第1章 会田愛菜 4

<0日> 会田愛穂

「おかあさん、ごめんなさい・・・・」

そう言ったところで、目が開いた。涙で景色がぼやける。

手で涙をぬぐうと、手の甲に何やら点滴の管のようなものが沢山張り付いていた。

ここは・・・・

「オカエリナサイ、アイダマホサン」

急に機械的な女性の声で名前を呼ばれる。

あいだまほ・・・

会田愛穂・・・・でも今のは・・・・

辺りを回し見る。真白な部屋に、多くの管がぶら下がり、手だけではなく、頭や体にもそれがつながっていることが分かる。

「えっ何?ここはどこ?お母さんはどこ?」

「落ち着いてクダサイ。今マデ居タノイハ、愛菜サンノ記憶ノナカデス」

愛菜の記憶・・・・?

いや私は愛菜だ。今の今まで愛菜だった。

痛みも、気持ちも全部が感覚として残っている。すべての痛みと苦しみが・・・・・

「私・・・なに?・・どうして・・・・」

理解が追いつかない。あの匂いも、痛みも、悲しみも全部私が経験した、私の痛みのはず。

でも、それは私ではなく愛菜の記憶・・・・?

「アナタハ、紫苑ノ刑ニ処サレマシタ。オオクノ人ハ、始メニ混乱シマス。」

「ワタシハSHION107。愛菜サンノ記憶ヲ保管シ、アナタニ、ソノ記憶ヲ感覚ゴト、ツタエルコトガデキマス」

・・・・・・全く意味が分からない。

つまり私が経験したものは、愛菜が受けた痛みや思いの記憶だったということ・・・・?

「アナタハ、間違いナク会田愛穂サンデス。オモイダシテクダサイ」

混乱している頭をどうにか整理しようと、自分の記憶を整理する。

私の名前は・・・会田愛穂、32歳 そして愛菜は私の子供・・・・

本当にちゃんと愛穂としての記憶がある。ならば今、体験したことは・・・・

愛穂としての記憶がだんだんとよみがえり自分を取り戻すと同時に、自分がやったことの一部始終がよみがえる。

そして今体験した事の記憶と自分の記憶が視点は違っても現実で行われたことだという事は、間違いないことも。

そうだ・・・・私は会田愛穂だ。そして私は愛菜に・・・・

「思考ノ一部ハ、残っテイタハズデス。子供デハ理解デキナイ部分ハ、アナタノ思考データーカラ補イマシタカラ。」

「大人ノアナタニ、愛菜サンノ思いヲ理解サセル為デス」

確かにおもむろに考えていることや、情景の描写などは、子供には言い表せない言葉が多かったように思う。

強い思いだけは、いつも子供の言葉だった・・・・

だからこそ、今ここにいても目をつぶれば、あの部屋の細部を低い目線で思い浮かべることができる。

確かに子供が知らないような言葉で、状況を把握していた。

「状況ハ整理デキマシタカ?」

そっと肋骨部分を触る。あの痛みがまだそこに残っているような気がしたからだ。

痛みはすっかり消えていた。体の見える部分にも痣一つ付いていない。

けれど、痛みの記憶一つ一つがまだそこに残っている気がする。

すえた匂いも、傷の匂いも、腐りかけのピザの味も全部が残っている。

これが愛菜の記憶・・・・

愛菜が体験したことのたった3日間。そうたったの3日間・・・

愛菜の記憶と愛穂の記憶、双方の記憶が入り交じりながら戸惑い、はっとする。

あの子は、最後になんて言った・・・・?


(おかあさん・・・ごめんなさい・・・)

涙が出ると同時に

「ウワァアア」

という奇声にも似た声が漏れた。それは心の底から這い出たいろんな感情の塊だった。

あんなに痛いなんて。あんなに私に助けを求めていたなんて。あんなに苦しい思いをしていたなんて。


正直、愛菜のことが鬱陶しかった。あの子さえいなければ、私はもっと自由だと思いった。

あの子を見るたびに、腹が立った。うまくいかない人生はすべてあの子のせいだと思っていた。

だから、言うことを聞かないあの子を殴った。

最初は言うことを聞かず、自由に泣くあの子に腹が立った。

お腹がすけば何もしなくても与えられるあの子が憎らしくなった。

ただ寝ているだけなのに、私の自由が奪われるのが苦しかった。

だから叩いた。そして殴った。

いつの間にかそれが当たり前のようになって、あの子を殴っても殴られても何も感じなかった。

そればかりか、痛がるあの子さえも鬱陶しかった。

今ならわかる。大人の私でさえも叫びたくなるようなあの痛みの感覚。誰にも助けてもらえない絶望感。

そして、あの子がパンダを見たがっていたこと、可愛い服を着てみたいと思っていたこと。コンビニのツナマヨを御馳走だと思っていたこと。

コンビニのおにぎり一つがご馳走だなんて・・・いつたべさせたかも私の記憶にはない。

そんなことも知らず、考えず、一人普通に食べ、寝て、男と付き合って、あの子の何倍も自由だったことを今さら知ることになるなんて。

「悪いコトダト、一度モ考エナカッタノデスカ?」

悪い事だなんて考えていなかった・・・・・・・?

