授業-4
ヤーレさんとミルの2人が部屋を出て行くと、姫様は自分のベッドに座り直しました。そうしてにっこりとした微笑みをこちらに向けます。そして沈黙。
「わ――私もそろそろ。ヨミーさんも心配されているかもしれませんし」
「あら、もう行ってしまわれるんですか?」
にこにこ。何よりも恐ろしいのは、どこをどう見ても笑っている表情にしか見えないところです。言わずとも言いたいことがあると分かる笑み。しかもそのことを、その相手にだけ伝えるような笑み。こちらから話しかけずにはいられなくなるような笑みなのです。
「……なにかあるのでしたら、はっきり仰ってください。もう、そういう立場ではないのでしょう?」
第3王女があえて話しかけるということは、そのこと自体が意味を持つことでした。しかし今は家を離れた身、建前としては人並み以上に気を付けるべきことではないはず。そう伝えると、また口元を押さえながらお笑いになりました。
「こうして2人でお話するのも、久しいですね。いつだったかの、控えでのことを、思い出しますね」
「……覚えていらっしゃったんですか」
姫様はまたくすくす笑いながら、「それが勤めでしたから」と仰いました。
そう、この学院に来る前に、姫様と出会ったことが1度だけありました。まったく様子に出さないので忘れられていることと思っていましたが、さすがは次期国王と密かに期待されていただけのことはありますね。
私にとっては忘れるべくもありません。私がいまここにいるのも、そのときのことがあってこそとも言えるかもしれません。
「それで、どういったご用事ですか?」
「どう、ということでもありませんよ。お話ししたいなと思っただけで」
「本当にそれだけ?」
そうお尋ねすると、姫様は困ったように笑います。
「私も、いまに相応しい考え方、というものを、身につけようとしている、そのつもりなのですよ。」
このような表情をされると、それ以上追求するわけにもいかないでしょう。
とはいえ、わざわざ2人きりでお話ししたいとなるなら、お茶でも用意して仕切り直したい所ですわね。
お茶を2人分注いで、椅子をすこし姫様の方に近づけます。
「それで、なんのお話でしょうか」
言葉が届いていないように、姫様はお渡ししたお茶を啜るばかりでした。そうして私がしびれを切らすすんでのところで、ようやくお茶を脇のテーブルに置きました。
「ナリスも、ミルさんと親しくなってきたようですね」
「……別に仲良しというわけではありませんが。ただ、何というか」
「放っておけない?」
……この方は、どこまで人の心が読めるというのでしょう。ともあれ、誰しも答えたくない質問というものがあるでしょう。
それもまた1つの答えとなる、と父様ならお話されたことでしょう。姫様は小さく笑います。
「実は、私もです。ミルさんにはおっしゃらないでね」
姫様にご心配をかけている、という話は、人付き合いの苦手なミルでなくとも、たしかに恐縮しそうな話ですわね。
「自らの想いを表に出すことを良しと思わない方のことが、どうにも気になってしまうようでして」
「それは……」
3年前、姫様と出会った時のことが思い浮かびます。
それは、まだ私が両親の言葉に従うことしか知らなかったころのこと。
首を振って、古い記憶を振り払います。あの日から、私は自分の道を進むと決めたのです。気付かなかったふりをして、言葉を選びましょう。
「難儀な性格ですわね。その年でとなると」
「そうかも、しれませんね」
この姫様の微笑みを見ると、私のささやかな抵抗も無駄だったのかもしれない、という気持ちにさせられますわね。
さて、しかしながら本題がなんなのか見えてきたような気がいたします。この話題のついでに、ヨミーさんからのお願い事についても解決できれば一石二鳥になりますわ。
「ところで、姫様がしたいお話というのは私のことではありませんね」
「どうぞケラマと」
攻勢に出ようというときには、こういう遅滞戦術は無視するにかぎります。
「私の見たところですと、ご友人を作ること」
ちらりと姫様の様子を伺います。さすがに眉一つも動かされませんが、止められもしないのでそのまま続けましょう。
「そしてそれは同室のお2人ではなく、他の方々のこと。すなわち、お2人以外にお話される相手がいらっしゃらないことを気にされている」
わりと当てずっぽうの賭けですが、外れても私に不利益はありません。
じぃっと姫様の方を見て、反応を待ちます。
「そんなに見つめられると、照れてしまいますね」
「あ、し、失礼しました」
つい視線を逸らしてしまい、慌てて姫様の方に目を戻します。
姫様はあらぬ方を向きながら、お茶を飲み干したようです。
「私、ナリスともお話できているものと、そう思っていましたけど」
「あ、そ、それはまあ」
たしかに自分を足すことを忘れていましたわね。しかしながら、と思っていたら、姫様はくすくすとかわいらしく笑いました。
「ごめんなさい、でも、ナリスもせっかちですね」
