手く忍んで紛れて居たのは何時(いつ)ぞや掛軸(じく)の下方に小さく畳んでその名を記(しる)した和尚であってじっとして居り、恐らく揃った寺男(おとこ)から成る俺への諭しが信仰(まよい)に溺れて失せる頃にてにゅっと出て来て俺へと居直り、らしく調う住職(あるじ)の姿勢(すがた)を程好く掲げて人間(ひと)へと清(すが)しく、自己(おのれ)の主張(こえ)など仏間の四隅へ届く程度に雷鳴唸らせ固く立とうと既に決め得た規定(きまり)通りに振る舞う覚悟が遠目に見得ても分る程にて可笑しくあって、澄ました表情(かお)には威厳を備えて光明(ひかり)を保たせ、赤い法衣は形容し難(がた)い微温(ぬる)い泡(あぶく)が一杯照輝(てか)って哀しく在った。哀れな表情(かお)した和尚の体裁(かたち)は涼風(かぜ)が吹いても固い内にてそのくせ端座に付かれた足の先には電気が独走(はし)って自力(ちから)が消え失せ、崩れた力を大事に保(も)とうと照った禿頭(あたま)は左右に動いて呼吸を返し、奮々(ふるふる)震える微細な揺れには四肢(からだ)を与る人間(ひと)の感覚(いしき)が散見され得て遠目に見得ても和尚が辿った動きの跡とは立派に違(たが)わぬ人間(ひと)の動きに相当してある。多くの寺男(おとこ)が挙って静かに立ち振る舞い活き、俺の目前(まえ)から背後(あと)から主張を説いてはするする退(さ)がって定位置に就き、彼等の住職(あるじ)とも成る和尚の出番をなるべく躱して上手に振舞い難儀を避けて、素人にでも明然(はっき)り解けるようにと試算を凝らして過剰に立った。涼風(かぜ)は仏間の間取りを四方(しほう)に囲んだ戸の方から来て、よくよく見入れば四方(しほう)の内の二方(にほう)の戸などは開放して在り、初めに観たのは暗(やみ)を通して仏間(ここ)まで来た際妙に冷気を感じた頃合い含めて夜更けへ流行(なが)れ始めた昨夜(ゆうべ)にあった。何時(いつ)しか解放され得た焦げ茶色した二つの木戸(もくど)は誰かに何かに奇麗に奪(と)られて戸無しと成り着き木枠(わく)だけ呈して、夜でも朝でも自由気儘に吹き入(い)る涼風(かぜ)の姿勢(すがた)を固く射止めて離さずに在る。そうした環境(まわり)を仔細に睨(ね)め得た俺の道理は自然に挙って安泰して行き、誰にも何にも打ち解け得(う)るまま自在の至柔(しじゅう)に躰を置き付け、所々に自分に対する棘など見得でも上手く捨て置き次第次第に自分の温床(とこ)へと引き摺り込め得(え)る手腕(ちから)を漸く取り留め、この際坊主が見得ても和尚が見得ても一向動かぬ固辞を呈して居座る術(すべ)など未熟に覚えた低い覚悟に見付けてあった。俺の体温(ぬくみ)はそうした涼風(かぜ)など自在に通って行く内(なか)、温度を灯してひらひら揺らめき和尚を初めに寺男(おとこ)へ伝わり、仏間へ辿った俺の思惑(こころ)へ上手く懐いた厭世など初心と見て採り吸収して行き、幾度も吹き込む無重の涼風(かぜ)にも回数など在り、七回通った涼風(かぜ)の背後(うしろ)に小さく身構え始めた風体(からだ)に気付くと、和尚・寺男(おとこ)は手に手を取りつつ俺の方へと突進して来て、俗世へ還って人間(ひと)の道理に従う儘にて幸(こう)を掴め、と奮起して行く鼻息(いき)に言わせて白熱して行く。白熱して行く彼等を目前(まえ)に、何故かきょとんとしたまま平静(へいじょう)に在り、俗世を嫌った覚悟の内にて靄々(もやもや)拡がる熱気に居場所を既に見付けた俺には寸志に向かわぬ強靭(つよ)い内実(ちから)が結実していて温厚に在り、そうした彼等を逆に仕留めて自分が居座る仏間の陰へと上手く引き摺る説法程度は程好く身に付け無心の様子で、幾度も幾度も波打つ程度に俺へ寄せ得た和尚と寺男(おとこ)はほとほと弱って一旦落ち着き、俺の側(がわ)へと盗んで這入って、俺と一緒に遠い運河を眺める調子で俗世を垣間見、具に生れた説得法など懐(うち)へ潜めて薄弱(よわ)さを呈した。
「人間(ひと)の空想(おもい)は様々なれども他人の有様(さま)など具に眺めて自分の境地を落ち着かせるのは人間(ひと)に在るまま人間(ひと)の正義を上手く離れた惰気(だき)の境地へ赴く事へと結果成り着く。到底背負える程度の重みに俗世に活き得る涼風(かぜ)の程度は相対せぬまま無関に在るが、人間(ひと)の流行(ながれ)に上手く沿うならお前が仏間(ひとま)へ隠した神秘(ひみつ)の正味も自ず現れ糧とも成ろう。誰に従い何に応じて仏間(ここ)まで来たのか定かに無いが、世に問う空想(おもい)であるなら体裁(かたち)を代えれば主張(ことば)と成り活き、お前の夢想(ゆめ)にも上手く直って添い遂げ得(う)るのだ。人間(ひと)の流行(ながれ)を自分の居所(いどこ)と関係無くしてお前の感覚(いしき)は自然に寄り添い、寄り添う内にて人間(ひと)の温度を具に忘れて人物(もの)に見立てて闊歩して活き、次第次第に、自分が生き得たこの世の神秘(ひみつ)を俗世に塗(まぶ)して見えなくした儘、誰かが、何かが、仏間(かこい)へ来るのを期して在るのか。お前が仏間(かこい)へ這入って行くのを儂の手練れは自然に見付けて微動だにせず、そのまま自然に覚悟を決め得て、死霊が漂う(お前が座った)密室(へや)の前まで付けて行って縁側(にわ)の木陰にその身を潜めてお前の感覚(いしき)が死霊に対する様(さま)など具に見て取り儂へと告げた。儂はこれまでお前の目前(まえ)には現れなんだがきっとお前は活きる要所に儂の気配を上手く捉えて少々考え、仏間(ここ)まで来るのにどれ程労苦が在ったか、等を熟々(じゅくじゅく)考え、死霊に対すも暗(やみ)の内にて燈火(あかり)を灯した奥室(へや)へ対すも、又、仏間(ぶつま)と奥室(へや)の四隅(よすみ)に照輝(てか)った秘密に対すも、粛々講じた俗世に対する未練の程度を儂へ目掛けて不問に棄て得た小さな懊悩(なやみ)を携えてたろう…。あれは『死霊』に在って生霊には無く、俗世に居座る恨みつらみを人間(ひと)に対して投げて落ち着く生者にも無い。生霊とはこの世に有り付き俗世の正味(あじ)でも構わず射止めて丸ごと呑み込み、人間(ひと)の精神(こころ)を病ませて仕舞うが、心身(からだ)を牛耳り権威を承け得て人間(ひと)の生死を自在に操る類(たぐい)には無い。数多の世迷言(よまいごと)など人間(ひと)の頭上(うえ)にて翼を拡げ、人間(ひと)を惑わす巧い鍵(ことば)へ無音に化けたが、お前に伝わる人間(ひと)の言葉に意味を託して主張するなら、今に儂が訓(おし)えるこうした言葉に表れておる。儂の言葉を上手く掴んで俗世の並へと戻って来るのだ。儂や従者の躰は生身である故、それでも冷気が無色に漂うお前の社(やしろ)へ踏み止(とど)まるのはそう長くは保(も)ち得ぬ。