恋文のインク

 夏休み前の終業式、それはタイナカさんがまだ小学生で、高学年になりいろいろと意識しだした頃の話だ。


「やっぱりねえ……怖いものは怖いんですよ」


 その日、退屈な校長の話を聞き終え、後は学校に大量に置いてあった荷物を持って帰るだけだった。もう少しこまめに持って帰ればよかったとクラスでも最後の方まで荷物を集めていた。重い荷物をひとまとめにして鞄を持ち上げた。すると荷物の下に、赤いハートマークが書かれた白い封筒が置かれていた。


 もうその年になるとそれがどういったものかは分かる。喜んでその手紙をこっそりと鞄に忍ばせて浮かれ気分で下校をした。当時は我が世の春が来たような気分だった。


 帰宅してから封筒を開ける。そこには鮮やかな赤インクで自分への熱い恋心がしたためられていた。当時はスマホどころかケータイもない時代だ、これは自分と相手だけの秘密にしておこうと思い最後まで読んだ。そこで違和感に気づいたのだが、その恋文には差出人が一切書かれていなかった。しかしそんなことはどうでもいい、いずれ現れてくれるだろうと呑気に構えていた。


 しかし彼女は俺の家を知っているのだろうかと不安になる。しかしまだ夏休みだ、まだまだ学校に行く機会はある。これだけ熱心な手紙を書くくらいなのだからまた登校すればいずれアプローチをしてくれるだろう。喜びながらそっとその手紙を机の引き出しに入れ、念のため鍵を掛けておいた。


 夏休みには登校日がある、もしそのときに自分だと名乗り出てくれたなら……そんな妄想が非常に捗る。きっと手紙を送るくらいなのだからさぞや自分に気があるに違いない。そう思うと非常に気分が良い。


 その日から宿題をさっさと終わらせ、机の前に座って宿題をしている振りをしつつ、誰も近づいていないのを確認してはその手紙を読んでニヤニヤしていた。


 登校日が来週に控えた頃、友人がやって来て遊びに誘った。広めの公園でサッカーをした。もちろん十一人ずつのチームなど人数が集まらないので今で言うフットサルよりも小規模なものだった。そんな時、スライディングをしたのだがそのときに地面に足を擦ってしまった。そんな怪我は日常茶飯事だったので、公園の隅の水道で傷を洗って、持っていたティッシュで傷口を拭った。


 痛みはあったが、それほど深刻なものではないので手当らしい手当もせず遊び終わると帰宅した。怪我をしたのを叱られるのも嫌だったのでこっそりと自分の部屋に帰る。血が止まるまでは待っていた。そんな時、ポケットの中に傷を拭ったティッシュを入れっぱなしだったことに気が付いてそれを取りだしてゴミ箱に放り込んだ。


 その日はそれで終わったのだが、翌日がいよいよ登校日という日、引き出しの鍵を開けて自分宛の恋文を読もうとした。そこでインクが黒ずんでいることに気が付いた。やや赤みがかった黒だ。最近どこかで見たような色をしている。はて、どこだっただろうか?


 そう考えて思いだしたのはこの前サッカーですりむいた傷だ。ズボンをめくってその傷口を見た。そこには赤みがかって黒く固まった血がかさぶたになっていた。


 結局、その恋文はゴミ箱に捨てられることになり、ビクビクしながら登校日を迎えることになった。せめてもの救いは特別何もなかったことだろう。


「だからね、私は携帯電話やスマートフォンが出てきたことにとても感謝しているんですよ。デジタルデータなら何で書かれたか分からないなんて事はありませんからね」


 そう言って彼はタバコに火をつけた。未だに彼は独身なのだが、交際を申し込まれたこともあったが、今でもどう答えるべきか答えを出せずに何人もその申し出を断ったそうだ。

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