毎朝電車で隣に座ってくる女子高生の話

墨江夢

第1話

 通勤ラッシュの電車は混雑しており、それだけでストレスが溜まるというけれど、俺・藤澤琢馬の場合はまったくもってそんなことない。

 すれ違うぎゅうぎゅう詰めの満員電車を見て、「みんな大変そうだなぁ」と思いながら、俺は今朝も下り電車の中でのんびりしていた。


 スマホをいじるスペースすらないとか、到底考えられない。

 座席は半分以上空いている。こういう時だけ、職場が都心でなくて良かったとしみじみ思うのだった。


 電車が駅に到着した。

 ドアが開くと、毎朝馴染みの会社員や学生が乗車してくる。

 その中の一人に、可愛らしい女子高生がいた。


 名前は知らない。だから俺はいつも、彼女を「JK」と呼んでいる。

 このJKをある意味で特別視している理由、それは……彼女が決まって俺の隣に座るからだった。


 前述しているが、車内の半分以上が空席だ。家族や友達同士でない限り、隣り合わせで座るなんてあり得ない。

 しかしこのJKは毎日、そのあり得ないことを実践しているわけで。


 ……あっ、なんか今日いつもと香りが違うな。シャンプー変えたのかな?

 女の子の髪型の変化にすら気付かないというのに、そういった変化にはばっちり気付けてしまう。


 しかしJK相手に「今日、良い匂いだね」なんて変態発言をするわけにはいかず、俺は何食わぬ顔で新聞を広げた。

 新聞を読んでいると、JKが顔を近付けて、覗き込んでくる。


「面白い記事でもありました?」


 ……毎朝顔を合わせているとはいえ、知らない男に声をかけるって、どういう神経しているんだよ? 知らない人に話しかけちゃいけませんって、学校で習わなかったのか?


 しかしJKの無邪気な笑顔を見てしまったら、そんな指摘をする気も失せてしまう。

 仕方なく、俺はJKとの会話に応じることにした。


「……今夜8時から、「汚職探偵」のスペシャルがやるらしいぞ」

「テレ番見てたんかーい! 子供か!」


 そりゃあ、テレ番だって大切だろうに。いや、きちんと一面や経済面も読むけどね。


「「汚職探偵」、知らないのか? 結構面白いぞ?」

「知ってますよ。帰りが遅くなっても良いように、きちんと録画予約してきましたから」

 

 話を聞くと、JKは一週間前から録画予約をしていたらしい。彼女が「汚職探偵」のコアなファンであることが窺える。


「ていうか、JK。今は夏休みじゃないのかよ?」


 現在暦は8月。世間一般の高校は、夏休みに突入している筈だ。

 それなのにこのJKは、どうして制服を着て朝から電車に乗っているのだろうか?


「夏期講習ですよ。進学校の夏休みなんて、あってないようなものなんです」

「無給で休日返上させられるようなものだ。学生は大変だな」

「そうなんですよ。だからご褒美として、ご飯奢って下さい」

「嫌だよ。こっちだって低賃金で働いているんだ。人に飯奢る余裕なんてないっての」

「ケチ」

「ケチで悪かったな。そういうのは、甘やかしてくれる彼氏にでも強請れ」


 容姿の整っているJKのことだ。彼氏くらい、きっといることだろう。

 そう予想しての発言だったのだが……


「残念ながら、私に彼氏はいないんです。告白してくれる人はいるんですけど、どうも私のタイプと合わなくて。だから――」


 JKはグイッと、俺の耳元に顔を近づけてくる。


「私が隣に座る相手は、今のところお兄さんだけなんですよ」


 ……このJKは、自分が何を言っているのかわかっているのだろうか?

 俺が余裕のある大人の男じゃなかったら、もれなく勘違いしてしまうぞ?


