鏡の世界に迷い込んだら、王子殿下が優しいです? さっき婚約破棄されたばかりなのに。

みこと。

第1話 横暴な命令

「オーレリア・ユタン公爵令嬢! きみは義妹いもうとのベルティーユを、ずいぶんといじめていたそうだな」


 王家の夜会で響くのは、婚約者シリル殿下のお声。

 殿下はわたくしの義妹をかばう様に、彼女を背の後ろに隠しています。


 ああ、ついに。危惧していた事態が起こってしまったようです。


 落胆を胸に、わたくしはこっそりと嘆息しました。


 殿下の言葉は、尚も続きます。


「そのような心根の貧しい者に、王太子妃は務まらない! 僕ときみの婚約を破棄した上で、きみは己が罪を反省する必要がありそうだ」


 このままでは一方的に、わたくしの非にされてしまいます。


「恐れながら、発言をお許しください」


「ならん! きみに発言を許すと、この場でベルティーユを口撃する可能性がある。申し開きは牢で・・聞こう」


「なっ!!」


 牢。つまり殿下はわたくしに反論も許さないまま、投獄すると言っているのです。たまらず、わたくしの声も険しくなります。


「それはあまりに、ご無体ではありませんか!」


「きみの行いは、それだけ信用を失してるということだ!」


 シリル殿下が厳しい表情で、わたくしを見ます。殿下の右目の泣きぼくろにまで、睨まれているような錯覚。


 とんでもないことです。

 王家からの婚約破棄に加え、投獄までされてしまっては、わたくしの人生は終わったも同然。釈放されても社交界で受け入れては貰えないでしょう。


 誓ってわたくしは、義妹をしいたげてなどおりません。


(きっとあのが殿下に、何か吹き込んだのね)


 やたらわたくしに執着し、わたくしの物を欲しがるベルティーユのこと。

 おそらく婚約相手の殿下のことまで、欲しくなったのでしょう。


(これは何としても屋敷に逃げ帰り、公爵であるお父様のお力をお借りしなくては)


 決断するやいなや、わたくしは即座にドレスをひるがえしました。


「ま、待て! 衛兵、オーレリアを捕らえろ」


 殿下には予想外の逃走だったようです。彼は慌てて衛兵を呼びますが、会場外の兵達など、遠い!!


 逃げるのは悪手。罪を認めるようなものですが、けれど捕まらなければ、次に打てる手段が増えます。


 悲鳴や騒ぐ声の中、わたくしは一直線に駆け抜けます。


 淑女ゆえ披露する機会こそなかったものの、わたくしは運動能力にいささか自信がございます。


 ふいをついたこともあり、群衆を盾に、あっという間に王城通路に紛れ込みました。

 近道のひとつ、"鏡の間"へと飛び込みます。


 回廊の全面に鏡が張られた美しい場所ですが、不可思議な現象が起きる場所として現在いまは封じられた通路。

 使われることなくひっそりと並ぶ鏡たちを、蒼い月の光が照らし、ひとり駆けるわたくしの姿を映し出しています。



(ここを突っ切れば外ですわ……!)



 その時です。

 大きく世界が揺れました。


(じ、地震!?)


 こんな時なのに地面は容赦なく震え、バランスを崩したわたくしはそのまま、壁に向かって投げ出されました。


(ぶつかる!!)


 鏡が割れることを覚悟し、とっさに身を丸めて目を閉じます。けれど。


 スルン!!


 まるで壁があったはずの場所を通り抜けたかのように、わたくしは想定以上の距離を転がり、そして、止まりました。


(なに……?)


 倒れた身体をそっと起こすと、静寂が場を支配しております。


 どうやら地震は大事なく収まった様子。

 ほっとして再び駆け出そうとした時です。


「リア!!」


 "鏡の間"に、声が反響しました。


 聞き覚えがある声で、聞き覚えのない愛称呼び。


「?!」


 驚いて振り返ると、いつの間に見つかったのでしょう。

 シリル殿下がこちらに駆けてくるではありませんか。


「っつ!」


 急いで立ち上がろうとして、痛烈な痛みに断念します。


(足をくじいたのだわ)


 なんてこと! これではもう走って逃げることは難しい……!


 焦る間に、殿下には追いつかれてしまいました。


(かくなる上は、この場で再度交渉を──!!)


 決意して殿下を振り仰ぐと、思いがけない光景と出会いました。


「リア、どうしたんだ? 大丈夫か? どこか痛めたのか?」


 信じられないことに、わたくしの横に膝をついた殿下が、気遣うような声音こわねでわたくしに問いかけたのです。


(???)


 さっきまで、鬼のような形相でわたくしを断罪しようとした御方が。

 案じるような眼差しで、優しくわたくしを覗き込みます。


 同時に気づきました。


(殿下の泣きぼくろが、左目下に?)


 彼の妖艶なほくろは、右だったはずです。


(一体これは、どういうことですの──???)

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