05 / 最も合理的な説明

 玉兎市烏守地区、烏森山のふもとに位置する和洋折衷の邸宅。日本有数の大企業V.C.ウェスペル・コーポレーションの創業家一族たる宵星家の別邸は、鬱蒼とした森のぽっかり空いた空き地の中に静かに佇むようにして建っていた。


 周囲を高い塀に囲われ、鉄格子のような門扉は古びている。

 塀の内側に入ると、まず目に入るのは2階建ての洋館部分。突き出した丸っこい屋根を有する、華麗な洋館だ。

 しかし、視点を下にずらせば洋館から飛び出るように木造の日本家屋がくっついている。

 少しだけ奇妙で、それでいて全体的な統制はとれている絶妙なバランスの上に成り立つお屋敷。それが、宵星アカリの住む「太白館」だった。


 開けるとぎぃぃぃ……という大きな音を立てる玄関を通り、赤い絨毯の印象的なダイニングへ通される。


 外見が見事なら内装も見事だ。ダイニングは赤を基調として瀟洒にまとめられており、家具ひとつとっても高級感に満ちている。こんな家なら一泊100万円と言われてもお金を出す人はいるだろう。


 そんな部屋の真ん中に置かれた、クリムゾンレッドのふかふかのソファの上で、畏れ多くも私はホットミルクを飲んでいた。


 いま、部屋には私とアカリの二人だけ。広々としている空間にたった二人というのは、なんだかもの寂しいが、それも仕方ない。ヴァレンタインはまだ帰ってきておらず、クロちゃんはメイドのユイさんと一緒にお風呂の準備をしている最中。

 チヨの家への連絡なども、彼女らがやってくれるとのことだった。


 結果として、客人である私と、この家の主人であるアカリがこの場には残された。


 私がホットミルクを一口飲んで一息ついていると、アカリはマグカップの中に入ったホットココアを見つめながら、言った。


「……ねえ、これから嫌なこと言うかもしれないけれど、いい?」


「どうしたの、突然」


「まだ分かっていないことが多いし、犯人の目的もわからない——だけど、今のところ、これが最も合理的な解釈だと思うの」


「だから、何の——」


「——チヨが失踪した件についての、よ」


 ふーっ、ふーっとホットココアに息を吹きかけて、それからアカリはホットココアを啜る。まだ冷まし切れてなかったらしく、すぐにアチッと声を上げて舌を出した。


「合理的な解釈って……わかったの? 何があったのか」


「少し考えれば誰だって思い至る可能性よ。……あなただって、思いついても——疑ってもおかしくないと思うのだけど」


 どういうことだろう。私は、アカリが何を言おうとしているのかまったくわからない。


 ——アカリの言う可能性とやらがなんなのかまったくわからないについて考えたくない


「……まず、時系列を整理しましょうか。シズク、例のメモを出してくれる?」


 言われ、私はスマホに保存しておいたメモを表示してアカリに見せた。



18:30 …… 宵星邸に電話。無名の霊札が欲しければ学校に来いという内容。ヴァレンタインとクローディアが学校へ。アカリは車で学校へ。

18:45 …… シズクに電話。誰にも言わず一人で来いという内容。チヨが頭から血を流している画像が送信される。

18:50 …… シズク、正門前に到着。若干遅れて、ヴァレンタイン・クローディアも学校に到着。

18:57 …… シズク&クローディアとヴァレンタインで決闘

(決闘中は時間が流れないためこの間の経過時間は不明)

18:58 …… アカリ、部室到着。



「そのメモに書き加えてほしいことがあるの。チヨとあなたが別れた時間と、あなたの帰宅時間」


「いいけど……なんで私の帰宅時間まで?」


「参考用に、よ。月代の屋敷から学校まで向かう道の、ほぼ中間地点にあるでしょ。シズクの家って。……だから、一応、ね」


 アカリが何を考えているのか、私にはわからない。とりあえず言われるがままに、メモにチヨと別れた時間と私の帰宅時間を書き加えた。どちらもちゃんと時刻を確認してたわけじゃあないから、大体の時間だ。



