第20話 エスカーダ伯爵領
マリーと共に馬車に揺られ一日と少し。エスカーダ伯爵領、その領主であるフィリップ・エスカーダ伯爵の居る街、ラクナの街にたどり着く。美しい湖の湖畔にあるこの街は王国内では避暑地としても知られていて、多くの貴族や庶民がこぞって訪れる地でもある。そんな土地柄も手伝ってか多くの商店が軒を連ね、交易も盛んな土地柄だ。
そんな街の中心地からは少々離れた小高い山の中腹。美しいこの街の風景に溶け込むような佇まいの屋敷の前までやって来た。
「ここまで来ておいてなんだけど……エスカーダ伯爵様の人となりってどんなかな?」
「そうですね……私としては理知的なお方、そんな……噂を聞いたことがあります。」
「噂、かぁ。」
「その程度の事しか私には……。」
「いや、別に構わないよ。案外噂ってのも満更役に立たないという訳でもないしね。」
噂同士を突合すれば解ることもあろう。噂程度でも集めておいて損な情報は無いのだ。
扉に取り付けられたドアノッカーを鳴らそうとする……が、手がギリ届かない。
「マリー、お願い。」
「ええ。」
改めて、マリーがドアノッカーを2度鳴らす。するとしばしの間を置いて一人のメイドが出て来た。
「何の御用でしょうか?」
「フィリップ・エスカーダ伯爵様にお目通りさせていただきたく伺いました。事前にお約束はさせて頂いておりますので、アルフォンス・リュシオールが参りました旨、お伝えして頂ければわかるかと思います。」
「承知いたしました。では少々お待ちを……。」
一度、扉は閉じられしばし俺たちは待つ。
「こうやって待っている時って、『約束なんて知らない』と言われたらどうしようとか考えちゃうよね。」
「それは……解らなくもないですね。」
そして、再び扉が開いた。
「お待たせしました。リュシオール様。どうぞこちらへ。お付きの方もどうぞ。」
よかった。少なくともちゃんと歓迎されているようだ。
案内された部屋は自然光が柔らかく差し込む気持ちの良い部屋だった。調度品はシックな雰囲気である。細かいところまでよく手入れが届いており、また作り込みも細部にまで行き届いているようだ。部屋全体も清潔に保たれており、招かれた人物が気持ちよく過ごせるようにとの気配りが感じられる。
エスカーダ伯爵が理知的という話があったが、少なくとも俺としては信用に値する人物であると感じた。こうして応接室やら使用人やらが高いレベルであるのは本人の資質がしっかりとしている証左であろう。
そうこうしていると一人、応接室に入ってくる者があった。
「待たせたね。アルフォンス君……ああ、お二方ともそのままで構わないよ。」
立ち上がって礼をしようとする俺たちを制しながらエスカーダ伯爵は言った。
「さて、早速話を始めようか。」
「ええ。お願いします。」
早速交渉開始だ。
「既にお手紙でお伝えした通り、エスカーダ領内に私どもの事業の中継所を構築したく、そのお許しを頂きたいと思っております。」
「なるほど……そういう事ならやぶさかではないよ。」
「ありがとうございます。では条件について……。」
おだやかに交渉が進む。結構な事だ。エスカーダ伯爵の子息のマティアスと同級生というのもプラスに働いているのかもな。
諸々計画やら、条件からを伝えていく。反応は……上々だ。
「……うん。これなら私たちにも利益がある。とても有難いことだね。」
「恐縮でございます。」
「この領内で事業が出来るよう一筆証文書かせてもらうよ。届け先はアルフォンス君の所……セントルミエスの貴族学院の寮宛てでよろしいかな?」
「ええ。それでお願いいたします。」
事務所の手配は進んでいることは進んでいるがまだ決まっては居ないからな。俺の居室に届けてもらうしか無い。
「そういえば……君は飛び級で入学したんだってね。すごいね。」
「いえ、周りに助けられてこそですから。僕の周りの人たちが居なければ僕もまたここには居られませんでした。」
「なるほどなぁ。噂に聞いていたけれどここまで優秀だとは……うちのマティアスが張り合う訳だ。……話は聞いているよ。どうにもご迷惑をかけてしまっているようだね。本当に申し訳ない。」
「いえ、お気になさらず伯爵様。僕としては全く気にしていませんから。」
むしろ張り合ってくれる方が生活に張り合いがあるってことで。なんつって。真面目な話、イジメられているとかと違うしな。嫌がらせなんぞ受けたことも無い。真っ向から勝負を挑まれているってだけだ。
「そうか……お許し、痛み入るよ。……アルフォンス・リュシオールさん、頼みがあるんだ。」
「頼み、ですか。」
呼び方が変わったな。もしかしたら子供扱いはしない、ということだろうか?それはそれで構わないのだけれど。
「ぶしつけなお願いではあるが、どうか……マティアスに関して、あの子が間違った道を行かないように見てやってほしい。私としても、折檻はするから。どうか、お願いだ。」