あの時はそれでいいと思っていた。

そう・・・あれは・・・

「デワ、ナゼ人ニ会ワセナカッタノデショウ?ナゼ、ベランダニ段ボールヲオイテイタノデショウ?」

何故・・・?何故って・・・

人に会わせなかったのは、痣だらけの愛菜を見られては・・・困るから?

なぜ?

ベランダに段ボールを置いたのは、外に子供が出されていることに気付かれては・・・困るから?

なぜ?

声を出させなかったのは、近所の人に通報されると・・・困るから?

なぜ?

悪いこととわかっているからこそ、周りに気付かれないように対処した・・・

「ホントウニ悪イコトダト思ワナカッタノデスカ?」

本当に・・・?思わなかった?

いや、そうじゃない。私は分かっていた。

そう、ちゃんとやってはいけないことだという認識があった。ただ気付かないふりをしていただけ、自分をだまして正当化していただけ。なぜかなんて考える事すらしなかった。

そうする方がいいと思ったからやっただけ。そこに悪気すらなかった。

「あ・・・あっ・・・」

声にならない声と、吐き気が襲ってくる。

自分でも気づかないふりをしていた部分を追求され、さらされ、認識させられた。

私は・・・

「動物デモ自分ノ子供ヲ守ルタメニ、必死ニ戦ウコトモアルノデス。人間ノアナタハ、コドモヲ守ルドコロカコロシカケタ」

「アナタハコレカラ、ソノ痛ミト苦シミノ感情ヲカカエタママ、生きてイクノデス。残りノ人生デ、取り戻せルトイイデスネ。アナタガ本当ニ失ったモノヲ」

痛い。胸が痛くて張り裂けそうになる。

「愛菜・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」

「愛菜サンモアナタニズット謝ッテイマシタヨ。今ノアナタノヨウニ」

・・・・・・・・・

「最後ニオキキシマス。アナタハ愛菜サンヲ愛シテイマシタカ?」

愛していたか・・・・・

愛・・・・ってなんだたっけ・・・

愛菜を可愛いと思っていたこともある。愛おしいと思ったこともある。

でも、いつからかそれは鬱陶しいという気持ちに変わった・・・

そんな私が愛菜を愛していたかどうかなんて・・・・

「今は分かりません。愛していた・・・はずだとしか」

もう言い訳は通用しない。

私がやってきたことが正当な物ではないと、自分が認識させられたのだから。

過去を換えられるわけではない。どんなに反省しても罪が消えるわけでもない。

今更、何が出来る?

愛菜に行ったことが、どんなにひどいことか自分が体験してみないとわからないなんて。

痛みは痛みとして今、私に返ってきた。

それでも、これだけのことをした私に許しをこう資格はない。

愛しているなんて言えない。

二度と愛菜に会えることはないだろう。会わせる顔もない。

この先、どんな判決が出たとしても、受け入れることしか私には出来ない。

「コノアトアナタニ判決ガ言イ渡サレマス。ドウカ今ノ気持チヲ忘レナイデクダサイ」


会田愛穂  保護責任者遺棄及び傷害罪につき 懲役2年4ヶ月 執行猶予なし

紫苑の刑により反省の色が見られたため、求刑より2年短縮。

本人の意向で控訴はされず、そのまま刑が確定した。





 坂本達樹


「ゴホゴホッ」

息苦しさと混乱の中で目が覚めた。

白い天井に明るい部屋。

「オカエリナサイ。坂本達樹サン」

急に声がして、体がビクッと飛び上がった。

何が起きた。ここはどこだ。

「ココハ、紫苑刑の執行場デス。」

紫苑刑?

「ドウデシタカ、会田愛菜サンノ記憶ノナカハ」

ああそうだ、俺は今まであいつだった。夢だったのか?

そっと自分の肌やお腹に手を当ててみるが、痛みはない。今さっきまで現実に痛かった場所には、何の痕跡も残っていなかった。

やけにリアルな夢だった。俺が俺に蹴られていた?

「イイエ、アナタハ今ノ今マデ、愛菜サンデシタ」

「お前、さっきから何言ってんの?てかお前なんだよ!」

「ワタシハSHION107。会田愛菜サンノ記憶ヲ保管シ、ソノ感覚ヤ思イヲ伝エルコトガデキマス」

意味が分からない。俺があいつの記憶の中にいたという事か?

