第32話 平穏は終わりを告げる

 冒険者ギルドを後にして、しばらく街を歩いて回った。


 ……いっそ放棄したほうが早そうだけど…。


 地形や土地の都合上、この地域はハレイフィルド王国の領土の中でも特に強力な魔物が出現しやすい。前回、今回と襲撃してきた魔物達も、土地柄のせいで強大な魔力を秘めた物が多かった。


 そんな場所だからこそ、寧ろ人の手を入れずに放置をしては居られない。こんな場所だからこそ、英雄貴族と英雄の一族が治めている。


 その英雄の子孫であるアルセーヌは、自身が狙われているとなれば、とても強い責任感を覚えるはずだ。

 それでも、一人の騎士としてこの街に残る事を選んでくれて良かった。


 感情に流されない、本当に強い人だと思う。


 記憶の中でしかないとは言え、一人の人間に強く当たった俺とは違う。




 騎士団本部から少し歩いた場所に建てられている、現在は死傷者が集められている教会。


 大きな扉を開けると、巨大なステンドグラスが出迎えてくれた。

 聖女と小鳥、木漏れ日が描かれたステンドグラスの下で、祈りを捧げるシスターと、近くの孤児院に住む沢山の子供達。


 あの子供達の中には神聖魔法の適性を認められて、神職者になる子も居るらしい。

 アノレアはまさにそんな道筋を辿って、教会に住み込みで神聖魔法を学んでいる頃にアルセーヌと出会い、恋に落ちたと話していた。


 騎士爵家の長男と、せめて釣り合いが取れる様にと神職者になろうと勉学に励んでいたらしい。


 結果として、二人の間には子供が出来たのだから…恋は結ばれたと言って良いんだろうか。


 祈りを捧げるシスター達を横目に、俺は負傷者達が運ばれた部屋に足を運んだ。


 俺は神に祈ろうとは思わなかった。

 あんな事をして両手が塞がるくらいなら、俺は剣を握っていた方がまだ有意義なのでないかと、そう思えて仕方がない。

 騎士の家に育ったからなのか、それとも元々の気質だろうか。


 少なくとも、前世の俺も……神に祈った事は無かった様に思うが、別にそんな文化も無かったか。


 ……ん…?


