番人の葬儀屋

あじのこ

第1話




これは人々が機械の力を手に入れて魔法を迫害し電気の光が黒い森を照らし始めた頃の話。


「おい!いたぞ!!あそこだ!」


やや離れた場所から男の怒鳴り声と同時に猟犬の吠え立てる音が聞こえた。

バッシュは心の中でお前らみたいなノロマに見つけられるものか、と精一杯毒づいた。たしかにバッシュは足が速かった。幼い時など教会の畑を荒らす一角野ウサギを相手に走り回り、捕まえた時にはみんなで大喜びしたものだった。

戦争孤児を押し付けられても嫌な顔をせず受け入れ、寄付を断られても嫌な顔ひとつしない人の良い善良な貧乏神父の顔が浮かんだ。


ーーああ、神父さま!ごめんなさい!

でもオレが悪いんじゃないんです。

悪いのはすぐに腹が減るオレのハラなんです。


酒場で酔った男の財布から少しばかり『貸して』もらおうとしたのだが、ここ数日なにも食べていなかったのがいけなかったのか。荷物を拝借し財布から金を抜き取ったところで小銭が床に散らばってしまった。いつもならこんなミスはしない。

バッシュは男と数秒顔を見合わせて、にっこりと笑って後図さりすると酔っ払いの荷物を持ったまま店を飛び出し駆け出した。


そしていまここに至る。

村ハズレの森まで来たは良いが、日が傾き始める頃だった。沈み始めた太陽に変わり、森のそこかしこには暗い影が忍び寄っていた。


整備されていた道はとうになくなり、あるとも分からない獣道をひたすら走り続けていく。バッシュは自分の息が少しずつ上がり始めているのを冷静に感じ取っていた。


貧乏教会を飛び出てから教会近くの村で手伝いをして貯めた心許ない路銀はすぐに無くなり、仕方なしに市場や酒場で酒に酔った客の金を盗むーーいや、『借りて』きたのだった。


猟犬の声に責め立てられ、自分がどんどん行き場のない森の奥深くまで追いやられていることだけは分かった。凸凹とした木の根本に足を取られる。長い年月とともに折り重なった落ち葉や枯れ枝に足裏が滑る。バランスを崩さぬようにすれば速度は遅くなる。猟犬がいまにも薮の中からこちらに噛みついてくるような気配をビリビリと肌で感じた。


クソっ!飯さえ食っていればあんな奴らに捕まりはしないのに。


バッシュは口の中から飛び出しそうになる心臓に喝を入れて飲み込み、なお走った。ここを切り抜けられたらなにを食おうか。教会で見た古い新聞の端に書いてあった一角ウサギのミートパイ、それとも…いや、この際ならカビの生えた黒パンに目玉焼きを乗せるのでもいい。最高の贅沢だ!


グッと足に力が入ったその時。茂みから黒い猟犬がバッシュ目掛けて鋭い牙を剥き出しにして飛び込んできた。


「う、うぁあ!!ーーーあ?」


咄嗟に飛び出てきた犬を避けようと体を捻った瞬間、黒い毛と黒い犬の口、そこから覗く赤い舌と鋭く尖った獰猛な牙。

ガブリと犬の口がバッシュの足首を捕えた。

自分でも情けない叫び声と共に一瞬だけ体がふわりと軽くなるのを感じた。それもそのはず、バッシュは崖から足を踏み外し、犬と共に暗い森の、夜よりも深い黒色の穴に飲み込まれていった。



「兄者、イヌ、イヌ 一匹。泥棒と一緒に落ちた」

「はあはあ…クソ!イヌなんて…はあはあどうでもいい!!あいつが盗んで行った荷物を…必ず回収しろ!!死体はイヌにでもくれちまえ!!」

「荷物、回収スル。死体、イヌに食わせる」

「モタモタするな!早くいけ!!」




『バッシュ。バッシュ。起きなさい』


カーテンレールの滑る音が聞こえる。眩しい。


まだねていたよう…。薄い毛布をぐるりと体に巻きつかせて、バッシュは抵抗した。毛布の中は暖かい。うとうとするにはちょうど良い温度に顔を埋める。匂いがする。母さん。


母さんは死んだじゃないか。

そこでバッシュは自分が都合の良い夢を見ていることに気がついた。自分の手足は今よりもずっと小さい。小さい体に小さい毛布。


遠い記憶の中の母は調律のとれていない酒場のオルガンで楽しげに歌う姿やサーカス団の楽団で楽器を演奏する姿ばかり思い出していたのに、こういう日常的な姿はそれほど印象に残っていなかった。

