入学-2
目が覚めると、手が届きそうなほど近い天井が目に入った。
(そうか、私……)
そしてこの道の先は、魔女の世界に繋がっている。あの人のいる、魔女の世界に。
昨日ヤーレと相談して、ひとまず背の高い私が二段ベッドの上側に、ヤーレはその下側に陣取ることにした。もう1人がどんな人か分からない以上、一番使い勝手の良さそうな普通のベッドを空けておこうということになったのだ。
体を起こして、再度天井が頭に当たらないことを確認する。……ちょっとギリギリだけど、まあ飛んだり跳ねたりするわけじゃないし大丈夫かな。
そういえば、前に読んだ物語本だと……。
ベッドから降りて、ちらりとドアの辺りを確認する。と、なにやらそれらしい箱があるではないですか。
「……どうしたの?」
箱の方に近づいてみると、後ろから声が聞こえてびくりとした。振り返ればヤーレが目を擦りながら体を起こしていた。どうやら起こしてしまったようだ。
「なんでも。その、なにかあるなーって」
「ああ、支給服」
ヤーレはあくびをしながらこっちに来て、自分の名前の書かれた箱を開いた。確かに、その中には服がいくつか入っていた。
「支給服? 制服じゃなくて」
「制服って……お仕事じゃないんだから」
「いや、あの。私の読んでた物語本だと、学校に行くときは制服を着てたから」
「ふぅん。まあこっちは別に着なくてもいいんだけど、自分で服を用意するのも大変だからって、配られるんだって」
なるほど、それで支給服。ヤーレはまだ完全に目覚めていないのか、ふらふら揺れながら自分の衣装棚から服をあさっている。ヤーレは着ないんだな、支給服。
私も中身を調べてみると……うん、確かに私の着ている服なんかよりも何十倍も上等そうに見える。ちらりとヤーレの方を見ると、ヤーレの持っている服も、この服に負けず劣らずよいもののようだ。よくよく考えてみると、私の服、ひどいくらい浮いていたのかもしれない……。昨日は浮き足だって周りを見る余裕もなかったけど。
「……これでも、一番マシなのを用意してもらったんだけどな……」
「あれ、ミルは支給服着るの?」
「え、あ、う、うん。そうしようかなって」
急に声を掛けられてつい答えてしまったけど、それがいいだろう。ヤーレはしばらく自分の服を手に持ってなにか考えていた様子だったけど
「じゃあ私もそっち着ようかな」
と、するすると着慣れているかのようにすぐに着替えてしまった。
私の方は……どうもこのボタンというのが厄介者で……。
*****
近くに出ていた屋台で朝食を摂って、また少し荷物の整理とかをして時間を潰してから、影が短くなってきた頃合いに集合場所に向かうことにした。
結局、もう1人の子は来なかった。
「もしかしたら2人部屋なのかもね」
「あ、でも支給服はもう1人分なかった?」
「あそっか。じゃあ昨日言われてた、まだいない人かな」
他愛もない話をヤーレとしながら集合場所に向かうと、すでにちいさな人だかりが出来ていた。3分の1くらいの人は例の支給服を着ている。その中心には、どこかで見た――。
「あ」
あの目は昨日見た目だ。少し釣り長の、人を値踏みするような目。
「あら、そちらの方。昨日の失礼な獣人じゃありませんこと」
ひらひらしたフリルをはためかせながら、その人は囲いの人をより分けて、私の前に来てこちらを見上げてくる。
一切ぶれない碧い瞳が昨日のことを、もっと昔のことを思い出させて心臓がどくりと鳴る。
「この人、知り合い?」
声を掛けられて、ようやくあの眼を視界から切ることができた。私の恐怖心が伝染してしまったのだろうか、ヤーレもちょっと怯えているように見える。
「う、うん。ちょっと」
「ちょっと、いまは私がその獣人に話しかけているんですの」
言われてあの子の方を向けば、どうしても目が視界に入ってしまい、声が出なくなる。こういう時自分の背の高さが恨めしい。
目の前の子はいらいらしているように足を鳴らし始めるが、やがてふんと鼻を鳴らして胸を張った。
「まあ、田舎から出てきたばかりでしょうから、昨日のことはひとまず水に――」
「そちらの方」
言葉を遮るように、遠くの方から凛とした声が広間に響き、みんな一斉に声の方に向く。
だんだんと人混みが避けるように開いていく。その隙間から見えてきたのは白い髪の……子ども? 周りの子達より一回りは小さい。
それでも、1歩1歩地面を確かめるようにゆっくりと歩くその姿は、全身が見えるようになるほどに大きく感じられて、その子がなにかするまでもなく前の人がどいていく。
そうしてしばらく、退いた人たちの足音だけが耳に届く音となっていた。私達の前までの道が出来ればその音も止み、その子は私に向かって微笑んだ。
どきりとした。さっきまでの心臓とまるで違うものが私の中に入ってきて、冷たくなった血の代わりに心地よいなにかを全身に送り出しているような気分。さっきまでのいやな緊張が全部解きほぐされていって、まったく別の畏まった雰囲気に飲み込まれていく。
「あ……あなたは……」
絞るように声を出したフリルの子。知り合い、なのかな。私に微笑みを向けていた子は、表情を変えて声の方を向いた。
「先ほど、私のお友達について、なにかおっしゃっていたように聞こえましたが?」
「え、あ、いやそんな。ただなんというか。ご挨拶をしようとおもっただけですわ」
「あらそうでしたか。私、てっきりお友達が、つらい目にあるのかと思って。それでつい急いてしまいました」
さっきとは違う、どこか含みのある笑顔を向けられて、フリルの子も引きつったような笑いしかでないらしい。
と、ちょいちょいと手を引かれた。
「ね、ねえ。あの子ってミルの友達なの?」
ヤーレに聞かれて気がついた。まるで私が友達かのように喋ってなかったか?
