十話

怪しまれるようなことを自分から言ってしまった。どうにか、騎士団に対して生意気に言った使用人として思われたい。せっかく自分自身のヒントを見つけたのだ、レオンハルトに変なところで勘付かれても困る。


「レオンっ」

「レオンハルト様、おかえりなったのですね」


玄関の扉が使用人によって開かれたと思えば、アンお嬢様が両手を開いて待ち構えていた。

アンお嬢様はスカートを揺らし駆け寄りレオンハルトに腕に抱きついた。


「私とても心配で、心配で、お怪我なかったですか」


聞いたことのない下撫で声に、わざと肩辺りが大きく空いた服を着て、立派な胸を腕に押し付けるアンお嬢様。

あからさまなアプローチにレオンハルトからの眺めは相当なものだろうが、顔色一つ変えず腕をさりげなく払う。


「すいません、アン嬢。私は今汚れていますので、大事なお召し物が汚れてしまいます」

「あら、そんなこと気になさずともいいのに」


アンお嬢様が後ろを振り向けば、呼ばなくとも使用人が一枚のタオルを持って来ては渡し、そのタオルでレオンハルトの汚れた頬を拭い始める。


「あの、これ使ってください」

「ありがとうございますアン嬢」

「いえ、私レオンハルト様のためならっ」


頭振って浮き足立つアンお嬢様の横で、平然と笑顔を振り撒く騎士に、俺は口端が引き攣った。

いつのまにこんな、すけこましになったのだろうか。

部下だったときから騎士団の中で男前だと噂されているのは知っていたが、愛想が皆無すぎて女達すら一切近寄って来なかったような男、が今や女を誑かしている。

可愛い時代は過ぎ去ったというわけか……可愛い時は一切なかったが。


「お風呂に湯をためていますから是非」

「毎回、面倒をかけて申し訳ないです。ではお言葉に甘えて、そうさせてもらいます」


これは話かける事はできないと判断したイナミは、ゆっくりと横にずれるように二人から少しずつ離れようとした。


「リリィ、ちょっと待って」


レオンハルトに腕を掴まれ、静止させられる。


「アン嬢、彼もご一緒によろしいですか。私のせいで彼も汚してしまったので」

「えっあっはい……よろしいですわ……」

「ありがとうございます。リリィ行くよ」


途端に歯切れが悪くなったアンお嬢様。イナミは腕をそのまま引かれて、お風呂の方に連れて行かれる。


「あの!困ります、客が入るような風呂を使うのは駄目なんですって」

「ちゃんと許可もらったからいいでしょ」

「そういう問題じゃ」


背中から突き刺すような圧迫感。あまりの異質な視線に、後ろを振り返れば憎しみが詰まった瞳でアンお嬢様がこちらを睨みつけていた。

自然と『ヒッ』と喉が鳴り、額から冷や汗が流れてくるほどに、人間がもつ危機感が警報を鳴らしている。

色んな目で見られてきたが、色んな愛がこもった、ねっとりとした恐ろしい目は初めてである。

だから、この手を剥がして関係ないアピールをしたいけれど、レオンハルトも離してはくれないようだ。





「本当に脱がないの」

「脱ぎません、一緒に入るなんてごめんです」

「それは残念」


広々とした脱衣所に、一人だけ脱ぎ始めた。そもそも、腹に術式が刻まれているのに脱ぐわけがない。


「人を盾にするのはやめてもらえませんか」

「あれ、バレた」

「突然意味のわからないタイミングで止められたら、そう思います」

「そっか、じゃあごめんね。せき……」

「責任は取らなくていいです。これ以上関わらないでもらえますか」

「ひどい事言うね。でも今回だけだから、そう言わないでよ」


レオンハルトが帰った後に俺はここにいる可能性が高いというのに、これ以上アンお嬢様のご機嫌を損ねれば命がいくつもあっても足りない。

そうとは知らずに服を順調に脱いでいく呑気なレオンハルトに勝手な苛立ちを覚える。


「実は前に一度、風呂場に入ってきたことがあって。それ以来警戒していて、誰か一人いないと不安でね」

「……」


苛立ちで血が熱くなったが、すぐに肝が冷えていくのを感じた。

アンお嬢様は自分が思っている思考より遥かに上をいっている存在だったようだ。風呂に突撃とか大胆にも程があるだろ。


可哀想に。


「えーとだな、なんかごめん」

「だから、今日は多めにみて許してくれると嬉しいかな」

「……いっそうのこと結婚すればいいのでは」

「あはっ、冗談はやめてよ。残念ながら俺には心に決めた人いるから」

「へー」


嘘っぽい。


レオンハルトは服を脱ぎ終わり、籠に脱いだ服を詰めていく。

広い背中、武器を持つための太い腕、高い身長。コイツの裸を見て、今更ながら10年という時が経ち成長しているのだとひしひしと伝わる。

今の体が小さいのもあるかもしれないが、その事実に胸に穴が空いたような、この気持ちはなんだろうか。物を無くした時の落胆にも似ている。


風呂場の扉を開ける前にレオンハルトが振り返る。


「本当に入らない?ここ結構冷えるけど」

「入らないって言ってるでしょ。いいから、いけ」


風呂場に指を指して、さっさと行かせた。

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