33話 再訪問
翌朝、ほぼ同時に目を覚ましたエルメスとカティアは早速アスターたちとの距離を離すべく移動を開始した。
そこで問題になってくるのは──やはり、物資だ。
公爵家からある程度の食料や道具こそ持ってきたとは言え、カティアを救出するまでの行動が急すぎた。逃避行の長さがどれほどになるかは分からないが、十分な準備ができているとは言い難い。
なのでどこかに補給に寄る必要があるのだが、追手の問題があるのであまり人の目が多い街に寄るのも憚られる。
そこで、まずエルメスとカティアが選択したのは。
「おや、この村に何用で──って、貴方たちは!」
守衛をしていた人間が、二人の姿を認めて驚きの姿勢を見せる。
二人が訪れたのは、以前ユルゲンからの依頼で魔物を討伐しに向かった辺境の村だ。
ここならば流石にアスターの手の人間が潜んでいるとは思えないし、以前救っているため村人の心証も良い。それなりに協力的にはなってくれるだろうという打算もあった。
「そ、その格好は一体……? と、とにかく中へどうぞ!」
守衛はカティアの、以前来た時とは比べ物にならないほど簡素、正直に言うならば見窄らしい格好に驚きを見せたものの。
予想通り快く、中へと迎え入れてくれるのだった。
「……なるほど、事情は分かりました」
案内された村長宅にて、簡単な事情を説明する。
村長は話の内容に驚きを見せたが、最後にはゆっくりと頷いて。
「そういうことなら遠慮なくどうぞ。貴女がたは我が村の恩人だ、好きなだけ持っていってください」
「……感謝します。この恩はトラーキア公爵家の名に懸けて必ずお返しするわ」
「ほっほっほ、そのようなことを仰りなさるな。むしろ御恩をお返しするのはこちらの側なのですから」
人好きのする笑顔と共に優しく返す村長。その好意に甘え、必要なものをエルメスが告げようとしたその時だった。
「あ──!! こーしゃくさまのお姉ちゃんだ!」
入り口から甲高い声。振り返ると、そこには見覚えのある小さな女の子の姿が。
「あなたは……ええと、リナ、だったかしら」
「そうだよ!」
この村に来た時、魔物に襲われていたところを助けた女の子だ。
その子、リナは一目散に駆け寄ってくるとカティアに飛びついて。
「今日はどうしたの? 遊びに来てくれたの!? じゃあこっち来て! 見せたいものがいっぱいあるの!!」
「え、あ、えっと、その」
流石にこんな無邪気な好意を無碍に振り払うこともできず、リナを受け止めた体勢のままエルメスに視線で助けを求めるカティア。
彼はそれを見ると、軽く笑って。
「カティア様さえ宜しければ、遊んで差し上げてください」
「えっ、でも、いいの?」
「必要なものの受け取りなら僕一人でもできます。多分時間もかかると思うので、その間だけでも」
それに、きっと今の彼女にはこういった触れ合いも大切なように思える。
エルメスの視線を受けて、カティアは戸惑いつつも頷いてリナに引っ張られるまま村長宅を出て行った。
さて、と振り返って村長に必要なものを伝えようとするエルメス。
村長はそんな彼に向かって、一言こう告げた。
「……あのお方は今、何かに悩んでおられるのですかな?」
「!」
驚いた。あの短いやり取りで分かるものなのか。
「人の調子を把握するのが村長たる私の務めですから。差し支えなければ、何の悩みなのか教えていただいても?」
「恐らくは、自身の在り方についてでしょう。それ以上のことは、詳しくは」
「おや」
村長が微かに目を見張る。
「聞いていらっしゃらないのですかな?」
「……自分は、あくまで従者の立場です。あの方の考え、想いはカティア様自身が答えを出すべきものですから」
その言葉を聞くと、村長はさらに瞠目し──突如、軽く吹き出す。
「?」