 30分くらい電車に揺られると、電車はJKの通う高校の最寄駅に到着する。


「それじゃあお兄さん、また明日……は土曜日なので、月曜日に!」


 手を振りながら降車するJKに、俺も手を振って返す。

 彼女の笑顔を見ると、うん。今日も一日、頑張れそうだ。





 夏が過ぎ去り、10月に入ると、いくらか涼しくなってきた。

 ここ近年は四季という概念が崩壊しつつあり、特に秋という季節が極端に短い気がする。急に気温が下がるので、体調管理には気をつけなければ。


 ワイシャツノーネクタイのクールビズで勤めていた俺も、昨日からジャケットを羽織るようにしている。

 そして10月になったことで、JKも夏服から冬服へ移行していた。


「おはようございます、お兄さん!」

「おう、おはよう」


 毎朝恒例の朝の挨拶を交わす。しかし……JKは笑顔を向けたまま、一向に座ろうとしなかった。

 俺の隣は、今朝も空いているというのに。


「……座らないのか?」

「その前に。何か言うことありません?」


 言うこと、ねぇ。そう言われて、俺は考える。


「えーと……急に寒くなったね」

「そうですね。だから今日は冬服を着てきました」


 わかりやすいヒントを出されて、俺はようやく彼女の求めている答えを察する。

 JKは久しぶりの冬服姿を褒めて欲しかったのだ。


「……冬服も似合ってる。可愛いよ」

「えへへへ。ありがとうございます♪」


 言わされた感丸出しの褒め言葉も、JKにとっては大層嬉しかったようで。彼女は上機嫌で俺の隣に腰を下ろした。


 心なしか、いつもより密着度合いが高い気がする

 ……冬服で良かった。半袖の夏服だったら、JKの素肌を直に感じ取っていたところだ。


 ヒントを出されるまで制服の移行に気付かなかった俺に対して、JKはこちらの些細な変化にも気付く。


「あれ? お兄さん、なんか元気ないですね。どうかしましたか? ……あっ! 美人の先輩にフラれたとか?」

「違えよ。今日は会議だから、朝から憂鬱なんだよ」


 部長の長い話で始まり、その後各々の営業成績についてダメ出しされる。無論、俺も含めて。

 そんな会議が嫌で嫌で、出来ることなら今日休みたいと思っていたところだ。


「大人って、やっぱり大変なんですね」

「あぁ。出来るなら、俺もお前みたいな高校生に戻りたいよ」

「良いですね。そうしたら、私とも同級生になりますので、もっとイチャイチャ出来ますし」


 このJKは、可愛い。10人に尋ねたら、少なくとも9人はそう答えるだろう。

 でもJKが未成年だから、恋愛感情を抱かないで済んでいる。


 もし俺が高校生に戻り、JKと同じ高校に通うことになったのなら――。

 ……いや、何を考えているんだ。俺は大人だ。高校生じゃない。

 都合の良い妄想をしないで済むように、俺は自身にそう言い聞かせるのだった。





 3月に入り、世間は年度末に向かって動き出していた。

 学年末試験に向けて電車の中でも勉強に励む学生や、年度末に向けて一層仕事に打ち込む会社員を見ていると、長いようで短かった一年も終わるのだと実感する。


 年度が明けたからと言って、俺にとっては何が変わるわけじゃない。

 精々社員の入れ替わりが少しあるくらいで、また同じような一年が始まるだけ。

 そう思っていたのだけど……どうやら今年は、例年同様とはいかないみたいだ。


 その日の朝もJKはいつもと同じ時刻の電車に乗車して、俺の隣に腰掛ける。

 しかしその表情は、どこか深妙だった。


「何か悩み事か? 俺で良かったら、相談に乗るぞ?」

「悩みと言えば、悩みですね。でも、これはどうしようもないことなので。……相談の代わりに、一つ報告があります」


 JKは改まって、そんなことを言い出す。

 どんな報告が出てくるのかと思ったら、JKはいきなり「ありがとうございました」とお礼を口にした。


「私、来年から地方の大学に通うことになったんです。だからこの電車に乗るのも、今日で最後になります」

「そうなのか……」


 何日か会わないことはあったけど、今回は違う。彼女が進学先で就職したり結婚すれば、二度と会わないことだってあるわけで。

 今日はJKが高校を卒業する日であると同時に、俺が彼女から卒業する日でもあるのかもしれない。


「……寂しくなるな」


 自分でも気付かない内に、そんなことを呟いていた。

 俺はいつの間にか、JKと一緒に過ごす電車の中でのひと時が楽しくなっていたみたいだ。


「こちらこそ、世話になったな。お前と出会えて、良かったよ」

「そう言って貰えると、女冥利に尽きます」

「最後に一つだけ、聞かせてくれ。お前はどうして、俺に懐いてくれたんだ? その理由だけが、どうしてもわからないんだ」