もう一度見る。淡い黄色のすらりとしたドレスが、背景のようにたなびく長い白い髪の中で映えて、なんというか、後ろが光っているようにも見える。高貴というか、まるでこの世じゃないところから降りて来たような。少なくとも一度見たら忘れられないような姿だ。ヤーレには自信を込めて否定する。
「会ったこともない」
なんというか、誰?
今私の置かれている状況を、ちょっと整理しよう。まず隣で私の手を握っているのが同室のヤーレ。身長の関係で端から見ると私に手を引かれてるようにも見えるかもしれないが、どちらかというと立場は逆だ。
そして前でにこやかに火花を散らしているお嬢様っぽい人たち。片方は昨日ぶつかったフリルの人、もう片方は、見ず知らずの自称「友達」。
少し囲むようにいるのは、クラスメイト……と言うのか分からないけど、まあ同期の他の人たち。
「友達」が現れて少し和らいだものの、今の雰囲気はあまりよくない。とはいえこの寮のホールが集合場所になっている以上、逃げるわけにもいかない。
よし、片付けの極意は簡単そうな所から手を付ける、だ。というわけで、自称「友達」の正体から訊ねよう。
「え、えっと。すみません、だれ……」
「友達」の方に聞いたつもりだったが、なぜかフリルの人が「あなたね」と噛みついてくる。「友達」はそれを制して恭しい礼をこちらに向けた。
「お初にお目に掛かります。ケラミリア・カナサリア・コラノルソスです。どうぞ、お見知りおきを」
向けられた礼があまりに完璧で、少し尻込みしてしまう。でも、ああよかった。とりあえず向こうも初対面のつもりではあるらしい。
……なんだろう、この子が名乗ったからか、周囲がざわめき始めた。
と、とりあえず私も自己紹介しないと。そう口を開こうとすると、
「ミケルワ・ノリワースさんで、いらっしゃいますよね」
先に問われてしまった。
「え、はい。あれ?」
なんで私の名前を?そしてケラミリアさんはヤーレの方を向いて、
「あなたは、ヤレッサ・メヌスンさん?」
「は、はい。……あ!」
ヤーレは頷いたあとにびっくりしたような声を上げた。そしてばつの悪そうな顔をこちらに向ける。……ああ、本名なんだ。
「聞かなかったことにするから」
そう耳うちはするけど、なんというか、こういうのって本人が一番気にしちゃうよね……。
「というか、どうして私達の名前を?」
気を取り直して訊ねると、驚いた様子で口に手を当てる。
「そうでしたね。サレッサ――私のお付きが教えてくれましたの。同室の方のことを、よく知っておくようにと」
同室。なるほど、この子が遅れてきた3人目、それで「友達」。しかし、サレッサという名前も聞いたことがないから、どこかで調べられていたということかな。
「それにしても、お付きの人がいるなんてお嬢様なんだね」
無邪気なヤーレの言葉に、また周囲がざわつき始める。
「あなた、本気で言ってますの?」
フリルの子も訳知り顔といった風だ。
ヤーレはなにか失礼なことを言ってしまったかと慌て始める。ちなみに、私もなんのことか分からない。
フリルの子はため息をついて、ケラミリアさんを手のひらで示した。
「この方こそ、ファクスパーナ大陸でも3本の指に入る大国、コラノルノス王国の第3王女ですのよ」
第3、王女。
「ってお姫様ってこと!?!?」
「あ、いえ。第3王女といっても、こちらに来るにあたって、家は捨てましたので、なので今はみな様と同じ」
「同じな訳ない! あいえ、ないです! えー、ちょっと待って、どうしよう、私さっき普通に話しちゃった」
ヤーレが私の手をぶんぶんと振ってくるが、そんなの私だってそうだし、というか同室!? お姫様が!?!? そりゃいろいろ調べるわ。っていうか何考えてこんな部屋割りになってんの? 普通に考えたら個室とかでしょ。あいやお付きの人がいるならその人と同室とか。こんな庶民といたら腐っちゃうんじゃないの?
「あの」
「わーごめんなさいごめんなさい!」
話しかけられただけでつい謝ってしまう。というかなんかすごい子だなーとか思ってたさっきまでの自分を殴りたい。失礼とかそういう話じゃない。
気がつくと、なんかよくわかんないけどヤーレとその場をぐるぐると回っていた。全然考えがまとまらないのに、これがパニックってやつかと、なぜかどこか遠いところで冷静に納得した自分が居た。
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