夢の中でこういう場面を思い描く自分に冷静に驚いた。


母はいつも楽しげに楽器を奏で、音楽を歌い、時には踊った。太陽の傾きと共に移動する遊牧民族の血がそうさせていたのかもしれない。

酒場で聞く流行りの娯楽音楽から聞き慣れない異国の地の民謡まで、母はありとあらゆる音楽を愛していた。

最近発明された『音楽のなる箱』が母の仕事を奪うまで。


微睡む頭の中の片隅で冷静な自分が起きろと叫ぶ。

でも、少しくらいいいじゃないか。夢の中だもの。


毛布越しに母が「まったくもう」とため息を吐くのが聞こえた。

母の指が毛布の端を摘む。摘んで捲れた毛布の間から眩いばかりの太陽の日差しが差し込む。


ああ、母さん。眩しいよ。

それにしても眩しい。室内の窓越しから見るにはいささか違和感を感じるほど強い眩しさにバッシュはギュッと閉じた瞼を開いた。


『あら?起きたのね』


眩しいと感じたのは【光源】だった。

しかし、その光源は松明やランプ、今流行りの電気を使った【照明】の類いのもとではない。なにもない空中を発光している。光だけがただそこにあった。

それは強弱のついた光を発して、光を放って、そして驚いたことに喋っているのだ。バッシュはその光源を見てまだこれは夢の続きなのかと勘違いしそうになった。


光が勝手に空中を浮かんでふわふわとバッシュの目の前を行ったり来たり、なにか忙しなく飛んでいる。


『ニンゲンって脆い生き物なんでしょ?いやになっちゃう。あ〜早くアイリア帰ってこないかしら』


少女とも少年とも取れる声は明らかにこの空飛ぶ【光源】から発していられるのだった。

そこでやっとバッシュは自分が子供の時にふざけ半分の年長者から聞かされてきた暗闇の中の恐ろしい怪異に触れているのだと気付かされて、声にならない声を絞り出した。


「は、ひ 火の玉がしゃべって…」

『え?』

「え?」

『あ…あなた、私の姿や声が分かるの?』


火の玉は急に向きを変えてバッシュの顔を見た。いや、正確には光源がただバッシュの顔を照らすだけだったのだが何故かバッシュにはそう感じたのだった。


「お、おおう。うん、聞こえているけど…」


バッシュは自分の顔を覗いて問いただす、奇怪な光源に返事をした。子供の時に散々聞いた墓場に飛ぶおどろおどろしい火の玉などとはいささか趣の異なる怪異を相手に、おかしいかもしれないが少し安堵した。

これはなにか仕掛けがあって、風変わりな村人の推挙な悪戯かもしれない。あるいは悪戯好きな子供の。そんな呑気な考えが頭に浮かんだ。ーーこんな村から外れた森の奥深くで?


ともかくどうやら人の言葉は解せるらしい。それなら話が通じるのかもしれない、バッシュが少しだけホッとした瞬間、森の隅々まで届くような悲鳴が轟いた。光源の少年と少女を行き来する高い声がバッシュの耳をけたたましく刺激した。


『キャッーーー!!!!み、見えてるの!?私のことが!?きゃっっっ〜』


バッシュが光源の存在を認識しているとわかるや否やパニックを起こした光源はさらに忙しなく暗闇の端から端を行ったり来たりを繰り返す。あまりに早く動くものだからバッシュの目はチカチカとしてきた。


「あ〜!!うるせぇ!!静かにしろ!それに眩しい!」


バッシュは怪異目掛けて、手当たり次第に石や枝を掴んで投げようと試みるもーー体が重たい。さらにいうと下半身がまるで動かない。

まさか、さっきので骨が折れちまったんじゃないかとゾッとしながら自分の半身を見ると一匹の大きな黒い犬がバッシュの体を覆っていた。

犬は目を閉じていたが2人のやりとりに目を覚ましてうっすらと開けた瞼の瞳からバッシュの動向を伺っているようだった。


下手なことをすると噛みつかれて殺される。そんな気配を一瞬で判断したバッシュは手に掴んだ小枝をゆっくりと手放した。すると黒い犬はバッシュの様子を伺い、やがて瞼を閉じた。


思わず止めていた息をフッー…と誰にも分からないように(とはいえここには自分と空飛ぶ火の玉と犬しかいない)吐き出すと、やはり半狂乱になってけたたましく飛ぶ光源に向かってやや小さな声で呼びかけた。


