第3話

「キミカさまがいなくなったって!?」

 私は知らせを聞いてすぐ、病院に駆けつけた。そのときには幹部のトップがいた。

 幹部のトップはとても冷徹な人だった。キミカさまが太陽の似合うひまわりだとしたら、トップは月の下に映える白い花だった。

 灰色の目と髪はキミカさまのそれより淡い色をしている。幹部の、ひいては教団のトップを努めるその人はとても冷たい目……温度のない視線をこちらに向けた。

「やはり、あなたが一番でしたか」

 まるで待っていたかのようだった。私は幹部の中でも下っ端の方だった。だからこの人と話したことはあまりなかった。

 ……そういえば、私の幹部昇格は、この人の後押しがあったというのを聞いたことがある。噂なので真偽もわからず、礼を言う気にもならなかったが。

 この人は何もかもお見通しのような目をしていた。いつもそうなのだ。そういう人だから、組織運営も上手くいっていたのだろう。

 その組織も、持ち上げる偶像を失って解体を迎える。その運命を見抜いていて、許容しているように見えた。私にはそれが不思議でならなかった。

「あの、キミカさまがいなくなられた、と……」

「ええ。夜に抜け出したようです。今朝、検温に来たときにはもぬけの殻だった、と」

「キミカさまはどこへ……」

 その人の青く冴えて見える灰色の目が、私を射抜いた。鋭く、貫くように。

 そうして、紡ぐ。

「キミカさまを探すことはしません。お亡くなりになられたのです」

「な、っ……!?」

 私は、呼吸の仕方を忘れたような気分になった。心臓ばかりが言葉を拒絶するようにばくばくと鳴り、肺は機能していないように思えた。頭はその人の放った言葉の理解を拒否していた。

「お亡くなりに……? なんてことを言うんですか!? キミカさまは生きてらっしゃいます!!」

 根拠もないのに、私はそう反論した。あの方は確かに病弱で、病院のベッド以外でろくに過ごしていなかったけれど、そんな簡単に死ぬような方ではない。私は強くそう思った。願ったのかもしれない。

 キミカさまが消えた生活など、一欠片も考えたことはなく、想像したくもなかった。

 止まっていた呼吸を思い出したように繰り返す私は、荒れていた。この人が教団のトップだとか、そんなことはどうでもよかった。どんなに冷めた目で見られても耐えられた。

 相変わらず、温度を感じない、生き物であることを放棄したような目で、その人は私を見た。その瞳にはまるで感情がなかった。不純物を全て捨て去ってしまったような澄んだアッシュグレイの目が私を見つめる。

 この人は人間じゃない、と思った。

「あなたがそう思うのなら、そうなのでしょう」

 抑揚のない声。そこには人を導くような力強さなど一切感じられなかった。

 私を対象にして、何も感じられないのは仕方のないことだろう。だが。

「それならキミカさまは、お隠れになったのです」

 信仰していたはずのキミカさまの喪失に、こうも無情でいられるのは何故だ?

 私は堪らなく苦しいのに。キミカさまが逃げ出すほどの、ここではないどこかに隠れたくなるほどの、何かを抱えていたのに、ちっとも気づけなかった。お傍にいたのに。

「失礼致します」

 他の幹部たちも集まり始めた。私はいてもたってもいられなかった。

「お前、司教さまのお言葉も聞かずにどこに行く?」

「かまいません。話は済みました」

「しかし、司教さま」

 私は部屋を出た。交わされる言葉など、耳にも留めない。


「哀れな……キミカさまは病院で手を尽くし、やっと延命できていたんだ。病院から出たら、たちまち死んでしまうだろうに」


 人間でないものの声など、聞こえなかった。


 私は家を空けることにした。といっても、私は家庭を持っていないので、躊躇いなく家を売り、路銀にした。一人には広い家だったので、いい値で売れた。

 キミカさまを、探すことにした。

 どこかに逃げ、隠れているなら、探し出して、わかり合えばいい。この街には、もう戻ってこなくてもいい。ここはキミカさまの居場所じゃなかったのだから。

 私ももう、ここに戻らなくていい。教団は、私を必要とはしていないだろう。あの人はそういう目をしていた。あの目はそこらに転がる小石を眺めるのと同じ目だ。いてもいなくても、変わらないだろう。

 私は旅の仕度を整えると、懐かしい場所に向かった。私の実家だ。教団に入ってから、一度たりとも訪れたことはなかった。教団でいざこざが起こった場合、家族を巻き込む可能性があったからだ。

「こんにちは」

 余所余所しく入ると、酒瓶が飛んできた。

「どの面下げて帰ってきた!?」

「……別に帰ってきたわけじゃないですよ」

 久しぶりに見た父は、老けていた。キミカさまは時が止まったような人だったから、時間の経過を久方ぶりに見せつけられた。

 酒瓶のぶつかった頭は少し切れたようで、すぐに気づいた妹が、大わらわで手当てをした。優しい子のままだったが、今や一児の母であると知って、私は時の流れに目が回りそうになった。そうなるくらい、私はあの方の下にいたのか。

 義兄弟が私に恐縮する。私は初めて会う妹の連れに微笑んだ。幸せそうで何よりだ。

「……母さんは?」

 見かけないな、と思って話題に出すと、沈黙が降りた。聞いてはいけないことだったようだ。

「親不孝者め。死に目にくらい会え」

 裏に埋めた、と酔っ払った父が告げた。うちは何の宗教にも属さないから、死体を埋めて、墓を作る。そこが庭になって、墓に据えた石はやがてただの小石に成り果てる。だから、埋められた場所を子どもが踏んでも、罰当たりだとか言われないのだ。

 母に会う前に、家族に話しておこう。

「私はこれから、長い長い旅に出ます。いつ終わるとも知れない旅に。きっともうこの街には戻ってこないでしょう。だから最後に一目、会いたかった」

 すると、父が私の頬を打った。

「俺の死に目にも会わないつもりか!? この不孝者!!」

「お父さん、やめて……!」

 妹が父を止めようとするのを制して、私は父の目を真っ直ぐ見、笑った。

「私はもう、この家の者ではありません。けれど、生涯を尽くしてやりたいことを見つけた。……あなたたちに、それを知らせたかったんです」

 私はあの人のように、無情に映るだろうか。

 それでもいい。認めてくれとは言わない。ただ知ってくれていればいい。

「では、母さんに挨拶をしていきますね」

「……待て」

 父の低い声に、私はきょとんとした。

「門出なら、一杯付き合え」

 ぶっきらぼうな父の言葉に、私は苦笑した。

「すみません、宗教の都合で、お酒は飲んではいけないのです」

 そう断って、私は亡き母に祈り、家を出た。

 旅に出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る