「ああ、失礼。……貴方は随分大人びた方との印象を受けていましたが、歳相応のところもあるのだなと思いましてな」
「ど、どういう──」
「大切なのですね、あのお嬢様のことが。
「え」
「珍しい方ですな。大切な誰かを望み通りに変えようとするのではなく、そのままで在ることこそを望むとは。……けれど、とても眩しい」
そんなに顔に出ていただろうか、と少しばかり気恥ずかしくなるエルメスに、村長は微笑みかけて。
「大丈夫だと思いますぞ」
そう、穏やかに告げた。
「人は多かれ少なかれ、誰かの影響を受けているものです。確かに何もかもを依存してしまうのは問題ですが、あの方の心はそう柔ではない。……よく知らないくせにと言われるやもしれませぬが、私はそう感じました」
「……」
「心を聞き、貴方の望みを伝えることくらいは、問題ないのではないでしょうか。……案外、あの方もそれを待っているのかもしれませぬ」
「……ありがとう、ございます」
多分、今の言葉は大事なことだ。
そう直感したエルメスは、素直に感謝の言葉を述べてから。
気を取り直して、必要なものの要請を再開したのだった。
◆
一方、リナに連れられたカティアは。
「それでね! ここがユタくんのお家なの! あそこにあるおっきな木は登るのがすっごい難しいんだけど、この間てっぺんまで行けるようになってね!」
「え、ええ……」
手を引かれるままに村のあちこちを案内されていた。
村でお気に入りの場所を心底楽しそうに紹介するリナ。彼女につられて次々と目にする村の生活は──
(──すごく、楽しそう)
勿論カティアの暮らす王都に比べれば、生活水準の面では天と地ほどの差がある。
けれど。隣人と話しながら農作業をする老夫婦、畑の隙間を全力で駆け回る子供たち、その中に仲の良い友人の顔を見つけて手を振るリナ。
全ての人たちに、笑顔があった。
この生活を。この幸福を守ることこそが、カティアの責務。そう思っていた。
(でも、私は──)
そう、カティアがこれまでと同じ思考のスパイラルに入り込もうとしたそのときだった。
「あとね! 最後に見せたいところがあるの! 来て!」
リナがこれまでと比べてもひときわ強く手を引いて、それにつんのめりながらもカティアが合わせて駆け出し。
案内されたのは、村の外側。
そこに──驚くべき光景が広がっていた。
「何……これ……」
濠だ。
村の外周に沿って、大人が二人縦に入りそうなほど深い穴がぐるりと彫られていた。
そして上。柵の上に建てられている木組みの装置に、横に積まれた籠に入る拳大の石の数々。
あれは──多分、石を投げるための機械だろう。
何のためにそれを作っているのか。簡単なその答えにカティアがたどり着いた瞬間、濠の中から声がした。
「おっ! リナちゃんじゃねぇか!」
大人の男性だ。彼だけではない、何人もの男たちが農具を片手に濠を作る作業に勤しんでいた。
「どうした、また穴に落っこちて泥だらけになりに来たのかぁ?」
「ち、ちがうもん! 今日は案内しに来たの!」
「案内って誰を──って!」
男の一人が、リナの隣に立つカティアを認めた瞬間驚きの声を上げた。
「カティア様じゃねぇか!」
「何だって!? おお、ほんとだ! なんでまたこの村に?」
「カティア様、ここにゃ面白いもんはありませんぜ! お召し物が汚れまさぁ! ってあれ、今日は随分と簡素っすね?」
「な……何を、してるの?」
気さくに声をかけてくる男たちに、カティアはおっかなびっくり確認する。
「それは勿論、魔物対策ですぜ! この濠に魔物を落っことして、上から石で押しつぶせばいくら魔物でもな!」
「ああ、これが完成すれば前の狼もどきなんぞ怖くねぇ!」
やはりそうだったか。
確かに、先日のハウンド程度ならばこれがあれば問題なく対処できるだろう。
でも、彼らがそういう判断をしたということはすなわち──
