夏色の音

@nagataaicchi

第1話

ストロベリー・ムーンの夜に雨は降り闇にも音があると思った


紫陽花は水の器といわれつつ身体からだに水をたくわえている


幾粒も紫陽花に当たる音を聴くわたしの耳にも溜まる雨音


ぬばたまの月のあかりのない夜にベートーヴェンの〈月光〉を聴く


〈月光〉を弾かないままに大好きなピアノを辞めた十歳の夏


〈月光〉の一楽章の冒頭あたまから延延とある三連符、涙


犬が鳴く、iPhoneが呼ぶ、〈月光〉をもういちど聴く、夏色の音


もうすでに耳病んでいて〈月光〉を作ったひとの三連符聴く


生活に支障はなくて演奏に支障はあってピアノを辞めた


両上肢機能障害(*級)と診断されても続けた

かった


薬指、中指、小指にある腱や筋肉、脳にも課題

はあって


わたしまだピアノ辞めたくないからと今なら言

えるピアノを触る


暇なときピアノを開けて弾いてみる左手だけと

か右手だけとか


さいわいにも読譜は忘れていないからGisにはじ

まる三連符弾く


三連符の最後の音はEのおと薬指にて鳴らす難関


Eを弾くときに小指が寄ってくる 指と脳はどれほど遠い


〈月光〉を仕上げる機会はもうないと強い諦念

こみあげてくる


できることとできないことの溝のは深く小暗い 一度だけ見た


まだ動く指を励ましながら弾くベートーヴェン

のソナタ〈月光〉


いつの日か駅のピアノで妹と連弾をする 夏色の












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