第十話 突破口

 イツハは自身の目を疑う。

 包囲を突破する、とミュナが言った次の瞬間に彼の目の前にいた二匹のカマキリが吹っ飛んだからだ。


「いっちゃん! 今よ!」

「え、え? は、はい!」


 呆気なく包囲網の一端が崩れ、イツハは複雑な気持ちだった。

 もふもふ☆スラッシャー達もさぞ疑問に思っているに違いない。

 彼が全速力で走って包囲を抜けた瞬間、彼の背後では何かの倒れる音がする。

 急いで振り向くと、瞬く間に敵集団の半数が倒れ伏せていた。


「は、速すぎる……」


 ミュナの動きは目で追うことも出来ない。

 流石に神だけあってその動きは尋常ではないのは理解できる。

 かなり手加減をしているのだろう、もふもふ☆スラッシャーに攻撃するその瞬間だけ動きを止めている。

 そして、得物でポコンと敵の頭部を殴打するのだ。

 その緩慢な動きはどう見てもハエすらも叩き潰せないはずなのだが、もふもふ☆スラッシャーが昏倒する様子からすると、やはり凶悪な一撃のようだ。


「はははは……」


 イツハは笑うしかなかった。

 ミュナの動きには一応の隙はある。

 足を止めたり、時折カメラに向けてウインクしてみたり、決めポーズの練習なんかも織り交ぜている。

 だが、敵が反撃しようとすると、音よりも速い足さばきで回避する。

 如何に動体視力の優れた人間がいたとしても、昆虫の持つ複眼には敵わないだろう。

 次から次へと踊るようにもふもふ☆スラッシャー達を打ち倒していくその姿は、強いというよりもただただ理不尽なだけだった。

 恐らく、ミュナの戦う様子を見ている視聴者も唖然としているに違いない。

 彼が肩から力を抜いているその時だった。


「いっちゃん! 後ろ!」


 ミュナの叫びを耳にし、イツハは鉄の棒を構えつつも足を動かす。


「いつの間に!?」


 イツハの目の前には鎌を振り下ろそうとする一匹のもふもふ☆スラッシャーの姿があった。

 彼は鉄の棒で何とかその攻撃を防ぎ、敵との距離を詰める。


「――ん?」


 イツハの身体は勝手に動いていた。

 まるで、何者かに操られるように腕が動く。

 鉄の棒を握る手に自然と力がこもる。

 そして、敵の胴に向かって迷うことのない一突きを叩き込んだ。


「あ、あれ……?」


 胴に穴が開き、崩れ落ちるもふもふ☆スラッシャーを目にして、イツハは首を傾げる。

 彼は不思議で仕方なかった。

 訓練されたかのような動きを何故繰り出せたのか。

 それよりも彼が疑問だったのが、何の感情も湧かないことだった。

 敵を仕留めたというのに高揚感もなく、ましてや罪悪感にも苛まれない。

 彼が力なく項垂れていると――。


「ん?」


 どこからともなく羽音が聞こえて来た。

 耳障りな音で、生理的嫌悪感を呼び起こすのは本能だろうか。


「あれは――もふもふ☆スラッシャー!?」


 シルエットから容易に想像できるものの、それにしては今まで倒してきた個体と比較するとあまりにも大きすぎる。

 どこからやってきたのかとイツハは考え、そしてその答えはすぐに出た。


「遠くに見えたあの木は、あいつが擬態していたのか!?」


 何もなかったらあの木まで向かえばいい。

 そんな思考を読んでいたのかはわからないが、とにかく向こうから来てくれた以上おもてなしをしなければならないらしい。


「いっちゃん? 大丈夫かしら?」


 いつの間にやらミュナはイツハの隣にいた。

 彼らを包囲していたもふもふ☆スラッシャー達は残すことなく倒れ伏せており、集団戦法というある意味完成された戦術もおばさんパワーの前では無意味なようだ。


「自分は大丈夫です。ただ、もふもふ☆スラッシャーの親玉が来ているみたいです」

「そうよね……」


 ミュナは困ったような表情をする。

 それを見て、イツハはどこか安心してしまう。

 あれだけの巨体を倒すのは流石に躊躇するだろう。


「私としてはスリッパで叩きたいところなのよね~」

「スリッパですか……」


 どうしてそこまでスリッパにこだわるのだろうか。

 イツハが疑問に思っていると、もふもふ☆スラッシャーの親玉が悠々と地面へと着地する。


「ミュナおばさん! 来ましたよ!」

「あらあら。どうしましょ」


 隣家から大量のおすそ分けを貰った時のようなミュナの反応に、イツハは逆に安心してしまう。 


「いっちゃん。危ないから離れていてちょうだい」


 ――そうだ、ミュナおばさんが負けるはずがない。


 もふもふ☆スラッシャーの親玉は威嚇するかのように翅を広げる最中、イツハはミュナの邪魔にならない位置まで退避する。

 彼が遠方から改めて観察してみると、擬態のためかその翅にもやはり緑色の柔毛が生え、脚や胴は樹皮の模様に酷似していた。

 まるで巨木そのものが襲い掛かってくるような、そんな威圧感すら放っている。

 だが、ミュナは怯まない。

 それどころか、タブレットに目を通してから準天使達の持っているカメラへとにこやかに手を振っていた。

 そして、穏やかな表情で巨大な昆虫と対峙するのであった。

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