こうした今に活き得る我々(われら)の説得(はなし)がお前にとっても最後(最期)と成ろう。黄泉の光にその身を任さず急いで俗世(ここ)まで戻って来るのだ。なあに、急げと言うのは事の次第を長らく見詰めた上での事にて、お前が戻れる余裕(ひま)など今でもまだまだ十分にある。ただ、神秘(そちら)へ行っては成らぬ。儂が今に話した事変(こと)の真意に頷けるのなら、お前を迎えた従者の内実(かたち)が死霊であった事実に対して自ずと疑問も立ち上がるだろう。何故に従者が死霊であるのか!?滔々流れたお前の経過に突然現れ出たのは神秘に彩(と)られた従者ではなく、ひたひたお前の身元(もと)まで不気味に辿ったあの死霊であった。死霊の身元はその名の通りに死地に花咲き黄泉へと下り、人間(ひと)を引き摺り込めては領土を肥やして増大して行く不通の地にある。人間(ひと)が自力でどれほど行き来を願って在っても次元の異なる域の内には人間(ひと)の覇気など皆無に馴らされ透って行って、人間(ひと)の生命(いのち)が誕生した事実さえも、馴らすついでに平らにされ得る。宙(そら)の内にて平らと成る為、人間(ひと)の眼(め)には空気を見取れぬ秘密の程度に何も映らず、目立った事変(じへん)に気付けぬ内(まま)にて自然(じねん)に黄泉の規律(きまり)へ順応して行き、無事を悟って自己(おのれ)の心身(からだ)を黄泉へと預けて行くのだ。仏間(ここ)まで辿ったお前の理由に間違いなど無い。それでもお前が仏間(ここ)にて選んだ〝主眼(かなめ)〟の内には間違いが在る。欲に埋れた煩悩(なやみ)の内にてお前の正義は尾鰭を隠して朽ち果てて活き、倒れた思考を起す間も無く次の経過が刺激を運んでお前を化(か)えて、お前の手足は頭に倣って耄碌していた。死霊に対してきちんと直って主張を通し、正気を手にして我等の元へと戻って来るのだ。そこの仏間(ぶつま)にお前に見合った幸福など無い。人間(ひと)に生れた人身(からだ)の故にてお前の体質(しつ)には仏間(ここ)にて流行(なが)れる妖気に馴染めず、又、人間(ひと)に生れた人身(からだ)の故にてお前の精神(こころ)は仏間(ここ)に息衝く妖魔(ようま)の類(たぐい)と折り合い合わずに行く行く棄てられ、お前が仏間(ぶつま)へ居着いた最初に強請った本望などには如何(どう)でも辿り付け得ぬ壁が宙にて仕上がりくるりと返ってお前の四隅を囲んでしまい、お前はそこにて見るに耐えない退屈(ひま)な経過に相対(あいたい)して行き、結果、悔いのみ漂う根暗(ねくら)な暗室(へや)にて永久(とわ)に息衝く地獄の底にて苦しみ抜くのだ。そうした〝地獄〟が見てくれ好いのはこれまで倣ったお前の懐(うち)にもしっかり具わり光っていよう。我等の俗世(くに)でもお前が厭(きら)って止(とど)まる程度の悪行(あっこう)ばかりが息(いき)して居らず、お前の目前(まえ)にもしっとり浮んだ幸(こう)の息吹が結実しそうに芳香(におい)を醸し、お前が行く行く訪れ来るのを牡丹を彩り待って居るのだ。幽玄(まが)い物には正義など無い。幻想(まが)い物には夢路など無い。空想(まが)い物には苦慮する気は無い。在るのは現世(うつしょ)で人間(ひと)が生き行く(活き行く)無頼の姿勢(すがた)に自己(おのれ)を留(とど)めた生きる(活きる)術(すべ)への覚悟の容姿(すがた)だ。とにかく冷気を現行(ここ)にて断ち切り、お前の心身(からだ)を俗へと戻して真理を悟らせ、その上、活き行くお前の心算(つもり)に見合った華など咲かせて見よう…。」
そこまで辿った和尚の口許(くち)には涼風(かぜ)に運ばれ固物(こぶつ)と化し得た無音の朝陽(ひかり)が具に塗され不動に落ち着き、泡(あぶく)を晒した七色(いろ)の内には、これまで語った寺男(おとこ)の説法(くだり)が底儚(そこはか)ともなく見本に挙げられ認(したた)められ得て、和尚の両頬(ほほ)には真っ赤に咲き得た痘痕にも似る人間(ひと)の華(あせ)など柘榴を連想(おも)わせ静かに在った。
「ははぁん。そういう事か。」
具に和尚の様子を真向きに捉えて覚った俺には和尚の言葉が何故(なにゆえ)あれほど流暢(なが)れて淀まず在ったか愚直とも似る和尚の能力(ちから)にほとほと呆れて不問を解(と)いたが、当の和尚はそれでも気付かず自分の身内が明るく成り果て目前(まえ)に居座る俺の言動(うごき)を然(しか)と見定め寝かせた胸中(むね)には堂々巡りの説話が並び、誰に言われて形成(かたち)を成したか終ぞ認める愚問の手数(てかず)を脳裏へ秘めつつ、俺の思惑(こころ)を好く好く睨んで素直に居座り朝陽(あさひ)が照るのを我が物顔して堂々在った。〝虎の巻〟など社寺(ここ)では遠(とお)の昔に源(もと)が成り立ち人間(ひと)の目前(まえ)では後光が射すほど神秘を装い、人間(ひと)の頭上に上手く並んで微動に成ったが、人間(ひと)の愚問は所々に綻びが在り、そうした罅から空気が這入って膨張(ふく)らむ末路を寺社(じしゃ)に溺れた人間(ひと)の精神(こころ)は〝これ在り難し〟と丁重極まる真摯の姿勢(すがた)で手に取り片付け行くので〝虎の巻〟とは魅惑に咲き得た蜜柑の様子に如何(どう)でも好く似て腹の足しにと首尾良く収めて行くのだ。故に一旦人間(ひと)へと這入った〝虎の巻〟ほど明度を着飾る現行(いま)へ引くのは至難に落ち着き不動に在って、俗世には無い神秘の能力(ちから)が自体を表し始めて成就して行く仕業(しぎょう)であるなど当の僧侶は皆頷きながらに自分の分業(ノルマ)を完遂させ行く。そうした現場に正に居着いた俺の心身(からだ)は和尚を読み取り僧侶を読み取り社寺を読み取り自分を読み取り根暗に有り付き、黒い眼(まなこ)を一層黒くし浅い朝陽(あさひ)を一層高くし、これから始まる慰問の手数(かず)など術良く収め見果てぬ夢想(ゆめ)までえっちらおっちら辿って行くのが自分に宛てられ得た分業(ノルマ)の実など程好く頷き仏間(ここ)に居座る覚悟の程度(ほど)など以前(まえ)にも増して強靭(つよ)く温(ぬく)めた。木拵(きごしら)えにてぎしぎし唸った仏間(ぶつま)の床には平安頃からしっかり根付いた年季の手数(かず)など丈夫に有り付き微動だにせず、仏間(ここ)から逃げない亡霊等とは、まるで僧侶や和尚に跳び付き精神(こころ)をこじ開け、自分の感覚(いしき)を開花させつつ活気を保ち、こうして集まる寺男(おとこ)の群れなど術良く収めた司祭(あるじ)の様(よう)にも仔細に見て採れ、俺の精神(こころ)は俗世に居着いた体温(ぬくみ)を忘れて悠々振舞う人間(ひと)の内実(かたち)を新たに固めて保身を呈した。僧侶の群れなど社寺(ここ)に居座る愚弄の群れから熱気が外れて宙(そら)へと消えて、俺の周囲(まわり)は快活極まる涼風(かぜ)の流動(うごき)が自在に飛び立ち誰をも観ずに自分の分業(ノルマ)を果して在った。俺に居着いた夢想の光明(あかり)は隣室(となり)を離れて暗(やみ)へと還り、未だ見えない社寺の奥へと当然顔して渡って行って、中々還らぬ哀れな体温(おんど)は好色顔して縁側(にわ)へ寝転び涼風(かぜ)が吹くのを待ちながらにでも独り言(ごと)言う俺の思惑(こころ)を程好く暖め慰め、夢想(ゆめ)の還りを上手に見上げた。
