元カノが数年ぶりに子連れで現れた。「あなたの子です」って……嘘だろ?

墨江夢

第1話

 人生とは、突然の出来事の連続である。

 突然の出会い、突然の別れ。突然の幸運、突然の不運。などなど。

 そういった予期せぬ出来事を繰り返して、人生というのは形成されている。

 だけど――


「これからよろしくね、お父さん!」


 ――突然5歳の娘が出来るなんて、果たしてそんなことが実際に起こり得るのだろうか?


 目の前で俺・橘優介のことを「お父さん」と呼ぶ見ず知らずの女児を見て、俺はそう思った。


 事の発端は、小一時間前だ。

 休日ということで、自宅で毎週恒例の映画鑑賞をしていると、突然玄関チャイムが鳴った。


 今良いシーンなのに、一体どこのどいつだよ? 勧誘やセールスなら、断固としてお断りだ。

 そう思いながらドアを開けると……そこにいたのは、元カノの坂下咲良だった。


「えっ? 咲良……?」


 咲良と付き合っていたのは、大学時代のことだ。卒業すると同時に疎遠になり、いつの間にか二人の関係性も自然消滅していた。

 

 メッセージ上でのやり取りは年に数回あったものの、実際にこうして顔を合わせるのはおよそ6年ぶりのことで。

 ましてやこうして自宅に訪ねてくることなんて、もう二度とないだろうと考えていた。

 

「久しぶりね、優介。取り敢えず、上がっても良い?」

「あっ、あぁ」


 言われるがままに、俺は咲良を部屋へ上げる。

 そして俺は、ある事実に気が付くのだった。


 咲良の後ろに、女の子が隠れている。

 その女の子は、どことなく咲良に似ているような気がした。


「咲良。中に入る前に、一つ聞いても良いか?」

「何かしら?」

「その子供……誰?」


 俺は女の子を指差しながら尋ねる。

 すると咲良は、さも当然といった顔をしながら、衝撃の一言を口にするのだった。


「誰って……私とあなたの子供に決まっているじゃない」





 現在。

 寝耳に水な実子の存在を前にして、俺の頭はパニック状態だった。

 俺に子供? 嘘だろ? 信じる信じない以前に、受け入れるのにも時間を要する。


「……なぁ、君」

「君じゃないよ。小春だよ、お父さん」

「……わかった。それじゃあ、小春。君は今いくつ何だ?」

「いくつって……女性にスリーサイズを聞くなんて、お父さんはエッチなんだから」

「年齢を聞いているんだよ!」


(自分の子供かもしれない)女児のスリーサイズを聞く大人が、どこにいる? 

 というか子供にそういう発想を抱かせるなんて、咲良はどういう教育をしているんだよ?


「あっ、歳の話ね。小春は今5歳だよ」

「5歳、か」


 もし小春が3歳や4歳だったら、彼女が俺の子供である可能性は万に一つもあり得ない。だって俺と咲良は、6年程会っていないのだから。


 しかし5歳ならば、身に覚えがないこともないわけで。……心当たりは、うん、確かにあるな。


「咲良。どうして子供が出来たって、教えてくれなかったんだよ? 俺が責任を取らないでトンズラするようなクズに思えたのか?」

「そんなわけないじゃない。寧ろ、「責任取って、一緒に育てる」って言い出すと思っていたの」


 もし当時子供が出来たと聞いていたら、俺は自分の将来を棒に振ってでも咲良と一緒になる決断をしたと思う。

 父親になる覚悟だって、出来た筈だ。


「あなたの夢を邪魔したくなかったのよ。だから、何も言わずにこの子を一人で育てることにした」


 咲良は真っ直ぐ俺の目を見ながら、当時の心境を語る。

 だけど……


「咲良、ちょっと来い」


 俺は彼女をキッチンへ連れ出す。


 小春に聞こえないことを確認してから、俺は一度大きく溜息を吐いた。


「……で、どこまでが本当の話なんだ?」

「……何のことかしら?」

「とぼけても無駄だ。……あの子、俺とお前の子じゃないだろ?」

「……そうやって責任逃れするつもり? それとも小春が私たちの子供じゃないって証拠でもあるというの?」

「瞬き」


 俺は先程抱いた違和感を指摘する。


「お前って昔から、嘘をついたり隠し事をしている時瞬きが多くなるんだよ」

「……」

「で、さっきからお前の瞬きの回数は異常なくらい多くなっていた」


 付き合っていた頃、咲良がサプライズで誕生日をお祝いしてくれたことがある。

 その時もめちゃくちゃ瞬きをしており、何か隠し事をしていることが明らかだった。


 誕生日のサプライズなら、俺だって気付かないフリをする。でも、今回は別だ。


「……私の癖なんて、よく知っているわね」

「そりゃあ、元カレだからな。……で、実際のところあの子は誰の子なんだよ?」

「姉の子供よ。父親はわからない」


 俺の子でないどころか、どうやら咲良の子供でもなかったようだ。


「姉はこの子を生むと同時に、姿を消したわ。今も居場所はわからない。本当、無責任よね」

「代わりにお前が育てていると?」

「えぇ。……小春に余計なことを言うんじゃないわよ。あの子は私を、本当の母親だと思っているんだから」

「言わねーよ。……それで、どうして俺が父親ってことになるんだ?」

「それは、その……」


 再度、咲良の瞬きが速くなる。

 こいつ、今度は何を隠しているんだ?

