18話 国の本質

 パーティー当日。


「礼服なんて、久々に着たな……」


 全身を慣れない感覚に包まれながら、エルメスは控室で呟く。

 トラーキア家に来て以降慣れ親しんだ使用人服もかなりきっちりしたものだし、あくまで使用人としての参加なのでそれでもいいかと思ったのだが。


「エルメス君、見栄えの問題ですよ。使用人と分かっていてもきちんとした服装の男性にエスコートされた方が女性の魅力は引き立つでしょう?」


 とレイラに説かれ、そういうものかと納得した。カティアのためと言われれば断るわけにもいかない。

 そんなことを考えているうちに、扉がノックされた。


「……いいかしら、エル」

「カティア様。ええ、大丈夫ですよ」


 どうやら、カティアの方の準備も終わったらしい。

 女性のドレスアップとは言え相当に時間がかかったな、そう考えながら扉を開けて入ってくる彼女を見やって。



 妖精が、そこにいた。



 装いは紫のオフショルダードレス。大胆に露出した鎖骨から肩口までのラインが少女と女性の境にある危うげな魅力を引き立てている。加えて首元に飾られたルビーのネックレスと手首の黒いリボンが肌の白さを際立たせ、愛らしさと綺麗さを見事な黄金比で両立させていた。


 胸元から腰までの、触れれば折れそうなほどほっそりとした体躯を滑らかな生地が覆い、そこから広がるスカートには無数の小さな黄金の装飾。生地の色とも相まって夜空のような輝きを放っており、下に行くにつれ徐々に色が明るくなるグラデーションが軽やかだ。