朝が深まり昼間と成りつつ、夜鳴く鵺など昼間に鳴き上げばたばた羽ばたく旧い故習(ならい)は常識(かたち)を外れて人間(ひと)から離れ、巧く飛び立つ鵺の流動(うごき)は寝耳を雪いで運動して行く未熟な嫌いに堂々立ち行く骸と化し得た。骸と化し得た鵺の暴凶(すがた)は人間(ひと)へは懐かず縞馬と成り、鳶が逃げ行く虚空(そら)の彼方へゆっくり羽ばたく経過(じかん)を伴う。月を忘れた虚空(そら)の彼方は大空ながらに小さく育てた夢想(ゆめ)を刻んで散在させ活き、社寺(ここ)から見上げる白雲(くも)の気体(からだ)も青く染まって高鳴り始め、薄ら曇った人間(ひと)の精神(こころ)は視界に芽生えた経過(じかん)を取りつつ寿命を考えしどろもどろに暗算していた定めの在り処に哀しみさえ観て既に萎え得た生気の自活(かて)など試算に挙げ得た人間(ひと)の能力(ちから)に自然を重ね見、自然の在り処をほとほと夢見て捜し廻った旧来(むかし)の分業(ノルマ)を探し当て得た。俺を俗世へ戻す為にと社寺(ここ)まで辿って仏間(ぶつま)に居座る自身の身内(うち)には悟られないよう酷く固めた覚悟と試算を薄く馴らせた僧侶であったが、和尚を初めに怠惰が生れて倦怠を保(も)ち、惰性に呑まれた無残な規律(おきて)は人間(ひと)の規律(おきて)に程好く似て行き朝令暮改に淡く射止めた余裕(ゆとり)を保(も)ち得て安定し始め、次第に経過に微睡む姿勢(すがた)が主(あるじ)に従者に程好く流行(なが)れて、俺の目前(まえ)では何も語らぬ下僕と成りつつ分業(ノルマ)を見詰めた。〝これでは行かぬ〟と細く立ち得た和尚の姿勢(すがた)は俺から見えて僧侶に見取れず、暗(くら)い空地にゆっくり落した分業(ノルマ)の内実(かたち)は緩々化(か)わって火の鳥と成り、縁側(にわ)から外れて虚空(そら)へと上がった人間(ひと)の温度(ぬくみ)は宙(そら)で冷やされ温(あたた)まるのは仏間(ぶつま)に置かれた常識(かたち)の内でと相成り始めた。和尚の表情(かお)には先程まで観た柘榴の赤身が冷たく観得ずに俺へ対する冷たい恨みが散見され出し落ち着き無い儘、そうした和尚に惹かれて寺男(おとこ)の動きも慌しくなり何かを始める熱気の程度(ていど)が上昇して行く情感さえ見せ俺に対する表情(かお)の内には具に見取れぬ謎が切り立ち冷たく在って、狭い仏間で遠くに遣られた俺の心身(からだ)は何処(どこ)へも行けない不快な波紋を精神(こころ)へ咲かせて無邪気に落ち着き、群れと自分を切り断ち分けつつ拡まり始めた温床(ねどこ)の感覚(いしき)を温(あたた)めていた。和尚は矢庭に先立ち寺男(おとこ)の感覚(いしき)に見える程度に俺へと近付き、立った気配を柔らに仕留めて懐(うち)へと秘めつつ軽い会釈を交して居ながら当の両眼(まなこ)は目的(あて)を押えて葛藤しており、湯気立つ覇気には邪気に劣らぬ苦労が目立って綻びさえ在り当面冷め得ぬ熱気を纏って冷たく在った。和尚の熱気に絆され得た寺男(おとこ)の肢体(からだ)は思惑(こころ)を薄くし従者(しもべ)と成り着き、当面剥げない夢想の旋律(しらべ)を程好く受け止め自分に課された自然の仕業(しぎょう)を遂行するべく和尚へ続いて独歩を仕上げて下手(したで)に振る舞い、俺へと近付く細かな動作は仏間(ぶつま)に漂う冷気を押し遣り轟く床音(おと)さえ上手に透って整い始め、気色(まわり)は静かな幽玄なれども水の音など容易く取り入れ解体され行き、縁側(にわ)の草木(くさき)は暗(やみ)に赴く懸橋(はし)の脚色(いろ)へと着々化(か)わって深みを帯びた。帯びた深みは濃緑なれども空気の色ほど透った態(てい)にて解体され得た水の色素を土中(した)から取り込み成長して行き、遠目に見得ても近くに見得ても無根に咲き得る新たな新生(いのち)は宙(そら)から現れ閏年には華(はな)さえ咲かせて無音に戯れ、自然(あるじ)を忘れた黄土の色とは立ち所に咲く新生(いのち)の行方に機敏と成りつつ多感と成り果て、嗣業を忘れた人間(ひと)の思惑(うち)へと容易く転がり「明日(あす)」への挽歌を謳い始めた。和尚と寺男(おとこ)は澄ました表情(かお)して悠々独歩(ある)き、般若心経・説話に漂う世迷(よまい)の手数(てかず)を懐(うち)から取り出し頭から出汁、傍(そば)へと寄り着く俺の肢体(からだ)へ細い筆など薄ら下(おろ)してすらすら書き出し、写経に準ずる厳しい目付きで全身(からだ)を傾け一念一投、俗世へ対する深い未練を恨みつらみに擦る程度に太く素早く仕上げて在った。俗世の脂が程好く載った禿の具合はぴかぴか照輝(てか)って眩しい程度で俺の両眼(りょうめ)を執拗(しつこ)く晦まし暗(やみ)に生れた樞(ひみつ)の様子を手中へ投げ付け丈夫であって、何を言っても遣っても一向止めない写経の具合は俺をさて置き奇麗に挙がって俺の思惑(うち)へと密かに転がり根付いて行きつつ、死地へ赴く死霊へ赴く髑髏の紋章(しるし)が程好く俺にも浮き出す程度に主張を曲げずに固めて成立して行き、如何(どう)転がっても俺の思惑(こころ)に逃げ場を観(み)せない強靭(つよ)い妖気が床音(おと)に乗じてしんと静まり俺の肢体(からだ)を金縛りにした。縛られ出しても云とも寸とも微動だにせず、彼等に相対していた俺の心身(からだ)は静かに脈打ち何が起きても動じぬ程度に丈夫に座って涼風(かぜ)など眺め、『坊主も坊主、俗世に埋れた人間(ひと)の悪しきに充分沿いつつ時流を問いつつ、皆が皆して自己(おのれ)の保身に没頭して行き難無く生れた人生(いのち)の在り処を充分探さず極めた振りして世迷を続ける。如何(どう)して如何(どう)し坊主も和尚も僧侶も寺男(おとこ)も自然(あるじ)の下(もと)では五十歩百歩に相手を違(たが)えず自分の分業(ノルマ)を他人(ひと)の分業(ノルマ)と違(たが)えながらに「明日(あす)」へ活き行く自活(じかつ)の程度を危うく見積り、試算に暮れ果て憂慮している。憂いに富んだ胸中(むね)の内など幾層(いくそう)もの薄い生膜(きまく)を力に任せて剥ぎ取り出しても、見る者居らずに次第に消え行く儚い儀式は宙(そら)へと還って冗談ばかりが彼等を襲う。