第6話 たまもどし





「サヒ!」


 さて、杭を打ちこむように名を呼ばれ、にわかに黄泉国からこちらに引き戻されたサヒは、慌てふためくあまりスメラギを突き飛ばし、おまけに蹴りを入れた。


「このような無礼をはたらけども、罪に問われぬなどお前くらいぞッ!」

「はっ、いきなり女にしがみついておいて……もっと他に言うべきことがあるのではないか?」


 サヒは向こう脛をおさえて痛がるスメラギを鼻で笑い、平静を装ってはいたが、内心はかなり動揺をおさえられないでいる。


(いま、クマワニが私に降りていた)


 まだ力が戻らないような気がして、サヒはたなうらを開いたり閉じたりして感覚を確かめた。

 背後では、焼けたもがりの宮が、いまだブスブスと煙をあげて燃えくすぶり、死肉を焼く異様な匂いとともにあたり一帯に充満している。


(クマワニめ、無茶をしてくれる……)


 サヒは首から下げた鯨の喉骨を、かたく握りしめた。

 死してなお、サヒの肉体を乗っ取ってまで主人あるじのもとへと帰ろうとするとは……クマワニの執念には舌を巻く思いだった。





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 スメラギはなにか胸騒ぎをおぼえ、夜明け前から仮住まいの宿をでて馬を走らせてきた。

 向かうのは、マキムクの宮だった。

 胸の奥に、サヒの顔が思い浮かんでいた。馬の脚は自然と北の方角へ、マキムクの宮の方角へと向いていた。


 しかし、これを渡ればマキムクの宮が見えるというところまできたとき、なんともいえないひどい匂いが漂ってきた。

 見れば、川辺のはたで藁小屋が燃えている。

(これは、人を焼く匂いだ)

 藁が焼ける匂いに混じって、鼻ももげよというほどの饐えた匂いが漂い、思わずスメラギは袖で鼻を覆った。


(なんだ弔いか……?)


 そしてなんと、燃えさかる炎と激しい煙の隙間からサヒが現れた。

 泥と汚れにまみれ、すすだらけになった顔はまるで別人のようだったが、まぎれもなくサヒだった。

 だが焦点のあわないまなざしをしをしたまま、脇目も振らずザブザブと川中へと入っていく。

 スメラギは馬をおりて駆けより、サヒの前に立ちはだかった。


「ツミハサマノ、モトヘ……カエル」


 その目は、スメラギを捉えてはいなかった。

(これは……悪しき神が降りているか?)

「ちょっと手荒くするが、悪く思うなよ」

 迷っている暇はなかった、。スメラギはすばやくサヒの目元を掌で覆い、反対の掌でサヒの背筋を思いっきりひっぱたいた。音がなるほど強く。

 スメラギは巫覡ふげきではなかったが、巫女がする口寄せなどは幾度も見たことがあった。見よう見まねの魂戻たまもどしだった。


「え?」

 サヒが戻ったのがわかった。

「サヒ!」

 ここで我に返ったサヒが、いきなり身近にスメラギの顔を見たものだから慌てふためき、スメラギを突き飛ばし、足を蹴り飛ばしたといった次第なのだ。


「まったくフツは一体何をしているんだ! サヒを守ると言ったではないか、この役立たずめ! そもそも一人でマキムクへ乗り込むのを許したのだって、フツがついていくというからだぞ! 出てこい!」

 蹴られた向こうずねがもだえるほど痛いが怒るわけにもいかず、スメラギはフツに毒ついた。

「フツならいるぞ、はじめから」

 フツのかわりにサヒが答えると……サッと風が吹きすぎ、サヒの後ろの黒い影がぐんにゃりと変化したと思ったら、それがヌルっと小さな人の形を結んだ。

 いつのまにか、フツはほんのすぐそばにひざまずいていた。

 小さな人影は、黒い大きな目をギラつかせてサヒの背後に隠れている。まるで獣のように。

「お前がかならず守るというから、マキムクへ行くことを許したのだ。俺がここを通りかからねばどうなっていたことか!」

「……………………」

 フツは聞いているのかいないのか、そっぽを向いたまま目を合わそうともしない。

「なんだ、その態度!」

「まあまあ」

 見かねたサヒは助け舟をだした。

あたに襲われたというわけでもないのだ。さすがに悪霊まがつひまではフツにわからぬ」







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「そもそも、お前、なぜここにいるんだ?」

 サヒがふと気がついたように言った。

 ふと見ると、すこし向こうに馬が草を食んでいる。あの馬でここまで駆ってきたということか。

 スメラギはミズラも結わず、き流した髪は乱れ、その髪は汗で濡れた胸元に張り付いていた。

「…………………」

 上から下までつらつらと眺めるサヒ。

 その視線を感じて、スメラギははだけた胸元をあわせる。

「これは、ちがう……」

 なぜか慌てるスメラギ。

「マキムクのことは私に任せてくれるように言ったはずだが……、まさか横槍を入れにきたのか?」

 スメラギは今ごろ磐余邑いわれむらに滞在しているはずだった。

 こんなところでうろうろしているはずがない。

 責め問うような口ぶりに、スメラギは慌てた。

「そうじゃない。すこし前から妙な夢ばかりを見るようになったから、胸騒ぎがしてちょっと様子を見にきたのだ」

 その夢というのも、サヒが黒いモヤに包まれどこかに消えていく夢だそうで、目覚めたときじっとりと寝汗にまみれ、とてつもなく不安な気持ちに苛まれたのだという。

 しかしこうなってみるとスメラギの夢も侮れないというものだ。こうしてサヒの生命を救ったのだから。

「……今回ばかりは、礼をいう」

 いつも強気のサヒがしぶしぶながら感謝の気持ちを口にしたから、スメラギは内心悦に入ってしまった。

 ところがこの一瞬後には、スメラギの満足げな笑みはあえなくしぼむことになる。



 その直後、サヒは膝から崩れおち、意識を失ったのだった。

 


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