16:30 …… シズク、チヨと月代家前で別れる。

17:00 …… シズク、帰宅。



 新たに書き加えた箇所を見て、「なるほど」とアカリは呟いた。


 一体何が「なるほど」なのだろう。


「この一件、最初に注目するべきは犯人の意図よ」


 マグカップをテーブルに置いて、アカリはそう切り出した。


「一体なにがしたかったのか……犯人の目的は依然として分からないけれど、何を意図していたのか、くらいなら考えることができる。とくに犯人の作意が反映されているであろう、二つのことについては」


「二つのこと……?」


「まず一つ目は、電話の順番と時間差よ。なぜ私の家に最初に掛けてきたのか。なぜ、15分も後になってシズクの家に掛けてきたのか……シズク、あなたが書き加えてくれた帰宅時間のお陰で、この仮説により確信が持てた。————これはね、両者の学校への到着時間を、なるべく揃えるための仕掛けだったのよ」


「両者っていうのは、私とアカリたちの……ってこと?」


 問うと、アカリは頷いた。


「揃える、と言っても同時ではないわ。ヴァレンタインとクローディアが先。そしてシズク、あなたが後。この順番で学校に到着することを、犯人は企図していた。……もっとも、あなたの移動速度が犯人の想像を少しばかり超えていたせいで、目論見どおりとは行かなかったようだけど」


「なんでそんなこと……」


「あなたが屍食鬼グールに殺されないようにするため、よ。……致命傷を負わせないため——と言った方が正確かもしれないけれど。要するに、犯人は屍食鬼を配置したけれど、暁シズクが死ぬことは望んでいなかった。だから私に屍食鬼の配置を教えておいて、ヴァレンタインとクローディアの二人に屍食鬼を処分させようとした」


「じゃあ、その犯人がわざわざ屍食鬼を配置した理由は?」


「あなたを奉魂決闘に巻きこむためよ。チヨが誘拐され、囚われているはずの学校に屍食鬼がいるという状況でクローディア、あるいはヴァレンタインから屍食鬼の存在について教えられれば、あなたは当然チヨが屍食鬼に変えられた可能性、あるいは、屍食鬼を作り出した吸血鬼が犯人だと疑うことでしょう。その流れで、あなたは奉魂決闘の存在を知ることになる。そして知ってしまったからには、参加せずにはいられない。『危険だから』と手がかりを見逃せるほど、暁シズクは諦めが良くはないから」


「……………………」


「けれどさっきも言った通り、あなたは犯人の想定以上に早く到着してしまった。犯人は超人的なあなたのスピードを勘定に入れていたけれど、実際の速度はそれを上回るものだった。結果、クローディアより先にあなたが屍食鬼と対峙してしまい、危うく殺されかけた」


 筋は、通っている。けど、その説には色々と疑問がある。


「仮にその通りだとして、どうしてその犯人は私を奉魂決闘に巻き込みたがったの?」


「それはまだ分からないわ。最初に言ったでしょ『犯人の目的はわからない』って」


「屍食鬼に私を襲わせたかった可能性は……」


「それなら、こっちに電話を寄越す理由がない」


「アカリに電話をかけてきた人と私に電話をかけてきた人が別人の可能性は? 実はチヨを連れ去った犯人が電話をかけてきたのは私にだけで、アカリの方には善意の第三者がかけてきてた」


「それなら、順番が逆になるはずよ」


「アカリの家の時計がズレてたとか……」


「時間は地上波のニュース番組で確認したから、実は順番が逆だった、という可能性は考えづらいわね」


「アカリってニュース見ながら夕飯食べるんだ……」


 ふう、と息を吐いてホットミルクを飲む。気付けば、ミルクはすっかり冷めてしまっていた。今なら猫舌のアカリでもふーふーせずに飲めそうなくらいに。


「質問はもうない? ……なさそうね。じゃあ、続いて写真について」


「写真? それって……」


「ええ。チヨが殴られて頭から血を流してるやつ。出してくれる?」


 言われるがままに「フギムニ」のチャット画面から写真を表示させて、アカリに見せる。

 すると、アカリは私のスマホを取って、


「はい、チーズ」


 なぜか私と一緒に自撮りをし始めた。止める間もなく写真は撮影され——そのままアカリは、チヨのアカウントへ向けて写真を送信する。

 何考えてんだ。


「突然なに? なんでいきなり自撮りなんか」


「やっぱり。この画像、トリミングされてるわね」


「は?」


 アカリは私にスマホの画面を見せる。そこに表示されてるのはさっきの自撮り画像だ。アカリは顔もポーズも決めてくれちゃってるが、私は突然だったので何の準備もできていない。めちゃくちゃ間抜け面を晒している。