そうした御託を散々並べた遠い旧来(むかし)に彼等を返して面倒見るのは自然(しぜん)に立ち現れ行く仏間(ぶつま)の司祭(あるじ)と次第に成り着き、遠い御殿へ還って行くのは経(きょう)を書かれた当の坊主と相場が決って中途半端な信仰者などは世迷へ落ち着き未熟を愛し何にも咲かない俗世の土へと次第に還って決着して行く。こうした襤褸の湧き出る俗世の阿漕(あこぎ)は人間(ひと)を通って未開へ辿り、死地へ向くのは人間(ひと)を病ませた狩人達だと散々喚いて喚いただけにて、理解し得ない恐怖の始動が自分へ向かって立ち塞がるのを小僧が見送り納得して在る。彼等の内にて故無く咲き得た魅惑の成就は完璧に在る。恐怖を採らない寒い狭筵(むしろ)に背を向け佇む彼等の論理は完全である。伽藍が飛び交い地上に堕ち得た白い衣(ころも)は誰の物かと問うなら皆が次第に決意に傾きこの世を超え得た遠い先祖を思い出しつつ、己に想った「三寒四温」に喜怒哀楽など容易く乗せ遣り、自分の分業(ノルマ)が次第に阿る自然(あるじ)を見るのは何処(どこ)へ行けども明りが灯らず、見るに見兼ねる人間(ひと)の無残に嘆き知るのは一端(いっぱし)通った悪の姿勢(すがた)と後光を掲げて想う次第に人間(ひと)の言動(うごき)は出来て在るのだ。如何(どう)とも知らない何にも言えない人間(ひと)の具現(すがた)が見るに見兼ねる坊主の哀れを生れて如何(どう)してこの世の果(さ)きにて語り得ようか。坊主は坊主で僧侶は僧侶、信仰者等には手向けも為し得ぬ旧い倣いが仏間(ぶつま)の隣室(おく)から散在して在り当の司祭(あるじ)は未開へ脱(ぬ)け得る。哀れな人間(ひと)にはそれが解らず常識(かたち)に縛られ金縛りと成り、薄く通った人間(ひと)の余熱を未来へ棄(な)げては滑降して行きこの世の淵から大きく咲き得た沙羅双樹の木を後生大事に水遣り気を遣り自分の保全に万事を期し行く。一度お前もこの座へ落ち着き仏間(ぶつま)の四隅(かど)など観るのも善かろう。そうして自分の分業(ノルマ)に欠けるものなど注意を冷まして悪態吐(つ)かずに、俗世を程好く眺めて自分の分身(からだ)に欠けた霊など見付けたならばそれを講じて分業(ノルマ)の陰から少々成らずもお前の新生(いのち)は真実を観る。そうして活き行く人間(ひと)の姿勢(すがた)も確かに在ると、お前の思惑(こころ)へ問うて見るのだ。きっと新たな希望が土の底から中途に彷徨い徹底的にも思惑(こころ)の成就を遂げさせるだろう…』
粛々語った俺の思惑(こころ)は何処(どこ)へも向かずに澄まして在って、冷気の内にて醒めた瞳(め)をして真っ向観て居り、真向きに捉えた和尚や寺男(おとこ)を程好く見付けて空気に透り、凍る間も無く緩んだ気色は憎悪に満ち行く草花(くさばな)を差し、あらゆる文句を下出(したで)に出て居た俺の精神(うつわ)が奇麗に奪(と)った。僧侶は上手に俺の躰に経(きょう)を書きつつ呪文とはせず、清書に認(したた)めこれから現れよう死霊に対して身構え始めて手に手を取りつつ、己の主張を通して行った。俺の躰は一途に書かれた経(きょう)の重みでずっしり座って不動と成りつつ仏間に居座る数多の霊から身を避け滅心(めっしん)して行き、煩悩(なやみ)に対する新たな企図など脳裏に起され上座に咲きつつ、僧侶の宴を眺める想いで自然(あるじ)を忘れて徘徊して行く。座った体(てい)にて徘徊して行く我が身の姿勢(すがた)は恐らく暫く誰にも覚れず涼風(かぜ)を通した自然(あるじ)の背中に真横にたえ得る白い惹起が人間(ひと)から生れてたえて在るのを具に見て採り底儚いまま白々灯った無機の燈火(あかり)に硝子を通した七色(いろ)など付け行き真綿に包(くる)み俺の元まで運んだ様子で、如何(どう)にも恰好(かたち)が定まらないまま遠い濃緑(みどり)へ消えて行くのが手に取る程度に熱く冷たく、翳った対象(もの)だと俺の思惑(こころ)が慌てた調子で根付いて行くうち俺の姿勢(すがた)は感じた様子で弱い気力を一度被(かぶ)った。被(かぶ)って行く内、揺ら揺ら流行(なが)れる異形の人影(かげ)など仏間(ぶつま)の何処(いずこ)の影から自然(しぜん)に抜け出て俺へと近付き四隅に迎えた百面相には白い躍起がほとほと小躍(おど)って佇み不動に落ち着き、慌てた心身(からだ)は俺の元から一旦離れて天井(そら)へと上がって二度とは還らぬ気弱な主(あるじ)の下(もと)へと凄々(すごすご)忍んで返って行った。俺の心身(からだ)はそれからうとうと丑三つ時まで体(からだ)を安めて気弱に咲き得た不良の肢体(からだ)を体好く示して俺にも何にも恰好(かたち)の定まる器量に押えて飛んで行ったが、悠悠自適に揃った無残の容姿(すがた)は内実(かたち)を逃がして結実せず儘、供と呼べ得た白色人種を宙(そら)の内へと一度放(ほう)って見上げて祀り、それから透った涼風(かぜ)の母肢(はは)成る濃緑(みどり)の淵へとふらりと這入って体裁(かたち)を射止めず、緩々流行(なが)れる無理の腹など黒さを誘わず気丈に見定め無残な屍(かばね)がそこらに転がる仏間の温度を久しく眺めて自ら櫓を操(と)り、これから華咲く人間(ひと)の都へ自分を採り挙げ徘徊するのが自然の理(り)に在る、等々ぶつぶつ火吐(ぼや)いて快進(かいしん)して行き朝陽は昼間をすっかり透して夜を図った。煩悩(なやみ)が懊悩(まよい)を通して膨張して行く夜中を手前に瓜実顔した天女の光姿(すがた)がすっと現れ縁側(にわ)より出で立ち、内(なか)には眠った僧侶も在ったが和尚を始めにぎらぎら活気に遍く身を寄せ自我の境地を無関(むかん)に携え起き得た僧侶はぐっと視線を天女へと向け後光など差す頭部(あたま)の辺りを凝視し始め思惑(こころ)は小躍(おど)り、俺の肢体(からだ)を少々安ませ〝大事は無い〟など温(ぬく)みに拾った言葉で以て相対(あいたい)し得たが、僧侶の影には燈火(あかり)が映した懊悩(まよい)が先立ち狂う母体に覇気さえ芽生えて煩悶して在り、堂々巡りの人間(ひと)の優雅に一華(ひとはな)添え得る気力も無いまま自然(じねん)の陰へと失せ活き始めた。達観して行く人間(ひと)の意気地は司教(しきょう)に倣って煩悩(なやみ)の在り処を自然(しぜん)を開いて闊達向くまま行儀を揃えて見付けに行ったが、なにぶん丑三つ時にて獲物は土中(どちゅう)に眠った加減で自然(おのれ)の気力を纏わないまま気儘に転がり浅眠(せんみん)して行き、見付ける過程の俗世の内にて一度は手にした絶妙観さえ白く並んで薄らし始め、独創(こごと)に習った無尽の果(さ)きには人間(ひと)の姿勢(すがた)に懐かせ難(がた)い苦慮の在り処がはっきりしていた。