 毎朝同じ電車で顔を合わせている。そんなの、俺以外にも沢山いるわけで。

 俺と他の乗客の違いはなんなのか? 最後ということで、思い切って尋ねてみることにした。


「……やっぱり、覚えていませんでしたか。今まであの時の話が一度も出てこなかったので、そうじゃないかなーって思っていたんです」

「……あの時の話? 俺、酔った勢いで君に手を出したりした?」

「真っ先に出てくるのがそれですか!? ……違いますよ。手を出したんじゃなんて、手を差し伸べてくれたんです」


 つまり俺は以前彼女を助けたことがあるということか。……ダメだ。全然覚えていない。


「2年くらい前のことです。人身事故で電車が止まって、別の路線を使って学校に行こうとしていたんですよ。その時の電車は想像以上の混雑具合で、スマホをいじるのもやっとというくらいでした。満員電車だったからでしょう。私……痴漢にあったんです」


 痴漢の被害に遭った過去なんて、思い出したくないだろう。ましてや語るなんて、相当の覚悟の筈だ。

 それでも彼女は話してくれた。


「その時私を助けてくれたのが、お兄さんでした。だから翌日電車の中でお兄さんを見た時、「あっ、運命だ」って思ったんです」


 確かに2年くらい前に一度だけ、女子高生を痴漢から助けたことがある。まさかそれがこのJKだったとは思いもしなかったが。


 電車がJKの通う高校の最寄駅に到着する。

 最後だからって、ロスタイムがあるわけじゃない。


寂しい思いはあるけれど、大人として俺が出来ることは、JKの門出を陰ながら祝福することだ。


「卒業おめでとう。大学でも、頑張るんだぞ」

「ありがとうございます」


 JKは立ち上がる。

 降車する直前、何かを思い出したかのように、「あっ!」と声を上げた。


「一つだけ、言い忘れていました。……大好きでした!」


 ……本当、彼女がJKで良かった。俺が大人で良かった。

 もし俺と彼女が同い年だったら――きっともう何十回も、彼女に恋をしていたことだろう。





 四年後。

 俺はこの日の朝もいつもと同じように、空席だらけの電車に乗って通勤していた。


 隣には、誰も座っていない。

 それを良いことに新聞を広げていると、突然隣にOLが座ってきた。


 席なんて他にも沢山あるというのに、何でわざわざ隣に座るのだろうか?

 しかし隣席が俺の所有物というわけではないので、そのことに苦言を呈することも出来ない。どこに座るのかは、OLの自由だ。


 釈然としない気持ちを抱きながらも新聞を読み進めていると、ふとOLに声をかけられた。

 

「面白い記事でもありました?」


 ……そのセリフに、聞き覚えがあった。

 今から四年前、俺は同じ言葉を毎朝のように耳にしていた。


 記事の内容など、もう頭に入ってこない。

 俺は視線を新聞からOLへと移す。


「……お前は」


 四年の月日を経て成長しているが、間違いないと断言出来る。彼女は、あの時のJKだ。


「お久しぶりです。帰って来ちゃいました」

「……おかえり」


 JK……ではなくOLは、どうやらこの沿線の会社に就職したそうで。これから毎朝同じ電車に乗って通勤することになるらしい。

 四年前と同じように。


 俺は再度新聞に視線を戻す。読んでいるのは、勿論テレ番だ。


「「汚職探偵」、四年ぶりに復活するらしいぞ」

「そうなんですか? 録画予約し忘れちゃいましたね」

「リアルタイムで見れば良いじゃないか」

「そうしたいところなんですけど、今日は残業確定でして……。どうしましょう」


 チラッと、OLは俺を見てくる。

 その視線は、何かを訴えかけていて。……ここで「ダビングしようか?」なんて言えば、物凄く怒られるんだろうな。


 だから俺は、恐らく彼女の求めているであろう一言を口にする。


「……週末にでも、ウチで一緒に見るか?」

「是非! お願いします!」


 待ってましたと言わんばかりに、OLの顔が明るくなる。

 成長して大人の女性ならではの美しさを兼ね揃えた彼女だが、どことなくあの頃の少女らしさも残っている。

 そんな彼女の笑顔に、俺は新鮮さと懐かしさを覚えてしまって。


 ……もう彼女は、JKじゃない。未成年じゃない。

 俺も彼女も、立派な大人だ。

 だったらこの気持ちを我慢する必要なんてないんじゃないか?


 今日の帰り、インテリアショップにでも寄るとするかな。そして二人掛けのソファーを買うとしよう。

 彼女の特等席は、俺の隣だと決まっているのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

毎朝電車で隣に座ってくる女子高生の話 墨江夢 @shun0425

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