 負傷者のほとんどは、四肢や内臓の欠損によって現在は体を動かすのが困難な人たちだ。

 多少の怪我であれば、この世界なら問題と言うほど問題ではない。

 足を失ったハルフィもその中に居ると思っていたのだが、姿が見当たらない。


 ふと、負傷者の世話をしている人達の中に、ウチの屋敷で働いていたメイドを見かけた。


「アスハ、ちょっと良いか?」

「えっ…?今の声は……。まさかゼル様…が…」


 彼女はクラヴィディアの世話をしていた中年のメイドだ。


「うん。あの、ハルフィを見なかった?」

「……っ…!」


 クラヴィディアのメイド、アスハは大きく目を見開いてから、小さく頷いた。


「………?」

「……こちらです」


 アスハの後ろに着いて教会の奥に進んで行く。

 こっちからは、生きた存在の魔力を感じない。


 ………まさか……。


 心臓の鼓動が、少しずつ耳の奥に響いてくる様な気がした。


「………こちらです。早朝に、騎士の遺体が覆い被さっていた形で見つかりました」


 アスハの言葉は、耳に入ってこなかった。


 真っ白なベッドがいくつも並ぶその部屋。

 部屋の一番奥に置かれたベッドに横たわり、微動だにしない裸体の少女。布が置かれ、顔や胸、腰回りは隠れている。


 右足が欠損しており、脇腹にも痛々しい刺し傷が残っていた。


「…見つかったその時には、もう…」


 少女の真っ白な肩に触れると、無機質な冷たい感触が指を伝って来た。


 …………ハルは守る…。“アイツ”にはそう啖呵を切った。慕う資格が無いとか、そんな事も言ったかな。


 ………人の事、言えないな、俺は…。


 あのまま、魔物の居ない場所まで運べば良かったんだろうか。

 いや、そうしていたらアルセーヌが黒竜に殺されていた筈だ。

 アルセーヌが黒竜に殺されていたら、俺一人ではアイツの注意を引き続ける事は出来なかっただろう。

 なんせ、彼らの表面上の目標はアルセーヌの抹殺だったわけだから。


 そう、あくまでも表面的な目的だ。

 あの黒竜を使えば、あの日の内に俺のこともアルセーヌのことも殺せただろう。あの場では恐らく、アルセーヌは「殺せればラッキー」程度の物で、そちらに意識を向けることでどこか別の場所で何か別の目的を達成させていたのだと思う。

 そうじゃなければ、あの黒竜が中途半端に去っていったことの意味が分からなすぎる。


 アルセーヌへの復讐という行動、動機を隠れ蓑にして、奴らは何かをしようとしている。

 少なくとも、竜の再来なんてふざけた物を実現させようとしていたのだから。


 いや、実際…実現した。竜は再び、この地に降りた。


 ……だから、彼女もその犠牲の一人になった。


「…あぁ…っ……」


 アルセーヌを手伝わなければ行けなかった事は、ハルフィを守れなかった事の言い訳にはならない。


 俺は彼女を治療する事もせずに、近くに居た騎士に彼女を渡しただけだから。彼女に割ける魔力の余裕が無かったのは事実だが、あの状況からでも魔石を取り出して魔法を使うことはできた。

 やらなかったのは、黒竜に意識を向けていたから。


 ……結局のところ、アノレアを殺された事による激情で、ハルフィを忘れていた。


 そんなのはアイツと、何も変わらないじゃないか。


 ハルフィの顔を隠す布に、一雫の涙が落ちた。


 …せめて一回くらい………。本音で、話せば良かったかな…。


 肩から腕に指を這わせて、そっと冷たい手を握る。


「…っ…ごめんよ、ごめん。ハル…」


 …せめて君だけは…と、そう思って居たのに。


 もう一度、君に名前を呼ばれたかった。

 最後に彼女が呼んだのは俺じゃなくて“アイツ”の名前だったから。

 同じ名前でも、向けられる相手が違っている感覚だったから。


「っ、うあぁ…」


 もう、彼女の明るい声が聞けないのだと、冷たい体に触れるたびに理解させられる。


 胎児は竜となり街を破壊しつくした。

 母は跡形も残らずに爆散した。

 そして、娘まで命を落とすなんて。


 あんまりじゃ無いだろうか。


 …いや、寧ろ…これが奴らの狙いだった可能性が高い。


 何も、アノレアとハルフィが狙われたのは初めてじゃないのだから。アルセーヌへの復讐を考えるのなら、彼が愛する者を殺すのは当たり前と言えよう。


 …それでも、父さんはああして、部下達を叱咤激励していた。


 誰よりも辛い筈のあの人が、泣き言の一つも言わずに騎士長としてすべき事をしていた。



 ……ハルフィ、君だったらなんて言うかな。


 あの黒竜を、殺して欲しいと言うのか…。


 それとも、妹を助けて欲しいと、そう言うのか…。


 ……俺は、殺してやりたい。

 スレッジとか言うあの黒服野郎の目の前で、無駄な事をしていたんだと、嘲笑いながら殺したい。


 ………だめだな……。俺なんかが考えたって、君がなんて言うかなんて…分からない。


 溢れる涙を拭う事もしないで、俺は冷たい手を離して彼女の顔にかけられた布を少しだけずらした。


 拉致事件があった日の夜の様に、安心させる為に額に口付けをする。


 俺は…せめて、誓いたい。


「妹の事は…必ず助ける」


 胎児が竜になった理屈を、俺は理解しているつもりだ。

 人に戻す事は出来ないかも知れないが、せめてあの男の支配からは解放してやりたい。


 …意地でも、それこそ…死んでも、あの子だけは救わなきゃ、君が救われない。



 ………そんな誓いも、ただの偽善と自己満足でしかないけれど……。


 ──溢れる涙だけは、ボクの一つの本音だった。

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