第8話 それとこれとは別問題です

 祝宴から一夜明け、ヘルパ軍が確かに撤退したことを確認したフェリシアたちは、砦を離れ今度は北西軍の砦に向かった。

 戦後処理に王位継承権1位のフェリシアが立ち会えば、物事が早く進むためだ。

 

 早く合流することに越したことはないけれど、既に戦は終わっているとあり、酔いが抜けきっていないことを隠さない者――有り体に言えば隠せない者もいるため、行軍はゆっくりした速度になった。


「お嬢ぉ、遅いよ、これ」


 既視感が過るヴィクターの言葉を黙殺しながら、フェリシアは淡々と皆に無理のない速度で馬を進めていた。

 もちろん速度については、フェリシアとて思うものはある。とてもある。

 けれど、強行に付き合わせた馬を休ませるためにも、この速度は仕方ないことだと、心の内で何度も唱えるように言い聞かせていた。


 そして――、


 不満を溜め込まないヴィクターの隣にいることに、非常に不満を溜め込んだフェリシアの眉間にとうとう皺が寄り、彼女の苛立ちを感じた愛馬が耳を徐々に伏せ始めたとき、ようやく砦が目に入った。


 既に早馬がフェリシアたちの到着を知らせていたこともあり、砦の入り口には北西軍と見知った顔が勢揃いしていた。皆、隠れた残兵を警戒してまだ武装も解かず、大半が騎乗しているものの、その表情は明るく、和らいだものだ。

 フェリシアはさり気なくルークの表情を確認した。生真面目ないつもの顔だ。

 いつもの顔ならば、ルークたちも恐らくは間に合ったのだろう。そう思いたい。


 と、ここまで敢えて視線を中央から逸らしていたフェリシアは、ようやく列の中央にいたレイモンドに視線を向けた。

 トクリと自分の鼓動が聞こえた。

 1ヶ月ぶりだった。婚約破棄されたあの日以来だった。

 振り返れば、たった1ヶ月なのに、ずいぶん久しぶりに思える。

 鎧を纏っていても、彼の美は健在だった。彼の周りだけ、空間が異なるような存在感を放っている。

 たとえそうでなくとも、フェリシアの視線は吸い寄せられていただろう。

 婚約破棄をされたあの日の無表情は消え去り、1ヶ月ぶりに目にした青い瞳は、眩しそうにこちらを見つめていた。

 視線が交わり、トクリと再び胸が高鳴った瞬間、フェリシアの意を受けて愛馬は駆け出した。

 

「お嬢ぉ、手加減しろよぉ」


 やる気の無いヴィクターの忠言は、もちろん黙殺した。

 

 愛馬は気持ちを汲んで速度を落とさない。

 

 分かっている。


 婚約破棄はレイモンドの心変わりを示していたのではない。

 心変わりなど全くしていなかった。


 恐らく、護衛を外れることになったヘンリーから、フェリシアが辺境伯軍の応援に行く可能性を聞いたのだろう。

 レイモンドはフェリシアを戦場に行かせたくなかった。


 婚約破棄はフェリシアを命の危険から遠ざけるための手段だった。

 婚約破棄ではなく、破棄に伴う賠償が彼の狙いだったのだ。

 

 王位継承権1位の譲渡は、彼女が戦場に行くことを法で防ぐため。

 併せて、国一番の護衛を彼女に付けることもできる、会心の賠償だったろう。

 

 トレス金山の譲渡は、フェリシアが法の目を掻い潜り辺境伯軍へ赴いた場合に、銀の槍をフェリシアに付けさせるため。

 

 実際、彼女は戦場になる前に現地入りし、なし崩しに指揮を執る心積もりだった。

 

 本当に、私のことをよく分かっているのね。

 

 フェリシアに苦い笑いが込み上げた。そして苦い笑いは収まらなかった。

 

 賠償で用意した手段だけでなく、レイモンドは実力行使までした。

 婚約破棄による謹慎という形で、露出を控える状態を作り、その間に危険の高い北西軍に赴き、フェリシアが応援に行く状況そのものを無にしたのだ。

 

 分かっている。

 

 レイモンドは絶対にフェリシアを戦場に行かせたくなかったのだ。

 

 腕の傷が鈍く疼いたけれど、フェリシアは愛馬の速度を緩めさせることはなかった。

 過去に洗礼を浴びたルークたちは、既に脇によけ始めた。

 

 けれどレイモンドは動かない。

 近づくフェリシアを眩しそうに見つめたままだ。彼女が生きていることが眩しいというように。

 

 分かっているけれど――、

 

 フェリシアは直前で愛馬を止めながら、渾身の力を込めてレイモンドの腹に拳を入れた。

 素晴らしい拳だったと思う。周囲から響めきが起こるほどには。

 鎧越しとはいえ、衝撃を受けたレイモンドは落馬してもおかしくはなかったものの、流石と言うべきか、彼は何とか堪え、踏みとどまった。

 痛みに眉を寄せるレイモンドを見据えながら、フェリシアはこの1ヶ月思い続けたことを声にした。


「一人で決めないで……!」


 フェリシアは瞬きを繰り返した。

 鎧に拳を入れたために、手が痛んだのだ。痛んだだけなのだ。それだけだ。

 

――それだけなのに、レイモンドは大きく目を見開き、苦しそうに顔をゆがめると、フェリシアを抱き寄せたのだった。

 



 

 

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