龍と仙人
「お兄様~! あら、もう獣化を解いてしまったのですね」
「煩わしかったからな。で、何でお前は角生やしてんだ?」
人々の視線から逃げるように門を離れたエト。そんな彼の元へ駆け寄るナナヨは獣化しており、その頭から鹿のような角を生やしていた。
「こうすればお揃いになるかと思いまして」
「まぁ、似通ってはいるな」
そもそも龍であるフウの角が偶蹄類に近いのだ。七支刀のようでもあるが。
「会った時も思ったけど、そんな気軽に獣化して大丈夫なのか?」
「ご心配には及びませんわ。普段から獣化して過ごしておりますから。それにお兄様のおかげで、今なら寝る時以外は獣化したままでも大丈夫そうです」
「へぇ、そいつは凄いな。俺より獣化が上手いんじゃないか?」
「そ、そうでしょうか? えへへ、それほどでも~」
エトからの称賛にナナヨは畏まった態度から年相応の笑顔で照れて見せる。
『ふーん、その子の獣化は深度1にも満たない簡易版みたいだねー。主殿の憑依召喚に近いかもー』
『へぇ、それなら俺でも一日もつかもな』
もっとも背中に背負う光輪が日常生活だと視覚的にかなり邪魔なので、エトは試す気も起きなかったが。
「なんにせよ、人に囲まれる前にさっさとお参りしようぜ」
「それもそうですわね」
元々人混みが好きではないナナヨはあっさりと獣化を解いた。
それから足早に移動した二人は森林の中にある石段を登り、大きな滝の横に併設された手水舎までやってくる。龍を象った大きな蛇口から噴水のように水が流れ出ており、これまた大きな柄杓が置かれていた。
「昔は龍が行水を行っていたというあの滝に打たれて参拝者も身を清めていたそうです。とはいえ一般人が行うには流石に危険ということで、今ではこちらの手水舎で手や口を漱ぎ清めるに留まるようになりました。柄杓が大きいのは滝が出来る前に龍に水をかけて洗っていたという伝説の名残で、いつからか龍を象った蛇口にも水をかけるようになったのだとか」
手水舎の横にある看板に書かれた伝説によると、一人の仙人が龍に体を洗うように頼まれたらしい。修行中の身故と断った仙人であったが、断れば嵐を呼ぶと脅されたため、これも修行と引き受けることに。そうして、仙人は最初こそ川から水を汲んでいたのだが、途中で面倒になった仙人は川を引いてきて滝を作ってしまったそうな。これには龍も喜び、仙人を主と認めて仕えるようになったのだという。
「なんか、修行中とはいえ微妙に俗っぽい仙人だな。本当に仙人か?」
「まぁ、あくまでこの地に伝わる仙人の伝説でありますから」
『主もあの滝で身を清めたらどうじゃ?』
『なんでわざわざ』
『正しい手順を踏まねば結界に引っかかるやもしれんぞ? 結界曰く、龍は滝で体を洗ってから家に戻れとある』
『また結界か。誰だよこんな面倒な結界張ったのは』
『……』
エトは仕方なく滝に打たれる。そして、滝を出ると即座に服を乾かした。
「あー、冷てぇ」
「何故わざわざ滝に?」
「なんかこうしないとまた結界に引っかかるみたいでさ」
「先ほどの門といい、不思議にございますね」
そうして身を清めた二人は参道を歩き、いよいよ拝殿まで辿り着いた。
「かつてはこの拝殿にて仙人が人々の悩みを聞いていたそうです。そして、普段は奥にある本殿に住まわれていたそうな。そのため本殿にあるご神体とは別に、拝殿にも仙人の像が置かれているのだとか」
「風龍大社なのに龍じゃなくて仙人の方が祀られてるのか」
「龍も祀られてはいるのですが、どちらかというと狛犬や稲荷のような神之使といった扱いとなっておりますね」
ふと目についた看板には護法大将降魔命像と書かれていた。
「どっかで見聞きした名前だ」
中等部に入学したての頃にナルカミからそんな名前を聞いたような、いつかの授業で教科書に載っていたようなとエトは思い返す。
「そう! つまり、この地に伝わる仙人こそ大国主様より古い時代に生き、後に護法大将降魔命と称される祖神であったのです!」
「それ、そんなに大事なのか」
突如として力説するナナヨにエトは少しびっくりした。
「えぇ、諸説あるなどと嘯く輩も世には多いので。お兄様が惑わされぬようにと思いまして」
エトとしては過去のことなんて諸説あって当然という考えだが、ここで反論しても仕方がないので大人しく頷くことにする。以前、ナルカミから聞いた降魔命の子孫がいるという話も藪蛇かもしれないので口には出さなかった。
「それにしても改めて見てみますと、どことなくお兄様に似ているような」
「そうか?」
『うむ、せっかくじゃし、作り直すとするか? チウがいれば楽勝であろう?』
『あら、お姉さんの出番みたいね』
『止めろ』
重要文化財に手を付けようとする十二支を抑え、エトは手を合わせた。
『そういや、祈ること何も考えてなかった』
『ご主人と毎日
ヒヨに続いて十二支たちが表では口にすることも憚られる願望をぶちまける。エトは思いっ切り顔を顰めた。
『真っ昼間から止めてくれ。どっかの神様に届いたらどうしてくれんだ』
『妾が聞き届けてもよいのだぞ』
『じゃあ、お前らがもう少し大人しくなりますようにと祈っとくわ』
『つれないのう』