「ソウデス。アナタハ会田愛菜トシテ、アナタガ行ッタ暴力ノ痛ミヤ苦シミヲソノ身デ体験シタノデス」

こいつ何でさっきから俺の思ってることが分かるんだ?意味分かんねぇ・・・

「ワタシハAIデス。ワタシトアナタノ脳ハ繋ガッテイマス。思考ヲ読ムコトクライ簡単デス。」

「勝手に思考を読むなよ。大体、なんで俺があいつの痛みを感じなきゃいけねーの?母親だって殴ってたじゃねーか。」

俺は母親の代わりに躾てやっただけだ。

体中に貼り付けられた管が鬱陶しいと感じて取ろうとするが、上手く外れない。

「愛菜サンニナッテ、ソノ身デ痛ミヲ感ジテモ、何モ思ワナイノデスカ?」

「そりゃ、痛いし、辛いし、しんどかったけど、そんなのみんな我慢して通る道じゃねーの?」

俺だって親父に何度も殴られてきた。出来損ないとさげすまれて、ご飯もろくに食わせてもらえない日だってあった。子供はそうやって強く育てる物だ。少なくとも俺はそう育った。

「アナタハ自分ガヤッタコトガ正シイト思ッテイルノデスカ?オ父サンハ正カッタト?」

正しいか?そんなこと考えたこともない。言うこと聞かないから、体に教えるだけだ。

「無抵抗ナ子供ヲ殴ッテ、楽シカッタデスカ?優越感ガ得ラレマシタカ?」

楽しいとか楽しくないとかではない。優越感?正直、自分が気に入らないと殴ったこともある。そもそも、自分の子供でもないのに、なんで俺が罰せられてるんだ?

「デハ、自分ノ子供ナラ殴ッテ、罰ヲ与エテモイイト?」

「元々は母親が殴ってたんだから、主犯は母親だろ?俺はそれに便乗しただけだし。確かにやり過ぎたかなとは思うけど、なんで俺があいつと同じ目にあわなくちゃいけないんだよ。」

「ツマリ、反省ハシナイノデスカ?」

「いや、だからやり過ぎたとは思ってるよ。確かにいきすぎたなぁとはちゃんと思ってるし、あいつにもひどいことしたなとも思ってるけど・・」

「思ッテルケドナンデスカ?」

だんだんめんどうになってきた。機械的なこの声にもイライラする。勝手に思考を読まれるのも腹が立つ。

頭に血が上って腕に付いている管を勢いと力任せで一気に力一杯引き抜いた。

皮膚が裂けた痛みとともに血管を傷つけたのか、そこら中に血がまき散らされる。

頭に付いている電極らしき物に手を触れた瞬間、突然、耳をつんざく警報音が鳴り響く。

その途端、白衣を着た男と警察官らしい男2人が飛び込んでくる。

そして体を押さえつけられ、ベッドにくくりつけられた。

医者らしき男は、その場で腕の出血箇所の処置を始める。

あのいけ好かない声は黙ったままだった。

「ここから出せよ。もう刑はうけただろ」

「ナゼコノ刑ヲ受ケタカ、ワカッテイナイヨウデスネ。ココハアナタノ量刑ヲキメル場デモアルノデス。アナタノ態度1ツ、言動1ツデアナタノ今後ガ決マルノデス。モウ遅いデスガ」

また声が響いた。

これだけで終わりじゃないのか?そういえば裁判で、紫苑刑の後、量刑が決まるとか何とか・・・・

今度は血の気がひいた。今まで何度も反省しないのかと聞かれたのはそういうことか・・・

「いや、待ってくれ、反省はしてる。悪いことしたと思ってる。でも、俺も同じように育てられたんだ。だから子供を殴っても、それが躾だと思ったんだ。この通り、本当に反省してます。」

ベッドの上でもがきながら、必死に反省の言葉を述べる。

「アナタガ、サレタコトダカラ、愛菜サンニシテモ良イ事ダト思ッタノデスネ?」

「違う、そうじゃない、いやそうだけど、今はちゃんといけないことだと理解したから!」

今までも態度とは打って変わって、ひたすらに反省の言葉を述べる。

「アナタガ目覚メテカラノ言動ハスデニ裁判官ニモ伝ワッテイマス。モウ手遅レナノデスヨ。」

一瞬言葉を失った。なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!

「先ほど、会田愛穂サンノ刑ハ確定シマシタ。次はアナタノ番デス。」

「こんなの卑怯だろ!勝手に人の頭つついて、混乱してる所に質問ぶつけるなんて!不公平だろうが。俺の言い分も聞けよ!」

「裁判デアナタノ言い分ハ十分ニ聞イテイマス、ソノ上デコノ刑ガ執行サレタノデスヨ。」

「不公平ダト言イマシタガ、アナタハ、愛菜サンニ公平ダッタノデスカ?言イ分ヲ聞イタコトガ、アルノデスカ?」

白い壁の扉が再び開いて、さらに2名の警察官が入ってくる。

医者が、管を一本ずつ外し、最後に頭に付いていた電極が外される。

「待ってくれ、ちゃんと話をきいてくれ」

そう叫んでみたが、もう二度とあの声は聞こえなかった。

ただベッドが運ばれていく駒の音と罵声だけがその場に響いていた。



坂本達樹 暴行および傷害 懲役6年4ヶ月以上 執行猶予 なし

紫苑の刑により反省を促したが、途中妨害により中断、反省の色は見られず。

以上の点を考慮し6年4ヶ月以上の不定期刑に処す。

控訴は即日行われたが、裁判所はこれを棄却。坂本の刑は確定した。

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