14



 翌朝、目を覚ますと布団に彼の姿はなかった。時計が鳴りっぱなしになっていて、急いで止めると、時刻は九時を回ろうとしていた。今日は学校は休み。土曜日だ。


 襖を開け、居間に通じる廊下を歩き、台所を過ぎて今を見ると、家族がちゃぶ台を囲んで朝食を食べている所だった。そしてそこに彼がいた。


 僕は物申したい気持ちを抑えながら、彼の隣に座る。ガイルは母さん手製の出汁の効いた卵焼きを口いっぱいに頬張りながら、隣に座る僕の事を見てきていた。


 家族が何も言わずに僕の方を見てきている気がする。妹までも。


 僕が皆に目を向けて、


「なに」


 と言うと、父さんがご飯の乗った茶碗を持ちながら「遅えよ」とだけ言った。妹もそれに合わせて「うん、にいちゃん朝寝坊。オクちゃんもちゃんと起きたのに」


 そして母さんまでもが目を閉じて頷くのだった。


 ガイルは構わず、中央に置かれている漬物の山に箸を渡し、ひょいパクとご飯を胃に放り込み続けている。


 僕は何だか納得のいかない気持ちで、何故か疎外感を感じながら、朝食に手を付け始めた。


 昼近くになり、父は所用で出かけて行った。会合が何たらと言っていたが、いつも通りなら友達で集まって昼から酒盛りをするんじゃないかと思う。何もなかったと言いながらいつも帰ってきた時には酒の匂いをぷんぷんと纏わせているから。


 僕らは四人で食卓を囲み、皆で素麺を食べた。母さんは出汁を作るのがとても上手で、つゆの染み込んだ素麺はとてつもなく美味しかった。窓辺から入ってきた夏の風で風鈴が鳴り、皆の麺を啜る音と、心地よい咀嚼音だけが耳の中に響いた。


 と、一足先に食べ終えたのか、ガイルが突然箸を勢いよく置くと、膝をパンと叩いてから、言った。


「よし、じゃあ行くか。足人」


 僕は麺を啜りながら、横眼で彼を見ながら言った。


「どこへ」


 彼は呆れたというような素振りを見せた。


「どこって。群青 茜の所に決まっているだろう。手紙の通りだ。お前、読まなかったのか?」


「読んだよ」


 僕は黙って麺を啜る。昨日の手紙の内容はよく覚えている。恥ずかしい話だが、夢にまで出てきたのだ。漆黒に染まった空を駆る一台の、星のように煌めく真っ白な空飛ぶ機械。その運転席には、どこにでもいるような髪の長い小柄な少女がゴーグルを被って乗っている。その手は馬の手綱を掴むように、慈しむように優しく操縦桿を握っている。闇夜を貫く、美しい一筋の光線のようだった。


 彼女が手紙を送ってきた。彼にメッセージを。群青 茜の親戚に頼るようにと。でも、どうしてここが分かったのだろう? どういう経路でこの場所まで、そもそもどこから送られてきたのか? 彼女はガイルの事について詰るように詳しく書いていたけれど、彼女は彼女自身の事についてはひた隠しにしていた。少なくとも文面上では。だから、僕は……。


 だから僕は?


「おい、足人。どうした。怖気づいたのか?」


 彼の方を見て僕は目を丸くする。「怖気づくって、何を?」


「茜に会うのがだよ」


「馬鹿らしい」


 母さんが向かいでクスッと笑って、その事に僕は少し嬉しくなる。妹がーー遅れたが僕の妹の名前は愛夢(おくら)という。独特な名前だと思うし、虐められやしないかと思うこともあるけれど、でも僕の足人よりも力強く、優しい名前だと思う(余計なことを書いた)ーー母さんの膝に登って甘えている。僕はその景色も嬉しいと感じている。


 手にゴツゴツとした感触があった。


「お前、大丈夫か?」


 僕は一瞬沈黙し、それから言った。


「何が?」


「焦点が合っていないように見えるぞ。目じゃなくて、意識の。いや、それは最初に会った時からか。変な奴だなと思ってはいたが。お前……何を見てるんだ?」


「馬鹿らしい」


 僕は自分の食器を持って立ち上がり、台所へと歩き、シンクに食器を置いた。


 ガイルに言われたくなかった。自分が人と比べて変わっていることなんて、百も承知だ。


 でもそれを言うのなら、中身が本当は成人男性の少年なんて、その方が余程薄気味の悪い話じゃないか。現実通りの形をしている僕の方がずっとまともに見える。


 僕は意味もなくカレンダーの数字を見た後、もう一度居間の方を見た。妹が母さんに甘えている。ガイルが黙ったまま僕の方を見てきている。


 僕は彼の眼をまともに見据えたまま、その吸い込まれそうな美しい鳶色の瞳を見ながら、何気ない口調を心がけて、言った。


「じゃあ行くよ、ガイル。群青 茜のところへ」


 よしきた、とガイルは呟くと、その場で立ち上がり、僕の方へと歩いてきた。僕はその様子をじっと眺めていた。遠くの方から、まるで焦点の合っていない目で。いや、意識のまま。



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