 

「おい、吐けや」

「うっ。……この前偶然、あの子があなたと私のツーショットを見つけてね。「この人誰ー? お父さん?」って聞かれたから、思わず頷いちゃって」

「お前なんて嘘ついてくれちゃってんの!?」

「仕方ないじゃない! あの時は泥酔していて、ろくに思考なんて働かなかったんだから!」


 だからって、普通元カレを父親扱いするかよ。


「てか、何で俺とのツーショットなんて持っていたんだ? 別れた男との写真なんて、捨てるものじゃないのかよ」

「別れたからって、過去や思い出がなくなるわけじゃないでしょ? ……あれ以来彼氏なんていたことないし、あなた以上に愛した男もいないわよ」

「……」


 それに関しては、俺も同じだ。

 俺だって社会人になってから恋人がいたことなんてないし、咲良以上に「良いなぁ」と思う女の子もいなかった。


「あなた、今彼女いる?」

「……いないけど」

「貯金はある?」

「あるけど……おい、ちょっと待て。お前何考えている?」


「お願い」。咲良は俺に頭を下げる。


「少しの間でも良いの。あの子の父親になってくれないかしら?」


「小春の為」だなんて言われたら、断るに断れないじゃないか。

 こうして俺は、偽物の父親を演じることになったのだった。





 その日の夜。

 夕食を終えた俺は、小春と一緒に片付けをしていた。


 小春と一緒と言っても、彼女は5歳児だ。出来るお手伝いは限られている。

 因みに咲良は、酔い潰れていた。


「ねぇ、おじさん。この食器はどこに片せば良いの?」


 洗い終わった皿を抱えて、小春は俺に聞く。


「それはそこの戸棚に……って、え?」


 俺は耳を疑った。

 この子、今俺のこと何て呼んだ?


「どうかした?」

「いや、今「おじさん」って……」

「だって父親でもない人をお父さん呼びなんて、おかしいでしょ?」

「……気付いていたのか」

「私は子供だけど、バカじゃないからね。因みにお母さんが本当のお母さんじゃないことも知ってる」


 小春は子供ながら事実を知り、そして受け入れていた。


「どうして気付いていることを、咲良に黙っているんだよ?」

「わざわざ言う必要はないでしょ? それに私を生んで逃げた人より、私を育ててくれている人にこそ恩義を感じる。紛れもなく、あの人は「お母さん」だよ」

「成る程ね。でも、どうして俺が父親だなんて言うあいつの嘘を信じているフリをしてるんだ?」

「それは……おじさんの話をする時のお母さんが、嬉しそうだったから」


 小春が言うに、俺との思い出を語る咲良は心底幸せそうな顔をしていたらしい。


「お母さんのあんな顔、初めて見た。文句を言いつつも、お母さんがまだあなたを好きでいるのはわかった」

「……ガキの勘違いだろ?」

「違うよ。だって「この人のこと好きなの?」って聞いたら、「好きじゃない」って答えていたもの。……瞬きを沢山しながら」


 瞬きを沢山していたということは、「俺が好きじゃない」という咲良の発言は嘘だということで。つまり彼女は、俺のことを今でも好きだということだった。


「私がいなければ、お母さんは普通に恋をして結婚だって出来る筈なのに。でもそんなこと言ったら、きっとお母さんは悲しむと思う。ならいっそお母さんの嘘に便乗して、おじさんと暮らしてしまおうと思ったの」

「それで全て丸く収まるってわけか。……子供らしくねーことしやがって」

「私はお母さんに幸せになって欲しいだけ。実に子供らしい考え方だと思うけど? ……私が嘘に気付いていることをお母さんに言ったら、「知らないおじさんに部屋で酷いことされた」って警察に駆け込むから」

「社会的に抹殺するのかよ」


 心配しなくても、告げ口するつもりなんかねーよ。


 しかし、本当の母親のフリをしている咲良と、本当の母親だと信じ込んでいるフリをしている小春。

 二人は互いの為に、嘘をつき合っている。

 そして俺はそんな二人の間に立って生きていかなければならないってわけか。

 

 ただ一人、全ての真実を知る者として。


 まったく、前途多難にも程がある。


「ねぇ」。小春が不意に話しかけてくる。


「おじさんは、お母さんのこと好きなの?」

 

 これから娘になる小春に、果たして何て答えるのが正解なのだろうか?


「……あぁ。昔と変わらず、大好きだよ」


 俺は一切瞬きすることなく、小春にそう告げるのだった。

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元カノが数年ぶりに子連れで現れた。「あなたの子です」って……嘘だろ? 墨江夢 @shun0425

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