エトが脳内会話を繰り広げる横でナナヨは先祖の安らかな眠りと悲願の達成を祈っていた。
『ご先祖様の悲願は私が必ずや叶えてみせます。仙人様、風龍様、ご先祖様が安らかにお眠りになられますようにお送り下さいませ。どうか心よりお願い申し上げます』
その祈りは何故か隣のエトに聞き届けられた。
『えっ、なんか聞こえてきたんだが』
『距離と縁が近いからではないですか?』
『どうしろってんだよ』
『別にどうもしなくてよいではありませぬか? 何事もなかったかのように振舞えばよいのです』
『……まぁ、聞かなかったことにするのが一番か』
とはいえ、その悲願は己に関わるものらしいことがなんとなく分かったエトはそれとなく協力しようと思った。それだけ真摯な祈りだったのだ。
例えその内実が十二支たちの願いと大差ないものだとしても、知らぬが仏である。
『では、主よ。そろそろ奥へ向かうのだ』
少し気まずくなったエトが一足先に拝殿を離れると、フウがそんなことを言ってきた。
『この奥って本殿だろ? 一般人立ち入り禁止じゃなかったか? 結界にも引っかかるだろ』
『心配無用。主と妾が通れずして誰が通れるというのだ』
『なんでそんなに自信満々なんだよ』
『そのようなこと、此処がかつての妾とあるじの愛の巣であるからに決まっておろう』
『はぁ!?』
再びフウと融合召喚したエトは、彼女の意思に導かれるように本殿の前までやってきた。そこには拝殿と比べて随分とこじんまりした家屋があるだけであり、その周囲を囲うしめ縄と結界がなければ、とても神聖な場所とは分からなかっただろう。
『あまり覚えておらんが、なんとも懐かしい気配よ』
『……そうだな』
全く記憶にないのにどこか懐かしさを感じる。あの夢で感じたような感覚にエトは戸惑っていた。まるで己の知らない自分が中にいるようで気分が悪い。
それでも足を進めると、エトの体は結界など無いものかのように素通りした。そのまま慣れた様子で家屋の中に足を踏み入れれば、拝殿で見たものと同じ造形の像が目に入る。だが、先ほどの物とは気配が違う。その内側から鼓動のようなものまで感じられるのだ。
『まだ残されておるとは。じゃが、もうお役御免よな』
不意に像が崩れ落ちたかと思えば、その中から光り輝く宝玉が飛び出し、エトの中へと吸い込まれていった。
「へ?」
目の前で重要文化財らしきものが崩壊する様子を見せられたエトはそれまで感じていた気分の悪さも忘れて頭が真っ白になった。
『な、何してんだお前!?』
『龍であった頃の妾の心臓を回収しただけのこと。周囲に住まう人の子らがここまで栄えたのじゃから、もう十分義理は果たしたであろう』
『いや、そうかもしんねえけどよ! 流石に黙ってこれは不味いだろ!』
『大丈夫よマスター君。こんな時こそお姉さんに任せなさい』
『私も助太刀致します』
エトはチウとミミが持つ鋼と岩の力を借り、砕け散ったご神体の仙人像を形だけは元通りに復元した。
「これで誤魔化せるか?」
明らかに気配が消え、もぬけの殻となってしまったご神体を前にエトは頭を悩ませた。取り敢えず結界を強化していると、外からナナヨの声が聞こえて来る。
「お兄様~! どこにいらっしゃるのですか~!」
『やべっ、戻らねえと』
偽装のためトイレに転移したエトは何事もなかったかのようにナナヨと合流した。もっとも、挙動不審だったため懐疑的な目を向けられたが、彼女からの好意に甘える形で押し通したのであった。
なんにせよお参りも終わり、後は土産を買って帰るだけ。
だというのに、門を出た二人は再び鳴り出した鐘のせいで人々に囲まれてしまった。
仕方なく二人して角を生やし、撮影に応じて絵のモデルになっていた所、神職らしき人までやってきてしまう。
ご神体を壊したことがばれたのかと冷や汗をかいたエトであったが、風龍大社の神主だというその男性が感涙しながら拝み倒してくるものだから対応に困ってしまう。
誰かなんとかしてくれ。
そんな祈りはどこへ届ければいいのやら。
「……もう逃げるか」
「えっ?」
結局、神頼みよりも頼れるものは己のみ。ナナヨを抱き寄せたエトはその場から龍の如く飛び去った。
そのままムラクモの家までナナヨを送り届けたエトは、背中に隠れて別れを惜しむ彼女を鬼と化したムラクモに引き渡し、その足で寮まで戻ったのであった。
後日、ナナヨから獣化した二人が描かれた絵画と現像された写真が送られてきた。さらに、風龍大社より祭祀に参加してもらいたいとの嘆願があったことも伝えられる。
ご神体を壊した負い目があるエトはそれを承諾。
絵画と写真は十二支たちの反対を受けながらも部屋の隅に飾られることとなった。
「思い出を物に遺すってのも悪くないもんだな」
エトはあまり物を買わない主義であった。大抵のことは能力でどうにかできるからだ。
そして、祖霊を祀る祭祀のことを考えている内にふと思った。
「先祖を祀る気持ちは分からんが、墓参りくらいはしてみるか」
ついでに、一度黄泉國へ帰省してもいいかもしれないと。
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