lemonadeの夏

平 遊

第1話 ~side 僕~

 カラン。


 氷がグラスに当たり、心地の良い音を響かせる。


 いつもの昼下がり。

 いつものレトロな雰囲気漂う小ぢんまりとした喫茶店。

 入口から一番遠い、いつもの窓際のテーブル席。キミのお気に入りの。

 だけど。

 僕の向かいの席に、いつもいたキミは、いない。


 レモネード。

 脚のついた、おしゃれとは言えないどこか懐かしさを感じさせるグラスを、淡い黄色の液体といくつかの氷が満たしている。

 キミのお気に入りの飲み物。

 酸っぱくて、少し甘くて、キンと良く冷えていて、赤いチェリーが乗っている。

 でも、そのチェリーを食べるのはいつでもキミで。

 キミと僕でレモネードをふたつ頼んでも、赤いチェリーの行き先は、いつでもキミの口の中だった。


「これ飲むと、夏! って感じがするのよね」


 キミは本当に美味しそうに、レモネードを飲んでいた。

 だけど実は僕は、レモネードが苦手だったよ。


 酸っぱすぎて。

 後味が甘すぎて。

 良く冷えていなければ、とても全部なんて飲み干せなかった。


 室内は程よく空調が効いていたけれど、陽のあたるテーブルに置かれたレモネードのグラスは、大粒の汗を滴らせている。

 いや。

 それはもしかしたら、涙、なのかもしれない。


 この喫茶店のマスターは、年配の温厚そうな人だ。そして、オーダーを取りに来たり、注文したものをカウンターから運んできてくれたりするママさんは、マスターの奥さん。ママさんもとても穏やかで優しそうな人だ。

 きっと昔からこうして2人でこの喫茶店を回してきたのだろう。

 見ているだけでも阿吽の呼吸が感じられる仲の良さを、僕はいつも羨ましいと思っていた。

 お互いに共に歳を重ねて、キミとこんな風になれればいいな、なんて。


 ストローを奥までさして、グラスに残ったレモネードを勢いよく吸い込んでみる。

 ズズズと、お行儀の悪い音が鳴る。

 子供みたいだからやめなよって、いつもキミを止めていたけど、本当は僕もやってみたかったんだ。

 盛大に、ね。

 今もし僕の前にキミがいたら、キミはどうしたかな。

 僕を止めるってことは、まずしないだろう。そうだな、大笑いして、それから一緒になって、ズズズと音を立ててレモネードを飲み干したかもしれないね。


 脳天に響く冷たい刺激。

 それはまるで、キミがくれる新たな喜び。

 口の中に広がる酸味。

 それはまるで、キミが仕掛けるちょっとしたイタズラ。

 そして、口の中に残る甘さ。

 それはまるで、キミとの睦言。


 なんだ。

 レモネードはキミだったのか。

 出会ってすぐにズケズケと僕の中に踏み込んできたキミは、確かに最初は苦手だったけど、いまではすっかりクセになっていた。

 キミがいないと、物足りなさを感じてしまうほどに。


 なぜ、突然キミは僕の前から去ってしまったの。

 さよならの言葉だけを残して。



 レモネードを飲み干したグラスには、溶けかけた氷の上にチェリーがポツンと寂しげに残っている。

 そのチェリーを、僕は初めて口にした。

 レモネードのチェリーを、一度食べてみたいと思っていたんだ。今日はキミがいないから、心置きなく食べられる。

 そう思ったけど。

 期待したほどの味でもなく、何故かキミの笑顔だけが思い浮かぶ。

 空になったグラス越しに、向かいの席を見てみたけれど、魔法のようにそこにキミが現れるはずもなく。

 僕はひとり、席を立った。

 すっかり顔見知りになったマスターとママさんに挨拶をして喫茶店を出る。


 もうすぐ、夏が来る。

 キミがいない夏が。

 僕はもう二度と、レモネードは飲まないよ。飲めばキミを思い出してしまうから。

 なんてね。

 でも僕は、キミが恋しくなったらまた、飲んでしまうのだろう、きっと。

 レモネードを。

 もしそんな僕を見かけたなら。

 しょうがない奴だと、笑ってほしい。

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