業務報告の合間に、どさくさに紛れて告白してくる俺の後輩

墨江夢

第1話

俺は入社5年目のサラリーマン・錦宗春。

 若くして営業係長に任命され、同期の中では間違いなく出世頭。自慢じゃないけど何事もそつなくこなしていくタイプなので、仕事でも特段困ったりすることなんてなかった。


 そんな俺も、この四月からようやく仕事上で悩みを抱えることになった。

 悩みと言っても、業務上のことではない。どちらかといえば、人間関係というやつだ。


「あっ、先輩! ここにいたんですか!」


 元気よく俺を呼ぶのは、この春入社した新入社員・眞野桜子。俺は彼女の教育係を任されている。

 そしてこの眞野という社員の存在こそ、俺の悩みの種だった。


「言われた通り、明日の9時で会議室を取っておきました」

「ありがとう。明日は他部署の部長も出席するみたいだから、お茶の準備よろしくな」

「わかりました。それと――」

 

 眞野は立て続けに業務報告を続ける。

 俺が頼んでおいたことを、十二分に済ませてくれている。本当、出来た後輩だ。


「――プリンターのトナーが切れかかっていたので、発注しておきました。ついでにA4用紙も注文済みです。先輩好きです。あと、経理部からの依頼なのですが――」

「ん? ちょっと待て」


 俺は眞野の報告を、一旦ストップさせる。

 今業務報告ではない一言が含まれていたような気がしたが……聞き間違いだったか?


「どうしました、先輩?」

「いや、今おかしな報告が聞こえたと思うんだが……?」

「トナーの件ですか? きちんと型番を調べてから発注したので、別におかしなことなんて何もないと思いますけど?」


 眞野は不思議そうに首を傾げる。

 トナーやA4用紙の後だよ、後! お前絶対わかっててとぼけているんだろう!?


 何だよ、「先輩好きです」って? 仕事の最中にそんなこと言われても、困るだけだろうが。

 しかもタチの悪いことに、毎回「私、変なこと言ってませんけど?」みたいな顔をするし。


 確信犯だとしたら、問い詰めたところで絶対に認めたりしないだろう。言った言わない論争にもつれ込むだけだ。

 そして水掛論になった場合……周りから変な奴だと思われるのは、間違いなく俺の方である。

 

