20話 王都の歪み
魔物が現れた。
その報を聞き、参加者が慌てて会場の外に出る。
するとすぐに見つかった。会場の庭の一角、木々が薙ぎ倒された中で暴れる巨大な鷹の魔物。
その全長はおおよそ人の三倍近く。森の中にあっても頭が見えるほどだ。
「ワイバーンだと……! 準竜種ではないか。あれほどの魔物が何故ここに……!?」
「警備兵は一体何をしていたのだ!」
前半の答えは分からないが、後半の答えは明らかだった。
「ぅう……」
「な、なぜ……」
飛び回り、風のブレスを吐いて大暴れするワイバーン。その足元に、無数の警備兵が倒れ伏していた。
恐らく、咄嗟に予想外の魔物が現れたため対応しきれなかったのだろう。
想定外の惨状に、貴族たちは浮足立つか身を守ろうとするかに分かれる。
が──貴族であれば、真っ先にやるべきことがあるだろう。
「エル!」
「はい」
魔物の、討伐。
他の貴族たちを他所にカティアとエルメスは飛び出そうとするが──それよりもなお早く。
「案ずるな、貴族たちよ!!」
第二王子アスターが、誰よりも早いタイミングで。
そのままアスターは、まず傍らを走る少女に声をかける。
「サラ、まずはお前の魔法で警備兵たちを!」
「……はいっ」
声を受けたサラは、一直線に倒れ伏す警備兵たちの前に向かうと、一度深呼吸して目を瞑り、唱えた。
「【天使の御手は
血統魔法……『
途端、周囲に満ちるは深い蒼の光。
その一つ一つが警備兵たちの体に吸い込まれた瞬間、
「これは……傷が」
「う、動けるぞ! 癒しの光だ!」
倒れていたはずの兵士たちが次々と立ち上がり、突如として全快した体の様子を確かめ始める。
「に……逃げて、くださいっ」
「次だ! あいつの足止めをしろ!」
「は……はいっ」
兵士たちに撤退を要請するサラに対し、向こうから命令を飛ばすアスター。
しかし、今のを見る限り彼女の血統魔法は治癒だ。なのに足止めをしろとはどういうことか──との疑問は、次の瞬間解決する。
「──【果ての願いは神羅に至り 熾天の想いは万象の影に
築き上げるは無垢なる世界】」
彼女を知らずそれを聞いた全員が驚愕し、エルメスさえも微かに目を見開いた。
サラが唱えたのは紛れもなく、先ほどとは異なる詠唱。それが意味するは──
「血統魔法……『
二つ目の、血統魔法。
飛び回り、アスターに襲い掛かろうとしたワイバーンの前に現れたのは格子状の光。
あたかも檻のように行き先を阻むそれ。煩わしそうに体当たりをするワイバーンだが、びくともしない。
「!? キィアアアアアア!!」
怒りのままに咆哮し、風のブレスを吐く。けれどそれすら光の檻には何事もなく散らされてしまう。
あれほどの防御力、間違いなく血統魔法。
エルメスのように特殊な効果の魔法を用いている素振りもない。だとすれば、答えは一つ。
「……すごいな。『二重適性』か」
二重適性とは、文字通り二つの血統魔法に適性を持つ人材のこと。
血統魔法は原則一人につき一つ。相伝の魔法が複数ある家であっても、そのうち一つだけを自身の血統魔法として選んで生まれてくる。
その原則の例外が、二重適性。無適性のエルメスとは真逆の存在であり、数世代に一人クラスの逸材だ。
なるほど、確かに彼女も比類なき魔法の才を持っている。そのことは間違い無いだろう。
そして。
「よくやった、サラ。あとは俺に任せておけ」
満足げに言ったアスターが、『
「おお、アスター殿下の魔法を拝見できるぞ!」
「素晴らしい日だ! しかと目に焼き付けねば!」
にわかに騒ぎ出す貴族たち。それに応えるように、流麗な声でアスターが詠唱を開始する。
「【光輝裁天 終星審判 我が炎輪は正邪の
血統魔法──『火天審判(アフラ・マズダ)』ッ!」
太陽の化身が、顕現した。
見ているだけで焼かれるのではと思うほどの熱量。周囲の空気すら陽炎とともに溶かし尽くすかのような神炎の獄界。
