入居者が交代する
少しバタバタしたが、シェアハウスに落ち着きが戻る。
何時ものように、桑木は朝の掃除に向かう。掃除機を掛け、拭き掃除をしている所に、影田昌子が近づいて来た。
「お早うございます。影田さんは、ここのところパートに行ってないようだけど。辞めたの?」
桑木が声を掛ける。
「うん。辞めたのはもう一週間以上も前。今日は、大家さんに伝えたい事があって」
笑みを浮かべ、馴れ馴れしい感じで近づく昌子に、桑木は
「うんー?」
と思う。
妻に先立たれた後、女性との接触が無かった桑木は、変に意識をしてしまう。
(ちょっと年取り過ぎだけど、今の自分には合ってるのかな。手頃なラブホテルは何処にあったっけ?)
アッという間に妄想を抱いてしまった。
自分の事はさて置き、相手の品定めをして「まあしょうが無いだろう」なんて、全く相手に対し失礼な男である。
未だ、口に出さなかっただけ増しだが。
影田昌子はソファーに腰を下ろす。それに合わせて、桑木も座った。
「此処も変わったわね。随分と落ち着かなくなって仕舞ったんじゃ無い?」
確かに、言われてみればそうかも知れない。
「前は、結構居心地良かったけどね」
何か思わせぶりである。
そして、
「実は私、引っ越すの。大家さんには悪いんだけど」
昌子は、明るい笑みを湛えて桑木に言った。
「えっ、越しちゃうの? 何処へ?」
「うん、息子夫婦の所へ」
「えー、愛知に居るという息子さんの所? 息子さんの所って、確か子供さんも居たよね」
「うん。下の子が未だ小さいから大変みたいだから、私がお守りして上げようかって言ったの。そしたら息子と嫁とが話し合ったみたい」
一時は桑木に、彼女の子供達の不満やら愚痴をこぼしていたが、息子からの招きを受け、内心は嬉しくてしょうがないようだ。
突然に変わった昌子の雰囲気に、一時は色恋沙汰を想像してしまった桑木は、己の愚かさに、スケベ心に恥じた。
影田昌子は一時、このシェアハウスで華という存在だった。しかし、五十嵐美花が入居してからは一気に影が薄くなっていた。寂しさを感じるようになっていたのだろう。
そういう状況の変化も手伝い、息子夫婦の誘いに素直に応じた可能性もある。
「嫁さんは承知してくれたんだ」
「そう。最も、私が手土産持っていくからかも知れないけど」
「手土産って?」
「ほら、私の一軒家、他人に貸しているでしょ。その家賃と少しばかりの年金を持って行くって言ったのよ」
「影田さんに文句が無いなら、それでも良いんじゃ無い?」
息子夫婦にラブラブ期間が過ぎているのなら、嫁がお金の方を選んだとしても不思議は無い。
とにかく影田昌子は終始柔やかで、息子達の所に行くのが嬉しそうだ。
「良かったね影田さん。都内に居ると言う娘さんとは仲が悪いって聞いていたので、気にはなっていたんだ。影田さんなら、息子さん家族と上手くやっていけるよ」
桑木はさりげなく後押しする。
「だけど、私ってもう歳でしょ。知らない土地に行って上手く遣っていけるか、それが心配なの」
嬉しいはずなのに不安を語る昌子の姿は、彼女が愛知の息子の所に行くのを「良い息子さん夫婦だね」と言って欲しい。
「影田さんは幸せな人だ」と、そんな風に言って欲しい。
そんな言葉を投げ掛けて貰いたいという表情をしている様に桑木には思える。
「だから、影田さんなら大丈夫だって。料理も上手だし、嫁さんに気に入られるよ。この家で、社交性豊かに振る舞っていたじゃ無い。知らない土地に行ったって全く心配ないよ」
桑木は面倒になり、褒めそやして話を終わりにする。
桑木は心の底から祝福したのでは無い。自分の子供達に疎外されている桑木。多少羨ましさを感じるからだ。
どうやら、昌子は桑木の気持ちを察したようだ。そして態度を改め、
「所でさ、美花ちゃんの酒癖、相当悪いわよ。この先、近所から苦情が来るかも知れないよ」
「そうだね。自分も彼女があんなに酒癖が悪いとは思いも寄らなかった」
桑木も多少心配なところ。
「可愛い顔してるからって、甘く考えちゃ駄目よ」
「うん。対策を考えなくちゃね」
「そうよ。オッパイやスカートの中を触(さわ)れるからって。『いいやいいや』してたら、酷い目に遭うかもよ」
昌子は、美花が酔い潰れたあの晩の出来事を、しっかり目撃していたようだ。 桑木の心臓に、汗が流れる。
「それに、藍原さんにも気をつけて」
そう言えば、ここ数日藍原の姿が無い。
「私、パート辞めてから殆ど此処に居たから言うけど、あの泥棒騒ぎの後、藍原さんはパンパンに膨らんだリュックを背負って出て行ったきり一度も帰って来てないよ」
桑木もその辺は察知していた。ただ、藍原が消えたのは知っていたが、その消える理由が、桑木には全く見当が付かない。
次回の「驚きの入居者」につづく
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