第3話 女領主の依頼

 この件はこれでおしまい。

 そう思い込んでいたので、翌朝の朝食の席に小男がやって来たのを見て、心底げんなりした。昨夜の嵐と打って変わって上天気だったが、さわやかな朝の日差しに雲がかかり、半熟の玉子が心なしか固まったような気がする。

 しかし、小男は挨拶だけすると、おとなしく引っ込んだ。代わって背の高い女が近づいてきた。

 何だろう、この圧力…。濃い化粧で彩られた端正な顔もさることながら、露出の多い黒いドレスに包んだ肉体の迫力が半端ではない。出るところがボンと出過ぎて、引っ込むところはキュッと引っ込んでいて、眼福というか、男としてお腹一杯である。


 見たところ歳の頃は四十歳前後の女盛り。もしや、これが小男の主人だろうか。

 女は俺を見おろすと、顔を歪めて鼻息を吐き、テーブルの向こう側にどすんと座った。椅子ではない。俺のテーブルの天板に直接腰を下ろし、体をよじって俺と顔を突き合わせたのだ。

「あの、俺に何かご用ですか?」

 肉感的な腰やバストに間近に迫られ、顔を上げるのがはばかられたので、俺は目を伏せたまま低く声をかけた。

「あんたがあたしの依頼を断った冒険者かい。いい度胸だね」

「はあ…あの、どちらさんで」

「アドリア・アドリアーネって名前を聞いたことはないかい、ええ?」

 ガタガタッと周囲で音が立つ。それまで黙ってこちらの様子を伺っていたまわりのテーブルの連中が一斉に席を立ったのだ。


 アドリア・アドリアーネ……聞いたことのある名前だ。いや、聞いたことがあるどころではない。確か別名「傾城のブラック・ウィドウ」。この辺り一帯を治める貴族の女領主じゃなかったか。

 そうか、周囲の反応からもわかるように、俺は知らずに地雷を踏みかけているのか…。

 だが、俺はフリーの個人事業主であり、昨夜到着したばかりの旅行者だ。彼女の領民でも、手下でもない。黙って言うことを聞くいわれはない。

「断ったんじゃない。雇い主も案件内容も明かしてくれないから、答えようがなかったんですよ」

 アドリアはじろりと小男を睨みつけ、低い声音で訊いた。

「リゲール、この人の話は本当かい?」

「…いやその、アドリアさまの仰せにひたすら忠実であろうといたしまして…」

 小男は青い顔でうつむいた。額に汗まで浮かんでいる。

 アドリアはこっちに向き直ってにやりと笑った。

「あたしは詳細を明かすな、って言ったけど、まさかそんな馬鹿げた交渉をしているとは思わなかったわ。どこまで話していいか、自分の頭で判断することもできないとはね。まあ、それじゃあんたが依頼を受け入れられなかったのも無理はないよ」

 俺は朝食を中断し、深く腰をかけてからタバコを取り出して火を点けた。

 どうやらやっとまともな説明が聞けるらしい。


 アドリアが話してくれたのは次のとおりだ。

 彼女は数年前、領民の若者ジョゼフと割りない仲になった。熟女と若いツバメってやつだな。だが、アドリアはブラック・ウィドゥの異名どおりの未亡人、ジョセフも独身だし、歳の差も含めて別段問題もなく、公然と領主館を愛の巣にピンク色の同棲生活を送っていたという。

 ところが若者は人生で一番リビドーが亢進する時期だからか、年増のアドリアだけではあきたらず、別の若い女たちにも手をつけてしまう。領主館のメイドたちの三人ばかりを妊娠させてしまったそうだ。何とも元気なバカ野郎である。

 腹がふくらんだメイドたちはひまを出されて実家に戻されたが、彼女たちの親はおさまらない。そもそも領主館に就職させたのは行儀見習いを兼ねての年季奉公であり、年季が明ければ彼女たちは領主館勤めの経歴を勲章としてしかるべき婚家にとつぐ予定だった。それが、どこの馬の骨ともしれない男に傷物にされて子どもまで身ごもってしまったとなると、夢の玉の輿プランは台無しである。親たちは娘の人生設計をどうしてくれると怒り心頭に達した。当然至極だ。


 アドリアは若者を牢に放り込み、親たちに金を積んで事態の鎮静化を図ったが、彼らは若者の追放を執拗に要求した。いくら懐柔しようとも納得せず、挙げ句にひそかに若者を毒殺しようとする動きまで見せた。さすがのアドリアも事ここにいたっては仕方ないと親たちの要求に屈し、若者の所払いを決めた。ま、実際は遠方の知り合いに若者を預け、何年かの間はこっそり会いに行くに留め、ほとぼりが冷めた頃に領主館に戻すつもりだったらしい。

 ところが、若者を預け先に運ぶ途中、彼の身柄をワイバーン(亜竜)十頭の群れに奪われた。ガード役には手練の兵士を十数名つけていたが、一行はあえなく全滅し、若者だけが拘束具で自由を奪われた状態のまま空高く連れ去られたのである。

 今から三日ほど前に起きたことだという。


 アドリアの依頼内容は、ずばり若者の奪還である。

 俺はくわえタバコのまま腕を組んでうなった。

「ジョゼフさんはすでに死んでいる可能性が高いんじゃないですか。ワイバーンは肉食だし、気性も荒い。あいつらに連れ去られたら、ふつうは喰われて死にますよ」

 アドリアは首を振った。

「ジョゼフは生きているわ。というのも、あやつには守護の腕輪をつけさせているからね。物理攻撃も魔法攻撃も相当なレベルまで腕輪が防いでくれるから、装備者は無傷のままよ。もし腕輪の加護を超えるような攻撃を受けたら腕輪自体が壊れるし、そうなると対になっている私の腕輪も壊れるはず」

 アドリアは左手首の銀の腕輪を振ってみせた。

「まだ私の腕輪が壊れていない以上、ジョゼフの生存は疑いないわ」

 なるほど、装備者の命を守るペアリングか。すごいお宝だ。


 それにしてもワイバーンとはな。俺は竜種との相性があまりよくない。俺の持つある性質が奴らの攻撃衝動を強く刺激するからだ。遭遇すれば殺し合いになるのは必至だ。

 女好きのスケベな若僧の救出っていうのも意欲が湧かないし、正直、あまり引き受けたくない。

 だが、金貨五十枚の報酬は魅力だ。それにワイバーンならドラゴンと違って炎を吐かないし、異常な堅牢さを誇るウロコもない。魔物というよりも大型の肉食動物に近く、物理攻撃だけで十分通用する。護衛の兵士たちが全滅したのは、魔物退治の経験の浅さからだろう。


 迷っている俺を見て、アドリアはテーブから降り、哀願する調子でこう言った。

「腕輪で守られているとは言っても、すでにジョセフは三日間飲まず喰わずなのよ。遠からず餓死するだろう。一生のお願いよ、依頼を受けておくれ。さらに、今すぐワイバーンの巣へ赴いてくれるのならば、もう二十枚金貨を積むわ」

 しめて金貨七十枚。ゆとりをもってゆうに一年は暮らせる大金だ。しかも、ワイバーンの皮や牙、爪は高額で売れる。俺は情にはほだされないが、金には大いにほだされる。

 余計な思いは頭からふり払い、経済合理性にしたがって案件受注を承諾した。

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