「オイ、わかった。頼むから落ち着いてくれ。」


聞いているのか、そこの火の玉。

と、呼びかけると光源はキキっとスピードを落としてぐぅいんとバッシュに向けて体の向き(光源?)を変えた。


「ちょっと!私のこと火の玉って呼ぶのやめてよね!私のことをなんだと思っているの!」


光源の声色が怒気をはらんだ。

バッシュの言い方が相当お気に召さなかったらしい、光源が炎のようにパチパチと燃えた。


「私は➖➖➖様から寵愛を賜りし➖➖➖なのよ!ニンゲンの子供風情が偉そうにしないでよね!」


バッシュには言葉として分からない言葉が駆け巡る。それがなにを意味しているのか、この光源の正体は一体なんであるのか。

バッシュの頭が理解に努めようとフル回転で作動し、湯気が出そうになった時。


ここにはこの光源と黒い犬と、自分の他にもう1人誰かがいたのだと気がついた。


「リヒト。彼が混乱しているよ」


最初からそこにいたのか、いなかったのか。それも分からないほどその人物は暗闇の中に紛れて気配が無かった。

光源があまりに威丈高に光を放つ様子から止めに入ったのだ。


その人は女性のようでもあり男性のようにも見えた。黒のマントに黒い手袋と革靴。全身が真っ黒のために暗闇の中から現れても分からなかった。


これは、こいつは人間なのか?

バッシュは混乱する頭で必死に考えた。さらに情報を得ようと瞳孔が忙しなくその人物の姿を捉えた。


一つ確かなのはバッシュよりは歳を重ねた大人だということだった。

その人物の傍には小ぶりな馬がこちらの様子などお構いなくのんびりと草を食む。

こんな状況でなければ牧歌的ともおもえるのんびりした動作の馬を近くの木に繋ぎ止めると黒マントは馬の背に乗せていた自分の背丈ほどある木材を数本、ヒョイっと持ち上げて下ろした。


『遅かったじゃない!もう日が暮れてしまうわ!』

「供物と燭台にする適当な木がなかなか見つからなくてね」


そういうと木材に古い布切れを巻き始めた。

キミ、手伝ってくれないか?男とも女とも取れるすこし低い声で呼びかけられてバッシュはハッとした。自分の体を覆っていた黒い犬はいつのまにか遠く離れていた。暗闇の森の端から金色の目だけがこちらを見ていた。


あ、ああ…。そう気の抜けた声でバッシュは返事をして立ち上がる。崖で犬に噛まれた足首が少しだけ痛かった。捻ったのかもしれない。でも犬の牙の跡が見当たらなかった。犬は加減をしてバッシュに噛みついたことが推察された。

こちらを捕まえようとしたのに。


黒マントがバッシュが酒場で財布を盗んだ狩人たちの仲間には見えなかった。

人間の種類が違う。バッシュは思った。どちらかというとと貧乏教会の神父様に雰囲気そのものは似ていたが、かといって同じではなかった。


こいつはなんなのだろう。そもそもこの状況は?

色々な疑問が頭の中を駆け巡ったが、テキパキと無駄なく動く黒マントの指がバッシュに手伝えと無言の圧をかけてくるので、否応なくバッシュはフラフラと力なく黒マントの方へと歩み寄った。

なにかあれば逃げだせそうな距離を保ちつつ座った。とはいえ、この捻った足では満足に逃げ出せそうにもない。


「そこの布を木の先端に巻きつけてリボンで縛ってくれると助かる」


黒マントはバッシュの方にリボンを投げた。

黒の下地に白く輝く刺繍の縁取りがされている。ほのかに光を放っているようにも見えた。なぜかバッシュは教会の儀式の時に使った銀製の燭台を思い出した。バッシュは観念してリボンを受け取ると村祭りの手伝いで作った松明の要領で木に布をくくりつけ、リボンで縛りつけた。


作業中、会話らしい会話はなかったが黒マントからそこの黒い犬が気絶したバッシュのそばにいて他の肉食動物から守ってくれていた。あとで礼を言うようにと言われたバッシュは半信半疑だった。黒い犬はまだ森の闇の淵で静かに眠っていた。

バッシュが四苦八苦で2.3本松明を完成させる頃には黒マントはもう10本ほどの松明を完成させていた。


「ありがとう」

低いが良く通る声でバッシュは感謝された。


「もうすぐに日が暮れる。暗くなる前に食事にしよう」


さも当たり前に言われ、次に食事の準備をし始めた黒マントに向かってバッシュは思わず声を張り上げた。

「ちょっと待て!待ってくれ!なんなんだよお前ら!」


なんで話す光の球がいて普通にしてられるんだよ!そもそもお前ダレ?人間なの!?