「この画像の比率を覚えておいて。……で、送られてきた画像が、これ」


 アカリは続いてチヨが縛られて頭から血を流してる写真を見せてくる。……と、こう続けざまに見せられると、アカリの言いたいことが理解できた。


「…………たしかに。


 そう。つまりのだ。


「でも、トリミングされてるから何? 誰だってトリミングくらいはするんじゃないの?」


「重要なのは、一体なにが切り取られたのか、という話よ」


 言って、アカリは「フギムニ」内臓の画像編集ツールを起動する。設定からエキスパートモードをオンにすると、レイヤー編集機能がアンロックされた。そんなことができたのか、と驚くのも束の間。アカリは器用にスマホを操作していく。

 読み込んだ画像——学校でアカリが撮影した写真——のレイヤーをさっきの自撮り画像で切り取りマスキング。本来、「フギムニ」の撮影機能で撮影されたであろう画像を再現した上で、重ねるようにしてチヨが縛られている画像を表示させ、透明度を50%に。そしてだいたいの位置を合わせると……何が切り取られたのかは、明白だった。


「……時計」


 そう。部室にかけられていた丸いアナログ時計のところが切り取られていたのだ。といっても、写真に映り込んでいた時計はせいぜいが下半分くらい。


「犯人は時計を見せたくなかった。そうでないと、写真が撮影された時間を今日の16:30~18:45の間だと、誤認させられないから」


「誤認? ………………なにそれ、どういうこと」


 アカリの言葉を、これ以上聞きたくなかった。どういう理路でそこに至ったのかはわからずとも、結論は薄々読めるのだ。


 わかるそんなわけないわかるけどそんなはずがない聞きたくないありえない


「車の中でユイのスマホを借りて調べてたんだけどね、今日の日の出の時間は午前6時40分ごろ。……けど、あの部室は窓が西側を向いているから、実際は日が昇ってからもしばらくは暗かったはず。カーテンでも閉めれば、ほとんど夜と区別がつかないくらいに」


「………………」


「つまり、あの画像は早朝にだって撮影が可能だった。もちろんその場合、チヨ本人の協力が不可欠ではあるけれど――でもそれなら、ヴァレンタインが到着したとき、部室にチヨがいなかったことの説明も簡単にできる」


 一呼吸。



「……犯人が魔法か何かで瞬間移動したとか」


「否定はしないわ。だけど、いずれにせよあの写真の背景にはチヨの合意があったはず。だって、あの部室からは血の匂いがしなさすぎた。床も椅子も、綺麗なものだった――そのことは、あなたも認識していたと思うのだけど」


「……だから、そもそもチヨは襲われてなんかいなかったって?」


「もしあの血が本物だとしたら、痕跡がああも綺麗さっぱり消えていた理由として考えられるのは――チヨが契約者になっていたから。契約者の血や身体から切り離された部位は、原則としてその部位の再生と同時に消滅するものだから」


 私の潰された右腕から出ていた血も、いつの間にか消えていた。まるで、はじめからなかったかのように。


「けれど、もしチヨの合意がなかったのだとしたら、一体なぜチヨはあんな時間にわざわざ学校に戻ったのか。なぜ神秘探究部の部室にいたのか、という疑問が残る」


「そんなの、犯人が呼び出したからに決まって」


「なんの理由で? ただでさえ物騒なこのご時世、それなりの理由がないと呼び出しになんて応じないと思うのだけど。

 ……それに、犯人にとっても神秘探究部の部室に呼び出すのは面倒が多いはず。ひとけのないところで襲撃したいならチヨの家がある付夜山つくよやま地区のどこかで済ませたほうがいい。あそこならそういう場所はいくらでもある。お山の中腹に位置する桂月かつらづき神社とかね」


 確かに、あそこなら人はいないし、チヨを呼び出すのも簡単だろう。月代つきしろ家は代々、あの神社を管理してきた一族。神社で何かあったので月代家の人間が呼ばれる――という筋書きは、なるほどありそうな話だ。


「けれど、そうはならなかった……」


「どうして部室だったのか――私が思うに、それはシズク、あなたが即座に向かえる場所だから、なんじゃないかしら。

 桂月神社みたいに遠い場所では、途中であなたが冷静になってしまうかもしれない。警察に、通報するだけの時間を与えてしまうかもしれない。あるいは、月代の屋敷に出向いてチヨの件を家人に相談してしまうかもしれない。あそこは月代の屋敷のそばにあるから……」


 だから、私の家から見て、チヨの家の反対側にある学校が選ばれた……?


