37話 兄弟だった彼ら

 クリスの鳩尾に、エルメスの拳が深々と突き刺さる。


「ご──ッ」


 魔弾による推進力を加味した一撃だ、いくら魔力で身体能力を上乗せできる魔法使いでも耐えられるものではない。

 事実クリスは体をくの字に折り曲げて、完全に力が抜けた様子で地面へと葛折れた。


「ぐ……ぁ……」


 驚くべきことに、意識は残したようだ。

 けれど関係ない、もう立ち上がることはできないだろう。


 そう判断したエルメスは、無造作にクリスに近寄ってまずは古代魔道具(アーティファクト)、カドゥケウスを回収。

 クリスの魔法はこの性能に頼り切ったものだった。これで仮に立ち上がってきたとしても負ける要素は無い。

 安全を確保し、絶望の表情で自分を見上げるクリスに視線を合わせて。


「さて、兄上。申し訳ありませんが拘束させていただきます。殿下たちを可能な限り足止めしておきたいのでね」


 エルメスの視線とその宣言を受けたクリスは、ぶるぶると体を振るわせて再度顔を上げ、こう言ってきた。


「──ずるいぞ!!」


 その目には、どうしようもない嫉妬と憎悪が宿っていた。


「……はい?」

「いつもいつもお前ばかり! 生まれた時から高い魔力を持って、魔法の才能にも恵まれて! 僕の欲しいものを全て奪っていった!」


 続けてクリスは、エルメスの左手に浮かぶ翡翠の文字盤を指し示して喚き始めた。


「おまけになんだその魔法は! 血統魔法を持たない出来損ないなんて嘘っぱちだったじゃないか! 知ってるぞ、それを使えばどんな血統魔法だって好きに使えるんだろう! なんだそれ、ズルだ! 不公平だッ! 僕にも寄越せよぉッ!!」

「──その不公平による恩恵に今まで浴してきたのも貴方でしょう」


 なのにいざ自分が劣る側に回った途端に不平だと喚くのは道理に合わない話だ。

 ……けれど。


「うるさい! いい身分だなぁお前は! そんな恵まれた魔法を持ってなんの苦労もなく好き放題できて! どうせ僕たちのことなんて眼中にも──」

「そこまで言うなら、使ってみますか?」


 生まれ持ってしまったものを嘆く気持ちは、分からないわけではない。

 それに、一つだけ正したい勘違いもあったから、エルメスはそう提案した。


「……え?」

「訂正しますが、この魔法──『原初の碑文エメラルド・タブレット』は血統魔法ではありません。血筋など関係なく、望むならば誰にだって使える魔法。そのように創られた魔法です」


 だから、クリスだって使いたいのなら使えば良い。

 そう言う代わりに、エルメスは自身の文字盤をクリスの手の上にかざす。


 程なくして、クリスの手の上にも同じものが浮かび上がってきた。

 これで、一時的な魔法の譲渡が完了した。今なら、魔法を起動するための訓練だけはすっ飛ばしてクリスも『原初の碑文エメラルド・タブレット』が使用可能になる。


「──はは」


 エルメスの言わんとすることを理解したクリスは、笑って。


「そうか、そうだったのか! そうだよねぇ、こんなとんでもない魔法、君ごときが特別に使えるなんておかしな話だ! さぁ、これで僕も──!」


 嬉々として、己のものとなった文字盤を起動して──


「──は?」


 固まった。


「見えますか?」


 対するエルメスは、分かりやすいだろうと試しに『魔弾の射手ミストール・ティナ』をクリスの眼前に展開する。


「『原初の碑文エメラルド・タブレット』を通した貴方は今、この魔法の上に何が見えます?」

「な、なんだこれは。わ……訳の分からない文字と記号の羅列しか見えないが!?」

それで合ってます・・・・・・・・。それが、常に僕が見ている光景です」


 クリスが愕然とする。


「こ、この文字がなんだと言うんだ!?」

「魔法陣ですよ、魔法を決定する根幹であり本質。例えばそうですね──上部に見える丸っこい文字の塊。これはルーン文字です。『魔弾の射手ミストール・ティナ』の場合はこれで『付与』の特性を決定している感じでしょう」