冷静に考えてこんな常闇の支配する森の中、話す光の球と全身真っ黒な性別不明のにんげんーーだと思いたい。せめて。ーーと、遭遇し全ての疑問や恐怖が吹き出した後にもう森から出させろよ!とバッシュは頭を抱えて絶叫した。それ誰にも受け入れられず、ただ森の中に吸い込まれていた。


『はぁ〜も〜こんなのなんてありえない〜』


恐怖が支配する場面に相応しくない声が瞬いた。先ほどから静かにしていた光源だった。黒マントからリヒトと呼ばれた光源は再び強く光を発してバッシュの前を飛んだ。


『あなたねぇ、私が見えてる意味ちゃんと理解しているの?』

「リヒト。彼はまだわかっていないんだ。これから順を追って説明しなくては」

『言葉を交わさないと理解できないなんて』


ふん。これだからニンゲンなんて、と光源はむくれたようにぼやくと今度はパッと消えていなくなってしまった。唐突に暗闇が訪れる。先ほどまでリヒトの明かりで照らされていた場所は手の指先さえ見るのが困難なほど森の暗闇に支配された。


ゾゾっと背筋に冷たい恐怖が走る。太陽はとうに沈んでいたことを思い知らされた。月明かりを頼りにするにはここは森が深すぎる。


なにか、照らすものはないか…先ほど作った松明を探しそうとするも、火をつけるものがないことに気がつく。ここでバッシュは斜めにかけていたバッグに手を置いた。狩人から盗んだバッグだった。ここになにか…そう思いバッグの中を探る。


ぼぅ…と、頼りない光が灯った。


「それは…」


最近開発された小型の電機洋燈だった。偶然スイッチが入ったのか、ないよりマシか。と、バッシュは小さな灯りにホッとしながら


「ありがとう…でもすぐに焚き火を起こしてそれはしまおう。彼はお気に召さないようだから」

「彼…?」


そこでバッシュは自分と喋る火の玉と黒い犬と黒マントとロバに似た馬の他にもう1人いることを知る。


「キミの後ろにいる」

「うしろ…?」

「彼だよ」


バッシュはゆっくりと後ろを振り返り電機洋燈を黒マントの言う後ろの方へと向けた。


そこには森の暗闇とは違う、やや焦茶色に覆われている空間があることに気がついた。目を凝らすとそれは鳥の羽根のように見えた。

バッシュがいままで暗闇だと思っていたのはなにか大きな生き物の軀だった。


バッシュは先ほどの光源との遭遇の時よりも悲鳴を出したい衝動に駆られたがあまりの大きさにこれ以上刺激をしない方が良いことを本能で悟り、叫ぶ代わりに唾を飲み込んだ。


バッシュはいままで生きてきた中でこんなに巨大な生き物を見たことがなかった。せいぜい畑で使う農耕牛くらいだった。

南方にはゾウと呼ばれる灰色の硬い皮膚に覆われた生き物がいると教会の図鑑で読んだことがあるが、おそらくそれよりももっと大きいように思われた。


畏怖と共に僅かばかりの好奇心があることをバッシュは自分でも驚いた。その好奇心がバッシュを突き動かし、その巨軀に無遠慮な光を向けた。


だらんとした羽根が土に汚れ、もうその巨軀に生命が宿っていないことを動かない瞳孔が示していた。


「やめてくれ。嫌がっている」


その巨大な生き物がなんであるか、分かる前に黒マントが電機洋燈のあかりを遮った。

近づくと思ったより小柄に思える黒マントは焚き火が出来るまで、と言うと手早く体を動かし焚き火に火を付けた。バッシュは言われるがまま電機洋燈の灯りを消した。


パチっパチっと焚き火が跳ねる音だけが森に響いた。バッシュは焚き火に近づき、なるべくその巨大ななにかから距離を取るように座った。


「彼はこの森の一帯を治めていた番人だよ」

「番人」

「キミにはどういう風に見えているか私には分からないが、キミに馴染みのある姿で見えていると思うよ」


黒マントは食事の支度をしながら手を止めずに言った。

この巨大な生き物は魔法の力を使ってこの森一帯を治めていた。村と森は共存関係にあったが長い年月が過ぎ人々から忘れ去られ、ある日若い狩人放った矢が羽根に突き刺さり、回復することなく衰弱死してしまった。




「彼に呼ばれてきたんだ。きっと最後の力を使って教えてくれたんだよ」


死を迎える番人が最後に放つ光を喋る火の玉ーーもとい、リヒトが察知する能力を持っていた。


「私は、こういえば伝わるかな。番人たちの葬儀屋なんだ」

「葬儀屋…」


そう言われてみれば、黒マントが黒マントを羽織ってなお全身黒い理由が解せた。


「私は彼らの肉体と魂が安らかに眠れるよう手伝いをしているんだ。肉体と魂が離れないように。交わり過ぎてこの世に留まらないように」

「ふぅん」


黒マントの葬儀屋はバッシュにも分かる言葉を選んで慎重に話しているようだったが、バッシュにはやはり夢の続きを見ているのではないかと一度頬をつねった。痛いだけでなにも変わらなかった。


