リブ・ゴキ(Live-Goki)~黒光り少女と棲む家

イズラ

第1話「クロビカリズム」

白い肌から黒い汗

「……うわ、どうしよ……」

 今、玄関でたたずむ私――早雌さのめアリカ。

 恐怖と絶望が始まり、むやみに動くことができない。ただ、時間だけが過ぎていく、この感覚。――全てを投げ出して逃げたい。そんな気持ちだけが心にぶわぶわと充満していく――。

「……駄目だ……!」

 そうだ、逃げたって何も解決しない。――やっぱり、『駆除』するしか……!

 そう、黒く光る、を。

「……何のために玄関まで来たと思ってるんだ……!」

 そう自分に言い聞かせながら、靴箱の扉に手をかける。

 ゆっくりと手を引くと、金具がギィっとを発する。驚いて後ろに飛び退く私だったが、一息つくと、改めて扉を開ける。

 壁沿いに置かれた木造の靴箱の中は四段づくりになっていて、一番上の段の一番右の方には――。

「……あった!」

 手に取ったのは、『殺虫スプレー』。用である。

「……これで、……あの『』を……」

 退治できる――!

 靴を脱ぎ履きするたたき・・・に裸足のまま下りていた私は、恐る恐る床板ゆかいたへ上がった。そして、できる限り音を立てないように、慎重にフローリングの上を歩き始める。

――目指すは『風呂場』。そこにがいる――。



* 第一話「クロビカリズム」*



* * *



「……あ、あれ……?」

 最悪だ。これほどの最悪は存在しない。

 勇気を振り絞って風呂場のドアを開けてはみたものの、の姿はどこにもない。

「いない、だと……!?」

 確かに見たはずだ。そう、扉と向かい合う鏡の下に取り付けてある台の、その上にあるトイレトリー用品の内の――

「……あれ?」

 確か、シャンプー容器の近くに……いや――

「――う、し、ろ」

 その瞬間、私は奇声のような叫び声を上げた――。それはもう心臓が物理的に飛び出そうなほどの、家中に響き渡る叫び――。

 ――視覚からの情報ではない。聴覚、それも耳元でナニカにささやかかれた――!?

 「誰?」という言葉がすぐに出るわけもなく、私はその場に硬直してしまった。右手に殺虫スプレーを持ったまま。

「――う、し、ろ」

 声の主が繰り返し私にささやく。私はまたビクッとしたが、もはや声も出ない。――しかし、よく聞くと澄んだ声をしている。

「――う、し、ろ、で、す、よ」

 私は勇気を振り絞り、ロボットのようにガタガタと震えながら、上半身だけをねじって、後ろに振り向いた。

「――あ、やっと向いてくれましたね、アリカちゃん」

 私の目に飛び込んできたのは、こちらを見つめるパチっとした目。ものすごく近くに立たれているため、それ以外が見えない。というか、もう互いにキスしそうな距離である。

「えっと……」

 とりあえず一歩後ろに行き、私は目の前の人間の全貌を確認する。

 ――とは言っても、頭から生えている虫の触覚のようなモノを除けば、一般的なセーラー服女子中学生である。――問題はその虫の触覚なのだが……。

「どうかしました……?」

 少女は首をかしげたが、私は今そんな場合ではない。

 少女の前頭部から二本、こちらに垂れ下がるように生えている茶色い棒状のモノ。どうみても虫――からも生えている触覚である。

「……やっぱり、触覚……?」

「……何のことですか?」

 私の呟きを聞いて、少女は少し不服そうにこちらを見る。それと同時に、頭の触覚が上下に動いたように見えた。

「え? 今のって……」

「……これは触覚じゃないです! ただのカチューシャですよ!」

 今度は腰に手を当てて怒る少女。また触覚が動いた、今度はブンブンと。

「……と、とにかく!」

 ボーっと触覚を目で追っていた私に、少女は一歩近づく。

「……あ、また近い……」

「とにかくアリカちゃん! 私、あなたに伝えたいことがあるんです!」

「……へぇ? 伝えたい……?」

 まだボーッとしたままの私だったが、少女は茶色おかっぱの髪をなびかせ、私に詰め寄る。

「アリカちゃん! あなた最近、抜け毛が少ないですよ!」

「…………はい?」

Gの身としては、貴重な食料が減られると困るんです! 髪の毛……せめて下の――」

「ちょ、ちょっと待って」

 良からぬこと言いそうな声を遮ると、私は脳をフル回転させる。

 だがやはり、思考が全く追いつかない。

 一旦深呼吸をして、目の前の少女をまじまじと見つめる。

Gって……、……あんたが……?」

「はい! 私はここのお風呂場に棲まわせてもらっている、正真正銘のゴ――」

「いやいや! そんな訳ないでしょ」

 またもや良からぬ言葉を遮ると、私はもう一度少女の顔を見る。

 二重の目に綺麗な白い肌、まつ毛は長く、可愛らしい顔だ。あのおぞましい姿とは程遠い……。

「……そもそもアニメの世界じゃあるまいし、そんなことあるわけ……」

 ブツブツと独り言を呟く私に対し、少女はふいに真顔となる。

「あんまりゴチャゴチャ言ってると、口の中入りますよ?」

「いや、そんなこと言われても、あんたどう見ても人間じゃん……」

「ハァ、しょうがないですね……」

 そう言うと、少女はグッと体を強張こわらせ、ぶるぶると震わせ始めた。――しばらくすると、少女の顔から汗のような液体が出てくるのが分かった。それは半透明の黒い液体で、次第に量を増やしていく。

「……うげ」

 少々嫌悪感を覚えたが、次の瞬間には”少女は消えていた”。

 ――いや、一瞬で溶けたようにも見えた。

「……え?」

 先ほどまでそこにいた人間が、跡形もなく消えて去った。

「……どこ、いったの?」

 キョロキョロと室内を見回す。

 ――ふいに、悪寒を感じた。全身にものすごい鳥肌が立ち、背筋がゾワッとする感覚……。

 ゆっくりと、足元を見下ろす。

 洗面所の白い床、そこに黒い点が一つ。その形は、立って見下ろしていてもはっきり捉えられた。細長い円、ユラユラと動く虫の触覚――。次の瞬間、私は再び奇声のような叫び声を上げた。


 やってしまったのは、あまりのパニックで足をジタバタさせ、Gを踏みつけてしまったこと。

 もはや、声も出なかった――。

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