と考え始めたカティアの心を読んだかのように、男たちが声をあげる。
「あ、勿論カティア様や従者様が頼りねぇってわけじゃございませんぜ? むしろあの魔法ってのはとんでもねぇ! さすが貴族様だ」
「でもなぁ。……やっぱあんな小さい子供に守られっぱなしってもの情けねぇ話だ。ただでさえここは王都から遠く離れてる、一々来なきゃならないのもお辛いでしょうぜ」
「だから俺たちで倒せる魔物は対処しようって村長が決めてな! まぁ勿論限界はあるから、俺らでもキツかったらそのときはよろしくお願いしますぜ!」
「──」
「ね、うちの村はすごいでしょ!」
呆然とするカティアに、リナが得意げに胸を張る。
「わたしもね、魔法の勉強を始めたの! わたしは貴族さまじゃないから、カティアさまみたいにできないかもしれないけど……調べたら、貴族さまじゃなくても使える魔法があるって! はんよー魔法だっけ?」
「……ええ」
「だから、それを頑張る! それで、カティアさまや、エルメスさまみたいなすごい魔法使いになるの!」
──守らなければならないと、思っていた。
でも、彼らは。自分が勝手に『守るべき者』と決めつけていた者たちは、想像よりもずっと強くて。
「……ええ、すごいわ」
今は、素直に。彼女はそう答えたのだった。
◆
必要な物資を調達し終えて、即座に村を出る。アスターの足がどこまで正確かわからない以上それが賢明だ。
「では村長さん。万が一追手がここに来た場合、僕たちのことは包み隠さず素直に話して構いません。行き先は告げるつもりがないので告げられなかったと。ここを出た日も聞かれれば正直に答えてください」
「……分かりましたぞ」
神妙な顔で頷く村長と、その隣で寂しそうにしているリナ。
村長にもう一度深く頭を下げ、リナにまた来ると約束した上で手を振って。
「ではカティア様、いきましょうか」
「ええ」
隣のカティアに声を掛け、村に背を向けて歩き出すが──
「あの。何かあったのですか?」
先ほどまでとどこか雰囲気が違うカティアに疑問を持って問いかけるエルメス。
「……そうね。少しだけ……考えてみようと思ったわ」
そう語る彼女は、微かだが今までにない前向きさが宿っているように見えた。
──きっと、良いことなのだろう。
「さ、早くしましょう、エル」
「はい」
自分も、先ほど村長に告げられたことを考えるべきだろう。そう思って返事をし、二人は共に歩き出す。
しばらく街に寄らずとも逃げ回れるだけの蓄えはできた。後はひたすら人気のない場所を回るだけだ。
その気になれば自給自足も可能だし、本当に追い詰められたときは最後の手段として師匠に頼るという手もある。あまり使いたくはないが、保険としては有効だろう。
だから、きっとユルゲンが無実を証明してくれるまで逃げ回ることはそう難しくない──
──と、思っていた。
その日の夜のことだった。
テントの入り口近くで物音を感じ、エルメスの意識が覚醒する。
かつて身につけたサバイバル術で、怪しい音を感知したら目を覚ますように仕込まれていた彼。眠っているカティアからそっと手を離し、慎重にテントから這い出る。
すぐに見つけたのは、何者かの人影。足音を立てずに背後から忍び寄り、戦闘態勢で声をかけた。
「どなたですか?」
「ッ──え、エルメスさま!!」
流石に驚いた。
何故なら振り向いてエルメスの名を呼んだのは、今日別れたばかりの少女リナだったのだから。
どうしてここに。追いかけてきたとしてもよくこの場を見つけられたものだ。いやそもそも何の用で──
という思考は、次の彼女の一言で全て吹き飛ばされたのだった。
「──たすけて! 村が、村がたいへんなの!!」
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