苦慮の果(さ)きから人間(ひと)が阿る惰性が芽生えて俗世を統べ行き現世に至った懊悩(まよい)の倣いが活性するうち恰好(かたち)が定まり人間(ひと)も草木も鎮まる頃にてにゅっと生れる妖魔(ようま)の類(たぐい)を生せるものにて摂理は通り、人間(ひと)が独歩(ある)いた遍路(みち)の果てには人間(ひと)の思惑(こころ)に如何(どう)ともし難(がた)い楽への誘いが値踏みしながら手招きしつつ、緩々流行(なが)れる人間(ひと)の活動(うごき)を遊撃さえして待って在るのだ。天女の姿勢(すがた)は億尾に出せない嗣業の隅にて猛火を立ち上げ人間(ひと)の傘下に火の粉を降らせて起立して在り、歴(れっき)に誇る女神の正味(あじ)など仔細に食べさせ人間(ひと)への糧とし食べた自然(じねん)は慌てる間も無く表情(かお)を延ばして僧侶の精神(うち)にも容易く這入る。精神(こころ)などいう怪しい陰(かげ)にて人間(ひと)の懊悩(まよい)は信仰(まよい)を呼び込み屹立して活き、独創(こごと)を束ねる人間(ひと)の憂慮にそっと忍んで膠を喰わせて衰退して活き、空音(そらね)に謳った人間(ひと)の読経(こえ)など乏しく消え果て失せ行く自然(じねん)の名残は濃緑(みどり)を越え行き自体(からだ)を消して、僧侶と俺にはどっち付かずに向き合い続ける幽体(からだ)を見付けた天女の姿勢(すがた)が冷気に灯され惑わされ活き、とうとう棲家を見付け得ないまま涼風(かぜ)に打たれて中立して在る。見る見る内に経過(とき)が化け行き僧侶の姿勢(すがた)も和尚の姿勢(すがた)も何処(どこ)へ向くのか、「明日(あす)」をも知れない気弱な姿勢(すがた)へほとほと落ち着き黒く咲かせた疑問の華など疎く退(さ)げられ玄人ばかりが集(つど)った仏間の妖気にふとまた返り咲き活き隣室(となり)を隔てた襖の隙から疎らに覗いた人間(ひと)の眼(め)などが丈夫に飾られ未熟を再呼(さいこ)し、俺へ集(つど)った伽藍の主(あるじ)は仏間を仕立てて何処(いずこ)なりへと闊歩に勤しみ、遠い未来(さき)へと赴いていた。朝陽が昇った御殿の裾から昼間に覗けた倦怠期が観え、緩々崩れた理性の裾から人間(ひと)へ芽吹いた感覚(いしき)が飛び出て人間(ひと)へと居着き、夜を講じる泡(あぶく)の光沢(ひかり)が陽(ひ)に照らされながらに幼く輝き、仏間(ここ)に集(つど)った人間(ひと)の影など暗(やみ)に透ってのんびり艶活(あでい)き四隅の陰から神秘(ひみつ)を覗かす不思議の模様が人間(ひと)の頭上(うえ)では堅く延ばされ、到底冷めない冷気の熱など具体(かたち)を介して躍動して行く固陋の足さえ落されずに在る。僧侶はそれから躍起に成りつつ俺へ対する経(きょう)を読み上げ仏間(ぶつま)に佇む大本尊(だいほんぞん)など対象(あて)から外れて徘徊させられ、遠(とお)に灯った人間(ひと)の姿勢(すがた)は黒目に映され信仰(まよい)の源(もと)へは人間(ひと)が居座り、青い直射(ひかり)が縁側(にわ)から差し込む人間(ひと)へ集(つど)った時節となれば、僧侶は更に躍起に振舞い俺の身元と自分の身元を奇麗に洗って苦節を迎え、まるでもう直ぐ四年が経つほど身元を洗った〝落ち僧〟の群れが仏間を廻って縁側(にわ)へと降り立つ惨く清(すが)しい景観すら観え、俺の感覚(いしき)を鈍(にぶ)くしようと慧眼効かせて遂行して活き、私欲に潤う実力(ちから)の限りを俺を誘った真面目な死霊に充分足るほど両脚(あし)を廻して放(ほう)って在った。然るに二時を回って三時になっても一向不変の仏間の陰には死霊の影から燈火(あかり)の影から、遠(とお)に失せ得た俺の影さえ灯らず僧侶の衆には不思議が灯って展開され行き、俺の言葉は宙へ浮んでそのまま消えずに僧侶の頭上を上手く飛び跳ね縁側(にわ)へと消え失せ、僧侶の読経(こえ)には言葉は灯らず一声(いっせい)放って生れた果(さ)きには黒い懸橋(はし)など上手く渡され仏間の四隅へ無音の内にて消され果て活き、やがては各々一声(こえ)の主(ぬし)へと妙に返され無事を渡って平気であった。死霊は自分の出番を上手く損ない自分の懐(うち)から嗣業を巡って落ち着いて活き、四隅の陰にて二度と出て来ず隣室(となり)の燈火(あかり)に付き添い黄泉の国へと隠れたようだ。人間(ひと)が空想(おも)った黄泉の国とは一向違った気色を死霊が這入った異界(いかい)は保(も)ち得て人間(ひと)には知られず丈夫に育った果実の様子を自然(あるじ)に対して伝(おし)える様(さま)にて、旧来(むかし)に成り得た御伽(むそう)の在り処が人間(ひと)に倣ってほとほと化け得る変遷過程を俺の思惑(こころ)は妙に捉えて離そうとはせず、こうした空想(おもい)とその場の感覚(いしき)は仏間へ集(つど)った僧侶の内にも若い輩を先から数えて、結構俄かに上(のぼ)ったようだ。和尚の無心(こころ)は固く成り立ち旧い習いに従順(すなお)に落ち着き新たな刺激に手数を揃えて抗うなどせず、実直成るまま化身に向けては己の自信を結局曲げない無邪気に沿い得た。薄い空気が本尊囲んだ仏間に流れて神秘(ひみつ)に居座る邪気の影(すがた)は一目散へと会散(かいさん)して活き、会散して行く人間(ひと)の果てには何時(いつ)しか咲き得た桃色(ぴんく)の華(はな)など薄ら芽吹いて闇を縁取り天から漏れ出た月の表情(かお)には横暴なるまま真理を見知らぬ人間(ひと)の過酷を結実させ得て賭場を紡いだ天女の姿勢(すがた)が緊(かた)く成り立ち中立して在り、仏間の無音に高鳴(おと)を忘れた自然(あるじ)の姿がひょっこり立ちつつ人間(ひと)を払って仏間を浄め、御伽噺に真理を付け得る手腕(すべ)を携え俺の目前(まえ)ではあべこべながらに人間(ひと)を惑わす礼儀の無様がひたひた落ち着き自然(じねん)を統べた。夢想と理想が仏間(ここ)にて結実するまま和尚を初めに寺男(おとこ)の人間影(かげ)などすっかり損ない縁側(やみ)へと消え果て、人間(ひと)へ対する説法等とは土台を忘れて主言(しゅげん)を弾(はじ)く物憂い動作と相成り始めて粛々消え果て、人間(ひと)の目前(まえ)には具現(ぐげん)を呈する物の影など一つも残らず何にも無い内、一人の涼風(かぜ)だけ宙(そら)から流行(なが)れて無宿であった。俺の懐(うち)から「俺」が消え果て、思惑(こころ)の内では暗(やみ)に捉えた不問が降り立ち先立つ幻夢(げんむ)の底からふっと湧き出た霞を取り下げ自適に有り付き、自然(しぜん)に灯った自然(じねん)の遊びは蝙蝠にも似た黒さを纏って見えなくなって、ふっと気付けば俺の孤独は化身(ひと)の孤独を沢山呼び寄せ孤独には無い。
