髪の海と感謝の手紙

O.K

第1話:奇妙な体験

美樹は小さな町の美容室で働いている若い美容師だ。彼女はその日もいつものように仕事をしていた。午後の予約が一段落した頃、背の高い男性が店に入ってきた。彼は髪の毛がとても多く、肩にまで伸びている。美樹はその髪の量に驚きつつも、笑顔で迎え入れた。


「こんにちは、今日はどうされますか?」と美樹が尋ねると、男性は静かに「お任せでお願いします」とだけ言った。彼の落ち着いた声と冷静な態度に、美樹は少し安心した。彼女はシャンプー台に案内し、髪を洗いながらどんなスタイルが似合うかを考えていた。


シャンプーが終わり、男性をカットチェアに座らせると、美樹はハサミを手に取り、慎重にカットを始めた。彼の髪は非常に厚く、切るのには力が必要だった。しかし、美樹が最初の一束を切った瞬間、驚くべきことが起こった。切り取った髪の毛が瞬く間に元の長さに戻ってしまったのだ。


美樹は目を見開いて、その現象をじっと見つめた。彼女は自分の目を疑いながらも、再びハサミを使って髪を切った。しかし、同じことが繰り返された。切っても切っても、髪の毛は瞬時に元の長さに戻ってしまう。美樹は焦りと困惑の中でカットを続けたが、どうにもならないことが次第に明らかになってきた。


美容室の床には次々と切り落とされた髪が積み重なり、あっという間に膝の高さまで達した。美樹は汗をかきながら必死にカットを続けたが、髪の毛の増殖は止まることなく続いた。彼女の周りはまるで髪の海になったかのようだった。


「もう少し、もう少しでいい感じになるはず…」と自分に言い聞かせながらも、美樹は内心で絶望感を感じ始めていた。何度も何度もカットを繰り返しても、結果は同じだった。彼女の腕は疲れ果て、汗が額から滴り落ちた。


やがて、男性が静かに立ち上がり、美樹のカットを止めた。「これで十分です」と彼は穏やかに言い、微笑んだ。その微笑みは不思議と優しさに満ちていた。美樹は困惑しながらも、彼の言葉に従ってカットを終了した。


男性が店を出て行くと、美樹は深いため息をついた。店の中は髪の毛で埋め尽くされ、まるで黒い絨毯のようだった。彼女は手を腰に当てて、ぼんやりとその光景を見つめた。


「いったい、何だったんだろう…」美樹は疲れた体を引きずりながら、掃除用具を取り出して片付けを始めた。その日以来、美樹はあの奇妙な男性のことを思い出すたびに、不思議な気持ちになった。彼の髪の毛が再び切りに来ることはなかったが、彼女の心には一生忘れられない奇妙な体験として刻まれたのだった。

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