一 辻斬り

 卯月(四月)一日。

 下肥下肥騒動の咎人に、御上から沙汰が下った。

 廻船問屋吉田屋は取り潰し、家族と奉公人は島流し、親類縁者は江戸所払い、刺客は打ち首になった。

 その後。

 日本橋界隈とその周辺で辻斬りが横行した。



 葉月(八月)五日。

 明け六ツ(午前六時)、晴れ。

 徳三郎と町医者竹原松月、与力の藤堂八郎率いる町方は、両国橋西詰めから十間ほど西へいった通りの真ん中で、辻斬りに遭った仏を検視した。


「草履があそことここに・・・。逃げまわったと見てよいですな・・・」

 徳三郎は両国橋西詰めから五間(約九メートル)ほど西に散らばっている草履を示した。両国橋から十間(約十八メートル)ほど西に風呂敷包みがあり、その近くに羽織を血で染めた仏が俯せに倒れている。


「仏は瀬戸屋の嘉兵衛さんだ。嘉兵衛さんがなんで殺られたのか解せぬ」

 藤堂八郎はじっと考えた。

 瀬戸屋は日本橋の瀬戸物問屋の老舗だ。店の評判も奉公人の評判も非常に良い。

 番頭の嘉兵衛の歳は三十代半ば過ぎだが、仏の嘉兵衛と噂され人間味溢れる商人あきんどだ。近々、店の奉公人のお由美と夫婦になって暖簾分けしてもらい、自分の瀬戸物店を開く段取りになっていた。店は田所町の元亀甲屋だ。祝言と開店の段取りで、嘉兵衛は嬉しい悲鳴をあげていた矢先の不幸な出来事だった。



 考えこむ藤堂八郎の横で、仏を検視している神田佐久間町の町医者竹原松月が、散らばっている草履と風呂敷包みを見て言う。

「追いかけて、ここで待ちぶせたとなると、殺害したのは二人以上ですかな。

 逃げる嘉兵衛さんの前に立ち塞がって、嘉兵衛さんを前後から斬殺した・・・」


「身体の前と背中と横から斬られている。そのように判断してよいと思う。

 しかし、この刃傷は酷いものじゃ。急所を外したまま、斬る、突くを何度もくりかえしておる・・・」

 辻斬りに遭った嘉兵衛を検視し、徳三郎は言葉を無くした。切れない刃物で何度も斬って突いた刃傷なのだ。

「凶器は切れない刀ですな・・・」

 竹原松月もそう言って口を閉ざした。これでは、仏になるまで間があって、さぞや苦しんだことだろう・・・。

「刀や刃物に不慣れな者の仕業だ・・・」

 そう言って徳三郎は仏に手を合わせた。


 藤堂八郎が驚いたように問い返した。

「然らば、試し斬りなど、斬殺慣れした者の仕業ではないのだな」

「如何にも。松月先生も見立てたように、切れない刀で無理矢理斬ったと見てまちがいはない・・・」と徳三郎。

「金子は取られていない。仏は評判の商人だ。怨みを買うような者ではない。

 いったい、なんのために斬殺したのか・・・」

 金目当てでも、怨恨でもないなら、何故殺られた・・・。藤堂八郎は、嘉兵衛が斬殺される理由に見当もつかずにいた


 卯月(四月)初旬から今月葉月(八月)まで、四人が同じ手口で殺害されている。町方と特使探索方は八方手を尽くして探ったが、斬殺された者たちは、煮売屋、駕籠舁き、商人、商家の御用聞きなど、仕事で日暮れ後も出歩く者たちだ。それらを除けば共通点は無く、無作為に、しかも、逃げまどう者たちを二人以上で、楽しんで斬殺していると思えてならなかった。

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