なけない閑古鳥

@rakuten-Eichmann

なけない閑古鳥

昔々、深い森の奥に鳥の王国がありました。あまりに深い森のため、人間が入ってくることはなく、鳥たちは平和に暮らすことができました。朝日が昇るとともに朝の挨拶を交わし合い、夕陽が沈むとおやすみのキスをして眠りにつきました。

その王国の外れの廃屋に一匹の閑古鳥が住んでいました。彼の名はマイク。彼には生まれつき嘴がなく、喋ることができませんでした。本来嘴のあるところにはぽっかりと穴が空いています。親は彼が雛の時にどこかにいってしまいました。『またね』そう言って自分を捨てた親の顔を、今でもマイクは覚えています。

自力で虫を捕らえて食べることはできませんでしたが、マイクのことを可哀想に思った他の鳥達が、毎日果物を彼の家に届けてくれます。彼らは果物を咀嚼し口移しで食べさせてくれます。そして、口の聞けない可愛いマイクに向かって、最近の身の上話や世界情勢の話をするとそそくさと飛び立っていくのでした。

 そんな毎日ですが、マイクは満足でした。果物を食べ、鳥達の話に相槌を打ち、過去と未来のことを考えないようにして眠る。ただそれだけで満足でした。

そんな毎日を繰り返し、マイクが青年になった頃です。果物を届けてくれたカラスのマリアから、不思議な話を聞きました。森のどこかに血よりも赤く、空よりも青く、夜の闇より黒い不思議な果実があり、それを食べると願いが叶う。おとぎ話みたいな、不思議な話でした。

喋り終わるとマリアは、マイクの頬に軽いキスをして空に飛び立っていきました。マリアからしたら、このキスは何の感情も込めていない、おやすみの挨拶がわりのものでしたが、マイクからしたら違いました。生まれて初めてのキスでした。その衝撃は凄まじく、マリアが飛び立ったことにしばらく気がつかないほどでした。

 もし不思議な果実を食べて、僕に嘴が生えてかっこいい鳥になったら、あの時のキスの続きができるかもしれない、それ以上のあんなことやこんなことができるかもしれない、そう考えた瞬間には居ても立ってもいられず、力強く地面を蹴り、空へ羽ばたきました。

 飛び立ったのは真夜中でした。森の動物みんなが寝静まり、落ち葉すら寝息を立てています。あまりに寂しくて、その度にマリアのことを思い出しました。少し忘れては大きくなって帰って来るマリアへの思いがどうしようもなくなった瞬間、光がマイクの瞳を貫きました。

 夜明けでした。滲むような朝日が夜の闇を塗りつぶしていきます。暗闇は、まだ眠っている明日に向かって逃げていきました。その光景は、僕はいつだって大丈夫だという自信をマイクに与えました。

 半日ほど飛んでいたでしょうか。流石に喉が渇いたので、マイクは木々の向こうから聞こえてきた水音に向かって飛びました。果たして、輝くような小川が目の前に広がっています。マイクは助走をつけ、川に飛び込みました。嘴のないマイクには飛び込んだ勢いで口内に流れてくる水を飲み込むしか、水を飲む方法がないのです。

 何度もこの方法で水を飲んでいたはずなのですが、極度の疲労と、マリアへの思い浮き足立っていたことも相待って、マイクは溺れてしまいました。助けを呼ぶこともできず、水はガブガブと流れ込んできます。

 ああ、僕はここで死ぬんだな、さようならマリア、さようならみんな、さようなら母さん。そう思い目を閉じました。


 不思議な夢を見ました。マイクは夜空の中心に居座るオリオン座に向かって飛んでいました。翼が折れて血が吹き出すほど羽ばたいても、距離はいっこうに縮まりません。なんで。こんなに頑張っているのに。思わずマイクは涙をこぼしてしまいました。

 するとオリオン座の顔がぐるりとこちらを向き、ゲラゲラと笑い始めました。大きく手を振り、腹を抱え、空に涙と唾を撒き散らしました。その粒が星となり、夜空を彩っていきます。

『綺麗だ。』そう思った瞬間マイクの体が火を吹き、いつの間にか彼も星の仲間入りをしていました。

一日たち、一週間経ち、一年たち、10年経ってもマイクは燃え続けています。地上では、仲間の鳥たちが夜空を見上げ、恋人に向かって微笑みかけています。その笑顔を見ていると、とっくにいなくなった、あの夜のオリオン座のことを思い出しました。