 わざわざ神秘探究部の部室なのも、そこが私にとって慣れ親しんだ場所だから……?


「この話はここまで。最後に、屍食鬼の人選について————」


「——いいよ。もう、いい」


 ふぅーーっと長く息を吐いて、マグカップをテーブルの上に置く。


「アカリの言いたいこと、なんとなくわかるよ。そりゃ、私にだって。わかるよ。アカリほど、しっかり論理立てて考えられていたわけじゃないけどさ…………どうして、部室にいた屍食鬼があのスキンヘッド男だったのか。それはつまり、犯人が自分の正体を私たちに教えるためだ――そういう話を、したいんでしょ?」


「——意外ね」


 呟いて、アカリは目を伏せる。


「見て見ぬふりが上手なあなたなら、もっと論理を詰めないと認めてくれないと思っていたのだけど」


 即座に首を横に振る。


「いえ、なんでもないわ。私に、そのことを指摘する資格はないから。…………だから、チヨ事件の話を続けるわね」


 ——失踪。そう、アカリは最初から「誘拐」や「拉致」、あるいは「略取」という単語は使わなかった。彼女にとってこの事件は、あくまでも「失踪」なのだ。


 それが意味するところを、私は認めるわけにはいかない。まだ、そうでない可能性が残されているのなら——それを信じたい。


「あなたの言う通り、あのスキンヘッド男は、メッセージだった。無名の霊札で生成されるカードがどんなものになるかは事前に知り得ないから、そこは賭けだったかもしれないし、犯人としては気付かれなくても構わないものだったのかもしれない。…………あるいは、犯人はあなたを害しかけた人間を選ぶことで、罪悪感を軽減しようとした。そんな解釈もできるわね」


 ともあれ、とアカリは続ける。


「あなたを轢きかけた人間が殺され――屍食鬼にされて、あの学校にいた。それはきっと、偶然なんかではない。犯人の作意による、必然だった…………私は、そう考えるわ」


 聞くまでもなく、わかっていたことだった。ああ、予想通りだ。予想通りで、嫌だ。


「ここまでの話——仮説をまとめるわ。

 犯人は『暁シズクの超人的身体能力を知っている』かつ『暁シズクの諦めの悪さを知っている』人物。

 また、犯人はおそらく、6:45〜7:00前後の時間帯に学校、および神秘探求部の部室に堂々と入ることができた人物。

 そして、暁シズクとあのスキンヘッド男の関係性——つまり、暁シズクが彼の運転する車に轢かれそうになったところを目撃した人物」


「…………それが当てはまるのは誰か。そういう話、だよね」


 考えるまでもない。だから全力で、考えないように、してたのに。


「その人はきっと、私の知り合いで。とても、とてもよく、私のことを知っていて。神秘探求部の、部室の鍵すら持っていて、夜明け頃にでも学校に来て、あの写真を撮影した。流れた血は、血糊のフェイク。もしくは本物だけど契約者特有の治癒能力によって、一滴残らず消滅した」


「そして、そして………………………………」


「今日、あなたと一緒に下校した人物」


 倉見は、先に一人で帰った。

 アカリは、生徒会の仕事があるから一緒には帰らなかった。

 そもそも放課後に居残りしてたのは私達くらいなもので、他のクラスメイトたちはみんな、とっくのとっくに帰っていた。


 ゆえに。犯人候補は、候補と呼べそうな人物は現状——たった一人しか、いなくて。


「犯人は、月代チヨ。あの子だと考えるのが、現状において、最も合理的な説明……そういうことに、なるわ」


 その言葉を、聞かなかったフリは、できなかった。


(続く!)

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