第12話 ヨツギフミ






「なあに、ただの飼い殺しですよ」

 ウマシマジは自嘲ぎみにほほえんだ。


 有り余るほどの富、何不自由ない暮らし。

 しかしニギハヤヒの宮がある白庭しらにわには近づくことすら許されず、御子であることも名乗らせず、ただヤマトの辺境に宮をたて、そこで朽木くちきになるのを待っている。


 どこかへ別の場所へ行くことは許されていないのだという。

 ただこの宮の内にいさえすれば、豊かな暮らしは守られる……。


「わしも歳をとったから、ここでただ、女どもとおどりうたいを愉しみ、やがてくる最期のときを待っているのですよ」

 ウマシマジの歳老いた顔からは、もはや感情を読み取ることができなかった。

 覇気のない瞳。

 あきらめのような、まなざし。



「……つかぬことをきくが、ウマシマジどのがマキムクの王に任じられたのは、いつごろのことですかな?」

 スメラギが、尋ねた。

「さあ、どうだったか……。十年ほど前のことでしたでしょうか」

「十年……」

 スメラギは考えを巡らせた。

 十年前といえば、マキムクを戦乱が襲い、サヒの巫女一族が追放されたあとであろうか。


「つかぬことをきくが、ウマシマジどのが王になる前に、このマキムクの王であったタタラヒメのことは知っておいでか?」

 スメラギの問いかけに、ウマシマジはしばらくの沈黙のあと答えた。

「タタラヒメ……。知っているというわけではないが、聞いたことならある。をもって人心を惑わし、ヤマトの国を掌握しようとした土着の巫女であったとか。」


 サヒが聞けば、目から火をふいて怒りそうだなと、スメラギは内心おもいつつ、

「その巫女の娘が、マキムクを滅ぼしたのはアスカの宮のニギハヤヒであると聞いているそうだが?」

 と、正面から尋ねてみた。


「そこは、わしも未だにようわからぬ……」

 ウマシマジの面持ちが、急にかげってしまった。


 もともとニギハヤヒは、マキムクにいつ巫祝かんなぎたちに畏敬の念をもってきたし、むしろマキムクの宮を庇護してきた……はずであった。

 春に、秋に、ニギハヤヒはマキムクの宮に神への供物を運ばせていたし、それに対してマキムクも「ことほぎ」を返していた。

 ことあるごとにマキムクに吉凶を占わせていたのは、その占卜うらの確かさをニギハヤヒが認めていたからにほかならないのだ。

 ニギハヤヒが厚遇することで、マキムクの名声は更に上がり、各地からはるばる貢ぎ物を持って訪れる豪族らもたくさんいた。

 しかしあるときから急にニギハヤヒの態度が変わり、マキムクに敵意を向けるようになったのだ。


「マキムクの巫祝どもは人を呪い、国を滅ぼす妖人あやかしだとにわかにお怒りになり、ニギハヤヒさまはたくさんの兵士をマキムクに差しむけられた。マキムクに火を放ち、燃やし尽くし、あっというまに攻め滅ぼしてしまった。……だが、今思えばおかしな話だったなあ。ニギハヤヒさまはなにかを勘違いされていたのではなかったか。武器も持たないか弱き巫祝らが、一体どうやって国を滅ぼすというのか……」


「ナガスネという男が、いただろう」

 スメラギは押しかぶせるように、その名を口にした。

「…………ナガスネ?」

 ウマシマジは眉間を寄せ、

「ああ、トミビコのことか。左大臣ひだりのおみの」

 と答えた。


「あいつは、いけない」

 次第に思い出されたことがあるのか、ウマシマジの表情は険しくなった。

「はじめはおとなしい奴だったのだ」

 合議でも口をはさまず、末席でもだしているような朴訥ぼくとつな男だった。

 だが、だんだんと粗暴な態度が目立つようになっていった。

 なにか陰鬱な……重い、影のようなものを背負った、暗い男だった。


「とにかくちょっと外見が人とは違う。背が高く、手足が長く、いつも部屋のすみで丸まっているから一見小さく見えるのだが、立ち上げれば突然見上げるほどの大男になる。おかしな男だよ」