 髪型は、一部を編み込んで可愛らしい花の装飾をつけたハーフアップ。紫水晶の瞳が輝く美貌は控えめかつ細やかな化粧によってなおその美しさを増しているように思える。


 夜の妖精。

 一部ではそう囁かれていると聞いていたカティアの容姿。その由来が今、よく分かった。


「……ど、どうかしら」

「あ、え、っと」


 何秒、視線と思考が奪われていただろうか。

 恥ずかしそうに感想を求めるカティアの声。はっと現実に回帰したエルメスがしばし視線を彷徨わせ。


「……申し訳ございません」


 照れ臭そうに笑って、言った。


「こういうときは、言葉を尽くして賛美すべきなのでしょうが……うまく表現できる言葉が浮かびませんでした。ただ、お綺麗です、とだけ」

「!」


 その言葉が何を意味するか、正確に分かったのだろう。

 カティアの方も何かを言おうとしたが言葉にならず、結局顔を真っ赤にしたまま俯いてしまった。


「……最高の反応です。グッジョブです。夜なべしてデザインを考えた甲斐がありました……!」


 ただ一人、今日のカティアを作り上げるために尋常ではない苦労をしたらしいレイラの声が後ろから響いてくるのだった。




 そんな一幕がありつつも、エルメスはカティアに腕を取られてパーティー会場に入場する。

 今回はトラーキア家、特にカティアの功績を讃えるパーティーだ。主役として挨拶回りをしなければならないカティアに気を配りつつ同行する。

 挨拶回りの対面で、そしてその周囲から聞こえてくるのは、やはり賞賛の声だ。


「……カティア嬢か。改めて見ても、なんという美しさだ……」

「今の歳は15であったか? それで既にこうなのだ、将来は絶世の美女になるに違いないぞ」

「加えて教養も完璧と聞く。惜しいな、あれで魔法が扱えないことさえ無ければ……」

「いや待て。聞くところによるとその欠点も克服しつつあるようだぞ? なんでも功を横取りしようとしたエルドリッジ伯爵を血統魔法の威圧だけで追い払ったとか」

「何だと!?」


 どうやら、古代魔道具アーティファクトを持ち帰った功績に加えて伯爵とのやりとりも噂として広まっているらしい。

『欠陥令嬢』と蔑まれていたとは思えないほどの評価だ。というか、ここまでだと逆にエルメスは王都に戻って日が浅い分考えてしまう。


「……本当に、カティア様は王都で評価が低かったのかな……?」

「低かったさ、間違いなくね。それが簡単にひっくり返るほど貴族たちは流されやすく、そして何より今回の功績が大きかったんだよ」


 思わぬところから返答が来た。

 振り向くと、そこには細身の体躯をぴっしりと礼服に包んだ紫髪の長身紳士。カティアの父親、ユルゲン公爵家当主だ。


「公爵様。……礼服、すごく似合いますね」

「ははは、その褒め言葉はカティアにとっておくと良い」


 口から溢れた感想に、ユルゲンは笑い声と共に手元のワイングラスを傾ける。


「王様へのご挨拶は終わったのですか?」

「陛下はご出席なさらないよ、忙しい方だからね。外の公務や魔物の対処に追われて、こういう内側のことは臣下や他の王族に任せきりなのさ。……困ったことにね」


 少しだけ、暗い声でユルゲンは呟いた。

 王家のことは良く知らないが、確かに昨今魔物が活性化しているという噂は聞いている。

 そういうものかと思うエルメスに、ユルゲンが話題を変えるように告げる。


「そう言えば聞いたよ。カティアの魔法の欠点、君が克服してくれたんだって?」

「あ、いえ。僕はあくまできっかけを与えただけです。あれはカティア様が元から持っていたお力ですよ」

「けれど、君がいなければ花開くこともなかった。感謝するよ。……君を見込んだ判断は、間違っていなかったようだ」

「……」


 その言葉、そして公爵家に来た当日のやりとりを思い返して。

 ふと、違和感が浮かんだエルメスは丁度良いので聞いてみることにした。


「公爵様」

「ん、なんだい?」

「どうして、僕をそこまで信用してくださったんですか?」


 確かにユルゲンはエルメスの幼少期を知っており、ある程度の境遇や人となりは把握していた。

 けれど、あの場で即エルメスを雇う判断を下すのは公爵家当主としては軽率な気もするのだ。


「あの日公爵様が仰った通り、僕がフレンブリード家の手の人間である可能性は十分にありました。けれど躊躇なく受け入れてくださったのは……もちろん僕としてはありがたかったんですけど、どうしてかな、と」