「つ、つまり──そのルーン文字とやらを読める様になれば使えると?」

「そうですね。新しい言語を一つ覚えるようなものと思っていただければ」


 存外物分かりの良い兄に対して、エルメスはにっこりと笑って。




「ちなみに、それと同じような魔法特有の言語体系が、あと68パターンほど存在します」




「……は?」


 クリスが再度固まった。


 つまり、こいつはこう言っているのか。

原初の碑文エメラルド・タブレット』を使いたければ、まず手始めに・・・・・・あと69種類・・・・・・ばかりの・・・・新言語を取得しろ・・・・・・・・と。


「とりあえず、それで第一歩です」


 その答えに辿り着いたクリスを更に叩き落とすように、エルメスが続ける。


「続いては記号ですね。魔法陣の縁や形状に当たる部分で、どの形がどういう意味を持ってどのように作用するのか。これは種類こそ言語よりは少ないですが、細かい形状の差分によるパターンの違いを見切るのが厄介です。時にはアドリブで製作された陣なんてものも存在するので、理論だけでなく直観で読み取る能力も必要になりますね。文字の配置も関係してくるので、こればかりは何度も解読による予測と実際の効果を照らし合わせて感覚を掴んでいく他ありません」

「な……」

「それができて、ようやく半分。続いて読み取った魔法を再現するための訓練が入りまして──これは今まで以上に大変です」


 もはや絶句することしかできないクリスだが、エルメスは尚も止まらない。


「血統魔法クラスになると、魔法陣を読み取っても100パーセント理解することはまず無理です。だから再現のためには即興で穴を埋めるだけのセンスや先ほど以上の深い理解が要ります。理解と応用の間の壁は想像以上に厚くてですね、それこそ何千何万と再現の練習を積み重ねなければなりません。そもそも思ったところに思った通りの陣を描くこと自体が相当に──」

「ふ──ふざけるなッ!!」


 ついに耐えきれず、クリスは叫んだ。


「なんだそれは、意味がわからない! たかが魔法を使うだけでどれほどの労力が必要になるんだ! まだ何かあるんだろう、これを読み解くための秘密が! 出し惜しみするんじゃない!」

「ありません。今言った学習が全てです」

「そんなはずがないだろう! これじゃ誰にも使えない! これを解読だなんてそんなもの、何年かかっても──」

「そうですね。僕は5年かかりました」


 クリスの言葉が止まった。

 エルメスが王都から姿を消していた間。何をしていたのか今の一言で分かってしまったから。


「魔法の練習を、一日平均十三時間。それを毎日欠かさず5年間ほど続ければ、貴方の言う『どんな血統魔法だって好きに使えるようになる』領域の片端くらいに小指程度はかけられるかと。──素晴らしい、魔法でしょう?」

「……おかしいだろう、魔法を使うのにそんな、ふざけた労力が! 魔法はもっと奇跡的で、使い方なんて自然と理解できる……」

「違いますよ。魔法は地道な、泥臭い努力の果てにある叡智の結晶です。おかしいのは血統魔法の方なんですよ」

「そん、な……」


 エルメスの言を否定しようにも、今まざまざと結果を示された以上何も言うことができない。

 クリスはもう一度、『原初の碑文エメラルド・タブレット』を通して眼前に表示された魔法陣を見やる。


 ……クリスにとっては吐き気を催すほどの、複雑怪奇な記号の羅列。

 これを全て読解して、尚且つ同じものを描けるようになるまでどれほどかかるのか。しかも──それだけの努力をしても再現できるのはこれ一つだけ。他の魔法にはまた他の複雑な陣が存在し、魔法の数だけ同じことを繰り返す必要があることは想像に難くない。


 ──無理だ、と思ってしまった。


 生まれた時から強力な魔法を持ち、その使い方も自然と体の中にあるうちに理解できて。

 使いこなすための労力など一切必要なく、苦労なしに強力な魔法を操作する悦楽に慣れ切ってしまったクリスには。

 魔法を使うためにここまでしなければならないなど──耐えられない、と。

 取得してしまえば楽だと分かっていても、そこまでの道のりを見ただけで心が折れてしまったのだ。


 エルメスに、視線をやる。

 彼は自分を見ていた。自分と同じ、けれど自分よりも美しく輝く翡翠の瞳。いつも通り感情の読みにくい──けれど、クリスにとってはどこか憐憫のような感情を覚える目で。


「……やめろ……」


 その目は、何度も見た。エルメスがフレンブリード家にいた時。エルメスが神童と持て囃されていた時に、何度も。


「やめろ、やめろ、やめろぉ! その目で、僕を見るなぁ!!」


 彼は自分から何もかもを奪っていった。親からの期待も愛情も、次期侯爵としての立場も。そして彼が欲してやまなかった、魔法の才能さえも。

 猛烈に羨んだ。凄絶に妬んだ。何より──そんな人間の興味が一切自分に向けられていないという事実が、取るに足りない存在だと言われたようで許せなかった。


「僕を見下すな! 僕を憐れむな! お前にその目線を向けられるたび、僕がどんな思いでいたか考えたことはあるのかぁッ!!」


 それらの感情が憎悪に変わるまでそう時間は掛からなかった。だから彼が無適性と判明した時は昏い愉悦と狂喜に満たされ、落ちぶれた彼を手酷く扱っては悦に浸り、心の底から思ったのだ。