俺は人と成り着き人間(ひと)の目前(まえ)から姿勢(すがた)を消し去り遠く流行(なが)れた人の経過に浮足立ちつつ自分を見付けに歩いて行った。暗(やみ)の内にて光を見付け、光の内には光が有り付き、暗(やみ)には衣が、女神が着て居た白い衣が悠々靡いて丈夫に在って、俺の居場所を〝ここだ、ここだ〟と具に伝(おし)えて高鳴りもせず、一向通った常識(かたち)を訓(おし)えて生育(そだ)って在った。腰から足まで落ち着き始めた俺の元にはそれまで無かった供と異性が立ち行き自然(しぜん)に活き活きして在り瞑想などせず信仰(まよ)いもしないで立派に成長(そだ)って燈火(あかり)を掲げ、人間(ひと)へ懐いた〝隔て〟の壁など払った態(てい)にて静かに転んで動かす内にて、供と異性の体(たい)へ這入れば選り取り見取りの糧が実って果実と華咲(はなさ)き、用途を失くした僧侶の呪文は人から消え果て一端(いっぱし)通った無実を訓(おし)えた。
からから廻った仏間(ぶつま)の陰など宙(そら)から出て来た俺の眼(まなこ)が散歩がてらにちょいと寄り付き眺めて居ると、あの晩起った不思議な怪奇へ興味を寄せ得た僧侶の盛りが頭を光らせ仲間を呼び寄せ、あの晩仏間へ届いた僧侶の頭数(かず)さえ優に超え行く肢体(からだ)の温(ぬく)みを好く好く呈した儘にて俺の目前(まえ)ではごそごそ嘆いて相談して在り、未だに仏間の四隅の陰見て無念を表する若気の至りは俺を差し置き何処(どこ)からともなく吹き遣る涼風(かぜ)に居心地覚えて地団駄踏みつつ微笑(わら)って在って、僧侶の信仰(まよい)が勝手気儘に「死霊」と信じた生霊(いのち)に釣られて消えた坊主を如何(どう)して俗世(ここ)まで戻して来ようか必死に躓き熟考しながら悶々して行く自己(おのれ)の依怙地を決して醒まさぬ司業(しぎょう)に準じた。到底終らぬ神秘(ひみつ)へ集(つど)った人間(ひと)の御伽噺(はなし)は億尾にも出ぬ信仰(まよい)を携え温存せしめて未来(さき)へ活き行く自身(おのれ)の分身(かわり)を常に求めて「八戒」を描(か)き、百の煩悩(なやみ)に八つ付け足す妙な口火を自然(じねん)に断ち切り尻切れ蜻蛉に哀れに懐く人間(ひと)の感覚(いしき)を陰で汲み取り自活に足し得た。好く好く集まる僧侶の背後に黒目を遣れば、各自の背後(うしろ)に赤く灯った死霊が居着いて離れる事無く、時期が来るのを算段しながら反省して待ち、人間(ひと)の居場所を細かく刻んで狭筵(さむしろ)にした。人間(ひと)は危うい居場所に具現(かたち)を見付けて色目を向けつつ自身の保身に悠々遊泳(およ)いで立脚して在り冷たく成らずに、自分の経過(じかん)が流行(なが)れ行くのをじっと凝らした目付きを以て眺めて在った。白く棚引く香(こう)の煙は堂を越えつつ明るく成り得た縁側(にわ)を通って虚空(そら)へと向かい、人間(ひと)の感覚(いしき)に滔々流れる白雲(くも)にまで着きそうした過程は人間(ひと)に知られず樞(ひみつ)に遊泳(およ)いで確立して在り、温床(ねどこ)を離れた人間(ひと)の精神(こころ)は神を忘れて精力(ちから)を問いつつ、巧く逃れた信仰(まよい)を包(くる)んで生々(せいせい)足るまま足を運んで蜷局を巻きつつ、夢幻(むげん)を知り得て立脚したまま煌々灯った人間(ひと)の感覚(いしき)に具体(かたち)を付け得る仕業(ドグマ)の姿勢(すがた)を彷徨い独歩(ある)いた明るい両脚(あし)にて僧侶(ひと)の思惑(こころ)も精々見付けて独創(こごと)を呟き、決着付け得る新たな試算を明るい縁側(にわ)にて見付けた僧侶は、人間(ひと)に宿った堅い摂理に悠々馴らされ、到底見えない新たな自然に安い神秘(ひみつ)を根強く承けつつ新たな徒労を続けて行った。
くるくるくるくる剥がれ落ち行く空気に見取れて仏間に居着いた僧侶の群れは薄い妖気が次第次第に坊主の思惑(こころ)を払拭した後(のち)何処(どこ)へ行くのか知れない膨れた厚みを呈した様(よう)にも空想(おも)えてしまい、自分の居場所に段々居座る強い常識(かたち)に震々(ふるふる)震えた思期(しき)など携え陽動させられ、ふとした経過(じかん)に見上げた仏間の天井(そら)を目掛けて俗世の雑事を一糸纏えぬ人の姿がふわりと浮んで飛び立つのを観(み)、如何(どう)した事かと慌てながらに亡霊でも見たんじゃないかと呆気に取られて身を締め始め、そこに観たのが人と成り得た「俺」の姿勢(すがた)と確認した後(のち)柄(え)にも問えない恐怖に吹かれて締めた躰は緩々緩んで衰退し始め、〝そこに出たのはあの晩我等が見据えたお前であるのか?如何(どう)して空(くう)に紛れてそんな所に浮遊し堂々在るのか。お前の精神(こころ)は我等の見知らぬ縁(えにし)の定めを然(しか)と見極め、道理に伴う幸福(しあわせ)等を恰も自然(しぜん)に問われて手に出来たのか。人間(ひと)の夢想(ゆめ)とは何とも儚い人間(ひと)の摂理に常識(かたち)を覚えて身動き取れずに立脚(あし)を捉えて活きて在るのか。お前の道理が生命(いのち)を手に取り我等の元へは二度と還らぬ定めの内にて飛び立ち逝くのか、今の今まで知り得なかったが、如何(どう)して如何(どう)して、こうして我等の目前(まえ)にてきちんと腕組み足組み、未知(さき)へ先行く幸福(オルガ)の流行(ながれ)をしっかり携え活きて在るのは我等の内にも望んだ所で忘れて居らず、お前の行方をこうして追うのは我等の内にも一糸纏えぬ「未熟」の姿が然(しか)と居座り謳うからだ。〟と何気に見上げた若い僧侶は誰にも何にも億尾を採らずに明るく鳴り出し、一喜一憂、緩んだ調子を尚も順手に採って放蕩し始め、「明日(あす)」へ向くのが愉しくなった。和尚と僧侶は座禅を忘れて仏間の四隅に浮べた僅かな燈火(あかり)に諦め顔して別れを告げ行き、明るく成り得た縁側(にわ)の裾から草履を履いて社(やしろ)の内より再び消え果て俗世へ向かい、若い僧侶は信仰(まよい)を捨て去り和尚を始めに消えた僧侶を幾分眺めて静まり返り、滔々仏間に果て行く自身(おのれ)の分身(かわり)を上手く睨(ね)め付け宙(そら)を見定め、虚空へ浮んだ哀れな無念を人間(ひと)が活き行く俗世の元へと妙薬揺らして事毎返し、分身(かわり)は徒労に沈んで幸(こう)を手にした。虚空(そら)はこうした彼等の活気を静々妬んで煌々明るく、始めに還った和尚と僧侶を上手く囲って宴を見せ付け、俗世の夢想(ゆめ)とは人間(ひと)が拝した矢先に生れて凡庸鳴るうち丈夫に固まり陽(ひ)が暮れ入(い)っても人間(ひと)の頭上に活き行くものだと仔細に訓(おし)えてすうっと消えて、和尚の目前(まえ)には、僧侶の目前(まえ)には、俗人(ひと)の目前(まえ)では、二度と姿を表さないまま誰も見取れぬ仏間の四隅へ明滅(めいめつ)され得た。滅度(めつど)の翳った私欲の郷里に和尚を頭(はじめ)に僧侶の多勢は常識(かたち)を頭上に冠していながら体動(うごき)の程度は然程良くなく、明りを見付ける無体の具合へ彼等を逆上(のぼ)させ接近させ行く信仰(まよい)の円(まる)みは一向経っても調子を損ねず宙へ浮んだ涅槃を象る人間(ひと)の空想(おもい)も尻が上がらず常識(かたち)を彩(と)るのに宜しくない儘、到底適わぬ嗣業を手にして先行く夢想(ゆめ)とは無刻に散らばる〝丑三つ時〟にて人間(ひと)を待つ身と成り行く過程に集(つど)った僧侶は和尚の頭(はじめ)に沸々問い出し、奈落へ堕ち逝く我が身の在り処を仏間に欲した。