「……そうだね。言った通り君がカティアを純粋に信じてくれたからというのも大きい。けれど、もう一つ大きな理由を挙げるなら──」


 そこでユルゲンがワインを一口飲み、どこか底知れない笑みと共に告げた。



「──私は、君の『師匠』の正体に概ね推測がついている」



「!」

「我々の世代で『彼女』は有名だからね。君にそんな規格外の魔法を与えられる人間となれば、候補には上がるさ」


 エルメスは、師の言いつけ通り正体については一切口にしていない。そう、性別さえも。

 つまり、『彼女』と断定した公爵家の言葉は少なくとも完全なはったりではないことの証左になる。


「うん、その表情からすると当たりのようだね。……なら尚更、受け入れたことは正解だったよ」


 そして流石は公爵家当主と言うべきか、僅かな表情の乱れからしっかりとこちらの心理を読み取ってくる。


「安心なさい。これは私──と言うか私の妻に『彼女』と関わりがあったから分かったことだ。我々の世代でも君の魔法と『彼女』をすぐに結びつけられる人間はそういないよ」

「……そう、ですか」

「うん。だから気にせず君はこれまで通り、カティアを支えてくれると助かる。……ほら、早速あの子が困っているようだ。行っておやりなさい」


 そこまで言うと、ユルゲンは軽くエルメスの背を押してふらりと人混みの中に消えていったのだった。




「……びっくりしたなぁ」


 まさか、エルメスの魔法だけでローズまで辿り着いてしまう人間がいるとは。

 ユルゲン曰く自分はイレギュラーらしいが、警戒するに越したことはないだろう──と考えつつ、言われた通りカティアの方へ向かうと。


「カティア様! どうか、どうかご一考だけでも!」

「申し訳ございませんが、今は考えられないもので」

「そんなことを仰らずになんとか!」


 何やら腰の低い男性にしつこいほどに何かを必死に頼み込まれている彼女の姿があった。

 困っているとは間違いなくこのことだろうから、手っ取り早い手段を思いついたので近づいて声をかける。


「──カティア様。お父上が呼んでおられます」

「あら、エル。──そう、分かったわ。今行くから」


 反応したカティアが、一瞬でこちらの意図を理解したようで頷いて立ち上がり、頼み込んでいた男に目を向ける。


「……それで、どうします? お父様の前で同じ話をなさいますか?」

「と、トラーキア公爵閣下の前で!? し、失礼致します!」


 すると一瞬にして冷や汗をかいた男がそそくさとその場を立ち去っていった。

 カティアが嘆息を一つついてから近付いてくる。


「助かったわ、エル」

「お困りのようでしたので。それで、すみませんが──」

「分かってるわ、嘘でしょ。お父様、基本こういう場は子供の自主性に任せる方針だから」


 これはレイラから聞いた話だが、社交の場においてユルゲンは他の貴族に大層恐れられているらしい。

 まあ、公爵家に来た当日に感じた威圧、そして今しがた味わった洞察力からすればさもありなんだ。腹の探り合いであれを相手など誰もしたくはないだろう。

 それを利用した回避手段だが、想像以上に効果的だったようだ。もしついてこられてもユルゲンならどうとでもするだろうし。


「それで、何をお話しされていたので?」

「……縁談よ」

「縁談?」

「そ。挨拶回りの時にも何度か聞いたでしょう? うちの息子と婚約をって話だったり、ひどい時は本人が嫁に来いと言ってきたり」

「ああ……」

「今まで面と向かって蔑んできた人まで持ちかけて来たときは耳を疑ったわね。……私を信じない人と、どうして一緒にいられるって言うの」


 余程多く、そしてしつこく言われたのだろう。うんざりした顔で呟くカティア。

 けれど、理解できる話だ。

 これまで彼女は魔法が使えないことを除けば美しく賢い、完璧な公爵令嬢と言われてきたのだ。

 その唯一にして最大の欠点がなくなったという噂が立ったのであれば──


「──引く手数多になるのは仕方ないでしょう、貴女ならば」

「む」


 エルメスの言葉にしかし、カティアは不満そうに口を膨らませる。


「何を他人事みたいに言ってるの」

「え? いや……」

「私が縁談を受けても気にしないって言うのかしら、あなたは」


 そのまま彼女は身を屈め、エルメスを上目遣いに睨みつけてきて。


「いーい、もし万が一そうなったとして。あなたはその……私と一緒にいられなくなるかもしれないのよ」

「え」

「年齢の近い殿方の使用人は、アウトではないけれど下手な噂を立てられないためには避けた方がいいんだから。向こうが厳しい人ならそうなる可能性は高いわ。それでも……構わないって言うの、エル」


 最後はどこか悲しげな声色で伺ってくるカティア。エルメスは数秒ほど考えて、


「……公爵家の待遇は信じられないほど良い。追い出されるのは困りますね……それに」

「……それに?」

「また貴女と離れ離れになるのは、確かに……とても、寂しいです」


 小さく、けれど確かに溢れたその言葉にカティアが瞠目する。


「そ……そうでしょう。分かってるならいいのよ」


 そのまま緩みそうになる表情を誤魔化すようにそっぽを向いて、やや早口で告げる。


「と、とにかく、そういうわけだから」

「は、はい」

「安心なさい、しばらく縁談を考える気はないわ。だから今日来た話は全部断る気で──」

「カティア公爵令嬢!」


 しかし、良い縁談を嗅ぎつけた貴族の執念とは面倒なもので。

 また、別の方向から別の貴族がやってきていた。


「……どちら様でしょうか」

「カール・フォン・ハートネットと申します! 西方で伯爵家を営ませていただいております、どうぞお見知り置きを!」


 明らかに気乗りしないことを前面に出した反応にも関わらず、一切それを考慮することなく男──ハートネット伯爵は名乗りをあげる。


「魔法が使えない欠点をついに克服されたカティア様の不断の努力、私は感服致しました! つきましてはお話なのですが──」

「縁談かしら」

「さ、流石カティア様聡明でいらっしゃる! ご明察の通りでございます! それでですね──」

「申し訳ございません」


 もう何十回と繰り返したやりとりなのだろう、淀みなく最小限の言葉でカティアは申し出を絶っていく。


「今は、そういったことを考えられないのです。なので今日来たお話は全てお断りさせていただいて」

「そ、そう仰らずに顔だけでも! 私の息子、次男なのですが──」

「……あのですね」


 けれど引き下がらず、否、こちらの話など聞くことなくハートネット伯爵は自分の都合で話を進めようとする。

 その態度に、苛立ちを募らせたカティアは少し話すのを躊躇っている言葉を言うことにした。


「ハートネット伯爵。私は先月第二王子殿下・・・・・・・・・・に婚約破棄を・・・・・・受けた身です・・・・・・

「!」

「その意味をきちんとお分かりですか? それを踏まえた上でもう一度お考え直しを──」

「そ、それは確かにそうですが!」


 だが。

 この男の愚かさは、カティアの想像を超えていた。


「いくら第二王子殿下とは言え、カティア様がこの御歳で覚醒なさることは想定外だったのでしょう! カティア様の才覚が殿下の予想を超えて素晴らしかったということなのですよ!」

「ちょっとあなた、それ以上は」

「そう、貴女様は紛れもなく美しく、才能に溢れ、神に愛された魔法使いである完璧な公爵令嬢だ! 殿下が、アスター殿下が貴女様との婚約を破棄したことは流石に──」




「ほう。俺が、なんだと?」




 流麗な声が響いた。


 雑踏の中でもなお全員に聞こえるほどの通る声。それを聞いた全員が声に耳を澄ませ、一瞬にして広間が静まり返る。

 そんな中をカツコツと、一定の靴音を響かせてこちらに近づいて来る人影。

 全員が靴音の主に道を譲り、割れた人垣の中央で姿が露になる。


 太陽の如く輝く金髪、炎を閉じ込めたかのような紅玉の瞳。

 眉目秀麗、という単語が人の形をとったらこうなるのかと思わせるような顔立ちに浮かぶは、絶対の自信に裏付けされた傲岸な表情。

 それが決して張りぼてではないと感じさせる、豪奢な服装に全身から立ち上る魔力。


 立っているだけで、皆にその場の主役であると思わせる。

 それほどの雰囲気を持った美男子が、広間の中央に君臨していた。

 彼のオーラに当てられ、青ざめた顔で震えて言葉の出ないハートネット伯爵。

 変わって、カティアがその男の名を告げた。


「……アスター、殿下」


 アスター・ヨーゼフ・フォン・ユースティア。

 この国の第二王子であり、エルメスが追放される最後の要因となった人間と。

 ついにエルメスは、初の邂逅を果たしたのだった。

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