宇宙人

空の子供たち

宇宙人

 多くの人間は、生まれてから人生について考え、自分の趣味嗜好をもとに目標や夢を見つけて行動する。しかし、彼は生まれる前から任務を持っていた。


「さとるー、ご飯できわよー」

「はい、今行きます」


 悟は返事をしたけど、それがこの親子の今日初めての会話だった。そしてそれ以上の会話が、この日に及んで起きるはずもない。それが悟という人間と家族との関係である。他人からはいびつに見えるかもしれないが、この関係を彼らは何年も続けていた。


 悟は秋刀魚の塩焼きとお米とお味噌汁とサラダを平らげて、使い終わったお皿を洗うとすぐに2階の自分の部屋に帰っていた。悟がご飯を食べている時、テーブルには父と妹もいたがそこに会話はなかった。そしてそれは何もおかしくはないのである。


 部屋に戻った悟はソファに座って、しばらくの間ただ時間を過ごしていてた。とくに座りながら何かするということでもない。読書をしたり音楽を聞いたり選択肢はいくらでもあるはずだったけど、彼は2,3時間の間ソファに座っているだけだった。


 彼の6畳間の部屋には何故か火災報知器があるが、それがもし監視カメラだったのなら、彼の生活を観察している何者かはさぞ驚くだろう。なぜなら、カメラに映っている映像は、一人の人間がまともな神経を持って生活している姿ではなく、そのほとんどがただソファに座っているだけというなんとも刺激のない、しかし異様な光景だったからである。

 

 彼はその時もソファに腰をかけたきりで、どこを見るでもなく、ただぼんやりと時間を垂れ流しにしていた。そして、


『————スッ』


 という僅かな音がする。


「はい、こちら悟です。今は連絡可能です。——どうぞ」


 彼は姿勢を変えず、誰に向かってでもなくそう一人呟いた。


 しばらくして、彼の脳内に変化があって、彼にしか聞こえないように工夫された音声が送られる。


『——悟君、任務ご苦労様。久しぶりの連絡になちゃったね。どう? 調子は』


 ————フランクな耳慣れた声が脳から聞こえる。


「——おかげさまです。あれから何の変哲もない毎日を送っていますよ。データは順調ですか?」


 悟は、ただ一人しかいない部屋で、そう何者かに受け答える。


『そうだねー、悟くんからのデータは比較的順調だよ。安心していい。君は立派な任務遂行者だ』


「それは良かったです。しかし、いくつか問題があります。僕はこのまま無職でいていいのでしょうか?」


『えっ? それはどういう意味だい?』


 思いのほか通信相手が驚いたので、少しだけ間を置いてから、悟は淡々と話を始める。やはり、オペレーターとは言っても実際に地球で、人間として生きているわけではない。地球の文化にまだ疎いのだろう。悟はそう思った。


「人間の住む世界では無職というのはもっとも価値の低いものとして分別されています。今は悟として若いから良いかもしれませんが、しかしこのまま何の不満も持たれずに、彼らと関係を続けるということが、ずっと今のようにいくとは限りません。父と母から、そろそろ何かしらの仕事をして欲しいというデータを観測しました。当然です。それが親というものです」


『………そ、そうかい。しかし、君のデータは君が社会的ものとは無縁であるいうことによって今まで培われたきたものだったはず。君が長時間、没頭した状態で一定の場所にいることによって、君のデータは我々にとって特別なものになったんだ。どのような事情があれ、我々としては無職を推奨する」


「そうですか………」


 そう言ったものの、悟は内心やれやれと思った。二つ勢力の板挟みになっている気分である。


 たしかに、彼は任務を遂行するために、故郷から選ばれて地球にやって来た。


 しかし、これは本部もよく分かっていることだが、地球人として生きているということは、単に地球人の着ぐるみを着て、地球人の演技をするということではなかった。


 地球人として生きるということは、地球人となんら変わらず、思考や性格においても趣味嗜好においても、せめて個性豊かな範囲で、自己の精神を養っていくしかないのである。それは悟も例外ではない。


 もう悟には、地球人としての、悟としての、夢があったのである。



『————じゃあ、そろそろにしようか。悟君』



 オペレーターはそう言って、通信終了の準備に取り掛かろうとする。けど、悟はまだ通信を終えるわけにはいかない。彼は、一呼吸置いて、覚悟を決める。



「————ちょっと待ってください」


 彼は、通信が終了される前にそう言った。


『ん? なんだい?』


 オペレーターの気の抜けた声が返ってくる。悟はそれに構わず続ける、



「僕はもう無職でいるわけにはいきません。遂行者権限、————第7条を行使し、新たにオペレーションを展開します!」


『———ん⁉ それはどういう意味だ⁉ 悟君』


「僕に、悟としての人格、意思があることを観測しました。第7条———任務遂行者が地球人としての人格に目覚めた時、この場合、地球人としての思考や感情が既存のデータよりも優先される。———よって僕は、通常に考えられるデータよりも、個人としての人生を優先し、それがなによりも、価値のあるデータであることをここに宣言します!」


 しばらくの間、オペレーターは呆気にとられていた。やがて、フッと笑ったように息をもらす。


『————いいだろう。遂行者権限第7条を認め、新たにオペレーションを展開する!!』


 あくまで最終権限を持っている人として、オペレーターは熱のこもった声で、悟に応答する。


 そして、


『————話はそれだけか? 悟君』と淡々とした調子でそう続けた。


「えっ…いえ、以上です。オペレーター」と、悟はしどろもどろに応える。


『————じゃあ、通信を終了させる。これからもよろしく頼むよ。———悟君』


「あっ……、はい、よろしくお願いします、オペレーター。………悟として全力で生きます」



 ————それから、オペレーターのフッと息を漏らしたような声が聞こえ、



『……………やっぱり、君は本部が言うように、』というボソッとした声が、わずかに脳内に後を残したかと思うと、————通信は途絶えた。



「………ふうぅ」



 緊張の糸が切れて、肩の力が抜けた悟は、ソファに深く寄りかかって、息を吐いた。


(これから、…………どうする? つい、勢いにまかせて、………言ってしまったが、僕は………悟として生きるのか、これから、……………自分の意思で)


 そんな風に漠然と考えていていると、突然ドアがノックされる。


「さとるー。——今いる?」


 ドアの向こうから母が悟を呼んでいた。悟はソファから立ち上がって、少しだけ息を整えてから、自分が少し緊張していると感じたが、


「母さん。ちょっと待って————」と、そう言って、ドアを開けて、母の顔を実に数年ぶりに真っ正面から見据えて、「———話したいことがあるんだ」と言った。


 まさか、ドアを開けて、息子が顔を見せてくれるとは思ってもいなかった母は、呆気にとられていた。



 そんな母の顔をまじまじと見つめて、悟は————



「————僕には夢があるんだ」



 そう、言った。

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