このくに

牟太郎

第一話 

 父の死をきっかけに秋葉あきはは妹と同居するようになった。

 病気がちであった母はずっと前に亡くなっていて、両親ふたりが生まれ育った故郷へ帰省した母が床にせる頃には、まともに連絡が取れなくなっていたという。

 その場所は遠方だったこともあり、秋葉はには片手で数えられる程度の回数しか足を運んだことがなかった。それも父の仕事が忙しくなる前のことで、秋葉にとってその記憶は随分と昔の事のように思えた。

 その集落のある地域は広大な海に囲まれ、明け透けに表現するのなら、ひどい僻地ともいえる場所だった。海鮮物による収入はあれど加工品を作るまでの技術のないその集落では、外界から隔たれたようにぽつりとそこに存在していた。


 妹はその集落で産まれ、育ったのだという。

 つまるところ、妹は母が集落へ帰省した際に産んだ子供ということだ。


 これは秋葉宛に届いた一通の手紙に記されていたらしいが、受け取ったのは父だった。今まで一度たりとも連絡がなかった母からの手紙であった。

 「秋葉。お前に、妹ができたそうだ」

 憔悴しょうすいし切った父の姿と告げられた内容にうまく脳で処理しきれず、まだ小学生だった秋葉は黙りこくっていた。秋葉に、その手紙は渡されることはなかった。


 ようとは、父の死後に初めて顔を合わせた。

 唯一の身内であった父の死は、当時高校生になったばかりの秋葉に多大なショックを与えた。親戚たちは自分を引き取ることを決めたようだが、そこには後に妹であると知る幼い女の子もいるということを知った。

 秋葉は良い子であるように努めた。笑顔を絶やさず、好かれるような努力だった。みな、秋葉や妹に優しく接してくれていた。

 秋葉が高校を卒業する頃には、いつまでも世話になるわけにもいかないと思い立ち、年端も行かない遙を連れ、別の家へ越したのはつい最近のことだった。


―――


 「プレゼント?」

 「うん。なにが欲しい?」


 短期大学と家を行き来する生活に慣れてきて、蒸し暑さの残るなか夏季休暇の突入する季節。

 もうすぐ、遙の八才の誕生日を迎えようとしていた。

 遙は元より何も欲しがらず無欲で無口な子だ。小学校でもなにも起こさず、いい子すぎる程に良い子であった。

 「……プレゼント」

 そうつぶやき、一考している。


 未だ幼女の面影を残しながらも、子供にしては表情に乏しいと不安になるほどに仏頂面である遙。秋葉は、遙と初めて出会ったときのことを思い出した。


 少女というよりは、まるで少年のような風貌だった。

 後ろ姿だけでは判断がつかないほどに短く切り揃えられた短髪。無地の物ばかりである洋服に痩せ細った肢体。当時五才であった遙はみずぼらしい孤児のような姿であった。

 親戚曰く引き取ってきた時から服装を変えようとしなかったという。極端に着替えることを拒否して、風呂でさえ苦手なのか入りたがらなかったのだと言った。

 集落ではあまり好い扱いをされていなかったように見えたが実際そうではないようで、単に女の子らしい恰好を好まないだけなのだと後に知った。

 

 「むらに行きたい」


 と称したそこを言わずもがな理解した。両親の生まれ育った場所であり、そして遙の産まれた場所でもある。ここから車でも往復でゆうに十時間は超えるであろう僻地のなかの僻地である集落だ。


 虫が蔓延るこの暑い夏の季節にあんな場所へ行くのかと一瞬眉をそびやかす秋葉であったが、それでも、その集落地が遙にとっての故郷なのだ。

 秋葉はというと両親がその集落が出身ではあるもの、自身はその集落を出てから産まれたと知る秋葉にとっては、故郷という響きには憧れに似た思いがあった。


 「いいね! それじゃ久々に行こうか」

 「……うん!」

 遙の表情が明るく照らされるように変わる。

 この三年でやっと遙の笑顔が見られるようになった。

 「なんだか……なんとかのなつやすみってゲームみたい。楽しみ」

 「……」

 反応が微妙になる遙。

 「知ってる?」

 「ううん」

 それなら今度、幼いころにハマってプレイしていたあのゲームをさせてあげよう。

 そう秋葉は決心しては、遙の子ぶりな頭をやさしく撫でつけるのだった。プレゼントは、また別に用意することを決めた。


 目を細め大人しく撫でられている遙を見ていると、今となっては近しい家族に値する親戚の顔がちらついた。

 母の訃報を教えてくれたのは、当時集落に住んでいた親戚だった。に住む親戚のほとんどが集落から引っ越してきた者ばかりで、そのうちの一人だった。この者は集落から離れてすぐ、この知らせを受けていなかった父と秋葉に知らせたのだ。

 父は訃報を聞いたあとに葬式にさえ自分が出来なかったことをひどく悔やんでいるように見えたが、耐え凌ぐようにして葬式の云々をすべてに住む親戚に任せたらしい。その日、父が顔を覆って一晩中泣いていたことをよく覚えている。

 この時の父は、母が病気になってから日に日に弱っていたにもかかわらず多忙であった。仕事はもちろんのことだったが、なにより、妹がいると告げた時から父はすっかり弱ってしまっていた。

 だが秋葉は、妹の存在に――遙という名前さえ当時は知らなかった――後に出会ったときから。もしかしたらその前から、自分には守るべき存在が確かにいるのだと、弱り切る父とは裏腹に秋葉は前向きに物事を処理していた。そうでなければ、深く考えてしまえば、己の周囲のすべてが耐え難いものだったからだ。


 「親戚の人たちにも連絡してからにしないとね」

 ひとりごちるようにつぶやいた秋葉。

 「明日、行きたい」

 被せるようにして遙は言った。

 間髪入れずに言うものだから、秋葉は言葉を失ってしまった。


 遙は、親切であった親戚のことをあまり好く思っていない様子だった。周囲の人間に年の近い子が居らず、秋葉のみが唯一年の近い存在だったこともあるからなのか、親戚含め秋葉以外の存在を信用していないように思えた。だからこそ、そのために早く家を出たのだ。

 秋葉はその声を無下にできるわけもなく、彼女の気持ちを汲むことにした。

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