 そんなふうにナガスネビコの外貌をいいあらわした。


 スメラギは、ナガスネビコのその外貌を脳裏に思い浮かべるたび、ギリギリと胃の腑が引きれるほどの怒りが沸きあがる。

「ナガスネビコには、恨みがある」

 スメラギは噛み締めた奥歯のすきまから唸るような声でいった。







 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−







 ナガスネビコの名は、ずいぶん前からツクシの宮にも聞こえていた。もう十数年……、いや二十年近く前のことになるだろうか。


「ヨツギフミが盗まれた、だと!?」


 ある日、カスガの宮からもたらされた報せを受け、朝廷カシコドコロは大騒ぎになった。


 ヨツギフミというのは、その名のとおり「手にした者が世継ぎをさずかる」と言われているふみのこと。

 日頃はカスガのやしろの奥深くに、カスガの神に仕える巫女らの手によって、厳重に保管されているのだが、それがいったいどうして盗まれたというのか。


 ヨツギフミは、いにしえより代々皇統に伝えられている神聖な文だ。またその神域に踏みこみ、神の厳忌いちはやし神具を盗み取るとは……神の(※たたり)をも畏れぬ不届き者である。


「ナガスネビコという男が、盗んだという」

「ナガスネ……?」


 まだこのときは、だれもナガスネビコの名を知るものはいなかった。それほど無名の若者であった。



「どうやらナガスネという男は、ニギハヤヒ王の側仕そばつかえらしい。ニギハヤヒ王に世継ぎが授からないことを気に病んで、つい……」

「つい、盗んだというのか。そんな畏れ知らずな」

「ニギハヤヒどのには世継ぎがいないのか? 男子おのこが生まれたときいたことがあるが……?」

「わしも聞いたことがある。しかし、死んだのかもしれん」



 ヨツギフミの盗難について問いただすため、ニギハヤヒのもとへただちに使者が遣わされた。

 使者は、事代主コトシロヌシをつとめていたツミハである。

 このときはまだ、北と南の関係は悪いものではなかった。

 ツミハがニギハヤヒのもとを訪うと、ニギハヤヒは「今始めて知った」といって驚き、勝手なまねをしたナガスネを引きたてて厳しく責問せめどい、はては打擲し、盗んだヨツギフミを返還せしめた。


「まことに済まないことをした。本当に恥ずべきことだ。ただ申し開きをするなら、この者はまだ未熟で、未熟ゆえの向こう見ずで、ただ一途にわしの子を授かるように祈念しただけだったのだ。どうか、わしに免じて許してやってほしい……」


 ニギハヤヒは涙を流してそういった。


 ヨツギフミの一件は、ニギハヤヒが盗窃に関与していなかったこと、側人がやったこととはいえニギハヤヒが深く陳謝したことなどで不問にふされたのだが……。


 のちにわかったことだが、ナガスネビコはいろもをニギハヤヒのみめに献上しており、妹が世継ぎを授かるかどうかは自身の出世にかかわる重大な関心事だったのだ。

 つまりは「欲得」でヨツギフミを盗み取ったことが判明し、朝廷の大臣おおおみや役人は驚きあきれ、世も末だと嘆いたものだ。

 これより後、ナガスネビコの妹がニギハヤヒの世継ぎを産んだかどうかは、さだかでない。


 しかし、ナガスネビコはニギハヤヒに取り立てられ、ただの側人からアスカの宮の左大臣ひだりのおみまで位をのぼりつめたことは事実である。

 盗人が、である。信じられないことではあるが確かなことなのだ。


 そしてさらに時がすぎ……。

 白肩津しらかたのつから上陸した皇軍みいくさに対し弓をひき、スメラギの兄・イツセノミコトを負傷させ、死に至らしめたのがナガスネビコ。

 北と南の朝廷のあいだで混乱と憎悪をまきおこす、因縁の男なのである。


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