第10話 黒鹿毛の駿馬
目が醒めたときには、すでに日が高く昇ったあとだった。
(すこし飲みすぎたな………)
ズキズキといたむ額を押さえ、スメラギはゆっくりと
ふと目を転じると、女が寝ている。
女は、たわわな乳房、下帯もつけない恥部もあらわに寝乱れた姿で、絹の
(そういえば、酒の勢いにまかせて)
昨夜、
女の顔は凡庸だった。しかし
それは
客人をもてなすために女をあてがうことはよくあることだから、この女もウマシマジの差し金でここに来たことは容易に想像できた。
「これほどの女を所有しているのだぞ」という、ウマシマジの声なき自慢であることも理解できた。
スメラギだって男だ。
よほどのことがなければ、こういう場合、あてがわれた女は拒まない。
女が「昨夜のもてなしは首尾よくいきました、よい客人でした」と、主人に
しかし、昨夜は全くそういう気が回らなかった。
女の顔をよく見もしないで引き倒し、衣服をはぎとり、肩口を押さえこんで蹂躙した。
そこにあるのは、ただ行き場のない「怒り」だった。
『わたしはお前の思い通りになる女じゃない! 舞えといわれれば舞い、ここに座れといわれれば座り、酒をつげといわれれば酒を
落雷のような、怒りにまかせたサヒの声が蘇る。スメラギのこめかみに、ふたたびビリビリッと頭痛が走った。
(なんだよ、なぜあいつは俺の気持ちがわからないんだ……)
いいわけするような呟きと、顔が赤らむような恥ずかしさ。
(……ちがう、俺はそんな男じゃない。女に怒鳴られたくらいでこんな気がふせったりしない。違う……)
そうじゃなく、昨夜、罪もない女を手荒く扱ったから、虚しいような、悔いるような、妙な気持ちになっているのだ、そうに違いない。
いやちがう、お前は好きな女が抱けない腹いせに、好きでもない女をむちゃくちゃにいじめてやりたくなる嗜虐性をもってるんだ。
急に、頭の裏側から自分の声になじられる。
(くそっ!)
スメラギは狂乱したように髪の毛をかきむしり、褥を殴りつけた。
その気配で、女が目をさました。女は起きて姿勢を正し、そっと頭をさげた。
◆◆◆
女は、貴人から声をかけられるまでけっして自ら言葉を発しない。衣服もつけない。素はだかのままだ。許しがあるまで動かない。
スメラギはこれまで長い旅路のうちに女を抱くことも少なくなかったが、たいていの女は
………が、ウマシマジの女は違った。
スメラギにとっては素直な驚きであり、むしろそういう女を差し向けてくるウマシマジに、好ましささえ感じた。
……さて。
女は、うなじから背骨までを白く光らせ、頭をさげてうずくまったままじっと待っている。
スメラギは昨夜から今まで、この女にイヤな気持ちを持たなかった。
むしろ「いい」とさえ思った。
以前だったら、もう一度この女を抱いていただろう。
そうしたところで、誰も文句はいわぬし、かえって歓迎されるだろうということもわかっていた。
しかしスメラギに迷いはなかった。
女に言葉をかけることもなく、
「だれか俺の身支度をしろ! 帰るぞ!」
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「お気に召しませんでしたかな?」
帰りがけ、ウマシマジ王に呼び止められた。
女を、である。
「…………………」
それに対し、スメラギはなにも答えなかった。
答えずともよいと考えたわけではなく、答えあぐねたというほうが正しい。
「よいではないですか、なぜそのような顔をなさるのか」
美髯をたくわえた老爺が、一瞬、からかうように破顔した。
「よいではないですか、身体くらい別の女にくれてやっても。だが、あの
ずばり、心の中を見透かされ、スメラギは思わず顔をそむけ、羞恥を隠した。
しまった、この老いた
サヒという弱みが握られてしまった以上、今後強引な政治的外圧がかけにくくなってしまう。
「あんなこなまいきな女など、もう知らん!」
取り繕ってはみたが、かなしいかな、これではやせ我慢のようにさえ聞こえてしまうではないか。
「あの巫女はまだ子どもなのですよ、男を知らない。せいぜい箱に籠めるように大切に慈しみ育てなさい。そうしてちょうど熟れるまえの一番の食べ頃に箱からだして、味わって食えばよい」
ウマシマジは笑いをかみ殺している。
「熟れる」「食べ頃」という言葉に触発されて、スメラギの脳裏に昨夜のなまめかしい女の肢体がよみがえってきて、それが大人になったサヒの面影とかさなり、これ以上ないほど顔が真っ赤になった。
「イワレビコ王(※スメラギの別名)も、その年ににあわずおぼこいお人ですなあ」
ウマシマジは大げさに驚いた顔をしてみせたが、思いの外スメラギの素直さを気に入ったようだった。
◆◆◆
「それにしても、驚きましたぞ。突然、訪ねてこられたのですから」
気を失ったサヒを連れてきた日のことである。
この日、
マキムクの王は、ウマシマジという男だということは知らせとして聞いていたし、遅かれ早かれ、どういう料簡の男か、一度は会うてみなければわからぬと思っていた。
(ただ………)
むちゃくちゃだ、という自覚はあった。
自身が、である。
馬を連れているというだけで、薄物いちまい羽織っただけの起きぬけだった。太刀を一振り差しただけのほとんど丸腰状態で、
はたして自分が多くの
ともすると
…しかし、正常な判断がむつかしいほど、このときのスメラギは動揺していた。
迷っているひまがなかった。
肩に担いだこの少女が、あまりに、鳥の
呼吸も弱々しく、いまにも絶えてしまいそうだった。
一刻も早く、あたたかい部屋へいれ、柔らかい
そういう気持ちで門戸を叩いた。
「わが名はイワレビコ、またの名をホホデミという。
屋敷の
「まあなんということ……」
門まで迎えにでたウマシマジは、白髪と白髯をたくわえた老爺だったが、わりに気さくな男だった。スマラギの風体をみて驚きあきれ、しかしそのわりに彼の来訪を拒まなかった。
「先触れ」を送ったわけではなかったのに、すぐに屋敷に通してくれた。
なぜ自分が王だとわかったか、なぜ自分を信用したかを問うたとき、ウマシマジは大口をあけて笑いながら答えたのだ。
「なに、おまえさんの連れている馬じゃよ」……と。
「おまえさんの連れとる馬は、見事な
磯城はつい先日、スメラギ率いる皇軍が攻め滅ぼした土着の豪族が住む邑で、シキヒコはその
スメラギとの戦さに負けたシキヒコだったが、非常に頑固者で、「死んでも皇軍にまつろわぬ(従属しない)」というから仕方なく首を刎ねた。
人も金も食い物も、城も土地も
そういうわけでスメラギがこの邑の新たな支配者となったわけだが、意外にも国人らの反応は悪いものではなかった。
シキヒコは怠惰で強欲、また残虐な支配者だったため、人びとからは憎まれていたのだ。
死んでせいせいした、とまで言うものまであった。
「磯城が滅び、シキヒコが死んだウワサは、わしでなくても知っている。あっというまにヤマトの国内中に広がっていたからな。それでピンときたのだ、こいつがシキヒコを
ウマシマジはスメラギの来訪を存外喜び、すぐにサヒを
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