キミカさま
九JACK
第1話
粗末な病院の一室に、ひまわりのような方がいらしたのを、私は忘れない。
その方の名前はキミカさま。黄金の水瓶というのが名前の由来らしい。普通の人間は持たない神々しい金色を湛えた瞳は、名が表す通り、黄金の水瓶だった。
私がその方の存在を知ったのは、まだ幼少の折のこと。風邪を拗らせて入院した、隣にいたのがキミカさまだった。
私の家に信仰する宗教はなく、街が大々的に担いでいたキミカさまについても、それまで私は風の噂程度にしか聞いたことがなかった。会うことがなければ、おとぎ話の存在だと思い込んだまま、生涯を終えたことだろう。
私は会ってまず、その象徴たる瞳に吸い込まれる心地がした。黄金というのは、がめつさの象徴のようで、私はあまり好きではなかった。収穫時期の麦が成す黄金色の方が好きだ。花などの淡い黄色の方が宝石よりずっと素晴らしく、かけがえのないものだと思っている。
金色と伝えられていたキミカさまの目は、確かに灯りを灯すと黄金に輝く神々しさがあった。けれど、偶像であることを受け入れ、自らの病と向き合うあの方は、私の好きな自然の作り出す色の目をしていた。静かに太陽を見つめるようなひまわり。その花弁のような色に見えたのだ。
キミカさまは、とても美しいお方だった。女か男かわからない見目をしており、初対面のとき、肩より長い灰色の髪を見て、私はキミカさまを女神だと思ったほどだ。けれど、実際は男の方だと知って、非常に驚いた記憶がある。
ちょうど私が入院した時期は、キミカさまの髪を切る時期だった。そこで私はキミカさまを信仰する者たちに出会った。
キミカさまの髪は灰色だけれど、艶やかで綺麗な髪だった。毎日自分で手入れをなさっているのだそうだ。キミカさまは体が弱く、ずっと病院で暮らし、足の筋肉が衰えない程度に散歩をする程度しか動かないのだという。病院というところは、とても退屈だ。入院患者なら尚更である。
暇を持て余したキミカさまは、自分や他者の髪の手入れに興味を持ったのだという。それに、神の子であるキミカさまの髪は神へ捧げる供物として、定期的に教団が回収しに来るらしい。教団の者が回収するためにその髪がはらはらと切り落とされるところを、私は夢でも見ているような神聖な心地で眺めていた。
髪を切ったキミカさまは少し、襟足がふんわりと膨らむ癖毛で、それはそれでとても愛らしい姿だった。やはり、男性と言われればそうなのだろうが、何も言われなければ女性に見えた。
キミカさまは、崇拝されることに辟易していたようだけれど、キミカさまの神性はまだ信仰していなかった私でさえ、認めざるを得ないものがあった。これを犯せる者があるのなら、即座に極刑を処せるほどに。
キミカさまは教団に囲まれていたから、そういった不届き者に遭うことはなかったが。
声も、私は好きだった。夏の胸の透くような空の下で、涼やかさをもたらすような凛とした声。病に蝕まれていることを感じさせない強さが私には眩しかった。
趣味も多才で、暇なときは編み物をしたり、信仰者が子連れで来たときは、子どものために折り紙を折ったり。それを褒めたら、キミカさまは照れくさそうに、他にやることがないですから、と苦笑していた。その控えめな太陽の笑みを私はよく覚えている。
私がキミカさまを信仰し始めたのは、大人になってからだ。家にいるうちは、宗教を信仰してはならないのが暗黙の了解だった。もしくは、私がキミカさまに入れ込んでいるのを見て、気を遣ってくれたのかもしれない。大人になったら自由にしていい、と言った母の顔は慈しみに満ちていた。
うちが宗教を信仰しないのは、争い事に巻き込まれないためだ。食べ物にも着るものにも困らず、家にも困らなくて、貧しくはあるものの治安のいいこの街が唯一抱えた爆弾。それが宗教だ。特に、珍しい容姿の人物を奉る風習はかなり昔からあり、過激なまでの信仰が成されていた。
だから、キミカさまを信仰すると決めた私は家を出た。家族に迷惑をかけないように。もっとも、キミカさまは争い事を嫌うお方だったから、戦争など、起こりようがなかった。
そもそもこの宗教は、珍しい容姿を「神様からの贈り物」として授かった人を奉ることで、神様の機嫌を取り、その恩恵に与ろう、という目論見の下に成り立っていた。
私は恩恵とか、そういうのはどうでもいい。あの綺麗な指を、目を、世界を、守れる場所にいたいのだ、と教団に入った。
教団はキミカさまとの面会に厳しい規制があるだけで、あとは心穏やかに過ごせた。今日のキミカさまは綺麗だったとか、笑ってくださったとか、そういう話題で盛り上がる。
教団の幹部は寡黙な人たちばかりで少し怖かったけれど、同じ人を思い、同じ人のために尽くす同志がいるのはとても心地よかった。
この幸せは永遠とさえ思えた。
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