「合理的に進めたいだけです」
「私とのお話は、面白くないですか?」
「……そういうことをなさるから」
姫様はいたずらっ子が仕掛けを見張るみたいな顔をこちらに向けてきます。……いまその顔を見ると、また姫様のペースになってしまいますわ。慌てて目を逸らします。
しばらく私が視線を外していると、姫様の笑い声が聞こえてきました。
「よいでしょう。認めます」
その言葉に姫様の方を向くと、ご自身の隣をそっと指し示されました。その意図を汲みあぐねていると、
「その、あまり大きな声では」
なるほど、秘密の話というわけですね。コップを脇に置いて、姫様の隣に失礼します。それで姫様は満足そうに頷かれました。
「たしかに、私はナリスに、そのことを尋ねようと考えていました」
よし、当たった! しかし、姫様の余裕なご様子を見ると、私が1人で勝手に空回りしただけに思えてきます。
いや、姫様はたとえ動揺しても顔に出さないよう訓練を受けているはず。ここはお話を静かに聞き、すばらしい解決策を出してみせればよいのです。
「もちろん、ミルさんやヤーレさんとともにいることも、こうしてナリスとお話を交わすのも、どちらも楽しいですが、きっと欲張りなのでしょうね、他の方とも仲良くお話しできれば、とも考えてしまうのです。同じ時に同じことを学ぶ、その縁で結ばれたのですから」
姫様は相変わらずのゆったりとした口調で、流れるようにお話しなさいます。その分、私としても考える余裕がでるというものですが、さて。
そもそも姫様と懇意になりたい方がほとんどなわけですから、考えるまでもなくお話されればよいと思うのですが、単にそう答えるのも面白みがありませんわね。
と、面白いことを思いつきました。姫様のお話がふと止まったところで、ひとつ咳を入れます。
「『そうですね。思うに、あなたがあなたのために、すべきとお考えになることをなさる、というのは』」
忘れもしない3年前のことを思い出して、その時に姫様から賜ったお言葉をそのままお返しします。
姫様の方も、覚えていたというのはお世辞ではなかったようで、気づいた様子でひとつ鼻を鳴らされました。
「『しかし、私にも背負うべき家というものがございます』――私にとっては、国ですね。『そのような身勝手な考えで先を決めては――』」
姫様の声真似が思いのほか珍妙で、とうとう耐えきれなくなりました。
「ど、どうしてお笑いに?」
「も、申し訳ありません。ただ、その。いまのは私ですか?」
「おかしかった、ですか?」
「おかしいというか、少し声色が高すぎませんこと?」
「そうでしたか」
何度も試しているのを聞いていると、なんだかまた、可笑しくなってきてしまいました。
「そ、そんなに笑わないでも」
「い、いやだって。……とにかく、他の方々とも、そのようにお話になればよいと思いましてよ。ヤーレの言うことではありませんが、魔女となれば、家も国も関係ない付き合いとなるわけですし」
「……そう、ですね」
姫様はそれでも浮かないご様子でした。
「いえ、やはり、染みついた考えというものは、なかなか捨てられぬものですね。……実のところ、怖いのです。私の方から話しかける、というのが」
怖い? 姫様にも怖いというものがございましたのね。それにしても、意外と子供っぽい所もあるというか。あるいは習慣を変えることへの恐怖かもしれませんが。
「そういえば、おいくつになったのでしたっけ?」
「10ですが」
不思議そうにお答えになる姫様。私の方はといえば、いま口を開けばそのまま閉じなくなりそうです。じゅ、10歳……つまり初めて会ったときは7歳……。非凡な才能をお持ちの王族とはいえ、7才の子供の言葉で人生が変わったと思うと、なんだか笑えてきますわね。
「どうしました?」
急に笑い出した私の方を心配そうに、こちらに目を向けられるので、かぶりを振って息を整えます。
「そのお歳で凝り固まることもありませんと思いますわ。私なんて、12の時に受けた、5つ下の子からの言葉ひとつで、こんな風になってしまったのですから」
そうして肩をすくめると、姫様も理解したようにくすりと笑みをこぼされました。
「それもそうですね。そのときはつい知ったような口を」
「ともあれ、それならば、私と同室のヨミーさんを手始めとされてはいかがですか? 彼女は穏やかな方ですから、きっと話しかけやすいと思いますよ」
「そんなところまで、お手伝いしていただけるなんて。……お姉様がいらっしゃったら、このような感じなのでしょうか」
姉……といことは姫様が妹?
「……姉のように思うのなら、少しはからかうのをおやめになっていただきたいものですわ」
ため息交じりにそうお伝えすると、姫様の方はわざとらしく、肩をすくめられました。
「お姉様にはつい甘えたくなるものと、そうお聞きしていますから」
そうして目が合って、どちらともなく自然と笑ってしまいました。
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