その中心に立つは、全身を瞳と同じ色にして煌々と輝く真紅の美丈夫。
「愚かな魔物よ、この俺の目の前に現れたのが運の尽きと知れ」
先日エルメスが亀甲龍を倒す時に用いた掌の炎獄、凝縮による高威力が特徴の魔法である『
それすら超える熱量が全身を覆っている、と言えばその凄まじさが分かるだろう。
明らかな危険を察知したのだろう。ワイバーンは咄嗟に魔法の破壊を諦めて逃げようとするが、
「遅い」
それを許さず、アスターは無造作に身に纏う炎の一部を解き放った。
放たれた神炎は、ワイバーンがあれほど手こずった『
「ギイアアアアアアアア!!」
断末魔の悲鳴をあげて地面に叩きつけられるワイバーン。
決着をこの上なく雄弁に表現するそのシーンに、周囲の貴族は熱狂する。
「おお! ワイバーンほどの魔物を一撃で!」
「これが殿下の『
「やはりアスター殿下こそ英雄だ! この国を導くに相応しいお方だ!」
その熱狂に応えるように、アスターがサラを抱き寄せて大声を張り上げる。
「見ただろう! この俺がいる限りこの国の魔物に好き勝手させることは決してない! そして、俺の覇道を支える将来の妻として! 俺に近い魔法の才、二つの血統魔法を持つ令嬢サラ・フォン・ハルトマンとの婚約をここに宣言する!!」
「確かに、二重適性の魔法使いとなればアスター殿下にも相応しい!」
「ああ、どちらも素晴らしい魔法だった! まるで御伽噺に聞く聖女のよう、これでこの国も安泰だ!」
「英雄アスター殿下万歳! 聖女サラ様万歳!」
……何もかもが、おかしいことだらけだ。
自ら都合が良いように事実を改変している。語ることはひどく出来の悪い英雄譚のようで、アスターが中心になる上で不都合なものは見なかったことにし、解釈を捻じ曲げ、それが正しいと大声で叫んでいる。
カティアがサラを虐めただの力が偽物だの、彼女のこれまでの行動を見ていればまずあり得ないことだと分かる。
加えて、魔物が現れたことも十中八九仕込みだ。何せタイミングがあまりにも完璧すぎる。確か魔物を操作する血統魔法もあったと聞くからそれを使ったのだろう。
この通り、ざっと思いつくだけでも疑わしい点は無数にある。
アスターは、そんな自分自身を微塵も疑わず。
おまけに周りの貴族たちはそんなアスターを手放しに賞賛している。
どころか、アスターを自らの迷妄を覚ましてくれた救世主のような目で見ている始末だ。
だって、アスターは優れた魔法を持っているから。
この国では魔法が全てだから。生まれ持った血統魔法で全てが決定するから。
これが、ユースティア王国。魔法で全てが決定する国。
その矛盾の体現者こそが、かつてエルメスの追放を決定した第二王子アスターだ。
なるほど。
なんて、くだらない。
「さぁ、これでわかっただろうカティアよ! 貴様がいくら足掻こうと──!?」
周りの声援を受けたアスターが得意げに振り向き、カティアに浴びせようとした言葉が、止まった。
何かをされたわけでも、言われたわけでもない。
ただカティアを見た瞬間、当然隣にいる彼も目に入ったのだ。
絶対零度の視線でアスターを射抜き、見ているだけで身も凍るほどの冷たい圧迫感を放つエルメスを。
エルメスという少年は、魔法以外の事柄に対して然程の頓着を持たないと自身を評価している。
でも……いや、それ故に、かもしれない。
この王子に対しては──生まれて初めてかもしれない本気の嫌悪、厭悪を抱いた。
「な──何用だそこの使用人、俺に向かってそのような目を向けるなど覚悟はできているのだろうな!?」
エルメスの発する気配に口をつぐみ、後ずさる──明確に怯えてしまった反応を誤魔化すように。
気丈に上から物を言うアスターを、変わらず冷ややかな視線でエルメスは睨みつけるのだった。
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