第12話 創立記念祭



 創立記念祭の日がやって来た。


 ダコタは朝から心臓がバクバクして、食事も上手く喉を通らなかった。食べ過ぎるとコルセットを締めた時に苦しくなるからと、昼食はチーズをひとかけらと冷たいスープを飲んだだけ。夜に近付くにつれて、ヒューストン男爵家の中の空気も張り詰めたものになっていった。



「お父様やお母様まで緊張しないでください!私もソワソワしてしまいます……!」


 特に用もないのに廊下をウロつく両親の姿を見て、ダコタはとうとう声を上げた。申し訳なさそうな顔をした母ミーアが「だって落ち着かないもの」と溢す。


 父もどういうわけか袖のカフスボタンを外したり止めたりを繰り返しつつ、外の様子を眺めている。幸い天候には恵まれたものの、雲の流れは速いのでこれから崩れてくる可能性もあった。


 ダコタは小さく溜め息を吐いて、メイドの一人に声を掛ける。男爵家ということであまり資金的な猶予はないため、ダコタには専属の侍女が居ない。したがって、幼い頃から世話をしてくれた初老のアビーが、ダコタにとっては祖母のようでもあり、侍女の役割も兼ねていた。



「アビー、もう着替えましょう」


「承知いたしました。お嬢様」


 両親の心配そうな眼差しを背中に受けながらダコタは自室へ戻る。


 この日のために随分前から用意していたミントグリーンのドレスに、持っている物の中で一番華やかなパールとダイヤが並んだネックレスを合わせた。それはダコタが十八の誕生日に両親がプレゼントしてくれたもの。


(一番見て欲しい人はもう居ないけど……)


 本当は、創立記念祭のドレスと一緒にエディに見てもらうつもりだった。「綺麗だね」とにっこり笑って、少し照れた様子で褒めて欲しかった。


 込み上げて来た涙をぐっと堪える。

 仕上げにレースの手袋を両手に嵌めて、部屋を後にした。


 アルバートとは今日のパーティー会場である王立魔法学校の礼拝堂で待ち合わせている。大広間で会うことも考えたけれど、きっと人が多くて見つけるのに時間が掛かるだろうから。それに、自分のパートナーよりも先にエディとルイーズに出くわす可能性も高い。



 ダコタは足早に礼拝堂に向かった。


 美しく着飾った何組かのペアとすれ違う。

 皆それぞれ、恋人なのか友人なのか分からないが、仲睦まじく腕を組んで歩いていた。アルバートは教員だしきっとそこまでのサービスは無いだろうけれど、ただでさえ付き合わせているのだから求め過ぎは良くない。


 大きな木製の扉の前で深呼吸をする。

 自分の足元を確認して、重い扉を押し開けた。


 賑やかな外の世界とは対照的に、静かな空間には冷たい夜の空気が流れていた。パーティー会場からは少し距離があるため、愛を語らうカップルも居ない。


 均等の間隔を空けて並んだ長椅子を一つ一つ目で追って進んでいたら、最前列に座る男の姿を見つけた。



「アルバートせんせ……い…?」


 語尾の音量が急激に小さくなる。

 見慣れた人とは少し違って見えたからだ。


 近付いて来た私の靴音と呼び声を聞いて、男はゆっくりと立ち上がる。薄暗い礼拝堂の中では、窓から差し込む月の灯りだけが唯一の光だった。


「五分遅刻ですね、ヒューストンさん」


「………びっくりしました」


「清潔感が大事なんでしょう?随分と放ったらかしにしていたので、これを機に切ってみました」


 そう言ってアルバートは微笑む。

 伸び放題だった黒髪は短く整えられ、無精髭も姿を消している。加えて、あの、彼の人相を悪い意味で一変する分厚い眼鏡が今日はどこかへ行方をくらましている。


 端的に言うと信じられないぐらい変貌していた。

 それはもう、別人と見紛うぐらいには。


「せ、先生……容姿がコンプレックスなんじゃ…」


「はい。この見た目だと生徒に注目されるので」


「え?注目?」


「余計な興味を惹きたくないんです。僕はただ魔法薬学の授業だけ真面目に聞いて、平均以上の成績で単位を取ってくれれば十分ですから」


「そんな……話が違う、」


「何か問題でもありますか?ヒューストンさんはテスト用紙の裏にカニの絵を描くのは上手ですが、出来ればその情熱を勉強に向けてほしいですね」


 立ち上がったアルバートが腰を折ってダコタの顔を覗き込む。イタズラっぽい笑顔をまともに目に入れて、少しだけ面食らった。


 陰気臭くて変わり者の称号を与えていたアルバート・シモンズが、実はかなりの美男子でその笑顔に一定の殺傷力があると知って、ダコタはショックを受けていた。


 固まるダコタの前に手が差し伸べられる。



「それでは行きましょうか?僕たちの戦場へ」


「………はい」


 ダコタは顔を上げてその手を取った。

 手袋の薄い布越しに、確かな体温を感じた。

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