 ──ざまあみろ、と。


 なのに、今は。

 無適性だと思われた彼は凄まじい魔法を身につけ、自分のものだったはずの血統魔法を自分以上に扱って見せて。

 そんな魔法をずるだと喚いた自分にわざわざ同じ魔法を使わせて、才能だけでなく魔法に掛ける思いも努力もその結果の実力も、何もかもが自分よりも上であることを完膚なきまでに証明して。


 ……もう、どんな感情を向けていいのか分からない。

 けれど今までの惰性か、怒りだけは込めた目線で睨みつけるクリスに対して、エルメスは少し考えてから。



「……すみませんでした」



 あろうことか、謝ってきた。


「は?」

「貴方にされたことを、許そうとは思いません。でも──確かに僕はかつて侯爵家に居た時、貴方を蔑ろにしていた」

「ッ!」

「あの時の僕は、魔法の力を高めることが全てで。それ以外の興味が希薄──いえ、言葉を濁してはいけませんね。……どうでも、良かったんですよ」


 二人が侯爵家に居た頃の交流は、むしろエルメスが無適性と判明してからの方が多くなったほどだった。

 それほどに、何もなかったのだ。……同じ家に生まれ、同じ屋根の下で過ごした、実の兄弟だったにも関わらず。


「でも、僕はあれから学んだ。きっとそれだけじゃ──魔法だけを見ていては、魔法を極めることはできないと」


 そして最後にもう一度、エルメスはクリスを見て。

 今まで彼に向けていたものとは、どこか違う感情を宿した視線で。


「貴方が僕にしたことも、僕が貴方にしたことも無かった事にはならない。だから最後にこれだけを。……本当に、すみませんでした」

「……やめろ……やめろぉ……」


 それは悔しさか、やるせなさか。

 言葉にならない感情が涙となって溢れてきたクリスが、吐き出すように告げた。


「ふざけるな、一番残酷じゃないか……今更お前が謝るなよ……そんなの、僕が余計に……惨めになるだけじゃないかぁ……っ!」


 それきり、エルメスは何も言うことはなく。

 ただクリスの涙が地面に落ちる音と、彼の嗚咽だけがしばらく響き渡っているのだった。




 ◆




 エルメスという人間は、魔法以外に対する関心が希薄だった。


 それによって引き起こされた悲劇は、紛れもない自分の罪だ。

 その事実をしっかりと刻み込み、彼は自分を待つカティアのもとに戻る。


「あ、エル……その、クリスさんは」

「無力化しました。もう向こうは戦う気もないでしょう」


 もし、かつてエルがフレンブリード家にいた時。

 クリスと普通の兄弟のように話し合うことができていれば、こうはならなかったかもしれない。

 けれど、今考えても詮なきこと。今の自分がクリスにできることはもう無い。


「そう……よくやったわ、エル。でも……」


 そして、間違いなく朗報なはずの言葉を聞いたカティアはしかし、沈んだ表情で顔を伏せる。

 無理もないだろう。彼女の視線の先には──


「うう……」

「なんでこんな……あんまりだ……!」


 未だ煌々と燃え盛る村と、それを見て嘆きの声をあげる村人たち。


「また……私が……」

「……」



 エルメスという人間は、魔法以外に対する関心が希薄だった。


 けれどその考えは、師と出会って魔法をより深く理解する中で変わっていった。

 人の心は魔法を扱う上で非常に大切で。それが人を前に推し進めていった原動力だと。


 だから彼は想いを大事にする。生来の薄さに加えて、かつての経験で擦り切れてしまった自分のそれを取り戻すため、彼が美しいと感じた想いは全力で守り、自らが手を加えることを良しとはしなかった。


 ……でも。

 今、その美しいものが壊れかけていて。

 それに対して何もできないというのは、もっと嫌だったから。

 故に彼は、最後に村長に言われた言葉を思い出して。

 彼女にこう、声をかけたのだった。



「……カティア様、まずはここを離れましょう。そして聞かせてください。貴女が今、何に心を痛めているのか」

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