第2話 サヒの知らない父と母
【※前回、殺されたオヅノ(クマワニ)と主人公サヒが、その前日に交わした会話を、サヒが回想しています】
「あなたは、もしや……」
「いやそんなまさか……、そんなことが」
驚きのあまり、はげあがった頭をなでさすりながら、大きな目をグリグリと動かしている。
サヒは老翁に問うた。
「わが名はサヒ、またの名をイスズヒメという。そなたは私を知っているのか?」
「知っているもなにも……この
そういうなり、精根尽き果てたようにへなへなと地べたに跪いた。
「あなたさまをお探ししておりました。お待ちしておりました。夢にまで見て、信じておりました。かならずお会いするのだと!」
シワの刻まれた大きな目がみるみる潤みだしたと思ったら、男の目からボロボロと涙がこぼれた。
「わが名は、オヅノ。またの名をクマワニ。
「おづの?」
「は。どうぞクマワニとお呼びください。オヅノというのは世すぎの名。クマワニとはツミハさまよりの
「くまわに……」
サヒが名を呼ぶと、クマワニは満足げにほほえんだ。
「ツミハさまの
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「しっかしよう似ておられます、タタラヒメさまに。目元といい姿かたちといい……。口元と眉のかたちなどは、ツミハさまに生き写しですなぁ。あまりに似ておられたので、まるであのころに時が戻ったのかと思いましたぞ」
オヅノ――…クマワニはこちらが恥ずかしくなるほど、つらつらとサヒの姿を眺めまわし、感心したようにため息をついた。
「それにしてもご立派になられた。このような
そういうなり、ふたたびオヅノは涙を浮かべた。
サヒは、母の名こそ知ってはいたが、父の名は知らなかった。だからこそ初めて知りえた父の話をもっと聞きたかった。
「教えてオヅノ、私はずっと山に隠れていたからなにも知らないの。お父さまのことも……お母さまのことだって、じつはなにも知らない。だから教えて、オヅノが知っていることを全部」
「ようございますよ、私が知っていることであれば、何もかもお話いたしましょう」
オヅノはとおくとおく、暗闇のむこうを透かしみるように目をほそめた。
もともと
ところがこの大物主ミホヒコ、頭は切れるし、
「わしは、
政治家というよりは、学者気質なのだ。
またミホヒコは子沢山でも有名で、生涯で三十人もの子供にめぐまれた。
そのたくさんの子供のなかでも、とびぬけて優秀だったのが二番目に生まれた
ミホヒコは、ツミハが年若いうちから大物主の補佐である
事代主の役目は、多岐にわたった。
常にひとところにとどまることなく、さまざまな地に旅をし、その地の
こののちミホヒコが死に、
そんなツミハとともに、
いわば彼の右腕、腹心といっても過言ではなく、その肩書はオヅノの誇りでもあった。
ただ腹心の
ツミハがあまりに実直で、すこしも女と遊ばないことであった。
「それにしても男二人の旅枕は、なんというか……味気ないものですなあ。我が君におかれては、もうよい歳であられるのに楽しくもない仕事、仕事、仕事ばかり。いやいや、仕事が悪いといっているのではないが……ツミハさまは
ことあるごとにオヅノはツミハに小言を言った。
「わしのようなものでも若き頃は、毎晩違う女子と遊び戯れたものでございます。にもかかわらずツミハさまときたら、少しも女を寄せつけようとしない。どこの村でも
「いわせておけばいいではないか」
ツミハは笑っている。
「笑い事ではありません。もうよい歳なのですから、そろそろしかるべき姫と
「……………」
ツミハの顔が曇った。
「しかし、わしのもとに嫁ぐような女は幸せにはならぬだろう」
と、独り言めいてつぶやいた。
日々、根をもたぬ浮草のような生活を続けていくこと。それはツミハにとって平凡な幸せとはほど遠いものだったのだ。
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「そんなツミハさまが生涯に一度だけ、恋こがれた相手。それがタタラヒメさまでした」
ヤマトの
どうしたことか方角をたがえて山中、道にまよってしまった。
「クマワニ、お前はここで待て。わたしは少し先に行き、様子を見てこよう」
そういってツミハは出かけていったのだが……、どうしたことか待てど暮らせど戻ってこない。
「いったい、ツミハさまはどこでなにをしておられるのやら……」
ひょっとしてケガをして動けなくなったのではないか、途中で道に迷い、ここへ帰れなくなったのではないか……と、いやな想像ばかりがうかび、クマワニは生きた心地もない。
ところがヤキモキしているクマワニを尻目に、ツミハは満面の笑みをたたえて帰ってきたのだ。とっぷりと日が暮れたあとに。
「
ツミハの目元はぼうっと赤らみ、熱をおびたように潤んでいた。
クマワニは、ツミハが幼きころより養育しているが、こんな若君は初めて見たとおもった。
「わたしはあのような気高き姫に出会ったことがない。わが母も気高くつよき女なれど、それでもとおく及ばぬ。見たこともないほど神々しき姫だった」
「なんと、よいではございませぬか。どこの姫君ですか?」
わからない、というように、ツミハは首を横にふった。
「若君、どうなさったのですか? 頬に傷が……」
ツミハの左頬に、見慣れない傷がついていた。
「その姫にやられたのさ」
「なんと!」
男に刃を向けるなど気が強いにもほどがある。
「むろん、わしとてただやられただけではなかったぞ」
「やりかえしてやった、というわけですな。確かに、居丈高な女などいただけません。まったく、ツミハさまを誰だと心得ているのか……」
「もちろんだ。姫の宮を騒がせた非礼をわび、
「………なんと」
ツミハの帰りがあまりに遅かったのはそのせいだったのだ。
「姫のためにまだやることがある。クマワニよ、わしはしばらくここへとどまるゆえ、おまえだけ伊勢へいってもらえるか」
あげくのはてにそんなことをいいだす。
「………………」
あいた口が塞がらないクマワニ。その様子を見て、ツミハはさも愉快げに大口をあけて笑った。
あとから考えると、ツミハたちが「迷った」といっていたのは、どうやら
三諸山には、タタラヒメが「お籠り」に使う宮―――
サヒはクマワニの話を聞いていて、どきりとした。
「わたしの名前……」
「そう、サヒさまの名は、佐葦の花咲く宮から名付けられたのですよ。ツミハさまがその花の美しさに感銘をうけ、いつまでも気高く、美しくあるようにと」
【あとがき(※補足)】
古事記や日本書紀において、オオモノヌシやコトシロヌシは、それぞれの神さまの名であるように記述されているが、ホツマツタエ研究者の池田満氏は、世襲による役職名だとする説を提唱なさっています。例えるなら、オオモノヌシは「総理大臣」、コトシロヌシは「総理大臣補佐官」のような。
ホツマツタエの真贋というのにも議論があることとは思いますが、ここでは池田満氏によるオオモノヌシ世襲説をとっていきたいと思います。
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