透った空気は師弟を越え行き堂々巡りに一方羽ばたき一方朽ち行く涼風(かぜ)の姿勢(すがた)を虚空と人間(ひと)とを結ぶ懸橋(はし)としたまま何にも言わずに静まり返り、俗人(ひと)の末路は慌てながらに自分を探して世間に紛れた分身(かわり)の在り処を息を切らして奪還するのが道理に適った業(わざ)と成るのを活きながらにして謳って在った。明るい世間が自分を越え活き誰の為にと何かの為にとせっせと身支度しながら、忘れた吐息を手中へ載せつつ自体(からだ)を捜して静まるようだ。無音と無事とを神秘(ひみつ)へ隠して樞(ひみつ)を謳い、現行(いま)から生育(そだ)った遠い自然に我が物顔して俗人(ひと)を送って事物を送り、荷造りし終えた端座の姿勢(すがた)は人間(ひと)に対して冷たく懐く。神が在れども仏が在れども神話が在れども自然(しぜん)が在れども、生け捕る無体は無理難題にも似る孤高の宴を虚空でしており人間(ひと)の苦心は地に堕ち逝く以前(まえ)にも遠(とお)に流行(なが)れて俗世は見知らぬ。〝人間(ひと)の世界〟は何を信じて生き活きし始め、何処(どこ)へ向かって小躍(おど)って行くのか、精神(こころ)を病まされ正気(かたち)を忘れた当の人間(ひと)には涅槃を忘れて独歩(ある)いて行くのと然程変らず愚弄され行き、仏間に輝(ひか)った分身(おのれ)の四肢(からだ)を密かに手にして活きて行くのが自然(しぜん)に倣った善徳(ぜんとく)と知り、悪意を忘れた無体と成り付き人間(ひと)の〝哀れ〟を堕として行くのだ。
俺の背中は僧侶を忘れた涅槃を垣間見、和尚を想った癖の内から小さな気泡を取り出し仏間へ並べ、これから始まる僧侶と死霊の一騎打ちなど期待をしながら愉しく成って、その後(ご)に生れる新たな仏間を新たに生れた涅槃と呼びつつ自体(じたい)を先取る虚ろな自然に沈黙しながら、「明日(あす)」を創った豪語を呈した。仏間へ漂う涼風(かぜ)の裾から密かに湧き出た長閑に和らぎ、縁側(にわ)から生れた堅い湿気にうろうろ遠退き未熟に謳った俺の鈍気(どんき)は、人間(ひと)の熱気に冷気を見て採り、哀れに遊泳(およ)いだ無象(むぞう)の試算に十分勝鬨(かちどき)示せる余裕(ゆとり)を配して添えて居ながら、何時(いつ)しか自滅へ懸(か)かった分身(わがみ)の姿勢(すがた)を如何(どう)にか暗(やみ)へと進行させつつ弱身(よわみ)を掲げる冷気の尻尾を熱気を伴い成敗し得る施策を試み俗人(ひと)の在り処をこよなく観棄(みす)てて常識(かたち)を成し得た愚行(ぐこう)の連鎖(ながれ)に総身を任せて自分を操(と)りつつ、「明日(あす)」は昨日(かこ)を連れ行き人間(ひと)から知られぬ空間(ところ)で形成(かたち)を化(か)えつつ濁った自体の弾力等から煤や情など払って輝(ひか)り、まるで人間(ひと)から確立して行く凄みを見せ付け人間(ひと)の頭上で画竜(がりょう)を灯して深く眠った。虚ろな瞳(め)をした信仰人(まよいびと)など自分に灯した目下の試案に明け暮れながらにほろほろ独歩(ある)いて密(みつ)を保って、在る事無い事繁(しげ)く問いつつ、夜半(よわ)に奏でた坊主の寝息に耳を欹て徘徊して行き、とうとう見付けた自分の理想をこよなく愛した人間(ひと)の夢想(ゆめ)だと暗に伏し行き丈夫に立って、活性され得る自活の糧とは空気に詰め得る人間(ひと)の温(ぬく)みと解(かい)した人間(ひと)の規律に、無言に沿い得る蛇尾(だび)を逃がさぬ人間(ひと)の常識(かたち)に熱気を覚えて教義(きょうぎ)を見出し、自分を立て行く丈夫な両脚(あし)とは明度に灯った縁側(にわ)の茂みに深々這入って脱(ぬ)け出ぬものと自ず困って納得して居た。常識(かたち)に息衝く俗世の教理を展開するのが人間(ひと)にとっては華(あせ)とも成り得て自然であるなど、何処(どこ)ぞ洋装被(ようそうかぶ)れの偉い御方(おかた)が企図を揃えて発したものだが、今俗世を透して仏間へ辿って、涅槃まで観た人間(ひと)の懐(うち)には教義(きょうぎ)に増し行き教理に増し行き、夜半(よわ)に飛び得た坊主の寝言が屏風に画(え)を描(か)く具合のついでに人間(ひと)の芸など具に捉えて認(したた)め果て行き、「明日(あす)」を描(えが)いた苦労の末での徒労であったと心底認(みと)めた人間(ひと)には当然、後ろめたさが自分の理想を曇らせ行くのを感じずにはなく如何(どう)してこうして上手く畳んだ挿話の活きなど大した壮語に冠して据え置き、未来へ跳び得た得体の正味(あじ)とはそうした人間(ひと)の理想(おもい)が成した具現(かたち)と口をそろえて謳って落ち着き、夢游に浮んだ個人(ひと)の才など、一途(いちず)に通った俗世の内には無体を纏って正味(あじ)を成し得ぬ無理の生れと見棄てられ活き独人(ひとり)に灯った才の技術は、未熟を伴い〝暗(やみ)〟を成し行く哀れな所業を被(こうむ)る下(もと)にて得体を灯した個人(ひと)の壮語に、形成され行く過程の上では非常に好く似て薄まる間(ま)も無く人間(ひと)の懐(うち)へと返って行った。
仏間の内には壇を構えた仕切りが在って、壇の上には上肢の見取れぬ仏像(ぞう)が一体小さく佇む霞の内にて生き活きして在り、表情(かお)は人間(ひと)と経過(じかん)に応じて表れ場所を厭わず理想に華咲き、涼風(かぜ)を通した仏間の間取りは人家にとっては少々拡がり縁側(にわ)に出るのも暗(あん)に伏された経過(けいか)を通って出て行かせるなど、繁く不変の社(やしろ)の設計(はかり)は揺ら揺ら揺れ得て人間(ひと)に見取れぬ大きな得物と相対(あいたい)していた。そうして拵えられ得た壇の上には像の真横に粛々延ばした掛け軸が在り、和尚が記(しる)したサインを呈する奇麗な軸とは一風異なり、像を挟んだ相対側(あいたいがわ)にて古く萎(しな)んだ古来の書写が人間(ひと)に観られて好いようにと古いながらに写字(しゃじ)は奇麗に整えられ得て古来に敗け得ぬ力強さが溢れて切り立ち、仏間を通った人間(ひと)の注意を引き付け得たまま無風の内にて静かに在った。