 俺の悩みとは、まさにこのこと。

 俺の後輩は、こうやって業務報告の合間にどさくさに紛れて告白してくるのだ。





 眞野が入社して、半年が経過した。

 この半年間俺の下で業務に励み、多くの知識と経験を得たことだろう。良い頃合いだと判断した俺は、彼女に次のプレゼンを任せることにした。


「本当に、私に任せて貰えるんですか!?」

「あぁ。それだけお前のことを評価しているってことだ。自信を持って挑戦してみろ」

「わかりました! 必ずや、ご期待に応えてみせます!」


 その意気込みは、結構なことだ。

 問題は、その意気込みにどれだけ技術が伴うのか、である。


「まずはプレゼン用の資料作りだな。来週金曜までに、俺に提出しろ」


 眞野が初めて作るプレゼン資料なのだから、手直しは必須だ。来週の金曜日までに出してくれれば、十分直す時間はある。


 無論、提出期限まで出してくるかどうかも、採点基準に含まれていた。


 資料の提出期限は翌週金曜日だったが、眞野は2日早い水曜日に提出してきた。

 仕事の早い彼女のことだから、木曜あたりには出してくるだろうと思っていたけれど、まさか2日前の水曜日とは。流石に驚きである。


「先輩。プレゼンの資料、チェックして貰って良いですか?」

「おう。明日までには見ておくから、メールで送っておいてくれ」

「わかりました。お願いします」


 メールを送った後、この日の仕事を終えた眞野は帰り支度を始める。


「先輩は残業ですか?」

「あぁ、今日中にやっておきたい仕事があるんでな」

「何かお手伝いします?」

「いいや。先に帰って貰って大丈夫だぞ」


 こういう細かな気遣いが出来るのも、眞野の良いところだ。


「そうですか。では、お言葉に甘えて。お先に失礼します」

「おう、お疲れ」


 眞野が退勤して、およそ2時間後。

 今やっている仕事をひと段落させたところで、息抜きも兼ねて、俺は眞野の作成したプレゼン資料を確認することにした。


 送られてきたメールを開き、添付されていた資料を確認していく。

 ほとんど毎日俺と仕事をしているからか、色使いとか文章構成とか、どことなく俺の作るプレゼン資料に似ていた。


「……悪くないな」


 多少の修正は必要だが、少なくとも及第点には達している。

 初めて作る資料でここまで仕上がっていれば、上出来だ。


 プレゼン資料のチェックも、残り数枚というところまできた。

 右クリックして、次のスライドに移ると……それまで緑を基調としていた画面が、一瞬にしてピンク色に変わった。


 スライドの中央には、プレゼンとは全く関係のない一言が打ち込まれている。


『先輩、今度デートして下さい♡』


 ……こいつ、またやりやがったな。

 俺しかチェックしないのを良いことに、プレゼン資料の合間にデートの誘いを組み込んできやがった。


 最初や最後ではなく、途中に入れてくるわけだから、「見てなかった」という言い訳は使えない。

 しかし、見なかったことには出来る。


 これは手直しだと自分に言い聞かせて、俺はスライドを一つ削除した。


 翌日。眞野は早速、俺に「返事」を求めてきた。


「先輩、どうでしたか?」

「あぁ、概ね良い感じだったぞ。少しだけ手直しさせて貰ったけど」

「ありがとうございます。……それで先輩、お返事は?」


 返事なら、今しただろう? と、口に出来たらどれだけマシか。

 眞野がプレゼン資料の出来ではなく、デートの誘いに対する返事を求めているのは明白だった。


「私、プレゼン資料の作成頑張ったと思うんですけどね」


 追い打ちをかけるように、まさかの「私頑張りましたアピール」。……仕方ないな。


「……今度飲みに連れてってやる」

「やった! 楽しみにしてますね!」


 肝心の眞野のプレゼンはというと、見事に成功した。

 取引先に対しても、俺に対しても。

 まったく、末恐ろしい後輩である。





 珍しく定時帰りのある日、寄り道せずに帰宅して録り溜めしていたドラマでも消化しようかと思っていると、眞野が話しかけてきた。


「先輩、この後お時間ありますか?」

「何だ? 仕事を手伝って欲しいのか?」

「違います。……いつになったら、飲みに連れて行ってくれるんですか?」

「……あっ」


 仕事が忙しくて、すっかり忘れていた。そういえば、そんな約束もしていたっけ。


「残業ばかりで仕事大好きな先輩のことです。早く帰ったところで、予定なんてないんでしょう?」

「……勝手に決めつけんなよ。女の子と会う予定があるかもしれないだろ」

「は?」

「嘘ですすみません予定なんてありません」


 ドスの効いた声と滲み出す怒気を目の当たりにして、俺は思わず謝罪をした。


 予定がないと自白してしまった以上、最早直帰という選択肢は消滅する。

 ……しかし、物は考えようだな。確かに約束は早いうちに履行しておきたい。

 俺は彼女を飲みに連れて行くことにした。


 駅前の居酒屋に入った俺たちは、取り敢えず生ビールを注文する。


「それじゃあ、眞野の初プレゼン成功を祝って。乾杯」

「お手伝い、ありがとうございました」


 人の奢りなのを良いことに、眞野は随分早いペースで酒ん飲んでいく。

 ビールにワインにカクテルにハイボールに……おいおい、そんなに飲んで大丈夫かよ?