 顔のすぐそばで、涼しげな水の音がします。その冷たさに、マイクはゆっくりと意識を取り戻しました。水で膨れた腹に、ぼんやりふやけた意識。どうやらマイクは溺れて気を失い、この河岸に流れ着いたようです。何か夢を見ていた気がしますが、ほとんど覚えていません。バラバラに解けていた意識が徐々に結ばれ、マリアがマイクにキスをした光景へと収束した瞬間、胃の中の水を吐き出し、身軽になったマイクは矢のように空に飛び上がりました。あまりに勢いよく飛び上がったので、空中をフラフラ飛んでいた羽虫が、マイクの顔にぽっかり空いた空洞に吸い込まれていきました。羽虫は激しくもがきましたが、風に押し流され、マイクの喉へ滑り落ちていきます。胸の奥のあたりで羽虫が動かなくなったとき、ひどく残酷なことをしてしまった気がして、マイクの体に鳥肌が立ちました。思い返せば、今まで他の鳥たちが持ってきた細切れの果物しか食べてこなかったので、羽虫といえども、虫を殺して食べたのは初めてでした。

だけど、マリアのことを考えれば不思議と何もかも大丈夫だと思えました。虫を食べ、たらふく水を飲み、元気を取り戻したマイクは一層スピードをあげ木々の少し上を滑空していきます。


(暗転)

『マイクって今どこにいるの?』

『知らない。あ、あの果物美味しそ。』

『興味なさすぎじゃない?まあ、あの子も可哀想よね。』

『そう?まあうちの父親は凹んでたよ。話し相手がいないって。』

『いやあなたの父親どんだけ孤独なのよ。マイクよりあなたの父親の方が可哀想だわ。』

『確かに。まあ皆に幸あれって感じよね。』

(明転)


森の中を飛び回り、もう何度太陽と月が入れ替わったかわからなくなった頃、ついに不思議な果実を見つけました。果実はマリアの話通りの色をしていました。光を受け止めるたびに様々な色を身にまとい、微かな風にも表情を変え、喜怒哀楽すら感じるほどでした。辺りは果実が放つ光に照らされ、葉っぱの影さえ色づいています。その光景があまりに美しく、しばらくの間、身動き一つ取らず眺めていました。果実を眺めている間はなぜか身を焦がすようなマリアへの思いも浮かんできませんでした。しかし、空腹と眠気(なぜかどちらの感覚も、マリアからのキスを受けた瞬間に感じたものとよく似ていました。)が浮かんだ瞬間、衝動的に果実を丸呑みにしていました。今まで細切れの吐瀉物のような果物を丸呑みにするしかできなかったマイクの口の穴に、果実はすんなりと収まり、霧のように消えました。辺りを照らしていた光は消え、薄暗くて生臭いなんの変哲もない森へと変わってしまいました。それは見慣れた光景にも関わらず、なぜかひどく寂しいものとなってしまいました。

果実を食べた一瞬、とてつもない後悔を感じましたが、それはすぐに消えました。なぜなら、自分の顔にぽっかりと空いた穴から、むくむくと大きな嘴が生えてきたからです。嘴は太陽の光を浴びて輝いています。その美しさは今まで見た他の嘴よりも美しいものでした。燃え上がるような喜びと、ぼんやりとした安堵感を覚え、居ても立ってもいられなくなったマイクは、早速王国に向かいました。

 王国に向かう道の途中、すれ違う鳥たちはマイクの嘴に惚れ惚れとした視線を向けてきます。中には話しかけてくる鳥たちもいました。今まで喋ることができなかったマイクは思う存分おしゃべりを楽しみました。

 意気揚々とマイクは王国の中心地に降り立ち、まずは今まで自分に果物を運んできてくれた鳥達にお礼を言おうとしました。

 マイクが子供の頃から、世話をしてくれた鳥達の家々を周り、感謝を伝えていきましたが、反応はどこも一緒でした。最初は彼の嘴の美しさに驚き、喋れるようになったことに喜び、次第に口数が少なくなり、視線が沈黙を切り裂きながらマイクの顔に向かって注がれるのです。その目はとても冷たく耐えきれないほどでした。必死になって喋れば喋るほど、空気は静かに澱んでいくのです。

 結局彼らには口先だけのお礼を伝えると、マイクはマリアを探しに飛び立ちました。マイクのことを全く知らない鳥たちは彼を褒めるのに、マイクのことを世話していた鳥たちに限って冷たい態度をとるのです。でもきっとマリアなら、今の僕を受け入れてくれるだろう、かっこよくなった僕を認めてくれるだろう、そしてもう一度キスがしたい。

 あちこち探し回り、日が沈む頃、ついにマリアを見つけました。彼女は、風切ばねが抜け落ち、飛べなくなったカラスに慈しみの目を向けていました。彼らの左手にはお揃いの指輪が嵌められています。マリアの目は、嘴がなかった頃の自分に向けられた目と似ていると思った瞬間、マイクは全てを理解しました。今まで自分に果物をくれた鳥達が優しかったのは、彼らが優越感に浸るためだったのだと。マリアが僕にキスをしたのは、単なる施しの一環に過ぎないのだと。嘴を手に入れた僕は、どうしようもないほど一人だと。

 

マイクは泣きました。涙が枯れても泣き続けました。泣いて泣いて、鳴き続けました。

彼の周りには誰もおらず、静寂が辺りを包んでいました

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