そうした仏間に或る日経過を悟れぬ内にて人群(むれ)が通って古書を見定め、古い名残に旧さを見取って精読するほど無音を過して解釈した後(のち)書面に描(か)かれた感覚(いしき)を見取れず不問に留まり、各自を引き得た軸の真横にも一つ呆(ぼう)っと浮んで咲き得た身近な若輩(やから)の文句が人群(むれ)を捕えて自体を明(あか)し、品定めに似た愚問の手数(てかず)を総身に受け付け赤く灯った。身近な若輩(やから)の文句が並んだ左に相対(あいたい)している古書の著者(あるじ)は人群(むれ)が良く知る著名な名士で文豪とも成り、名士(あるじ)が書き得た著者(ちょしゃ)の汚れは忽ち輝(ひか)って有難さを添え神秘(ひみつ)を纏い、人群(むれ)の眼(め)からは微動に揺るがぬ哀れの骸を取り出し着せられ漆黒(くろ)い轍を講じる対象(もの)とも添い得る人群(むれ)にて立脚させられ、若い文書は文句から出ず一向揃った偏る主眼に落ち着けられ得て未熟を欲した。
(群A)「如何(どう)にも古い書文(しょぶん)が相対的にも斬新であり、若い手記には未熟が照輝(てか)って目立って在って、誰にも何にも取り付く島さえ牛耳られずに在り、よく在る駄文の態(てい)にて留まりますなぁ。」
(群B)「どうも二つの手記には同じ程度の文句が並んでいますが、若い吐息が未熟に祟って功を焦って、自然に沿い得ぬ蛇足が生え付き、自棄的境地がはっきり見て取れ浮気に倣った横殴りの気がおどおど小躍(おど)って動かぬようだ。若いながらに文豪とも謳われ名士に先行く彼の苦力(ちから)に見取れて破(は)れて俄かの影響力など得たのでしょうか。なにぶん力の余りが余白に見て取れ余程のせっかち君だと頷き得ます。」
(群C)「この二つの手記とは抑々どういう経路を渡り終え得て、今ここにて我等が居着いた仏間の壇上(うえ)に表れ得たのか。抑々我等は手記の中身に思惑(こころ)を奪われ感覚(いしき)を刈られて、品評する際、大事な基盤を手に取る間も無くああだこうだと愚図愚図言ってる。抑々若気の手記とは古来より出た原本(オリジナル)から派生して参上させ得た我等の感覚(いしき)の産物成り哉(や)。二つの手記の中身の具合はもっと幾何学的に解放され得た感覚(いしき)の内にて相成るものだと私は思う。」
こうした三つの試問が寸分違(たが)わず人群(むれ)の内にて暫く交され経過に伴い困憊して行く哀れな末路に堂々巡って反応(こたえ)など無く、人間(ひと)に生れた限度(かぎり)を見据えて徒労を鎮めて漸く返した吐息の内には疲労が在った。転倒して行く人間(ひと)の仕打ちは微動だにせず古来も新たも見境無いまま懐(うち)へ向かって究明して行き主頭(しゅとう)が無いのを皮切りにして〝何を究明するのか?〟自然の懐(うち)にて分らなかった。唯、困憊して行く僅かな感覚(いしき)に捉えて失せ得ぬ不明の文句は二つ並んで同等に在り、同じ文句が並んで在るのを明度に保って覚えさせられ、二つの行方を宙(そら)へ返さず人間(ひと)の無力は徒労を着飾り行く末を観た。
経過に憶えた俺の感覚(いしき)は昼間を透って夜へと居着き、夜半(よわ)を跳び越え夢中に独歩(ある)き〝二時の濃緑(みどり)を山に見たのは人間(ひと)に還らぬ夢想の吐息。夢想(ゆめ)を知るのは一回限りに充分である。〟等々弱音とも成る人間(ひと)の吐息に屈曲した儘、真っ直ぐ延び得た自分の活路を遠い意識の内にて呆(ぼ)んやりやんわり、懐(うち)へ篭って和らぎながらに人間(ひと)の活き得る孤独をすっかり知り得た。
ふと見上げた暗(やみ)の傍(そば)には嘗て別れた供が寝そべり、「嘗て」に呈した明るい姿勢(すがた)を夕日に向かって静かに在って、危うい土台は供にも俺にも結局見えずに尖塔から成る無音の在り処に据えられ得ていた。烈しく叩いた「仏間」の壁(しきり)に「堂々巡り」に「華(はな)」咲く模様は結局見据えた人間(ひと)が活き得る新たな「暗(やみ)」には咲き得ず儘にて、混流して行く夜半(よわ)と人間(ひと)との新たな果(さ)きにて呼吸(いき)をして居り「不動」に在ると、「不変」に絡めた人間(ひと)の「感覚(いしき)」は眠りながらに覚醒して活き俺と彼女を結んで在った。供から生れた坂田の姿勢(すがた)は声を消しつつ温(ぬく)みを従え、肢体(からだ)を消しつつ温(ぬく)みに彩(と)られ、無音を欲して「温(ぬく)み」に溺れて事切れて活き、自活を保って死霊と成り果て闇夜の懐(うち)より涼風(かぜ)を冷やして生れて来たのだ。俺にも供にも、その後に透った硝子の破片は宙(そら)から降っても気取られ得ぬ儘、彼女を透して夜半(よわ)へ赴き、自体を象る活路を呼び出し涅槃の傍(そば)へと敷き詰め得ていた。俺の肢体(からだ)は廻転(かいてん)して行く。供の躰も反転して行く。彼女の艶体(からだ)は硝子を透って衰退して活き、雨を見果てぬ自然の懐(うち)へと一旦退(さ)がって再生して居り、無音を欲した人間(ひと)の精神(こころ)へ頷き這入って没我に極まり、堂々巡りに功を奏した人間(ひと)の活力(ちから)に相対(あいたい)しながら僅かに夢見た人間(ひと)の限界(かぎり)に涼風(かぜ)を吹かせて往来してある。黄泉と仏間を往来して行く彼女の姿勢(すがた)は、暗(やみ)とも成り得る〝黄泉〟の在り処を奇麗に明かして奇妙に有り付き、落ち着く労苦から成る人間(ひと)の華(あせ)など、ぐうすか眠った俗世に活き得る堅物等には相対し切れず取り留めないほど寛ぐ奇妙は、自立を欲して暗(やみ)へと進み、滔々廻った自然(あるじ)の元へとすんなり帰し得る無音の響きを人間(ひと)の余命へ新たに講じた闊歩を手に取り悠々遊泳(およ)いで独自に盛(も)った。
白紙に纏わる人間(ひと)への挿話は新参者(しんざんもの)にて毒牙も無いまま奇妙に落ち着く彼等を夢見て後退して行き、衰退し尽す新たな挙動に人間(ひと)の孤独は思惑(こころ)を手に取り焼噛(やっか)み逃れて新たに活き行き暗(ひみつ)に終った無音の響きを肌身に感じて闊歩を始める。供と異性は結局俗世の活気に湿気に表れ出ず内、俺へ対する矛盾を起して宙へと消えた。消えた果(さ)きでの新たな宙(そら)には常識(かたち)に問われぬ不思議な脳裏が常に遊泳(およ)いで生霊を呼び、奇妙な宿には命が灯って艶やかだった。
~言葉限りの白紙の祭り~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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