 俺の不安は、どうやら的中したようで。居酒屋に入店して1時間足らずで、早くも眞野は酔い潰れた。


 顔を真っ赤にして、卓上に右頬を押し付ける眞野。思考回路が正常に機能していないのか、さっきから支離滅裂なことしか言っていない。


「眞野。酔い潰れたお前を送り届けるなんて、ゴメンだからな。セーブしておけよ」

「あーい! まだ酔ってませーん!」


 ……いや、どの口が言っているんだよ? 既に酒に飲まれてやがる。


 11時を回ったところで、俺は会計を済ませる。

 そして半分睡眠状態の眞野を叩き起こした。


「おい、眞野。帰るぞ」

「うーん……先輩好きです」

「――っ」


 この女、酔っていても俺に「好き」って言ってくるのかよ。

 今夜はもう告白されないと思っていたので、まさかの不意打ちに俺はたじろぐ。


「バカなこと言ってないで、さっさと起きろ」

「バカなことじゃないです。私の本心です。……好きです、大好きです、愛しています。私と付き合っちゃいましょう。同棲しちゃいましょう。いやいっそ、婚約しちゃいましょう」

「婚約って……」


 ……ん? 呆れながら、俺はあることに気が付く。

 眞野との会話が、成立しているのだ。


 ……そういえば、眞野のやつ酒に強いんだったな。新入生社員の歓迎会の時は、誰よりも飲んでいた気がする。

 そんな彼女が、4、5杯飲んだだけで酔い潰れるとは思えない。まさか……


「眞野。お前……シラフだろ?」

「……バレちゃいましたか?」


 軽く舌を出しながら、眞野は起き上がる。

 酔ったフリをして何する気だったんだよ、お前は?


「まだ飲み足りないー!」と駄々をこねる眞野を居酒屋引きずり出してから、俺は帰宅しようとする。

 歩き出したところで、彼女に呼び止められた。


「先輩、私を送り届けるのはゴメンなんですよね?」

「あぁ」

「先輩はこのまま寄り道せずに直帰したいと?」

「あぁ」

「じゃあ、先輩の家に泊めて下さい」

「あぁ……って、はぁ!?」


 どさくさに紛れて何て要求してんだ、この後輩は!? 流れで思わず了承しちゃったよ。


「私は自宅に帰る気力がない。先輩はご自宅に帰りたい。……ねっ? 私が先輩の家に泊まれば、全ての問題が解決するんです」

「解決しねーよ。それどころか、新たな問題が発生しちゃってるよ」


 酔った男の家に泊まることがどういうことか、眞野は理解しているのだろうか?


「その点も心配ありません。きちんと準備してあるんで」


 何の準備だ、何の!


「……ったく。そうやっていつもふざけたタイミングで「好きだ」とか言うの、やめた方が良いぞ? 本気かどうかわからなくなる」

「じゃあ……ふざけていなければ、本気で答えてくれますか?」


 その途端、眞野の雰囲気が一変する。

 一緒に仕事をして半年、こんなにも真面目な顔をした彼女を見るのは初めてだった。


「先輩、好きです。本当に好きなんです。私と付き合ってくれませんか?」

「いや、急に本気とか言われても……」

「それとも、先輩は私が嫌いですか? 女の子としては見れませんか? それだけでも、答えて下さい」


 嫌いなのかだって? こんなに好き好き言ってくれる女の子を、嫌いになれるわけないだろう。


「……嫌いじゃないないよ。というか、俺もお前のことを、その……好きっていうか」


 酒が入っているせいか、俺も思わず本音を吐露してしまった。

 俺の返事を聞いた眞野は、真面目な顔から一転、笑顔になる。


「先輩、やっぱり大好き! 今夜は泊まっても良いよね?」

「……何もしないならな」

「しないしない。それは、またの機会にとっておくから」


 つまり、またお泊まり会があるというわけね。


 晴れて恋人同士になった俺と眞野。次はどんなタイミングでプロポーズされるのか、今から気が気でならなかった。

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