黒の森の賢者の子
吉冨諒
第1話
エリス・ランドスピアは“黒の森”に住む魔女である。
村々の噂によれば、箒にまたがり空を飛び、親の言うことを聞かない子供をさらって食うのだという。また、不貞を働いた婦女の生き血を絞り取ってしまうとも聞く。
そんなことは、今のところしたことがない。
エリスは“黒の森”に住む魔女であり、またの名を“黒の森の賢者”という。
“賢者”と呼ばれる人物はこのカンチアネリ王国の歴史上何人かがその名を残しているが、たいていは王に仕える有能な才人であったり、または王その人を指す場合もある。
もちろん、エリスはそのいずれでもない。
ただの年齢不詳な外見をした女である。
“黒の森の賢者”といえば、それがエリスのことであり、エリス以前に“黒の森”に命を捧げた人間たちのことをいう。
“黒の森”の中心には“知恵の樹”と呼ばれる大樹がある。
“知恵の樹”は“黒の森”の主であり、この主に選ばれた者が賢者として、樹の有する叡智を得ることができる。
『――――エリス・ランドスピア、よくきたね』
『――あれから何年が経った』
『待っていた』『待っていた』『待っていた』
『誓約を果たすときが近づいている――……』
その晩、エリスは“樹”に呼び出されていた。
不吉な通り名のとおり黒い闇に満たされた森の中で、一際真っ黒な“知恵の樹”は、口々にエリスに向かって一方的にしゃべっている。
特段用事がなくとも、最近の“樹”はこんなふうに、エリスを気まぐれに呼びだしては、不満げにうなるようになってきた。
男の声、女の声、老人の声、青年の声、少女の声――
いったいいくつの命を吸っているのだろう、とエリスは思う。
“樹”から得た叡智の中に、その答えはない。
「誓約した時期は、まだ先のはずだがね」
エリスが臆せず答えれば、“樹”はざわざわと風に葉を鳴らした。
『――不愉快だ』『誓約を果たせ』
『いいえ、彼女の言葉は正しい』『その日ではない――』
好き好きに喋り散らかす“樹”に向かい、エリスはあえて不敵に鼻を鳴らしてみせた。
「それともなにかい、私よりいい逸材でも手に入る算段がついたか?」
途端、“樹”が沈黙する。
“樹”は真実を語り、嘘をつくことができない。
沈黙だけが“樹”に許された抵抗である。
となると、とエリスは思う、まだあたしの命を捧げる時期ではない。
「私は誓約を果たす。“黒の森の賢者”として選ばれた以上、逃げることのできない誓約であることくらい承知している。だから、私が後継者を育てたときか、或いはあんたらが後継者たる者を見つけたときには、潔くあんたらに捧げてやるよ」
ざわ、と生温い風が強く吹いて、黒い霧をほんの一瞬吹き散らす。
霧の向こう、雲に閉ざされた夜空になお黒々と浮かび上がる大樹の枝に、おびただしい生首がぶらさがっているのが見えた。
『よろしい』『よろしい』『魔女は弁えている』
『探せ』『継承者を』
『そして』『捧げよ』
『あなたも私たちと同じく、その智恵を』
とうにしなびて性別も年齢もわからなくなった生首たちが、目玉を失った眼窩で笑った。
「――とうにその覚悟さ」
エリスが答えると同時に再び霧が“樹”の姿を覆い隠して、何もかもを闇の奥にさらった。
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