僕が恋をしたのは君だった
森下 伸
第1話
どうして大人になると時間が短く感じられるんだろう。
忙しい毎日の中で息つく間もなく僕はスーツと言う鎧を着て戦場と言う名の会社へいく。
言いたくもない同意の言葉。
なんの助けにもならなそうな『人生の先輩』からのアドバイス。
否定された企画案。
破り捨てたい書類の山。
なんの意味もない愛想笑い。
そんなものに毎日囲まれて、大学時代から付き合っていた恋人とも別れ、友人たちもちらほら結婚をしだし、そんな俺は四捨五入すると確実に三十歳になる。
俺はどうして、ココにいるのだろう…なんのためにガムシャラに働いているのだろう。
妥協もできない。
そんな生真面目な性格を何度恨んだことだろう。
でも、そうして築き上げてきたものを捨てる勇気も、今更新しい人生を送るのもなんだか億劫だった。
「転職?」
「そう…俺さぁ、もうすぐ三十歳になんじゃん。別の会社にヘッドハンティングされちった!」
「…ま、じかよ…。」
「辞表も出しちゃった。」
「出しちゃったって…冗談みたいに言うなよぉ。」
「情けない顔しないの、周ちゃん!でさ、いつか独立してさ…会社興そうよ!」
「須賀ちゃん…まじ勘弁してよ…。」
「二人でやれば鬼にうまい棒…なんつって。」
困惑している俺に須賀ちゃんは、ポケットから出してきたうまい棒をにゅっと俺に差し出した。
同期入社の須賀が転職すると打ち明けたのは新橋のガード下の一杯飲み屋。
カウンターだけの店でハイボール片手に須賀は俺に打ち明けた。
なんの相談もなしにかよ…とちょっと恨んだが、実際人生の大事な転機を、ライバルだった俺らがするのも変な話で…。
「考えたらさ、俺、企画を考える方が性に会ってるんだよね。なんつーかさ、そういうパッと思いつく発想に長けているって褒められたんだ。」
須賀は早くも目の周りを赤くして俺に語り始めた。
「でさ、周ちゃんは、そういう企画を一から練ってさ、リサーチして、予定立ててさ…そういうの、俺、無理だもん。だから、やっぱ俺はさ…、」
そこで須賀は氷だけになったコップを片手に「おやっさん、おかわりちょうだい!」と陽気にいうと、俺の顔をじっとみた。
「俺はさ…周ちゃんにはいろいろ敵わないんだよ。」
須賀は、もう笑っていなかった。
少しぐすんと鼻を鳴らして俺に言った。
「だから、俺は別の場所で一からやり直すつもり。」
すぐにカウンターに置かれたコップを再び煽って須賀はぐいぐいと飲み干した。
「これからは…本当のライバルだよ、ね。」
そう言うと須賀は明るく笑った。
そして、今夜は奢るという俺を制して、「俺が奢るの!」と強く言いいながら、お金を払ってくれた。
駅の改札まで俺は須賀を見送った。
彼は何度か振り返り、俺に大きく手を振った。
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