第13話 三者凡退



 ダコタは自分が注目を浴びているのを感じた。


 おそらくそれは、正確に言うとダコタではなくアルバートに向けられるものだったが、熱い視線を投げ掛ける女生徒のほとんどは彼が魔法薬学の教師であると気付いていないようだった。



「やはり人は多いですね」


 げんなりとした顔で呟くアルバートを見る。

 まだ当分は慣れそうにない。


「先生ずるいです」


「何がですか?」


「そんな綺麗な顔を隠してただなんて。緊張して上手く踊れなかったら先生のせいにしますからね」


「君は酷いことを言いますねぇ」


 口元に手の甲を当てて少し笑うと、アルバートは「大丈夫ですよ」と言い添えた。


「あんなに練習したじゃないですか。ヒューストンさんは頑張り屋なので、きっと結果を残せるはずです」


「そうですね。私のパートナー様は優秀ですし」


「でしょう?」


 ゲンキンな話だと思うけれど、ダコタはこの美化したアルバートの顔を見ると緊張してしまう。礼拝堂で出会ってからというもの、以前のように落ち着いて話せない自分のことを情けなく思った。


 そわそわしながら周囲を見渡していると、パーティー会場の中が俄かに騒がしくなり、マイク越しの声でダンスの始まりが告げられる。


 いつもより着飾った男女が手を取り合ってホールの中央へ集まって来て、それに押されるようにダコタとアルバートの距離も自然と縮まった。


「ヒューストンさん」


「……はい?」


「いつも通り踊るだけです。僕を信じて」


 力の入ったアルバートの目は吸い込まれるみたいで、ダコタはこくりと頷いた。


 広間の中に美しいピアノの音色が流れ出して、周囲のペアがゆるやかに踊り出す。その動きにつられるように、ダコタも音楽に合わせてステップを踏み始めた。


 エディも何処かで踊っているのだろうか。

 私の知っているあの黒のタキシードを着て、ルイーズの手を取って。優しい茶色い瞳が慈しむように友人の顔を覗き込む様子を想像して、心臓が縮んだ。



「また考え事ですか?」


 鋭い指摘にダコタは小さく頷く。

 頭の中を見透かされたようだった。


「………すみません」


「君は失礼な人ですね。今日のパートナーは僕なのに」


「そうですよね。自分でも驚いています…未練がましくて」


 そっれきりダコタは口を噤み、アルバートもまた続きを促すようなことはしなかった。ただ練習の時同様に足並みを揃えて時折気遣うようにこちらを見遣る。


 手を取られてターンする瞬間、ダコタは広間の隅で同じように手を取り合って踊るエディとルイーズを見つけた。何度も一緒に練習を重ねた曲を、私以外の女の子と踊っている。


(…………っ、ダメだわ…)


 ポロッとうっかり一筋の涙が流れ落ちた。

 慌てて目頭に力を入れて、堪える。


 アルバートが背中に添えた手に力が入ったような気がした。まだダンスの途中だから気を抜くなと言いたいのだろう。自分が大丈夫なことを周囲に見せ付けるつもりが、実際は二人の姿を見てこんなに動揺している。


 なんとか笑顔を保ち、音楽に集中しようとした。


 きっと見るに耐えない悲壮な顔をしていただろうけれど、遠巻きに観察する分には気付かれないはずだ。広間に流れる軽やかな音楽が徐々にテンポを落としてヴァイオリンが終わりを惜しむように曲を締めたのを見届けて、ダコタは小さく息を吐いた。


 早くこの場から逃げ出したい。

 ただそれだけを願って辺りを見渡す。


 しかし、ダコタが足を踏み出す前に近くで大きな歓声が上がった。思わずそちらを振り向く。視線を投げた先では、恥ずかしそうに頬を赤らめたエディが立っていた。



「………あー、実はみんなに言いたいことがあって」


 そこでエディは隣のルイーズを見る。

 友人が元恋人を見上げて控えめに微笑むのが見えた。


「僕の恋人が妊娠したんだ。本当は卒業後に結婚する予定だったんだけど……この場を借りてみんなにも伝えておこうと思う。色々と助けが必要になると思うから」


 ヒュウッと誰かが冷やかすように口笛を吹く。


 ダコタは、ルイーズがこちらを見ているのに気付いた。小さな手を顔の前で合わせて、ごめんねと言う風に泣きそうな表情をして見せる。


 何か自分が悪いことをしたのだろうかと考えた。

 今までの行いが悪かったから、罰を受けているのかと。


(どうして今こんなところで言うの……?)