番人の姿は見る人によって異なるらしい。

番人は一帯を治めているが故にそこに住む人間の思念をエネルギーとして蓄積し、自分の姿を形成する。


人と同じ姿をする時もあれば動物の形、さらには人間が怪物と呼ぶのに相応しい姿をすることもある、稀にだけどと黒マントは続けた。


バッシュには巨大な生き物が鳥類、梟のような姿をしているように見えた。

巨大な梟の骸が横たわる情景はあまりにも非日常的だった。


「葬式って…なにするの?」


バッシュは教会の時に大人たちには秘密で飼っていたネズミの葬式をあげたことを思い出した。教会の神父様の見様見真似で執り行った葬式に周囲の子供達は最初はふざけ半分で笑っていたが、ネズミとの思い出を語る頃には鼻水を出して泣き始めていた。子供たちの泣き声に気づいた修道女にはネズミを飼っていることが見つかって、心底怒られた。


でも神父はネズミを飼っていたことを黙っていたことに対して注意した後に、なんて言ってたっけ?


「基本的にはその土地の慣習に従う。死に際に間に合えば末期の儀式を行って看とり、葬儀の告知で番人がいなくなったことを一帯に知らせる。その土地の慣習に従って葬儀を執り行って肉体を火葬か埋葬し、魂をあの世に運搬する」

「番人がいなくなった土地はどうなるの?」

「そこまでは」


分からない。あくまで死んだ番人を見送ることが仕事だから、黒マントは続けた。


「じゃあこれからあの梟の葬儀をするのか」


バッシュはこの摩訶不思議な話を受け入れ始めていた。飼っていたネズミの葬式をするくらいだもの。人間と同じくらい、もしくはそれ以上長い年月を生きてきた「生き物」の命に敬意するのは当然のように思えた。


「そう。でもダメなんだ」


問題があると、黒マントは静かにただこれまでとは違う調子で答えた。それがよほどの深刻なことであることは明白だった。


「え、なに?葬式して燃やして終わりじゃないの…?」

「この番人は長くこの土地を守ってきた。

彼はいままで守ってきたはずの人間の矢で致命傷を受けて死んだ」


このままでは魂が浄化されないまま【ケガレ】てしまう。


【ケガレ】と聞いてバッシュは母親の葬儀を思い出した。歌い手である母を雇っていたサーカス団は気の良い奴らだった。幼い子供が母親の死にショックを受け過ぎないように、距離を置かせた。バッシュには分かっていた。もう母親が起きてこないことを。


バッシュ、バッシュのお母さんは眠っているんだよ。おやすみのキスをしてあげて。

周りの大人が泣く側でまだ物心がつき始めたバッシュは言われるがまま狭い箱に横たわる母におやすみのキスをした。

あとはもう大丈夫。私たちが面倒を見るからね。【ケガレ】がうつらないよう離れていようね。


バッシュはハッとした。

心の中が幼い頃に戻り過ぎていたようだった。その様子に黒マントは気がついていたのか、話すのをやめて薄汚れたマグカップに茶色い液体を注いでいた。


温まるよ。そう差し出されたマグカップは目の前に横たわる梟と同じ焦茶色に澱んでいた。


バッシュは焚き火の火を見つめながら受け取ったマグカップに口をつけた。


「おぅゔあ…!????」


この世のものとは思えない言葉にし難い味覚が舌を、脳天を直撃した。


「なん…!??」なんだこの飲み物は?!


毒でも盛られたのか、と口の中に残る衣服で拭き取り、黒マントを睨みつけた。本人はどこ吹く風。バッシュと全く同じこの世のものとは思えない飲み物を飲んでいた。


「これは…?」

「ココアだよ」

「ココア!?オレが知っているココアとはかなりだいぶ全く違うんだが…」

「えっ。そうかなぁ…」


ココアも土地によって違うのかな?黒マントはそう呟くと今度は焚き火から棒に突き刺さった黒色の‘なにか’を無造作に引っ張った。


儀式の前に食事にしようか。黒マントは男とも女とも分からない顔を微笑ませてバッシュにお世辞にも食事とは形容し難い‘ソレ’を皿に盛り付け差し出す。


バッシュは逃げることが出来ない足の痛みに顔を引き攣らせたのだった。

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