エスカーダ伯爵は深々と頭を下げた。まさか、頼みに行った俺が逆に頼まれる立場になるとはな。解らんもんだ。
「頭を上げてください伯爵様。マティアスさんに関して僕は困った事は一度だってありませんから。それに……彼はしっかりとジャンヌ先生が見てくれています。心配は要りませんよ。」
ジャンヌが居ればおイタだってできないだろう。最も当の本人にはおイタなんてやってる暇なんて無いだろう。それに、マティアスが間違った道を行きそうとはなんとなく思えんしな。
「そうか……ありがとう。アルフォンスさん。なんというか、君と話していると、まるでそれなりに歳を重ねた大人と話しているような、そんな気になるよ。」
エスカーダ伯爵の言葉にすこしばかり冷や汗が流れる。……人と接することが重要である貴族社会で生きている人間であるからなのか、正体についてなんとなく見抜かれているようだ。バレたらバレたで面倒なことになりそうだ。誤魔化しておかんと。
「またまた御冗談を。僕は見ての通り商売人きどりの世間知らずですよ?ねぇ、マリー?」
「えっ、いや、私としてはノーコメントで……。」
目に見えて困惑してうろたえるマリーである。突然無茶振りしてすまん。
「……まあ、なんだろう。私としてはアルフォンスさんのことは信用している、ということだから。」
ちょっと引いているご様子の伯爵様である。やりすぎたかな。
「では、そろそろお暇させて頂きます。本日は誠にありがとうございました。今後とも何卒よりしくお願いいたします。」
マリーともども立ち上がって一礼をする。ボロが出ないうちにさっさと撤収しよう。
「ええ。こちらこそよろしくお願いします。……また、気軽に来ていただいても構いませんからね。その時は仕事や事業関係なしに歓迎しますよ。」
「ありがとうございます。それではまた。」
かくして、俺たちはエスカーダ伯爵の所を後にすることになった。確かな成果を手にして。
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一旦、ラクナの街の一角。そこにあるカフェで休息がてらマリーと今後について話し合っていた。
「さて、ここエスカーダ領で活動できるようになったけれどこれからどうしようか。僕としては今度は別な領地に行って今回と同じように交渉してきて他の地域とセントルミエスとの間でもなるはやで通信線の構築に乗り出したいと考えているけど……どうかな?」
「私としては何か口をはさむ立場では無いとは考えていますが……アルフォンス様がそれで良いと思えばそうした方が良いかと。また、領主様との交渉であれば責任ある立場の者が直接伺った方が話も進みやすいでしょうし。」
「そうだよね。ありがとう、マリー。そうすることにする。また付いてきてくれるよね?」
「もちろんです。」
そう答えるマリーの表情は確かな物だった。ここ最近は一緒に行動していたが、こういう表情をするのはそこそこ珍しい。頼もしいかぎりだが。
「さて、方針も決まったところで早速お茶と洒落込もう。ここの名物、フルーツのクレープ早速頂こう。」
話し込んでいたせいか、すでにサーブされてから少々時間が経ってしまっていたクレープを手に取り……なんてことはしないでちゃんとナイフとフォークを使って食べる。これでも貴族の子だからテーブルマナーはしっかりしておかないとな。
適度に切り分け、口に運んでいく。すると甘酸っぱさが口に広がり、それをシンプルな味付けがなされた生地が受け止める、何とも美味い味わいであった。
「うん、おいしい。マリーが勧めてくれただけあるよ。」
「ええ。気に入っていただけて何よりです。私もこの街に訪れることがあるとよく寄るんです。ラクナ名産の柑橘類を使ったすてきなお料理でしょう?」
「そうだね。また来る機会があったら寄ることにするよ。」
ここは良い街だからな。事業関係なしに逗留してみたい物だ。そして、俺の事業がこの街に資する物になってくれれば、俺にとって一番だ。
「アルフォンス様。」
「何かな?」
改まってどうしたんだろう?
「私は、私たちのしていることが少なくともこの街にとって良い物であってほしいと思っています。ですから……私も一層頑張らせていただきます。」
「……ありがとう。期待しているよ。マリー。よろしくね。」
マリーの決意表明、か。思えばマリーの恩に付け込んで色々とやって貰いすぎたように思う。そこは反省せねばなるまい。それでも俺にこう言ってくれている。だから、俺も頑張ろう。マリーに胸を張れるように。マリーに、俺に付いてきて良かったと思ってもらえるように。
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