 配慮、優しさ、思いやり。

 少しでも良いからそうしたものを示してほしい。エディやルイーズにとって、ダコタは二人の道の上に迷い込んで来た蝿のようなもので、手で払い除ければもう気にする必要はない程度の存在だったのだろうか。



 力が抜けて呆然とするダコタの前を何かが横切った。


 それは、先ほどまで一緒に踊っていたアルバートで、どういうわけか彼はそのまま歩みを進めて、まだ照れ臭そうに笑うエディに近付いた。


 エディが驚いたようにアルバートを見上げる。

 ルイーズもまた、何事かと青い目を見開いていた。



「ウィンカムくん、こんばんは」


「………アルバート先生?」


「はい。君が淫行教師と脅したアルバート・シモンズです」


 何人かがヒソヒソと噂を始める声が聞こえる。

 アルバートは気にする素振りも見せずに話し続けた。


「僕が渡した魅了の薬は上手く作用しましたか?」


「なっ……!?」


 ダコタも驚いて両手を口に当てた。教師である彼がそんなことを口にするのは、自分の罪を認めるようなもの。魅了の薬を調合して生徒に与えたなんてバレたら、懲戒を受けるに決まっている。


「婚約の次は妊娠ですか。君がパートナーと復縁する手助けが出来て、僕も嬉しい限りです」


「それは言わない約束ですよね!?」


「そうでしたっけ。すみません、僕はただ君たちの幸せの犠牲になった人のことを思い出してほしくて」


 ハッとしたようにエディが顔色を変える。

 一瞬だけ、目があったような気がした。


「それに、君は知らないでしょうが、ウィンカムくんが魅了に掛かっている間に僕は彼女に頼まれたことがあります。そうですよね、サントスさん?」


 サントスとはルイーズの姓で、ダコタは長い間共に過ごした友人が酷く狼狽える様を初めて見た。


 ルイーズの目がキツくなってアルバートを睨み、次に隣に立つエディを見上げる。それは赦しを乞うような目付きだった。



「頼まれたことって……?」


 エディは恋人の方は見ずにアルバートに尋ねた。

 犬のような茶色い瞳が不安に揺れている。


「堕胎薬です。誤って子供が出来たので、早めに対処する必要があると僕に相談してきましたよ」


「え?」


「僕の方では力になれないと断りましたけど。誰にも言わないでという話でしたがすみません、お喋りなもので」


「違うわ……っ!」


 ルイーズは凄まじい顔でアルバートに掴み掛かった。


「違うの、こんなはずじゃなかったんだもの!私はエディが自分に魅了を掛けてるなんて知らなかった!だから他の男と関係を持ったけれど、今居るお腹の子は別れる前に出来たエディの子よ……!」


「サントスさん、それは僕に言う言葉じゃありません」


 冷ややかなアルバートの声を受けて、ルイーズは咳払いをしながらエディに向き直る。ダコタの目にもはっきりと二人の表情が見えた。


 信じられないという顔をするエディ。

 そして、縋るようにその手に触れるルイーズ。



「エディ、信じてくれるわよね……?ダコタと貴方が付き合って私は寂しかったの……」


「嘘だろう……君、その子供って、」


「貴方の子よ!ねぇ、お願い、信じて……本当に知らなかった。今更魅了だなんて言われて、私だって驚いたわ…!」


「信じられないよ、誰の子だったんだ?ルイーズ、君はいったい僕以外の誰と……」


「冴えない男よ!ただ寂しさを埋めるためだったから愛してなんて居ないわ!私にはエディだけだから、」


「どうしてそんなこと言うんだ……!」


 二人の言い合いに割って入るように大きな声が響いた。


 群衆は声の出どころを探して視線を泳がせる。

 やがて、人波を掻き分けてずんぐりとした男が歩み出た。



「マック………?」


 それはエディの隣の席のマックだった。


「嘘だろう、君は同じクラスの男と寝たのか?」


「貴方だって私を責められないわ!どうしてダコタと付き合ったりしたの!?私たち二人を見て私の方が可愛いって言ってくれたのに……!」


「仕方ないだろう!君と揉めた腹いせだよ!」


「ルイーズ、お腹の子は僕の子だよねぇ…!?」


 三人がそれぞれの主張を叫び、収拾の付かなくなったカオスな広間の空気を一変したのは校長であるワイズ・ミドルセンが鳴らしたホイッスルの音だった。


 華やかなダンスパーティーに不似合いなその笛の音は会場に集まった生徒たちを黙らせて、皆の注目を集める。



「周年祭に相応しくない下品な話題だ。君たち三人の恋路をこれ以上ワシは耳に入れたくない。退場しなさい」


 顔を赤らめたエディに続いて青ざめたルイーズ、何処か誇らしげなマックが後に続いて、三者はホールを去った。


「シモンズ先生、今の話が本当ならば見過ごせない。貴方は明日の朝に校長室まで来るように」


「はい。そのつもりです」


 アルバートは一つ頷いて微笑む。

 壇上に立つワイズ校長を見上げる顔は穏やかだ。


 私はただ黙って、その様子を眺めていた。自分が巻き込んでしまったせいで、アルバートの教員生命が終わるかもしれない。そう思うと、後悔や懺悔、色々な感情が次から次へと湧いて出た。


 謝らなければいけない。すぐに。

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